188 紅玉に駆ける軌跡
ある者は唖然と、ある者は頭を抱えて。
そして、ごく少数は、はしゃぐような喜色を見せて。
~♪
皆が視線を注ぐ先には、機嫌の良い鼻歌を奏でる幼女。
実に楽しげに、フワフワと浮かび、漂いながら、指揮者ように、優雅に杖を振っている。
その時、扉の開く音が聞こえ、来客を知らせた。
だが、それに振り向いた能天気な幼女は、流石に目を見開いて驚きを見せた。
「フィー。来たよ」
「フリードにいさま!?」
フィリアは飛ぶように・・いや、文字通り、フリード元に飛んでいった。
「うごいて、だいじょうぶなのですか!?」
その問いに対する答えはフリードの言葉を待つまでもなく、フリードに付き添う側近たちの表情を見れば明らか。
それにそもそも、フリード自身の姿が物語っている。
全身いたるところに包帯を巻き、腕などは固定までしてあったりする痛々しい姿のフリード。
彼は、自身の足で立つのではなく、重厚な木の車椅子に乗っている。
その車椅子を押すのは、今日も美しい自慢の姉リーシャだった。
「・・フィーからも叱って上げて頂戴。絶対安静だって言われてるのに全然言う事を聞かないのよ?・・全くもう」
「リーシャ様も人のことは言えませんからね」
口を尖らせ不満を零すリーシャ。
だが、そんなリーシャの後ろから感情の消え失せた目でタヌスが口にするが、リーシャ耳には残念ながら届くことはない。
フリードとは違い、わかりやすい怪我などはない。
しかし今日は、その美貌に少しだけ陰りがある。
気を失うほどに魔力を酷使したリーシャもフリード同様、安静を告げられていた。
目に見える外傷こそないが、レオンハートにとっては身体を傷つけるよりもよほど重いもの。
フリードはその両方の傷を覆い、その事から絶対安静なのは当然のこと。
そして、リーシャも決して自由を許されるような万全の体調ではない。
というか、そもそも、この場の主催者。
一番小さな幼女も、本来ならば絶対安静。
ただでさえ虚弱で寝込みやすく、普段ならば数日はベットから動くことはおろか意識さえおぼろである筈の所をバレーヌフェザーの力で回復させただけで、本来ならばベットに縛り付けられている。
「もうっ!むりしたらだめです!!」
この姉兄からの、この幼女。
フィリアもまた人のことを言う資格はない。
「ごめんね、フィー。だけど、せっかくフィーが初めて計画した催しだからね。・・来たかったんだよ」
「むぅ・・・」
「そんな言い方ははずるいわよねぇ・・。そんなこと言われたら怒れないじゃない。・・・でも、ごめんなさい。私も同じ」
目を惹く程に美しく整った容姿。
・・・フィリア自体もその血を確かに継いではいるが、それはともかくとして、妹ながらに見惚れる程の美貌を持つ姉兄。
そんな二人の申し訳なさ気というか、不安そうというかの表情は、あざとくとも、無碍にできるものではなかった。
その為、フィリアは何も言えず、せめてもの抵抗で頬を膨らまし口を尖らせて、不満を示すだけ。
「それで。今は何をしていたのかな?」
そんなフィリアの言及のない態度に、微笑みを向けた後、周囲に視線を向けた。
更にその言葉にフィリアも今の今までの不満を忘れ、パッと表情を明るくし、満面の喜色に満ちた表情に変わった。
「はい!いまは、かざりつけちゅうです!!」
そう言ってフィリアが上機嫌に杖を振るうと周囲の装飾が意思を持ったように動き出す。
様々な造形と大きさ、彫刻のようなものもあれば銀細工や布装飾もある。
そんな、一見統一感のないような装飾たちが統率されたように舞い踊るように動く。
弾むように杖を振るうフィリアは自慢気に鼻を鳴らす。
「「「「「・・・・・」」」」」
デジャブ・・、再びの唖然。
フリードとリーシャの側近たちは揃って言葉を失い、それを見るフィリアの側近たちは申し訳なさと同時に、同情の篭った乾いた微笑みを向けていた。
「フィーはすごいね」
「えぇ本当!命を吹き込む魔法なんて秘中の秘なのにこんな簡単に!さすがフィーだわ!!」
「そうなのです!ヒメはすごいんです!!」
そして、この二人はフィーの狂信者筆頭。
当然ながら呆れなどなく、目を輝かせ、手放しでの賞賛。
悲しいかな・・常識があるのは仕える者たちだけ。
・・尚、ティーファは例外として。
訂正をするには発言力も強制力も足りない。
実に歯がゆい・・。
「でもね、フィー?持て成すべきお客様にやってもらってはダメでしょう?」
「はっ・・」
リーシャが視線だけで静かに指したのは、開かれた天井に向かい伸びる大きな望遠鏡に登り、飾りつけを手伝う小さなもう一人のお姫様。
その彼女は手に飾りを持ったまま、唖然とフィリアの魔法を眺めていた。
リーシャの指摘にフィリアは今ようやく気づいて、愕然とした。
「ルリア様の送別会なのでしょう?ならばその手を借りてはダメよ」
「・・・てっきり、こういうのは、いっしょにやったほうが、たのしいとおもって・・・」
萎れるフィリア本人と連動するようにフィリアの魔法も力を失い、舞い踊っていた装飾たちもその動きを止め、ゆっくりと床へと落ちていく。
「おやおや、リーシャ様にフリード様まで。後で皆様に口添えをせねばなりませんな」
そこに奥からミゲルが姿を見せた。
その手にはいつものように多くの資料を抱え、これまたいつもと変わらぬ柔らかな微笑みをレオンハートの兄弟に向けた。
「ごめんなさいね、ミゲル。急な訪問になってしまって」
「いえいえ、ここは姫様の展望台です。姫様の大事なお二人の来訪はいつでも歓迎ですよ。況してや、本日は姫様主催の催し。お二人がいらっしゃってくださって嬉しいかぎりです。・・・ですが、アラン様はご一緒ではなかったのですね」
「アランには少しお使いを頼んだんだ」
社交的な、しかし対外的ではない含みのない微笑み。
リーシャとフリードがそんな顔を見せられる者は少なく限られたものだけ。
それ程にミゲルは信頼され、安心できる数少ない存在。
二人は慣れた礼儀作法を向けているとは言え、そこには肩の力が抜けた気楽さでミゲルと接している。
しかし、フリードの言葉に珍しく含められた違和感に、やはり付き合いの長いミゲルは気づき、悪い笑みを浮かべるように僅かに口端を上げ、フリードと二人だけで通じ合い実に楽しげに感じた。
「なるほど・・・そうでしたか。・・・しかし、そうなると残念でしたな、せっかくの姫様の催しだというのに」
「ああ。すごく不機嫌だったよ。おかげでお使いは上手くいきそうだよ」
「それはそれは朗報ですな。ですがあまり焚きつけないようお願いいたしますよ。周りの者が頭を抱えてしまいますから」
「・・・うん・・・・善処、するよ」
そっと視線を逸らしたフリードの背には今にも刺殺しそうな程に鋭く怨嗟に満ちた視線が突き刺さる。
それはフリードの側近たちからのものなのだが、そこから派生して他二人の姉妹の背にもそれぞれの側近から剣呑な視線を巻き込みで注がれた。
「あ」
一瞬の沈黙の中に落ちた小さく短い声。
その声に自然と視線が集まった。
そこには相変わず望遠鏡への飾りつけをするルリアがいた。
だが、ルリアは先程とは違う方向を向いて動きを止めていた。
ルリアが見上げるように視線を向けていたのは、大きく開け放たれた天井・・の、その先。
暗く吸い込まれそうな闇と赤紫の僅かに滲んだ夜空。
ルリアの声に集まった視線は、そのままルリアの視線を追うように宵闇の中へと注がれた。
「あ・・」
キラリと一瞬の軌跡を描く煌き。
それと共にルリア以外の声も思わず溢れた。
誰もが無言で夜空を見上げる中、フィリアをミゲルは杖を構え、ゆっくりと、そして静かに動かした。
すると、室内の明かりが息を潜めるかのように弱くなり、光量を減らす。
図らずも、その抑えられた光は、暗さを増した部屋の中、夜の灯篭のような幻想的な美しさを生むが、それに目を向ける者はいない。
皆揃って見上げた夜空。
そこには余計な光量が減ったことで散りばめられた無数の星星が数を増すように姿を見せ、満天の星空を更に煌めかせた。
そして、その中を駆ける一筋の軌跡。
光量が減ったことで、奇跡もまた数を増し、一つ、また一つと夜空を駆ける。
しかしそれでも、疎らで、連続だったり同時だったり、止んだのかと思えるような間隔を開けたりと、不規則に夜空を駆ける。
想像していたような、雨のようなものではないが、少し見上げているだけで見る事のできた軌跡の数は、たまの夜空に見かけるものと比べ物にならない。
「ルリィのユメはせいじょになること、でしょ?」
「え、えぇ、そうですけど・・」
急にすぐ傍からかけられた声にルリアは肩を跳ねさせた。
隣を見ればそこにはまるで重力の縛りなど無いかのように浮かんだフィリアがあどけない笑みを浮かべて夜空を見上げていた。
クッションに包まれるように浮かぶ姿は相変わらずで、随分と見慣れたもの。
だが、僅かな光の中、宵闇に浮かび星空に見惚れるフィリアの姿は、あまりに美しく、神秘的で、天使や精霊に例えられる所以が何も問題行動だけが理由ではないのだと見蕩れた。
するとそのフィリアの目が唐突にルリアに向き、ルリアの心臓は一瞬大きく鼓動した。
「それだけ?」
「え?・・えぇと・・・?」
にやりと多分に含みを持って笑むフィリアと、その表情に首を傾げるルリア。
二人の間を見慣れぬ一つの装飾が通り抜けた。
「きれいでしょ」
「え、えぇ・・」
フィリアに向けられた美しいルビーの瞳。
いつもは閉じらているルリアの瞼は開かれ、その宝石のような瞳が煌く。
綺麗な景色を見せると約束したフィリアがルリアに見せたかったもの。
フィリアが好きなのもあるが、この地は世界有数の星の観測地でもある。
眼前に広がる満天の星空はちょっとの自慢どころか誇りでさえもある。
更にはそこに、数年ごとにしか訪れない流星群。
ルリアが望む、『美しい光景』。
それに相応しい、フィリア一推しの光景。
一瞬見蕩れていた事でフィリアが何を指して『綺麗』といったのか勘違い仕掛けたが、すぐさまそれが星空の事だと思い直した。
しかし、そんな一瞬の逡巡のせいでルリアの返事は少し戸惑いが混じったものになってしまった。
だが、フィリアはそれに気づかず、ルリアの頷きに満足気な笑みを見せ、再び夜空を見上げた。
「このセカイを、みてみたくない?」
「世界?」
急な、よくわからない話に首を傾げるルリア。
そんなルリアの視線を横に、フィリアは杖を軽く掲げ、小さく遊ぶように動かす。
すると、杖の先を先程二人の間を通り抜けた装飾が杖の動きに合わせて宙を漂う。
その装飾は紙を折っただけの簡素なものな上に、ルリアには見覚えのない形だった。
『乗ってみたくない?』
「え・・?」
しかし、フィリアにとってはよく知るもの。
『遥か彼方まで連れていってくれる『船』に』
所謂――――紙飛行機。
「・・フィル・・?」
「ふぁ?」
ルリアは一瞬、フィリアではない別の人間が目の前にいるような錯覚を覚えた。
だが、呼びかければそこにいるのは間違いなく幼く愛らしい、自身のよく知る友人。
錯覚・・もしくは気のせい。
その程度の違和感でしかなかった。




