15 はじめてのごはん
「ついに、きちゃーーーーー!!」
朝早くから響く声。
フィリアは窓から射し込む朝日に向かい、清々しい朝に吠えていた。
「姫様!?」
「どうかなさいましたか!?」
マリアとミミが驚き、慌てた。
何か不都合かアクシデントでもあったか、そんな焦りがある。
それも当然だろう。
起床と同時に上げられた咆哮。
傍に控えていたマリアは呆気にとられ。
朝の支度をしていたミミも部屋に飛び込んでくる程。
警護の兵もやってきて、、他の侍女や侍従も慌ててやってくる。
そんな中でも、隣で眠るリリアは全くの無反応だったが・・。
「ふんふん~。ふんふふ~ん」
鼻歌で上機嫌な、見た目天使な赤子。
小さな小言を貰いはしたが、それは幼子に言い含める程度のもの。
おかげでフィリアにはあまり届かず終始笑顔。
あまりの上機嫌に大人たちは苦笑を持って大体を飲み込んだ。
そしてすぐに朝の支度やフィリアの身支度を始めた。
その間も、常に上機嫌。
終始にこにことして、鼻歌までも溢れている。
ミミは揺れるフィリアの髪を整えながら、その笑みに表情が溶けている。
「姫さま、楽しそうですねぇ」
「あい!きょうおまっちぇまちた」
恐らく「今日を待っていました」だろう。
まだ、拙い部分が多いが、本人曰く「めっちゃ成長しとる」らしい。
それはさておき、何故こんなにもフィリアのテンションが高いのか。
この国の習慣かそれとも郷土伝統的なものなのか。
そこには幾つかの慣習や儀礼的なものがある。
その中にはもちろん子供たちの無病息災を願うものや将来苦労しない事を願うものなどの意味合いを持ったものも多くある。
その中でも、未熟児で生まれ体の丈夫ではないフィリアに家族は無病息災の願いを望み、本日その儀礼を行う事となっていた。
主に魔法の使いすぎで意識を手放すが十八番ではあったが、それでなくともフィリアが体調を崩すのは常であった。
僅かな気温の変化や季節の変わり目、更には寝汗で冷えた程度でも熱が出てしまう。それも、一度出た熱は中々引かず2,3日は寝込んでしまう程。
正直こちらとしては『病弱?誰が?』といった気持ちではあるが、それはフィリアの日頃の行いのせいだ。
まぁ、家族や家人にとっては繊細で病弱な天使であるようだが・・。
決して、成長しても深窓の令嬢などにはならないと断言しよう。
ともかくそういった理由もあって無病息災を願うこととなった。
日本で言うところの『箸初め』や『百日の祝い』などの所謂、離乳を祝う会。
日本のそれと違うのは、離乳ではなく断乳であること。
実際は完全に断乳するのは難しい。だがその日より食事の内容も皆と同じになり、完全に乳児の卒業となる。
その為、ここ一週間くらいは最後の授乳期間としてリリアが毎夜一緒に眠っていた。
そして、朝の支度が忙しなくされる今も、リリアはベットで幸せそうに眠っている。
―――長かった・・本当に長かった・・
この祝い事は、簡単にいえば『食事会』。
それに、フィリアが何故こんなにも、うかれているのか。
異世界の料理に期待や好奇心があるのもまた事実ではある。
だが一番は違った。
心で涙を流し、何かを乗り越えたようなフィリアの心情。
「姫さまー。朝ごはんですよーって・・・うわぁ・・すごく嫌そうですねぇ」
ミミの手にはトレイに並んだ離乳食。
これがフィリアの苦行の正体。
半年以上前から少しずつ始まった離乳食。未だに慣れない。
寧ろ、出来ることなら全力で拒否したい。
前世の記憶があるが為に余計辛い。
ほとんど流動食の見た目も食感も、幾分か慣れてきてはいたが、それは慣れただけで好きにはなれない。
初期はまだしも、最近では味覚も発達し、この離乳食に辟易した思いを抱く助長となってしまっている。
そんな事を、半年以上。
それがようやく報われ、解放される。
フィリアの朝から騒がしい咆哮にも同情の余地があるだろう。
本来は大掛かりな祝いではない。
精々家族や親戚、それに親しい友人程度の身内だけの小さい会。
だが、それが国の重鎮、大公などと言われる家のものとなると決してささやかものにはならない。
親類だけでも国の要人が何人来るのか・・。親しい友人とはどんな身分や立場の人間なのだろう・・。そして当然そこに集う者達は身一つで動けるようなものたちではないだろう。
必然と、そこにはささやかなど微塵もない一大行事となった。
先日の誕生日お披露目会ほどでは無いにしてもその規模は大きく。
市井では祝い事だなんだと出店や出し物が軒に並び完全なる祝祭の騒がしさ。
当然その主催である城内では、ここのところ慌ただしく。今朝からはそれが一層に増している。
「さぁ、姫さま。できました!今日も最高に可愛いですよ!」
「みみ、あいあとう」
鏡の中には誕生日ほどではないが、これまた絵本から飛び出したような愛くるしいお姫様がいた。
少しくせっ毛の髪も自然な流れで束ねられ、編み込まれ、神秘的なお姫様に見える。
フィリアの元々もあったが、それでもミミの手腕は素晴らしい。満足気にドヤっていても許せてしまう。
そんな自身の愛らしさに見惚れるフィリアは、ふと視線が落ちた。
もちもちとした自身の右手。その親指。
そこには向日葵のタトゥー。
以前は細いラインでシンプルな指輪のようなデザインだったのに、今そこにあるのは同じ向日葵でも凝った意匠と彫り深いライン。立体であればゴツめのシルバーリングのようになるだろう程にくっきりとしたライン。
これはフィリアが知らなうちに起きたこと。
仮眠ではない昼寝をしていた時のこと。
さすがに強くは責められない。
フィリアの規格外が原因ではあろうが、それでも今回ばかりはフィリアの意思ではないのだから。
フィリアは親指の向日葵に触れ、なぞった。
「まいあ。めめいぃ、くゆ?」
小首を傾げて問う姿は愛らしい。
ちなみに内容は「マリア、メアリィは来る?」である。
「姫様。申し訳ありません。メアリィは今、姫様の傍に控える為に毎日頑張って勉強しております。なのでまだ、もうしばらくはお待ちください」
「・・・ぁぃ」
寂しげに見えるフィリア。
そんなフィリアに申し訳なさげに眉を顰めたマリアは、そっとフィリアを抱きしめた。
フィリアもそれに何の抵抗もなく抱かれ顔を埋めた。
「いずれ。すぐに姫様の傍に参りますよ。そうしたら姫様が嫌がってもずっと傍に居ることになります」
「いや、にゃりゃにゃい・・」
マリアはフィリアを抱き、自身の愛娘を思い出していた。
メアリィはあの日のあの出来事を全く覚えていなかった。
目が覚めたのは自宅に帰ってからで、ぽけーっとしていた。
『一輪の花』の事はもちろん、リリアの事も朧げ。
唯一鮮明すぎるほどに覚えていたのはベットに眠る天使の姿だった。
故に仔細は聞けずにいたが、それ以上に驚くことがあった。
それこそがフィリアの侍女としての教育である。
その日のうちにマリアはメアリィからの懇願を受け、開始した。
あまりの熱意と覚悟。そして確かな忠誠心。
一目しか会ったことなく、覚えているのも絵画のようなワンシーンのみ。
それでもメアリィは脇目も振らず実直に小さな主への忠誠を掲げていた。
その結果はあまりに驚くもので、マリアはもちろん。同僚の侍女や家人、遂には侍女長でさえも目を見張るほどの努力と成果。
最近ではミミが密かに焦っているというのは皆の共通認識だ。
マリアは愛娘を思い、そして腕の中の小さな姫を見つめた。
まだ、会ったことのない娘に対して、これほどまでに心を預けてくれる優しい主。
そう。フィリアはまだメアリィと会えてはいなかった。
あの日も結局起きたら居なかったし、その後はメアリィの教育が始まった。
それでも、顔も知らない少女に対して何故だか深い情が既に湧いていた。
恐らくこの親指の花紋がその原因の一端を担っているのは間違いないだろう。
あの日の出来事。
その原因は結局わからなかった。
いや、原因はフィリアだから、だろう事はなんとなく確信をもてる。
しかしそのフィリアも眠っていて何かをしたわけではない。
結局のところ、それ以上はわからなかった。
「あにょ、ゆめかにゃぁ」
「はい?」
小さなフィリアの呟きは抱きしめるマリアにすら届かなかった。
ちなみに呟いたのは「あの、夢かなぁ」である。
あの時フィリアの見た夢はセバスとの契約時の再放送。
契約時のことはその後、予習復習をしっかりしていたフィリア。
恐らくは仔細まで完璧に再現された夢だった事だろう。
・・ん?
・・・
・・・・・
って。
やっぱお前が原因じゃん!!
「さぁ姫様。支度も出来ましたし。少し早いですがサロンの方に向かいましょう」
「今日は美味しいご馳走がいっぱい食べれますよぉ」
・・色々思う所はあるが今は取り敢えず置いておこう。
フィリアは慣れた様子でベットよりクッションを魔法で引き寄せ、しっかりと抱きふわりと浮く。
しかしマリアによって無言で諫められ、マリアの抱っこにて移動することとなった。
最近、フィリアの主な移動手段はクッションに乗っての浮遊か、このように抱っこされてかの二択である。
抱っこに関しては、歩かせようとするとすぐに浮遊を使おうとするフィリアに対しての苦肉の策である。
クッションに身を預けて浮く姿はあまりに怠惰でみっともない。故に外聞的な意味合いでのせめての手段である。
ということで、歩行がいまいち習得できないのは本人のせいである。
「ふぁ~」
間の向けた声を漏らしたフィリアは、表情をだらしなくトロけさせて恍惚の笑みだ。
フィリアの目の前には食べきれない量の豪華絢爛な料理たち。
肉、魚、野菜。低い座高のせいもあるだろうが、フィリアからは向こう側が見えず。
また多くの来客からもフィリアの姿が見えない。かろうじて感情豊かに揺れる頭の先だけが小動物のように落ち着きなく動いているのが見切れる程度。
フィリアはこの日を待ち望んでいた。
当然そこには離乳食という試練からの解放も理由としては多いにあった。
しかしそれだけではない。
この世界の食事。それは見た目もさる事ながら香り、家族の食事時の表情。そこには明らかな味の保証をあまりあるほどにしていた。
異世界ならではの不可解な料理はほぼ皆無。
見たこともない料理も確かにあるにはあるが、それはほんの僅かな上に、見た目も香りも忌避感を抱くにはいたらぬ程度。
フィリアは只々純粋にこの世界の料理に憧れと期待を抱いてきた。
端的に、楽しみにしていた。
それがようやく叶う。
―――苦節半年・・。長かった・・
フィリアは辛かった離乳食の日々に哀愁を滲ませていた。
―――・・まぁ。おっぱいは悪くなかったけど・・しばらくは続けてもいいよね?
そのまま苦しんでいればいい・・永遠に。
フィリアを主人公としたこの祝いの席だが、場の雰囲気は社交場。
アークを筆頭として会場入りしたレオンハートへのお目通りから始まった。
後でまた長蛇の挨拶タイムはあるが最初のそれは実に簡素なものだった。
流石に今回は王族の来訪は無かったため実にスムーズな流れ。
そんな僅かな時でさえも辛抱できぬ中身中年な幼女に大人たちの苦笑は当たり前だ。
兄弟だけはそんな可愛い妹を甘やかしていたが、流石にリリアに視線のみで押し止められていた。
そしてある程度の前座を終え、待ちに待った『ご馳走』たちの入場。
キャスター付きの長い食台が数人がかりで運ばれ、そのあとからも次々と大皿で沢山の料理が運ばれてきた。
さすがは大公などという肩書きを持つだけの家。
量は言わずもがな、料理の一品一品のクオリティが高い。
大皿料理であっても、目で十分に楽しめる。その上間違いなく味も保証できるものだろう。
フィリアの期待値はこの時既に天井を突き抜けていた。
そこからは簡単な口上をアークが述べ、司祭のような人物が更に口上か祝詞かを唱える。
当然そんな間をフィリアに耐えられるわけがない。
目の前には艶やかなご馳走。脂が照り、香しさに魅了される。
手を伸ばしては、リリアに掴まれ。
身を乗り出しては、リリアに捕らえられ。
魔法で浮かせては、リリアの冷気に凍えた。
そして、魔法で動いた料理を直すマリアに鋭い視線をなげられる。
それでも抗えないフィリア。
何度この幼女の潤んだ上目遣いにリリアとマリアの心が負けかけたかわからない。
ちなみにリーシャは即効で陥落し、手を貸そうとしたため早々に光の縄にて拘束されてしまった。
それを見てフリードやアランは一見おとなしくしているがテーブルの下で何やら企んでいるようだ・・。あ、マリアに笑顔で睨まれた。
そして当然それはレオンハートの大人組も同じだが、どうにもリリアとアンリに怯えて何もできないようだ。
この血筋・・大丈夫か?
「さぁ、姫さま。何から召し上がりますかぁ」
そんなどうでもいい攻防もすぐに必要なくなる。
この程度の間くらいどいつもこいつも何故待てないのだろうか・・。
とにかく司祭のそんなに長くない長話も終わり、フィリアの元に食事が運ばれる。
フィリアの目は爛々と輝き、要望を伺うミミの声に鼻息が荒くなる。
「みみ!みみ!ありぇと!ありぇと!ありぇも!あ、あとありぇも!!あと、あと」
「フフ。姫さま、そんな慌てなくても食べたいものは全てお取りしますからご安心ください」
興奮するフィリアに微笑ましくなるのはミミだけではない。
会場中の人々が微笑みながら食い意地をはる愛らしい幼女を見つめていた。
この場はフィリアの初食事の祝いの席。
フィリアの一口が乾杯の合図である。
皆の注目など全く意識にないフィリアだが、マリアは些か頭を抱えている。
最初は『慣らす』的な事など全く無視して強弁に訴えたフィリアのファーストバイト。
それは脂滴る肉塊。さすがにミミも眉を潜めてスープから勧めたが、この幼女、断固として譲らない。
せめてもの気持ちでミミは脂分の少ない部分を取り、それでも僅かに残っている余分な脂を落とした。
後は小さく切りほぐし、一口、口にして小さく頷き、フィリアの前に取り分けた皿を差し出した。
フィリアは食べさせようとしていたリリアの手から幼児用のフォークを奪い取って目の前の皿と向き合った。
リリアは呆気に取られたがフィリアにそれを気にする余裕も、悠長にリリアの手を待つ余裕もない。
生唾が喉を鳴らす。
口の中で唾液が溢れている。
血走ったような目は狂気さえ孕んでいる。
震える手はゆっくりと動き、肉にフォークが刺さった。
抵抗もない。肉の柔らかさがフィリアの想像を掻き立てた。
目の前まで運ばれた肉。
更に喉が鳴り、目が離せない。
ゆっくりと、恐る恐る口を開き。
同時に目が閉じられる。
そして。
「!?」
フィリアは目を見開き。
―――っんまーーーーーーーー!!!!
歓喜した。
感動の余韻もほどほどにがっつくように二口目、三口目と進める。
その度に溢れるだらしない笑みは、あまりに幸せそうで、皆愛好をくずした。
何人かは苦笑してはいたが、どうやら今回はお目こぼししてくれるようだ。
「姫さま、次はどれになさいますか?」
もきゅもきゅと頬を膨らますフィリア。
その手元の皿には少量であったといっても赤子には十分な量の肉が乗っていたはずなのに、もう八割が消えていた。
「んーむ!んぐ!んむんむ」
うん。もはや滑舌や発音以前に何を言っているか全くわからない。
ミミはそんなフィリアに指で指し示すように確認して次の料理へと手を伸ばしていく。
それにしてもミミやリリアの心配や苦笑も物ともせずまた肉をリクエストするのは如何なのだろう。
いくら中身は大人でも、その体はまだ食事に免疫の薄い赤子なのに。
さりげなくスープや魚料理などを進めるミミの言葉など意にも返さない。
先程と同じように取り分けるミミは、自然な流れで次の皿の支度もしている。
どうやらアクアパッツァのような魚介スープだ。
見るからに胃にも舌にも優しそうだ。
当の本人は新たに取り分けられた目の前の肉料理に首ったけのようだが・・。
先程は少し野性味の強い肉。牛肉のような感じだった。
しかし今目の前にあるのはそれとは全く違う一見豚肉。それを赤ワインソースで味付けたような香り。そしてその上にちょこんとベリーが乗っている。
甘酸っぱいような味を想像して口のなかに唾液がまたしても溢れる。
香りに酸味はない、濃厚なブイヨンのような香り。
またしてもフォークは抵抗もなく刺さった。
ゆっくりと運ぶ間も脂とソースがテラテラと光る。
目を閉じ、ゆっくりと口を開く。
涎が垂れそうだ・・。
カランッ
その肉はフィリアの口に届くことはなかった。
口を開き目を閉じた状態で止まっていたフィリアはゆっくりと目を開いていく。
その目は開かれていくに従って深い哀しみに歪んでいった。
目を開けた先。
そこには腕を振り切ったミミ。
フィリアのフォークはミミによって払われていた。
その料理は今は地に転がっている。
しかし、そんなことはどうでもいい。
フィリアはミミを見て固まってしまった。
「ミミ!!」
ミミはフィリアに笑みを向けていた。
その口元から赤い筋を零して。
スローモーションのようにフィリアはミミを見つめた。
向けられていた笑みがフッと力を失うとミミの身体は目の前を通り過ぎ。
重い音と共に床に落ちていった。
一瞬の静寂と沈黙。
そして。
悲鳴。喧騒。
慌てる人々。
リリアはすぐさまフィリアを抱き抱えるが、フィリアの視線はミミから離れない。
「・・みみ?・・」
リリアはフィリアの目を塞ぐように抱きなおすが、フィリアは視界を塞がれても固まった目を閉じることも出来なかった。
只々青い顔をして冷めていく背筋にさえ気を回せなかった。
その日の祝祭は喧騒によって終わりを迎えた。
フィリアの元にはすぐさまアークたち家族と護衛が集まりその場を引いた。
ミミは倒れた瞬間に介抱され、リリアの命令によってマリアもその介抱に向かったことで迅速に運ばれていった。
会場は混乱に支配されたが衛兵たちによって適切に誘導されそれ以上の混乱は起きなかった。
この事は城内だけではなく、市井の者たちにも瞬く間に広がり。
それと同時にどこから漏れたのかセバスの件も人々の噂になった。
『二度の大公姫、暗殺未遂』
それは一大ニュースとなって世間を駆け巡った。
しかしフィリア本人にとっては、そうではなかった。
セバスの件に関してはまるで危機感がわかなかったのに対して、今回はあまりに恐怖心を煽った。
それは自身の身の危険などよりも、目の前で自身の親しい人が居なくなる恐怖。
フィリアはその日より5日間もの間、熱にうかされ、悪夢に苛まれた。
目が覚めたのは六日目の夜中。
傍にはマリアが居て、ミミの事を訊ね、その表情に不安が胸を押しつぶした。
その晩はずっとマリアの腕の中にしがみつき、思い出した様に何度も泣いた。
「・・姫さまぁー。入りますよぉー」
一週間が経った頃、ミミは帰ってきた。
二晩は意識のなかったミミだが、その回復はフィリアの高熱よりも早く、四日ほどで回復し、大事をとって数日の休みをもらっていた。
この日も本来ならば休みをもらっていた。
しかしフィリアの状態を聞きミミはフィリアの元に駆けつけた。
ベットには小さな膨らみがある。
ミミはその膨らみの隣に腰を下ろすと布団を優しく上げた。
瞬間。
小さな身体がミミのお腹に飛び込んできた。
幼くか弱い腕。それでも精一杯の力で強く抱きしめる小さな手。
ミミはその背を優しく撫でて微笑んだ。
部屋の隅で控えるマリアもまた微笑んだが、そこには少し憂いが滲んでいた。
「姫さま。皆、心配していますよ?姫さまは賢い方ですからわかりますよね」
フルフルと首を降るフィリアだが、それは否定ではなく、どちらかというと駄々のようなものだろう。
フィリアはあの日から食事をまともに取っていなかった。
高熱の間は食が細くても仕方なかったが、それを超えても。いや、意識を戻してからは輪をかけて食事を取っていなかった。
あれほど嫌がっていた離乳食なら少量。だが普通の食事は全く。
苦肉の策で授乳も継続していたが、今のフィリアの身体にはそれだけでは栄養が足りない。
「・・姫さま。・・ご心配をおかけして申し訳ございません」
その言葉にフィリアはさっきより力強く首を振った。
「姫さまは、本当にお優しいですね」
その言葉にも首を振るが、ミミの覆いかぶさるような包容に動きを止めてしまう。
代わりに肩が小刻みに震えミミのエプロンが湿った。
「お肉は、美味しかったでしょ?」
少し間は空いたがコクりと頷くフィリア。
あの感激は嘘ではない。大きな衝撃は今でも忘れられない。
それでもあの瞬間のミミがフラッシュバックしてしまう。
「本当なら最初はスープなどで舌やお腹を少しずつ慣らしていくのですよ?消化に良い物や味や脂の薄いものから徐々に。それなのにいきなりお肉なんて、お腹がびっくりしてしまいますよ」
「・・・ごうぇんにゃしゃい・・」
ミミは微笑みを深め体を起こすとフィリアを抱き上げた。
今まで伏せていたフィリアの、その顔は鼻頭が赤くなり目元もぐちゃぐちゃだ。
今度は正面からフィリアを抱きしめた。
フィリアも身を任せ、首に腕を回し、肩口に顔を埋めた。
「みみ」
「はい」
「こわかった」
「申し訳ありません」
フィリアは食事に対して大きなトラウマができた。
それでもミミとマリア、当然家族の献身もあって、その後、少しずつ口に出来る様になった。
フィリアの食事に対する毒見は一層の力を注ぐこととなったが、フィリアの目の前では決して毒見されることは無かった。
しばらくの間、フィリアはミミが傍を離れることを酷く嫌がったが、それに対してのレオンハート家の嫉妬があまりに酷かったので早々にフィリアは通常運転に戻っていった。
PTSDさえも乗り越えるレオンハートの家族愛。
・・鬱陶しいですね。




