184 魔女の上塗り
「はいフィル。ちゃんと布団掛けて」
「ありがとう、ルリィ」
ベットに入り座るフィリアに布団を引き寄せかけるルリア。
その後からベットテーブルを置きカップを置いたミミが熱めの紅茶を注ぐ。
「ミミもありがとう」
今日は最近多い緑茶ではなく、蜂蜜の香りと林檎の香りが広がる、体の芯から温まりそうな紅茶。
フィリアはその香りに一度瞼を閉じ、深く香りを吸い込むと、微笑みと安らぐような息を吐いた。
そして、一口啜って、その暖かさにもう一度息を吐き、それと共に体の内からこみ上げ広がる豊かな香りに再度瞼を閉ざして安息を得る。
その横で、ルリアもまたミミから同じ紅茶を淹れてもらい、フィリア同様、身体の強張りを溶かした。
そんな穏やかで緩やかな時間の中、唯一人、ヤキモキするようにそわそわとしている騎士がいた。
ベットから少し距離をとって控えてはいるが、身体は正直で、今か今かと前傾姿勢になり、ジリジリと少しずつ前に進んでいる。
「・・それで?ケルピーとは、どういうことですか?ロクサーヌ」
「は、はい!!」
ようやく、というように、ガバリと飛び出したロクサーヌ。
彼女は普段、無表情や冷淡な印象ではないが、本当の感情が見えないと称されるような女性だ。
一見、感情豊かで色香にも富んでいるが、その実、本心は見せない。
それが一層彼女の魅力を引き立て、そのファンも多い。
フィリアの傍では流石に、その仮面も崩れることがあるが、それも稀有なこと――――本当に稀有なのこと・・。
そんな彼女が今は見る影もなく狼狽えるように焦燥を浮かべている。
「姫様は水馬に乗れますか!?」
そして、出た言葉は再びのダイレクトアタック。
脈絡も何もない。
「・・・・・うん。のったことない」
「ですよねぇ・・・・・」
力を失ったように崩れ落ちるロクサーヌだが、そんな事、フィリアの近衛であるロクサーヌならば聞くまでもなく知っている事だろう。
しかし、それでも、もしかしたら・・奇跡的に・・まさかの・・を期待したが、残念ながら現実は無情だった。
「急に水馬などと。きちんと説明して頂かなければ姫様だけでなく、私共もどういう事なのかわかりかねます」
マリアが怪訝そうに表情を歪めて問う。
それに周囲も頷いて同意を示した。
「ロクサーヌ。貴女、謁見の間での仕事はどうしたの?」
ミリスがフィリアの傍にいる為、ロクサーヌが隊での仕事を担っていた筈だ。
ロクサーヌが仕事を放り出して来たなどとは、長い付き合いのミリスには思えない。恐らく許可は得ていたのだろう。
だが、ロクサーヌは、それでも仕事を途中で抜け出す事をしない、結構お堅い融通のきかないタイプだ。
そんなロクサーヌがなりふり構わず馳せ参じた。
フィリアの近衛騎士としては素晴らしい忠誠心・・?だが、らしくない。
「・・・姫様が、『奉納騎水』に推挙されました・・その・・・おめでとうございます」
今にも万歳三唱をしそうな悪しき歴史を彷彿とさせる、あまりに不本意な『おめでとう』を口にするロクサーヌ。
そして、ロクサーヌの告げた内容に、先のロクサーヌの気持ちを理解した面々。
まさに、絶句。
しかもただ驚くのではなく、顔色がみるみる悪くなっていく。
「『奉納騎水』ってなんですか?」
「さぁ?」
その中、最年少二人だけキョトンとしてティータイムを楽しんでいる。
・・ルリアはまだしも、当事者であるフィリアがそれでいいのか。
「・・・『奉納騎水』といいますのは、奉納祭で行う、水上競馬の模範演舞の事です」
「毎年、前年度の水上競馬上位入賞者、『水冠の馬騎り』が、速さよりも各々の技と技量を競い披露するもの・・・なのですが、伝統を守る意味合いも込めて、トゥールではなく、昔のように水馬に騎乗して行うものなのです」
「なるほど」
マリアとミミの説明に、ルリアと何処か他人事なフィリアは頷いた。
「そして、その『水冠の馬騎り』に選ばれた者たちには褒賞の他に一つ、特権が与えられます。それが『奉納騎水』への推薦権。端的に言いますと、前年の『水冠の馬騎り』に選ばれなかった騎手を一人だけ推薦し、『奉納騎水』へ騎手として招くというものです。過去には、既に引退した騎手や、惜しくも『水冠の馬騎り』を逃した騎手などが指名されました」
「それは・・断る事は出来ないのですか?」
「これは、そもそも奉納の為のもので、守護精霊であるルーティア様へ捧ぐものですので、選ばれた事を誉れだと誇る事はあれど、断ることは大公家でも・・いえ、レオンハートだからこそ出来ません」
少し眉根を寄せたルリアはフィリアに視線を向けるが、当のフィリアはジャムの乗ったクッキーを幸せそうに頬張っているだけで、不安など皆無だ。
「フィルは乗れるの?」
「ううん。のったことない」
あくまで説明を受けた上での再確認。
だが当然その答えは変わらない。
淡々と、視線すら動かさず答えたフィリアはクッキーを紅茶で流し込んで、そのマリアージュに目を細めた。
「でも、だいじょうぶだとおもう」
「本当に?」
「うん。ほんとうに、あぶないことなら、どんなじじょうがあっても、おとうさまたちが、ゆるさないはずだもん」
「それは・・確かに、そうですね。姫様に何かあるのであれば国を滅ぼすのも厭わないでしょうから」
フィリアの言葉にマリアすら深く納得した。・・不穏な真実を呟いて。
だが、確かにそうだ。
自国の王すら敬いに欠けるレオンハートが、敬い信奉するルーティア。
しかし、レオンハートが家族と秤にかけた時、その針がどちらに傾くかなど、考えるのも怖い。
「・・ですが、どうして姫さまが?姫さま・・・はともかく、普通、二歳児を『奉納騎水』に指名するなど、正気ではありませんよ」
「ミミ?」
不敬な言葉にフィリアは手を止め問うが、ミミが振り向ことはない。
さらに言えば、その事に引っかかるのはフィリアだけで誰も言及は愚か気にも留めていない。
「チックという少年が以前、姫様のトゥールの腕前を見たそうで・・」
「え!チック!?」
ロクサーヌの説明にフィリアへ視線が集まる。
ちょうどミミ咎めるように頬を膨らませ怖くない睨みを効かせていたフィリアに、それ以上の剣呑な視線が集まる。
知った名に思わず反応はしたが、その視線に最早反射的にスーっと顔を逸らした。
「あの・・先程から皆様はなんでそんなに取り乱されているのでしょうか・・。異常な事はわかります。ですが・・フィルは、とても飄々としていますし、そこまで焦ることではないのではないですか?」
「ふぇ?」
フィリアは何も考えていないだけだと思うが・・。
「・・・『奉納騎水』なのが問題なのです・・正直、水馬もトゥールも、姫様であればどうにかしてしまうでしょう・・不安しかありませんが・・・。・・ですが、問題は『奉納』だという事です。『奉納騎水』はルーティア様へ日頃の感謝と、人々の『願い』を代わって捧ぐものなのです。・・『願い』なのです。『願い』奉るものなのです。・・『願い』・・姫様個人でもアレなのに・・人々・・つまりは多数の『願い』。・・そんなものを姫様が願えば・・・」
「魔法は、呪い(まじない)であり・・願い(まじない)・・・・・どんな厄災が起こるか想像だにできません」
「なるほど・・」
遠い目をして語る、それが真実だった。
正直、その幼さでの乗馬にも、本来城外に出ることさえ制限されている事にも、そのあまりにに虚弱な体質にさえ、心配はしていない。・・・いや、心配は心配だ。寧ろ不安要素しかない。しかしそれはあくまで別の意味。
皆の心配は別にある。
それこそが最大の懸念・・というより、最大級の問題。
過去フィリアは単なる布切れに『願い』を込めただけで天を割り、おまじない一つで全治一年はかかろうかという傷を一瞬で癒した。
フィリアの安直な、軽い気持ちでそれだ。
奉納という心を込めた、それも数多の『願い』・・何が起こるかなど想像もできない・・したくもない。
「・・しかし、レオンハートである姫様が推挙されたという事は、『水冠の馬騎り』、皆様の総意なのですよね。・・でしたら、単なる興味本位だけとは考えられませんね」
「・・申し訳ありません・・姫様が『奉納騎水』に推挙されたというだけで焦ってしまい、リリア様から下がるよう言われてしまったので・・それ以上の事は・・・」
申し訳なさげに萎縮したロクサーヌだが、彼女を責めることは誰にもできない。
強いて言えばフィリアの普段の行いが招いた、信用の無さ・・いや、ある意味あるのか・・。つまりフィリアが悪い。
「白馬が目撃されたんだって」
「アラン様」
ノックもなく部屋に入ってきたアランに視線が集まった。
フリードとはまた違う爽やかな笑みを浮かべたアラン。
ルリアはそんなアランの名前を甘く唱えると胸を押さえ頬を染めた。
「フィー、体調はどう?」
「もう。アランにぃにぃノックぐらいしてくださいよ」
「ごめんごめん。話が聞こえちゃったから」
頬を膨らませ一応怒っているつもりのフィリアの咎めに、全く悪びれないアランだが、それでも不快じゃないのは、アランだからだろう。
そんなアランは、ルリアに対してはフィリアに向けるのと違う外向けの雰囲気となり、微笑みを向けた。
「ルリア嬢。妹の事、本当にありがとうございます」
「ふぁっ、ふぁい!」
まだ幼いせいか、それともレオンハートの性か。取り繕ってはいても、フィリアが元気でいることに感謝と感動が滲むアランの笑みは、あまりに眩しく、魅了する。
瞼を閉じているはずのルリアでさえも、その笑みに年相応の拙い滑舌となり、顔を真っ赤に茹で上げた。
「アラン様。白馬とはどういう事でしょうか?」
「月光を纏う白き馬・・・」
「「「「「!?」」」」」
「・・・『導きの魔女』の白馬だよ」
フィリアとルリア以外の者たちが目を見開いた。
それも、フィリアの側近たちだけではなく、ルリアの側近たちもだ。
そんな中で、揃って首を傾げた二人の幼女。
流石というべきか。いち早く意識を戻したマリアはそんな二人に気づき、二人の傍へ近づいた。
「『奉納騎水』。その起源とされるのが『導きの魔女』です。・・かつて、彼女が、親しかったルーティア様の為にと、披露したのが湖上での騎乗演舞で、それが今日の水上競馬の起源だと伝えられています」
先程、誉れとまで称した『奉納騎水』。
光栄であり、誇りである筈のその祭事を語るにしては、マリアの表情は苦いものだった。
「しかし・・その『導きの魔女』は、現在、禁忌の魔女結社『饗宴』に属する忌むべき魔女の一人です。・・起源とはいえ、忌諱すべき魔女。その再来に、住民感情が複雑なものとなったというところでしょうか・・・」
「・・、だからフィーを『奉納騎水』に推したんだろうね。大魔導師と称される初代を彷彿とさせる程の魔女な上に、この地にとっての英雄で王、そしてルーティア様の盟友でもある、レオンハート」
「・・・要は、忌むべき過去の幻想への惑いを、姫さまという規格外の魔女を利用して、新たにその上塗りをしたいという事でしょう」
「ミミ、口が過ぎますよ」
驚きから戻ったミミはその憤りを隠さず、マリアにも咎められるが、それが真実だった。
それ故、咎めるマリアの声にも心より咎めているような雰囲気は感じない。
「・・それを進言したのはグレンですね・・・実に『政』を理解していらっしゃる案です」
「元、近衛ですからね・・・」
寧ろマリアにも隠しきれない憤りが垣間見える。
それもそうだろう、この地を治める血族の一人だとしても、幼い主君を利用されていい気持ちであるわけがない。
「『サバト』とはなんですか?」
「・・・・・」
フィリアの問いには、皆、揃って口を噤んだ。
目を向けられているアランも言おうとしては口を噤み、言いよどんで苦笑を溢すだけ。
「申し訳ありません。軽率な発言でした。・・・それについては、マーリン様・・もしくはグレース様が、近く、教えてくださると思いますので、今はご容赦ください」
マリアの難い表情。その表情の時は決して譲歩はない。
そして、それ程までに言いにくい事を無理に聞くほどフィリアは見た目通りの幼さではない。
それに、いづれ教わると言い含むあたり、それはとても重要なものなのだろう。
知らなければならない事であると同時に、半端に聞き齧ってはいけない事。
「たぶんグレース様だろうな。あの人はフィーの魔女としての師だし・・・」
誰にということもなく呟くアランの声に視線が集まる。
「『導きの魔女』・・彼女はグレース様の師であり、母親だから」




