14 寝ていただけ
いつもの日課。
フィリアのお昼寝タイム。
本来は仮眠の意味合いが強い筈のお昼寝もこの赤子にとっては違う。
相変わらずの夜更かしのせいで寧ろお昼寝の方がメインの睡眠になっている今日この頃・・。
ノックの音が響いた。
リリアがその音に返事を返すと、扉が静々と開いた。
「失礼いたします」
そう言って入ってきたのはマリアだった。
相変わらずの美しい所作で、折り目正しく腰を折っての一礼。
リリアはそんなマリアに笑みを返し、マリアの影に視線を送った。
「初めまして・・では、ないのだけれど。覚えてはいないかしらね」
マリアの影に隠れるようにして、そこには小さな少女がいた。
少女は怯えたようにマリアのスカートを寄る辺にしてリリアを覗き見ていた。
「・・申し訳ありません。ほら、メアリィ。きちんとご挨拶なさい」
少女はオドオドとしてマリアに縋るが、背を押され前に進み出てしまった。
黄色を主とした花柄のワンピース。簡素なものではなく、大きく広がったスカートや白いブラウスからドレスのような印象を受ける。
その姿は小さな少女であることも相まってお人形のようだ。
俯き。伺うようにして口ごりながらリリアに向かい合う。
「メ、メアリィ・・です・・。っ・・と、もうします・・」
拙く、慣れていない。言い直しにも緊張があり、その理由はきっと幼さだけが原因ではないだろう。
マリアは眉を諌めたがリリアは一層笑みに優しさが滲んでいる。
「はい。素晴らしいご挨拶でしたよ。申し遅れました。私の名前はリリアといいます。よろしくお願いしますね」
その言葉に花が咲いたように満面の笑みとなったメアリィはパッと顔を上げた。
しかしそこには優しく微笑んだ、女神の如き美しさを持つリリア。
それもその宝石のような瞳には自身が写っている。
メアリィは一瞬で顔を真っ赤に染め俯くと、後退りして再びマリアのスカートに縋った。
困ったように溜息を吐いたマリアだが、楽しげに微笑むリリアを見て娘の心情を理解できるあまり叱責することは出来なかった。
「リリア様。・・くどいようですが、本当によろしいのですか?」
「あら。貴女からの提案じゃない」
「そうですが・・。光栄ですし、喜ばしい事ではありますが・・まだ時期尚早ではないでしょうか・・」
「普段から傍にいる貴女の娘だもの、大丈夫よ」
「いや、そういう事だけでは・・。それに、この子も『キルケーの蕾』なのですが・・」
リリアは変わらず微笑んだまま。顔を顰めるのはマリアだけ。
「メアリィちゃん。こちらへ来てこの子にもご挨拶してくれないかしら?」
そのリリアの誘いにメアリィは肩を跳ねさせ、ついでマリアの表情を伺った。
マリアは困ったように、だが優しく微笑むと小さくメアリィに向け頷いた。
そんな母の頷きにメアリィは恐る恐る窺うようにしながら、リリアの傍まで小さな歩みを進めた。
リリアのすぐ傍。
そこには光を蓄えた天使が寝息をたてていた。
「ふぁ」
思わずメアリィは息を漏らした。
赤子であるのにその顔立ちはあまりに整い。
息を呑むほどに美しく、愛らしい。
長い睫毛。桃色の唇。滑らかな頬。
そして何より黄金でもなく茶髪でも赤毛でもない。
柔らかな黄昏の髪の美しさたるは目を惹き、思わず指を伸ばしてしまう。
「この子は私の娘で、フィリアというのよ。幼いうちはフィーと呼んであげて」
「リリア様!!」
器用にも小声で諌めるマリア。
そんなマリアに唇を尖らせ「拗ねてますよー」アピールをするリリア。
「だってー。いいじゃない。メアリィちゃんはフィーの初めてのお友達・・親友になるのよ?」
「そこについてはどうやら私とリリア様の認識の中で大きな齟齬があるようですね。私はあくまでも年の近い侍女の一候補として提案したはずですが?」
「それはつまり私とマリアと同じよね?なら生涯の友。つまりは親友だわ」
「・・色々と言いたいことはございますが・・。とりあえず、幼名はご家族だけ呼ぶことが許されるものです。一使用人程度に許すものではございません。ましてやメアリィはまだその使用人ですらありません」
「そう・・。なら。マリア」
「はい」
「私の幼名を教えるわね」
見当違いの考えに頭を抱えたマリア。
そして何故かキラキラとした瞳を向けるリリア。
そんな母親ふたりの不毛な掛け合いは耳に入らない。
メアリィは只々目の前の赤子から目を離せず。
見惚れ続けていた。
「ひめさま」
思わず呟かれたその言葉は、普段マリアから聞かされていた呼び名。
いつか自身が仕える主だと漠然と抱いていた想い。
それは今。一目で確かな形となった。
「わたしのおなまえは、メアリィ・コーラルともうします」
滑るように言葉が溢れた。
メアリィはその場に膝を折り、フィリアへ寄り。
ガラスでも扱うかのように丁寧に触れた。
黄昏の髪の毛は柔く羽毛のよう。肌は柔らかく僅かに力を込めるのも躊躇われた。
伸ばした手は誘われるように、小さく綿毛のように儚く軽いフィリアの手へと触れた。
そこには美しき意象の向日葵が輪となって描かれている。
メアリィはその親指の花を愛おしげになぞった。
そしてその手を触れる程度の優しさで持ち上げ、額を触れさせた。
「わたしのすべてを、ひめさまにささげます」
そう言ってフィリアの手を額から離し。
フィリアの親指、向日葵の意象へ。
口づけを落とした。
「ひめさまに、わたしのしょうがいを」
「フィー!?」
「メアリィ!?」
目が眩むほどの閃光が溢れた。
金の花弁が舞い。それは次第に虹色に煌めく。
粒子が光を灯し、雪のようにゆっくりと舞う。
その明かりは部屋を照らすのではなく、二人を照らして強調し。
まるで演目のように二人だけの世界を演出していた。
「・・これは・・『一輪の花』?」
「・・綺麗」
驚きに息を呑むマリアと、目の前の光景に見惚れるリリア。
二人は焦りを飲み込んでしまうほどの神秘的な瞬間に体が動かなかった。
舞う光はだんだんと少なくなり、部屋に溢れていた光も終息していく。
フィリアは変わらず小さな寝息をたてていて、無垢な寝顔だけは天使だ。
その隣。先程、幼子に見えぬ程の覚悟と慈愛をにじませていたメアリィは事切れたように、ベットに突っ伏していた。
「っ!?メアリィっ!!」
心臓が止まる思いだった。
マリアは慌てて駆け寄った。
しかし、駆け寄り触れた瞬間。メアリィは寝ぼけた声を漏らした。
「・・メアリィ?」
「眠っているだけね。・・ニヤけて」
メアリィは「ふへへ」と奇妙な声を漏らし、溶けた寝顔で実に幸せそうに夢を見ているようだ。
マリアは膝から崩れ、久方ぶりに息をしたかのように大きく息を吐いた。
背筋を流れる汗も今は確かな温度を持っていて、今や暑いぐらいだ。
しかし、一息ついてマリアの胸にはどうしようもないモヤモヤが湧いた。それを少しでも晴らす為、メアリィの柔らかい頬を指でイタズラする。
メアリィは苦しげに眉を顰めるが夢の世界から帰ってくる気はないようだ。
そんな愛娘の愛らしさを見ているとマリアの気持ちも落ち着いてきた。
リリアがベルを二度鳴らし、すぐに扉が開かれた。
「何かございましたか?」
入ってきたのは軍服の男。
この速さから扉前に居た警護の者だろう。
「すぐに大公閣下をお呼びしなさい。・・それと、できればマーリン義姉様にも来ていただきたいのでその旨も伝えてくれるかしら」
「かしこまりました」
男は一礼して部屋を後にした。
それを真剣な表情で見送るのはリリアだけではなくマリアもだ。
二人は頷き合うと、揃って視線を動かした。
その先には小さな二人の天使が寝息をたてている。
「リリア様・・先程のは・・」
「アークたちが来てからでないと確かなことはわからないけど・・。十中八九、『一輪の花』でしょうね」
「しかし・・。陣も術式も何もなく。ましてや姫様に至っては御休み中なのに・・」
「それも『一輪の花』。生涯で一度あるかないか。それも成功率など無いに等しい契約の儀」
二人の顔は強張り。難しい表情となる。
「・・リリア様。申し訳ございません・・。このような事態を起こしてしまい・・」
その言葉にリリアは困ったような笑みをマリアに向けた。
「謝るのはこちらのほうだわ。私が無理を言って招いた上に、メアリィを危険に曝してしまったのだから」
互いに謝り合う二人だったが、リリアがマリアを抱きしめ沈黙が降りた。
マリアの肩が小さく震えていた。しかしそれは泣いている訳ではない。もっと単純な事。
只々怖かったのだ。
大切な愛娘。親愛なる姫。
そんな二つの宝を同時に失うかもしれなかった事に対する恐怖。
「大丈夫よ。『一輪の花』は命の危険があるものではあるけど、あのふたりなら・・」
「キルケーの蕾・・」
マリアの呟きに「えぇ」と返すリリア。
だが二人は途端に動きを止めた。
そして互いに目を見開き顔を見合わせた。
その後すぐにアークが飛び込んできて、二人は事情を話した。
事細かくその時の事を話す途中でマーリンも慌てた様子でやって来た。
マーリンは応援に数人の魔術師を引き連れて。
「この手のことは私の領分ではあるけども、おにいさんの話を聞いたほうがいいかもしれないわ」
事態を把握した上でマーリンはそう提案した。
「そうだな・・なら急ぎ王都に一報を入れよう」
アークとマーリン、それと魔術師たちはそう結論を出しながらも部屋の調査を続行していた。
「ねぇマリア」
「はい。なんでしょう」
リリアとマリアはそんな調査団から少し離れ我が子らの傍に控えていた。
「メアリィにフィーの姉妹杖を持たせてはダメかしら?」
「え!?」
リリアの言葉に驚いたマリアは思わず声を上げてしまった。
「フィーは稀代の才を持っているわ。『レオンハート』の『キルケーの蕾』で『ティア』の名を冠し、『魔法』まで使える。それも誰よりも学ばずに、こんな小さな赤子が・・」
マリアはリリアの言葉を待つように相槌のみを返した。
「個人の力としては過ぎたる程の才よ。・・だからこそ、その扱いを間違わぬようにしなければならないわ。その為に多くの教養や訓練が必須になる」
「・・しかし、姫様はまだ1歳になったばかりですが・・」
「えぇ・・。本来なら早すぎるわ。もちろんレオンハートの者である以上早々に学ぶべき事もあるわ。だけど・・それではダメなのよ」
我が子の未来を案ずる母の表情。
リリアの表情に思わず心配になってしまう。
「この子は、もうすでにその力を行使しているわ。だからなるべく早くその力の使いかたを学び、心を育てる必要があるのよ」
「・・では、家庭教師を?」
リリアは小さく頷きフッと「困った子だ」と言わんばかりに困ったように微笑んだ。
「色々と準備で大変になるだろうけどよろしくね」
「お任せ下さい。恙無く。・・それで、それと・・」
マリアは言い澱んだ。しかしリリアにはそれで伝わる。
リリアの表情は明るくなった。
「それに際して、フィーには『杖』が必要になるわ」
「はい。・・それは」
「当然あの子はレオンハートの者として、自分の手で一から作る事になるわ。そこで必要な素材にはフィーの魔力を馴染ませるわね。本来ならそれで他の者には扱いづらい物になるのだけれど、『一輪の花』で結ばれたメアリィにならばこれ以上ない素材になるんじゃないかしら?」
「そんな。畏れ多い・・」
「それにメアリィが嵌めている指輪は、魔力媒体でしょ?見たところ青銀の指輪ね。素材的には良いものだけどこの先のことを考えれば心許ないのではなくて?」
マリアはこの会話の終着を思って溜息が漏れた。自身にもはや断るすべはない事を悟ってしまった。
「・・はい。夫は既製品の魔具ですし、私は青銀製の杖が馴染みます。メアリィも青銀に合いはしましたが、正直最近は少しずつ青銀では役不足になってきたようで・・私どもも今後のことを考えてはいました」
「なら、ちょうどいいわね」
満面の笑み。本当に嬉しそうだ。
しかし一方はうんざりした様に溜息を吐いている。
「レオンハート大公家。魔導王の末姫。当然素材に関しては期待していいわよ」
「・・恐らく、これ以上ない物でしょうね・・。・・・遠慮致したいです」
「なんで?多分、絶対にそれ以上のものは手に入らないわよ?」
「・・・だからです」
遠慮したくともこの主は絶対に聞き入れない。
そんな事、十年以上の付き合いで嫌なほどわかっていた。
それにメアリィが最近魔力の乱れで気分を悪くしているのを感じていた。
娘のため夫と相談していたが相応しいだけの素材を見つけられずに苦心していたのもまた事実だった。
故に有難い話ではあったが、同時に怖くもある。
リリアはマリアに対して過保護なほどに甘い。
そしてそれは恐らく娘であるメアリィにさえ派生している。
しっかりメアリィに言い聞かせようとマリアは心に決めた。
「・・せめて、世界樹とかはやめてくださいね・・」
マリアは冗談混じりに苦笑した。
「・・世界樹・・・どこかに・・」
伝説の素材である。
物語や神話の類である。
マリアは頭を抱えて深くため息を吐いた。
「マリア。何処かに手がかりはないかしら」
「そちらの棚にあるのではないですか」
「・・。いやねぇ。あれは絵本よ。架空の物語よ。マリアったら」
子供に諭すような微笑みのリリア。
伝わっていない。
マリアの嫌味はこの主に届いていない。
そんな掛け合いの最中もアークやマーリン等の調査は続いている。
少し騒がしい筈の一室。
それでも小さな天使達は相変わらず深い眠りの中。
二人は寄り添いあい。
手を触れ合うように繋いでいた。
繋がれた二つの小さな手。
小さな左手。その人差し指には向日葵の意象が指輪のように描かれ。
さらに小さな右手。その親指にあった向日葵の意象は、先日よりも太く威厳を増すように造形を深めた。
ただ寝ているだけでも規格外。
それがフィリア。




