171 理不尽の育成者
空を駆ける一枚の絨毯。
そこから漏れるは、悲鳴、狂気、阿鼻叫喚。
だが、耳障りなのはそっちではなく、一人悲鳴とともに楽しげに響く笑い声。
絶叫する事自体を全力で楽しんでいるような、実に楽しげな声。
「「ぶつかるぶつかるぶつかるぅ!!」」
眼前に迫る氷壁。
茨で作られた氷の檻は触れただけで傷つきそうだが、この速度で突っ込めばそんな事関係なく大怪我だろう。
アンネとシェリルは抱き合い、震えて、叫んだ。
「ほぃ」
それを受けたフィリアは手綱を引くように、ひょいっと絨毯を操った。
「「「「「――――――――ッ」」」」」
氷に触れる寸前で翻るように宙を舞う絨毯。
そんなアクロバット飛行に声にすらならない悲鳴が響いた。
若干一名・・無くてもタマヒュンってあるんだぁ・・などと、どうでもいい事を考えている奴がいるが・・・そのまま落ちてしまえばいいと思う。
「リチャード」
「・・これは、陛下」
宵闇に浮かび、淡い光を放つ巨星。
それを窓越しに見つめるジキルドの執事、リチャード。
そんなリチャードの背中に声がかかり振り向くと、引き連れるように人を侍らし廊下を歩く老父が近づいてきた。
それを確認して、傅き膝をつこうとしたリチャードだが、老父はそれを手で制止する。
リチャードもそれに従い、傅くことはやめたが、敬意を見せた姿勢はそのまま崩さずに維持している。
「いいかげん陛下はやめてくれ。王位を譲ってもうだいぶ経つ」
「これは、失礼をいたしました」
ひと月近く滞在しているルネージュ国、先王ジャニア。
この掛け合いも、もう何度目か・・。本来なら不敬だと断ざられるような軽口だが、その掛け合いはジキルドと挨拶のように気安く交わしていたもので、それをわかっていて敢えてこの執事が口にしている事を知っていて、ジャニアも咎めなどしない。
それは、友を失った先王への気遣いと、亡き主に変わっての慰めでもある。
リチャードもまたジャニアとの付き合いは長い。
もちろんそれは、ジキルドの従者として接した関係でしかないが、ジャニアにとってはそれとて貴重な友との繋がりであり、友を語れる数少ない存在であった。
「しかし・・お前だけじゃない。未だ、俺を陛下と呼び、慕ってくれるものはな。・・あいつがどうこうという訳でも、今の治世がどうこうというものでも無いのだろうが、複雑だな」
「それだけジャニア様が優れた王だったという事でしょう」
いつもの掛け合いでは終わらず、溢れた愚痴は、恐らくジキルドとの別れを受け入れた故へに沸いた、後顧の憂いなのだろう。
今日明日どうなるものでは無いが、ジキルドの元へ向かう日は、遥か先の遠い未来の事ではない。
それが要らぬ心配なのか、立場上仕方ないことなのかはわからない。
だが、リチャードはそんなジャニアの言葉に、老いを感じずにはいられなかった。
「後のことは、後の者たちに任せるべきでしょう。老婆心から余計なことをしようものなら、更に拗れてしまいますよ。それを・・閣下とジキルド様はよくわかっておられるではありませんか」
「・・言ってくれるな。・・厳しい言葉だが、それ故に、耳が痛い」
ジャニアは、苦笑を零すが、そこには苦々しさよりも、何処か安堵するような感情が勝っていた。
かつては、感情はおろか、いつでも厳つく威厳に満ちた表情と空気で威圧感のあった人物だった、とリチャードは懐かしむように思い出す。
「・・ジキルドが俺を『陛下』などと呼び始めたのも、俺が王配としてではなく、代理として執権を持つようになってからだったな」
「カーナ女王陛下と並んで、とても腹の立つ笑みを浮かべておりましたね」
「確かに!ありゃぁ腹が立った!片や若造と言えど、王にさえ傅かない五大公の長。もう片方は、本来味方であるべきはずの妻で、病を患っている事を盾に態とらしい咳まで交えて・・。怒ろうにも怒れない、実に腹立たしいったらなかったな」
懐かしみ、その時の憤慨を思い出しながらも、おかしくて笑い合う二人は、本当に長い付き合いなのだと感じる。
だが、記憶の中で誂う様に嗤った二人は、もういない。文句さえも言いに来てくれない。
「・・あの時の年寄り共の煩わしさなどなかったな」
「それも、多くは含みのあるものでしたが、中には只々良かれと思っていた方々もおりましたよ」
悪意が無いが故に対処にも困ったと、思い出し苦い表情を見せる。
更にその表情に含まれたのは、かつての記憶だけでなく、今の自分にも思い当たるものがある故だった。
「・・見守る事が最善か。・・・何もしないのはそれはそれで気を揉むな」
「あとは、助けを望まれた時に少し助力をして差し上げればいいのです。それが年寄りの役目でございます」
「・・ジキルドの受け売りか?」
「いえ、ジキルド様を叱るアンリ様のお言葉です」
「心に刻んでおこう」
この家門の直系ではなく、外から嫁いだ者の言葉には他にはない説得力がある。
そして同時に無下にしては痛い目に合う・・合わせられるという、変な強迫観念さえ生まれている。
それ故、レオンハートと親しい者。牽いては権力者たちがより従順に従う。
悲しいかな。結果として、実にレオンハートの身内に相応しい評価を得ていた。
ジャニアは、リチャードが眺めていた窓に近づき空を見上げた。
昼間とは思えぬ夜空に、淡い光を纏い浮かぶ巨星。
「相変わらず、レオンハートは色々とネジが外れているな」
先王などという立場上、多くの理不尽や予期せぬ事態を経験してきただろうに、それでも、そんなジャニアの表情を引きつらせる程のレオンハート・・というかフィリアの所業。
ジャニアの呟きは実に正しい。
ジャニアは溜息と共に視線を外し、リチャードに視線を向けた。
「・・それで。お前は行かなくていいのか?・・あの声はユミルものだろう」
ここに来る前に響いた声。
それは、街中に轟き、城にも届いた。
魔獣の咆哮のような声、狂気に滲み、警戒をせずにはいられないような声。
だが、この城の者も、街の人々もそこに恐怖や焦りは見せない。
それは、レオンハートという、絶対的な存在の安心感もあろうが、それ以上に、その声に僅かに滲む、痛いほどの切ない感情を感じ取ったからだろう。
「悪魔の事はゼウスが何とかするだろうが、ユミルのことならば、お前のほうが上手く宥められるだろう?」
「・・それこそ、年寄りは見守るだけです」
「しかし・・言ってしまえば、ユミルもまた年寄りの遺産だろう?況してやジキルドの従魔、そこらの災害級の魔獣なぞより危険度は高いぞ」
並みの魔獣ならば何の脅威でも無いどころか、その対処をするレオンハートの方がよっぽど驚異認定されているファミリアという土地。
だが、ファミリアでなくてもその認識は大きく変わらない。
それをジャニアは正しく認識している。
レオンハートの驚異、更にはその従魔・・レオンハートの影響をダイレクトに受けて育ったレオンハート級の災害魔獣の存在を。
しかし、ジャニアがそう声をかけたのは、純粋に気遣ったもの・・一応は。
「姫様がおりますから」
しかし、リチャードは淡々と・・いや、何処か優しく含羞むように微笑んでそう答えた。
流石は長らく執事として勤め上げたリチャードで、表情の変化などまるでない。
だが、ジャニアは、変わらぬ表情の中に、確かな感情を見ていた。
「ジキルド様が直々に『星を謳う者』をお教えしたお方です」
「後継か?」
「いいえ。ジキルド様にそのようなお考えはありません。・・・それに何より、姫様は、その程度で収まるようなお方ではありませんから」
「お前がジキルドよりも買う姫か・・」
「捧げた忠誠はこの先も決して変わることはありません。今でもジキルド様が史上で至高の我が主です。・・ですが、事実は事実。姫様は格が違います」
フィリアを語るリチャードに何処か懐かしいものを感じたジャニアは、かつて初めてジキルドの傍に侍ったばかりのリチャードの姿を思い出し、小さく微笑んだ。
あの頃のリチャードは、執事ではなく従僕で、更には魔術師団からの転身で、研修は終えたとは言え、表情を隠すのが下手だった。
リチャードの忠誠は生涯ジキルドに捧げるのだろう。それは決して揺らぐことはない。
だが、フィリアに向けるリチャードの感情は、それによく似たものだった。
それを感じ、ジャニアは少しの寂しさも感じるが、それ以上に何処か安堵もあった。
「まぁ・・別格ではあるわな」
「・・・・・」
もう一度、窓から外を見上げ、視線で示すようにジャニアが告げると、無言でリチャードは笑みを深め・・ジャニアの視線に耐えかねるようにそっと視線を逸らした。
リチャードをもってしても、否定はもちろんフォローすら出来なかった。
「レオンハートに対抗できる唯一の魔導師と云われた『魔帝』にそこまで言わせるとはな」
「・・・それは誇張され、大いに虚飾されたものですよ」
「あの三人だって、お前の弟子だから『三魔皇』なぞと括られるような二つ名を付けられたんじゃないか」
「あの方たちはレオンハートです。私の教えなどなくとも、元からその名に相応しい力をお持ちです。現在の活躍はあの方々自身の努力と才能によるものですから」
自身の謙遜と主家への忠誠。
上辺だけならば素晴らしい忠誠心だが、その中身は、レオンハートの理不尽は決して自分のせいではないという、全力の責任逃れ。
執事の手本のような存在であるリチャードらしくない、とは言うなかれ。
レオンハートに仕える者達にとってそれは当然の権利。
どんなに忠誠に厚くとも、自走型核兵器の責任は負いたくなどない。
何せ、暴走確実な上に、制御など端っから無理なのだから。
「ゼウスにとって『魔法使い』の師はお前だろう」
「ゼウス様が『魔法使い』となったのは私がお教えする前です。そもそも『魔法使い』は偶発的なもので、教わったからと言って成せるものではありません」
「ゼウスの独自的な術式の精査をマーリンに教えたのもお前じゃないか」
「あれは、錬金術師であった妻から教わった基礎と使い勝手のいい元素魔術をお教えしただけです。それが偶然、ゼウス様の術式と相性が良かったというだけのことです」
「アークは――――」
「大公閣下には、ジキルド様の時より更に若い大公位の継承だった事もあったので、確かに全力を尽くさせてはいただきました。ですが、その内容はあくまでも政務関係を中心としたものです。もちろんレオンハートの長となられるので、魔術に関しても多少は指導させていただきましたが、あくまで政務など合間に口を挟む程度のものです」
「・・その結果、三人の『魔帝』を育てた上げたと」
「かつて聡明だった陛下は、どうやらボケが始まっているようですね」
リチャードは全力で叫びたかった。
あの三人の規格外はレオンハートであるからであって、自身のせいではないと。
別に責任逃れをしたいわけではない。
ただ、泳ぎ方を教えれば太平洋を横断し、読み書きを教えれば失われた古代言語を解読するような、『一を聞いて十を知る』どころか百も千も飛び越えていく規格外たちを、自身が育てたなどと冗談であっても全力で否定する。
その時、リチャードは廊下の先からこちらに来る人影に気づいた。
「ナンシー様。すみません、道草を食っておりました。今参ります。」
ナンシーはジャニアに深く一礼するとリチャードを無言で見つめた。
ナンシーはレオンハートの一員として迎え入れられたが、本人は未だその実感が湧かず、ジャニアに対しても臣下の礼を尽くす。
王族に対し、許しもなく声を掛けるのは不敬であるが故に正しい作法ではあるのだが、本来レオンハートには必要のない礼儀。
五大公は表向き王の下に着いてはいるが、臣下ではなく対等。寧ろ場合によっては王よりも上に立つだけの力を持っている。
それ故、王族にさえ謙る必要はない。それどころか、時には国王陛下自ら頭を下げるような事さえあるほどだ。
だがあくまでそれは五大公だけのこと、そこに仕える者には当てはまらない。
当然リチャードの『道草』扱いなど許されはしない。
「何かあるのか?」
だが、ジャニアはそんなリチャードの扱いなどまるで気にもとめずさらりと受け流した。
加えていうのならば、ジャニアに侍る者たちも顔色一つ変えない。
私的な場であり、気安いほどに長い付き合いがあるとは言え、それでいいのか。
「・・これから我らが姫様の初舞台なのです」




