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165 悪魔の慄然



 少し時間を遡り、『弐ノ葉』の襲来に気づくよりも前――――


 ――――ルーティア湖、上空。




 雲よりも高い、その場所に喪服の貴婦人が浮かんでいた。



 『そこを通して頂けませんでしょうか?』



 諭すような声で、威圧する事もない貴婦人だが、何処か緊張に似た固さを感じる。

 きっとそれは気のせいなどではない。



 ぺら・・



 紙を捲る音が静かに通る。


 そんな僅かな音にさえ敏感になり、ピクリと強張るように反応してしまう。

 背筋にはかくはずもない汗が滲み、乾くはずのない喉が張り付く。



 貴婦人が油断なく見つめる先。

 ルーティアへの行く手を阻むように動かぬ存在。



 取り囲むように幾数もの本が浮かび、その真ん中に鎮座する。

 レースをふんだんに使った黒のドレスを身に纏う、黒髪の幼女。


 一切貴婦人に向け視線を向ける事なく、幼女の身長の半分はあるんじゃないかと思えるほど大きな本を読み耽っていて、かけられた声にも反応しない。


 だが、そんな態度にも、焦れる事さえできない。

 只々、刺激することを避け、それでもって縋るように乞うだけ。



 ぺら・・



 目の前の幼女の機嫌を損なうことは許されない。



 『どうか、臥して――――』



 空中にありながらも、膝を着く所作を見せようとした、その時。

 黒の幼女は、本から目を離さず、片手を掲げるように貴婦人に向けた。



 『――――っ!?」



 目に見えない力が突風のように、正面から叩きつけられた。


 吹き飛ばされそうなその圧に抗い、耐える貴婦人。

 だが、その姿()が引き剥がされるように、吹き飛び――――()()()()



 「はっ・・はぁはぁ・・・」



 圧力が弱まり、風が止むとそこにあったのは、貴婦人の姿ではなく、一人の男の姿。


 肩を激しく上下させ息を乱す男は姿こそ違えど、あの日、結婚式に乱入してきた、『参ノ葉』。――――『悪魔』ギィだった。



 そんなギィの別人のような姿にも、況してや、息を乱すような様子にも、反応はおろか、一瞥さえもしない幼女は、只々本へと目を落とすのみ。


 ギィは息も整う前に、睨むような鋭い視線を幼女へ向け、奥歯を鳴らした。



 「舐めないで頂きたい!!」



 慟哭のような叫びと、強い衝動。

 レオンハートと対していても飄々として余裕を見せていたギィの姿はそこにない。


 ギィは体中から力を集中させ両手を突き出した。






 ぺら・・



 「――――な・・・ん・・で・・・」



 何も起こらない。


 何事もなく本に目を落とす黒の幼女。


 その幼女に向けギィは両腕を突き出しているだけで、何も起きない。


 ギィはその状況が理解できず、唖然とし、幼女を見つめた。

 だが、幼女はそんなギィにやはり、一瞥はおろか、興味さえも向けることはない。



 とは言え、わざと無視しているわけではない。

 認識はしているし、その声も届いている。



 ――――――幼女はギィに向け再び、手を向け。



 ただ、羽虫が喚くような・・瑣末な認識でしかないだけ。



 ――――――小さな指を下へと向けた。



 「あがっ!?」



 呻き声と共にギィの身体が沈む。

 空の上だというのに地面に圧し潰されるようにその場に伏せた。



 「ぐっ、が・・あがががぁぁぁぁっ・・」



 ギィは声にならぬ声を上げ、必死に抗っている。

 逆に言えば、全身に力を滾らせ、必死に身体を起こそうとしても、抗うので精一杯。


 その状態を跳ね除けたり、打ち破ったりなど、無理だと早々に理解できてしまう。


 身体にかかる重圧は、上からの圧潰すようなものと、それと同時に、足元からも逆方向に同様の力がその身にかかる。

 それが只々地面に押し付けられる倍以上の圧を生み、ギィを圧潰している。


 そして、ギィが最も焦りを浮かべるのは、それがよ(・)く(・)()る(・)力だったから。


 なのに、それに対抗しようにも出来ない。

 防がれている訳でも、無効化されている訳でもない。

 自分自身の感覚では、確かに発動している。・・なのに、何も変わらない。



 ギィは苦悶に歪む視界の中、幼女を見つめ、恐怖と戦慄を覚える。


 向き合う幼女は・・・存在としての『格』が違った。











 ――――そして、再び時は戻り。


 吹き荒ぶ嵐の中、その大元でもある巨大な竜巻の真下、ゼウスと少女のもとへ男は飛沫を上げて落下した。



 「ギィ!?」



 落下した男の姿を見るなり、叫んだ少女はゼウスに背を向け、飛び出すように駆け寄り、湖に沈み始めたギィの身体を支えるように引き上げた。



 「くっ」



 すると今度は、沈むのをやめ、ギィの体は、吸い上げられるように浮き上がり、竜巻へと向かおうとする。

 それを少女は引っ張るように引き止める。



 「ギィ!!」



 ギィに意識はなかった。

 ・・いや、正確には意識自体はあるが、朦朧とした様子で、返事は唸るような声しか返せず、当然、身体に力など入らない状態。


 悪魔もまた精霊。

 物理的な肉体を持たない存在。


 それ故に、今のギィの姿はあり得なかった。


 衣服はボロボロの上、傷だらけで満身創痍。

 肉体を持たぬ精霊にはありえぬ状態。


 つまりは、それを成せる・・成せてしまう何かがギィと相対していたと言う事。


 それ故、ゼウスは背を向けた少女に追い打ちをかける事さえ後回しにして空を見つめた。


 このルーティアにあって、ゼウスらレオンハートはもちろん、魔術師や魔導師、そして一応は一般人とされるが、余所に行けば魔術師を名乗れるほどのファミリア領民。

 そんな者たちが、感知出来ない存在。それもレオンハートでさえ容易ではない『禍ノ芽』と呼ばれる悪魔をここまで追い詰めるような存在。


 そんな事などありえない筈なのだが、実際、目の前には傷だらけのギィがいる。


 まだ知らぬ脅威を警戒してゼウスは空を睨むがそこに何かを感じることは出来ない。

 多少魔素の淀みはあるが、それはこのファミリアでは珍しい事ではなく、気に止めるのも難しい程度。


 もしや、ギィは相討ったのか・・とも思うが、それにしても争った筈なのに残滓が残っていない。


 まさかゼウスもその存在が無傷な上に、只々一方的にギィがやられただけとは思ってもみないだろう。



 ゼウスは視線を戻し、竜巻に引き込まれそうなギィを掴む少女を見つめ、一歩後ろに下がった。


 正体さえわからぬ薄気味悪さはあるが、今はまず、目の前の仇敵だ。



 「リーシャ!!」


 「はい!!」



 少女を見つめたまま叫んだゼウスの声に背後から声が返ってくる。


 必死で駆けてきたリーシャは息を乱し、汗が滲んでいる。

 それと共に駆けてきたリーシャの近衛たちも同様。普段から鍛錬している筈の騎士たちですら息が上がるほど全速力で駆けてきたのだろう。

 当然、彼らは近衛である以上、リーシャに付き従ったもの。


 現役、それも近衛という優秀な騎士でさえ息を乱すほどの速さで駆けたリーシャ。

 あいも変わらず、『麗しの氷華』などというイメージとはかけ離れている気がする。



 リーシャは目を閉じ、深く息を吐いて、呼吸を整えた。

 するとリーシャを中心として足元を煌く霧の冷気が吹き出し広がった。


 それと共にリーシャの手に氷樹の枝が生まれ、リーシャはそれを杖のように握り顔の前に掲げる。


 そして、静かに開かれる瞼。

 そこには、青い瞳が炎のように揺れていた。



 『碧茨の鳥籠(ターコイズソーン)



 リーシャから生まれた冷気が具現化し、無数の茨となり周囲を覆うように伸びていく。

 さらに言えば周囲と言ってもその規模は大きく、街を覆うもの。


 這いずるように伸びる茨は、下から徐々に高さを増していく。

 ただ、その速度は十分に驚く速さではあるのだが、敵と相対している現状では心許ない。


 幸いにも少女は、こちらの様子にも気づいているだろうに、未だ、ギィを引っ張ることに手一杯で直様こちらをどうこうは出来ない。



 「全く・・主家が進んで前線に出るなんて・・。こういう時は騎士や兵士、この街ならば魔術師が先行するものでしょうに」



 呆れを多分に・・敢えて隠すこともなく告げる妖艶な声。


 

 「来たか、ジョディ」


 「来たか・・じゃないわよ」



 そこにいるだけで人々の目を惹くような妖艶でグラマラスな女性。

 魔導王(レオンハート)直下ファミリアが誇る、世界最高の魔導師団、その総長。


 レオンハートを含めても世界最高峰の魔導師が一人、ジョディ・アート。



 「今日はあの・・・いつもの格好じゃないんだな」


 「えぇ。流石に葬儀の場ですもの。煌びやかさや、華やかさは不謹慎でしょう?」


 「煌びやか・・・、そう、だな・・」



 ゼウスは敢えて言葉を飲み込んだ。

 美的感覚は人それぞれ・・などという尊重があってのものなどではなく、純粋にそれ以上考えるのが億劫になっただけだろう。


 そもそも、いつもの姿はともかく、自称すっぴんの今の姿も十分に華やかなのだが、本人にとっては地味なのだろう。



 「そんな事より。何故にあなた方レオンハートの人間は前線に飛び出すのです。・・少しは自重してくれないかしら」



 呆れたように溜息を零すジョディだが、その声は諦めも多分に含んでいて、言っても無駄だろうことはもう身に染みているといった様子だった。



 「ジョディ・・」


 「そのまま・・アタシたちが補佐しますから」



 ジョディはリーシャの背後に立ち、リーシャの背に手を当て、暖かな熱が伝わってくる。

 そのジョディのさらに後ろに並ぶ、揃いのローブを身にまとった魔術師たちも、触れはしないが翳すように手を伸ばした。


 すると、碧の茨の勢いが増し、あっという間に街を包み、飲み込む。


 街を覆った茨は透けて青いガラスのようになり、冷気で作られた茨に包まれ粉雪が舞う。

 遠目から見れば、ガラス細工の美しいスノードームのよう。



 「おぉ・・すげぇな、こりゃ」


 「リュース」



 ゼウスの隣に男が並び立ち、見上げて呟きを零した。


 普段のラフな姿とは違い、喪服ではあるが貴族らしい姿の男。

 ティーファの父、実質レオンハート家専属筆頭庭師、リュース。


 そして、同時にゼウスにとって古くからの悪友。



 「そりゃぁ自慢の姪だからな」


 「いや、リーシャ様もすげぇが・・」



 そう言ってリュースが指差すのは碧の茨、それを超えたさらに先。

 未だ轟轟と巻き立つ巨大な暴風の怪物。



 「娘から聞いてはいたが・・まさか本当に嵐を呼べるなんて」


 「・・あぁ・・しかも、まだ四歳だぞ」


 「規模も想定以上だな・・おたくの姫様は規格外を伝染するのか?」


 「失礼な奴だな。うちの可愛い姪っ子に。・・というかお前んとこの娘も例外じゃないからな」


 「うん。・・それは、最近、ヒシヒシと感じつつある・・・」



 軽口の末に浮かぶは、光の失せた諦念の瞳。

 しかし、そんなリュースの絶望にも似た表情に対して、ゼウスが浮かべるは、寧ろ光栄に思えと言わんばかりの誇らしげな表情。


 長年友人をやっているリュースでも、こういう時ばかりは毎度、冷めた感情以外何も沸かない。


 そして、聳える暴風の怪物、そこから視線を下げると鋭い視線とかち合う。



 「久しぶりだな、『弐ノ葉(ウード)』」


 「・・・『悪童(リュース)』」



 湖の上、少女は水に沈む事もなく、未だ力の入らないギィの体を抱き抱えるようにしたまま、ゼウスと、そしてリュースに向け、睨むような恨みの篭った視線を向けていた。




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