164 火の悪魔
舞い上がる土埃の中一つの影が立ち上がる。
「呼んだか?」
降りしきる横殴りの雨に、土埃は見る見る落ち着き、その影の正体を晒していく。
誂うような声を発した影の姿が露わになり、不敵に弧を描くその口元を確認し、少女はギリっと歯を鳴らした。
忌々しさや、嫌悪感を隠しもしない少女に、その口元は一層深みを増した。
「随分と嬉しそうじゃないか。久々の再会をそんな喜んでくれるなんてな。『弐ノ葉』」
「・・・本当、嫌い」
土埃が落ち着き、クレーターとなり、砕けた石畳。
その中心に靡く、金糸の長い髪。
身に纏うローブは上質なものだと一目でわかるが、デザイン自体はシンプルなもの。
しかし、それを補って余りある、過剰な装飾がそのローブを華美に飾り立てている。
それは、ローブだけではなく、ローブの下にも、指にも首にも、身体中に過剰なまでに身につけられたアクセサリー。
「叔父様!!」
そこに立つは、ゼウス。
紛う事なきレオンハートの災害が一人。
身に纏う数多の装飾、それは全て魔導具だが。
そのあまりに過度で豪華な煌びやかさは、正しく『皇帝』と呼ぶに相応しき姿。
「待たせたか?」
「いえ、全然!!」
そして、先程までの緊張を完全に忘れたかのような黄色い声。
リーシャの腕の中にいるメアリィの様子を見て、少し眉を潜めたゼウスだが、リーシャは力強くその心配を横から奪い、笑みを返した。
当のメアリィも、それを苦笑で見送り、ゼウスに目礼のみで返答した。
「随分と、派手な登場ですね」
「ん?あぁ」
冷淡な声に、ゼウスは反応すると、自身の手元に視線を落とした。
箒を模した銀のチャームが、手の中で砕けていた。
「少し、失敗したようだ」
「少し?頭から血を流して?」
「叔父様ぁ!?」
ゼウスの顔に、ドロリと血が流れた。
決して、少しの失敗ではない。
それを、敵対する敵愾心満々の少女に指摘され、姪は悲痛な叫びを上げ、あわあわとしている。
帰ってからの妻と妹の表情が容易に想像できる。
「で?・・何あれ?」
ゼウスは轟轟と唸る巨大な竜巻を顎でしゃくり指した。
「お前の大事なお人形が根こそぎ巻き上げられてるな」
「・・・・・」
無言の少女の視線に滲む憎悪は、ゼウスだけを捉えるのではなく、その後ろへも向かっている。
ゼウスは自身意外に向けられるその憎悪の先を追い、視線を後ろに向けた。
そこには流血するゼウスをハラハラと見つめながらも、抱き抱えた妹の忠臣を投げ出せず、駆け寄りたい衝動を必死に堪えるリーシャとその騎士。
そんな中、少女の憎悪が向かうのは、一番小さく幼い、ぐったりと弱々しい、おおよそ驚異になどなりえないようなメアリィ。
「リーシャ」
ゼウスは腰のバックから小瓶を取り出しリーシャへ投げた。
そつなく受け取ったリーシャはその小瓶・・正確には、その中身、ドロリとした蜂蜜ような黄金色の液体を見て目を見開いた。
「それを飲ませてあげなさい」
「これって・・・エーテル」
「メアリィは『キルケーの蕾』だからな、マナポーションよりもそっちの方がいいだろう」
さらっと投げ渡したゼウスだが、それは稀少な劇薬。
取り扱いも難しく、駄目になりやすい。
それも、その粘性から原液だろう。
本来なら希釈し、更に調薬して使うようなものであり、原液そのままではあまりに劇薬。
故に、それを扱えるのも、所持できるのも、資格あるものだけ。一般人が簡単に手に出来るものじゃない。・・・レオンハートを一般人と言っていいかは別として。
つまり、一部から『歩く宝箱』などと揶揄されるようなゼウスでさえ常備しているはずのないもの。
おそらく、マーリンのから譲られたか、無断で持ち出したのだろう。・・それを投げて渡すなど、素材の価値に無頓着なゼウスらしくもあるが、怒られる理由が増えた。
例え、ゼウス信奉のリーシャが言わずとも、騎士たちもその小瓶の正体を知り顔を青白くさせている。間違いなく報告されるだろう。
それだけ稀少で高価なもの。
だがその分、効果は大きい。
リーシャに支えられてコクりと小瓶の中身を飲んだ瞬間、メアリィの魔力が吹き出すように溢れ、顔色も紅潮するように血色が増した。
「さて、じゃぁ――――」
ゼウスはそんな様子を見やると、少女に向き直った。
「始めっか」
ガキッ
次の瞬間、鈍くも甲高い音を鳴らし、少女とゼウスはぶつかった。
「っ・・」
少女の身体が大きく吹き飛ぶが、それを只々見送ることはない。
石畳が砕けるほどの脚力で踏み出すゼウスは、吹き飛ぶ少女に追いつき、再びぶつかる。
壁を駆け、宙を駆け。その度に甲高い音と衝撃を生んでぶつかり合う。
「はっ!!」
「っ!!」
彫られたような装飾が隅々まで施された、身の丈ほどある銀の棒を少女は素手で受け止め、その度に炎が弾ける。
「魔術師が近接戦とか反則!!」
「精霊が肉弾戦する方がズルいだろ!!」
ぶつかり合うたびに叫び合う二人。
吹き飛ぶような勢いに抗わずぶつかり合う二人には景色すら追いつかず残像のように流れる。
バキッ
「っ――」
ぶつかる度に炎と共に弾ける爆裂を受け続けたゼウスの武器は、折れると同時に砕けた。
ガキンッ
だが、直様、今度は銀の直剣が少女を襲い、甲高い音を鈍く響かせる。
それは一度だけではなく、ぶつかり合う衝撃にゼウスの武器は幾度も砕け、その度に違う銀の武具が新たに現れては間髪入れずに少女を襲う。
まさに『歩く宝箱』。
『雷霆』
打ち合う銀の武器が火花を散らすように帯電する。
「「っ!!」」
衝撃と共に生まれた爆炎と空気を灼くような電熱がぶつかり合い、周囲を蒸発させるほどの熱を生む。
それは衝撃とともに、二人を中心に破裂し、雨さえ一瞬のうちに灼く。
急激な高熱の出現に肌を灼くような突風を生む。
竜巻が生む暴風さえ無視して生まれた風は、建物を軋ませ、石畳を砕いた。
当然その中心にある二人に何の影響もないわけはなく、食いしばる歯の隙間から喉を引き絞ったような声が漏れる。
そして、生まれた衝撃に二人は弾かれて吹き飛ぶ。
無数の打ち合いとも比べ物にならない衝撃に二人は抵抗もいなす事も出来ず勢いそのままに吹き飛び、地面に叩きつけられる。
「・・・化物が」
「・・悪魔に言われたかねぇよ」
物凄い衝撃でも、二人には何ら致命傷などない。
互いに忌々しげに悪態を吐きながら立ち上がる。
瓦礫を鳴らし、身体に着いた瓦礫を払う二人は、全くの無傷。
多少の汚れこそ着いてはいるが、それだけ。
「本当・・忌々しい」
「うるせぇな、それはお互い様だろうが。大好きなおままごとが出来ないからって当たんじゃねぇよ」
「大っ嫌い!!」
「気が合うな」
いつもよりだいぶ口の悪いゼウスに、少女は身体中から魔素を吹き出した。
少女の正体は悪魔。つまりは精霊。
そんな存在が吹き散らす魔素だ、量も濃さも並大抵なものではない。
息苦しく、視界すら歪むような、別格の力。
だが、ゼウスはそんな少女の様子にも、臆せず、寧ろ嗤うように立つ。
気づけばそこは、街の中心から離れた街の端。
桟橋並ぶ、ルーティア湖と街の境。
つまり、目の前には、轟々と唸る巨大な竜巻。
少しでも気を抜けば攫われそうな程の暴風が吹き荒れている。
ぶつかり合い、吹き飛んでを繰り返し、こんなところまで戦場を移していた。
パキン――――
その時、ガラスに罅が入るような音がした。
「ほら、そんな熱くなるから」
――――ガシャーーン・・
そして、ゼウスの哀れむような声と共に、地面に落ちて砕け散る白磁の陶器。
砕けた破片の傍に立つ少女は、白磁の腕を片方無くしていた。
「・・はぁ・・・」
取り乱すこともなく、深く息を吐いた少女は自身の腕を確認するように眺めた。
砕け落ちたのはゼウスの攻撃を受け止めていた箇所。
「少し、熱くなりすぎたです」
そう呟いた少女の身体から火が吹き出した。
目や口、関節の節々。身体のあらゆる箇所から火が溢れ漏れる。
それと同時に砕け落ちた腕の部分に赤く燃え滾るものが生える。
それは、徐々に形を成し、腕と手、指の形を形成していく。
そして、形を成した瞬間、一層赤く光り、次の瞬間大量の蒸気を吹き出す。
一瞬覆い隠した蒸気が晴れると、色白――――白磁の腕が、何事もなかったかのように再生されていた。
「流石は『炎の魔人』」
腕の検分をするように眺める少女を見やり、呟いたゼウスの言葉に少女は睨むように不満を見せた。
「・・その呼び名は嫌いです。可愛くない」
「じゃぁ・・『傀儡師』か『人形師』か」
「うん。それは可愛いから好き。・・『魔導皇帝』」
誂うように嗤って訂正したゼウスだが、思惑は外れ、寧ろ少女の誂いにゼウスの方が表情を歪めた。
「・・・お前、嫌いだわ」
「気が合うです」
実は仲良しなんじゃないかと疑うような二人の会話。
それもその筈。
ゼウスが『悪魔に詳しい』などと言われる元凶。それが目の前の少女。
幾度も殺し合い、時には地の果てまで追いかけっこをしたり、少女の『人形』を壊し回ったこともあった
その間や都度、眷属や配下の悪魔、少女と同じ『禍ノ芽』などと相対したのは一度や二度じゃない。
敵対しかした事はないが、顔見知り程度の仲ではない。
「ところで『参ノ葉』は何処だ?」
「・・・」
「勘ではあったが、お前が来るかもとは思っていた。・・だが、『参ノ葉』は確実に来ているはずだ」
無言で腕の具合を確かめる少女。
その態度こそが答えだった。
「フィーの魔法を見たんだ。『参ノ葉』、もしくはミルが気になって仕方ないんだろう?」
「・・よくご存知で。そっちこそ『死神』は何処にいるのです・・・あ。・・新婚とは言え、忌中くらい自重した方がいいです」
「おい。何が『・・あ』だ。全然、何にも察せてないからな?」
現在グレイスは、態々足を運んでくれた慰問客をアンリと共に持て成している。
だから、決してベットから動けない状態では無いのだが、少し早口のゼウスには心当たるところがあったのだろう。
全くの見当違いではないらしい。
ゼウスは態とらしく咳をし、一泊の沈黙を開けて、再び少女を見つめた。
「で、何処にいる?」
「さぁ?・・妾だけじゃご不満?」
「あぁ、ご不満だ」
ゼウスの明白な態度に、少女は更に誂うような口調で答えた。
だが調子に乗れていたのはその一瞬だけで、すげなく返された返答に機嫌を再び下降させる。
「・・本当、嫌な男」
「お互い様だ」
ドッパーーン
その時、湖に大きな間欠泉のような飛沫が上がった。
竜巻よりも街に近い場所で上がったその飛沫に、二人は思わず警戒するように視線を向けた。
だが、その警戒も一瞬のこと。
「ギィ!?」
少女は焦りに満ちた叫びを上げた。
荒れ狂う水面が、大きな飛沫のせいで余計に大きくうねり、暴れ狂う。
その中に揉まれるように浮かぶ人影。
少女はその姿を捉え、狼狽を見せていた。
ゼウスはそっと視線を上げ、空を見つめた。




