表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
161/214

156 悲しみの紛らかし方



 晴天であれば・・いや、いっその事、曇天か、雨であれば。


 わかりやすい天気であれば、余計な事を考えす、思考に邪念が混ざらないのに・・・。



 ・・などと、実際はどのような天気であっても、大きく変わることなどないとわかっていながらも、空を仰ぎ、そんな事を考えるフィリア。



 空は、厚い雲が多いなかでも、青い空が覗き、太陽の光も陰ることなく降り注ぐ。


 もうすぐで短い秋も半ばを過ぎ、冬の支度が始まる。

 まだ、暖かく、寒さはないが、少しずつ風に肌を撫でる冷たさが目立ってきた。



 「くしゅんっ」



 当然、水はもうすでに夏の暖かさを忘れ、冷たく。

 同時に、体温をみるみる奪っていく。


 浮き輪のおかげで沈まないとは言え、半身を水に付け、もう半身は濡れた服で、更にはそれを外気に晒している。


 空を仰ぎ呆けているのは、疲れや脱力だけではなく、その稀有な虚弱体質も大いに関係している。



 「姫さまぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ!!」



 気だるげに視線を動かせば、岸辺からミミが水面を・・爆走して向かってきている。

 爆走しているのに綺麗な姿勢と所作なのはマリアの指導の賜物か・・。驚くべきは、その洗練された動きと不釣り合いな程の水飛沫。

 ミミはレオンハート大公家の侍女。魔術で水面を進む事くらいできるだろうが、その飛沫を見れば、純粋な脚力のみで水上移動しているとしても納得してしまう。






 そんな様子を離れた所から、湖に浮かぶゴンドラの上でマリアは見守っていた。

 そのマリアの手にそっと包み込むように触れた、少し冷え性の冷たい手。



 「あまり強く握っては、手が傷つくわよ」


 「マーリン様・・・」



 マリアの手は色が変わる程握りこまれ、それを柔らかな手が解いていく。


 しかし、マーリンの忠告はすでに手遅れで、マリアの手のひらには既に爪痕が残っている。

 それは、今この時に付いただけのものではなく、幾度も重ねた、痛々しい痕。


 この二ヶ月。ほぼ毎日握りこんだマリアの苦節の証でもあった。



 「・・授業の再開は早まったかしらね・・・」


 「いえ・・。寧ろマーリン様の授業があるおかげで、少なくとも午前中はお部屋で過ごしてくださいますから・・・それまでは、毎日、魔力も体力も限界まで使っては、倒れ、そして起きたらまた倒れるまでを繰り返していましたから」



 再び手に力が入りかけるが、マーリンの手にそれを思いとどまる。

 その代わりに、巻き込んだ唇に少し痛みが走った。



 「姫様の傍に侍りながら・・情けない次第です」


 「・・貴女に非はないわ。・・・私だって、こうして止められず、見守ることしか出来ないのだもの」



 ジキルドが亡くなってからのフィリアの行動は狂気さえ感じるものだった。

 毎日、気を失う程、限界まで自らを追い込む様は、何処か自傷のようでさえあった。


 それ故、マリアのみならず、フィリアの周りは何度も諌めるような言葉をかけた。


 だが、そこに返ってくるのは、儚げな微笑みと、控えめで頑固な謝辞。

 いっそのこと抜け出したり、反抗的な方が、フィリアの無謀を止められたかもしれない。



 「・・・レオンハートの魔術や魔法の研鑽を妨げるのは、憚れる事。侍女であるマリアが強く言えないのは寧ろ当然の事よ。・・それにあんな顔をされたら・・・私だって、何も言えなかったもの」



 冗談めかした声だが、マーリンの声は決して軽いだけではなかった。



 「・・マリアには酷かもしれないけど、私たちに出来るのは支えることだけ。・・レオンハートである以上、この痛みは避けては通れないのですから」



 自他ともに認める、愛情深い一族。

 正直、美談以上にトチ狂ったような話が多いレオンハートだが、そこにある愛情は確かで、疑う者はいない。


 だからこそ、彼らが抱く悲しみと痛みは・・必然的に、本人たちが抱えきれ程の重みを生む。



 マリアの手を包んでいた、優しく冷たい手に力が篭った。


 マーリンもまた、それを抱えるレオンハートが一人。

 重い愛情を抱え、癒える事のない傷と共に生きる者。


 彼女もレオンハートが生まれ持つ業を胸に、それでも変わらぬ姿を見せている。

 フィリアと同じ感情を持ちながら、フィリアを支え、見守ってくれていた。






 水面を漂うように、力なく浮かぶフィリアを手早く抱き抱え、その体を過剰なまでにタオルでぐるぐる巻きにするミミの焦りに、当のフィリアは傍観するかのようになすがままとなっていた。



 「ミリスさん!!流石にやりすぎです!!」



 水馬(ケルピー)に跨ったミリスは、二人の元に近づき、所在なさげに苦笑を溢し、頬を掻いた。


 ここ最近、似たような模擬戦が日課となっていたが、それでも、今日のは一層力が入ってしまったことはミリス自身も自覚していた。


 思わず加減を忘れてしまったというのは、つまり、フィリアの実力がそれだけついたという事でもあるのだが、そんな成長を素直に喜べる程、今のフィリアは平常ではなかった。



 「姫さま、少し熱いですね」



 冷えた水に浸かり少し寒く感じていたフィリアだが、その頬と額に手を当てたミミは表情を一層苦しげに歪めて告げた。


 それと共にミリスは自身に向け魔術を唱え、濡れた体と服を乾かし、ミミへと手を伸ばした。

 ミミもその手に従い、水馬(ケルピー)の背へとフィリアを抱え跨り、ミリスの腰へ掴まった。


 本当ならばフィリアの体も乾かしたいところだったが、今のフィリアの魔力はあまりに乱れていて、魔術をかける事は出来なかった。

 こんな時の為のリアは、ミミと共に岸辺に待機していたが、焦ったミミの独走に、一人岸辺でその帰りを待っていた。



 「・・ミリス、どうだった?」


 「姫さま・・」



 フィリアは先の模擬戦の感想を求め、そんなフィリアにミミは呆れと不安を滲ませた。

 しかし、今はそんな事よりにも・・などという言葉は継げない。レオンハートの魔術に関する研鑽へ水を差す事は出来ない。



 「・・・分身や、蝶は意外性もありましたし、終盤のいざという瞬間に使った事も効果的です。しかし、それに伴う姫様の集中力の方が足りていませんでしたね。少々粗が目立ち、せっかくの幻影も一目で見破れる程度では囮にもなりません。寧ろ序盤の牽制方が油断ならないものでした。・・姫様の課題は、圧倒的持久力の無さです。後半になるにつれ集中力が欠け、術式を構築するよりも想像力に頼る魔法を多用していましたが、術式よりも、曖昧な想像力の方にこそ精神的余裕が必要です」



 ミリスにもミミの感情は伝わっている。

 しかし、ミリスも同様、レオンハートの臣下。


 いつものフィリアにならばまだしも、今の、レオンハートの一人として魔導に向き合うフィリアに、答えぬ事は出来なかった。



 「更に、姫様の浮遊術は、お世辞抜きで世界屈指の超絶技巧です。・・正直、手足を動かすよりも自在に動けていますしね。ですが同時に・・いえ、それ故でしょうか。・・姫様の僅かな機敏に姫様が思っていらっしゃる以上に左右されています。・・咄嗟の場面でも、何度か、重心がズレたり、自身の身体能力を見誤る事も多々あります。普段ならまだしも、勝負の時。それも明暗を分けるような刹那の場面でそれは致命的です」



 その指摘は、フィリア自身、思い当たる事があるどころか、気にしていた部分でもあった。


 転生して二年。

 未だ、自身の意識や感覚と、『フィリア』の身体に齟齬がある。


 男と女。成人と幼児。

 魔力の有無だってそうだし、この世界の法則も異なる部分が多い。


 そもそも前世では三十年近くも染み付いた感覚だ。

 咄嗟の場面や、ふとした瞬間に蘇る感覚は寧ろ違和感なく、動き出し実感する瞬間までそれにすら気づけない。


 これまでもそれを感じることは多々あった。

 些細な違和感で、意識しなければ気にならない程に僅かなものでもそれはあった。


 しかし、この二ヶ月はそれをより確かに感じていた。



 「姫さま・・?」


 「・・・あれだけ動かれれば無理もないでしょう」



 フィリアは堪えきれず、ミミの腕の中、寝息を立てていた。


 荒い呼吸と、赤ら顔のフィリア。

 明らかに熱が上がっているが、ミミはそんな状態のフィリアの方が安堵できた。


 このところのフィリアは、少し前に比べて、問題行動は少ない。

 だが、今のフィリアの方が、皆の不安と心配が大きかった。



 フィリアを気遣うように、水馬(ケルピー)もあまり揺らさないよう静かに水面を進む。



 「このところの姫様の成長は目を見張るものがあります。・・素直に喜べるものではありませんが」


 「毎日毎日、このように気を失うまで研鑽されていれば、嫌でも成長いたしますよ」



 主人の成長、それは本来、手放しで喜ぶもの。

 況してやここ最近の目を見張る成長が最も大きなものは、魔術や魔法といった、レオンハートにとって誇るべき成果。


 しかし、わかってはいても、やはりそれを素直に賞賛など出来ようもなかった。






 「私たちも戻りましょうか」



 三人を乗せ岸辺に向かう水馬(ケルピー)を見て、マーリンはそう呟いて杖を振るった。



 『赤目の巨魚(スイミー)



 するとゴンドラの船底を蠢く水が運び始めた。



 「それは・・姫様の」


 「えぇ。先日、あの子が初めて創った魔術。・・初めてでこの精度は、正直脱帽ね。無駄は多いけれど矛盾なく発動出来るのだもの、及第点以上だわ」


 「・・ここ最近、ベットの上でも取り憑かれたように魔術の勉強をなさっております」



 気を失う程の実技に、フィリアの虚弱な身体が耐え切れるわけがなく、いつものようにベットの住人となる。

 しかし、それでも、休むことなくフィリアは自身の研鑽に励んでいた。それは狂気にも感じられるほど。


 それこそ、このところフィリアの部屋に集まる本は、その表紙すら開かれることもない。

 だが、フィリアの読書量が減った訳ではない。寧ろ読む量だけで言えば増えている。



 「不満?」


 「いえ・・そんな・・」



 マリアは否定するが、彼女らしくなく表情には分かりやすく影が落ちている。



 「・・マリアも初めてだったわね。・・私たちレオンハートが家族を亡くす場面に立ち会うのは・・」


 「はい・・」


 「・・・私の時は論文だったわね」



 水面の魔術を観察しながらマーリンは呟いた。



 「私が初めて家族を失ったのはお祖父様だったわ。八歳の頃ね。・・上手く感情を飲み込めず、現実逃避から、今のあの子のようになって、私は論文を片っ端から読みふけったわ。・・その中に当時、錬金術の分野で権威を振るってた人の論文があったの。それを私なりに考察し、実験し、質問書を送ったのだけど、それが思った以上に評価してもらえてね・・・それが、私の錬金術師としての始まり」



 今では、世界最高峰の錬金術師として名を馳せるマーリン。

 その始まりが、自暴自棄な現実逃避だったとは・・マリアも初めて知った。



 「・・うん。魔術自体の継続には問題ないわね。・・でも魔力消費は課題ね。あの子自身は魔力が豊富だから、そのあたりの配慮がかけているのでしょうね」



 マーリンは観察と共にメモを取りながら云々と魔術の考察をしている。


 当時、まだ幼い少女が錬金術会に投じた衝撃は有名で、それを成したのがレオンハートの子女だとしても、幼い少女の結果を受け入れがたい錬金術師からの非難も多かった。

 更に、その元となった論文が錬金術の権威が書いたものとあって、その論争は当時の錬金術会を大きく揺るがす程大きくなっていった。


 その時、マリアはまだ生まれて間もなかったが、その出来事はあまりに大きい影響を及ぼしたがために、教科書に乗るほどで、当たり前のように学んだことだった。



 「フィーは本当に優秀ね。・・だけど、魔術式の製作に関してはメアリィちゃんが優秀すぎて、流石のフィーも見劣りするわね。・・発想力自体は天才的だけど」



 マリアはその呟きにフィリアへの心配を消し、顔を青ざめさせた。


 才能の塊。天才児。

 そんなフィリアの異常性は誰よりも知っている。


 なのに、自身の娘がそれを一端であっても超えるなど・・。



 恐怖と不安に、目眩がした。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ