12 ブラコンの聖戦
ぺしっ
「・・・・・」
剣呑な眼差しでひたと視線を固定するフィリアはリリアの膝の上にいた。
苦笑を浮かべたリリアの膝の上で先ほど迄の明るかった表情はどこかへやってしまったフィリアは払われた手をもう一度、今度は戸惑いや躊躇もなしに素早く手を伸ばした。
ぺしっ
「・・・・・」
にべもなく同じように払われた手。
フィリアの口は不機嫌にへの字を描き一層難しい表情を見せた。
ぺしっ
先程よりも素早く。
ぺしっ
容赦も何もかもを捨てて。
ぺしっぺしっぺしっぺしっぺしっぺしっぺしっ
「うううぅぅぅぅぅぅあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
意地となったフィリアの数多の手管は幾度も手を払われた。
何度も何度もそれはもう大人気なく。・・・まぁ赤子なのだけれど。
そしてその相手は赤毛にエメラルドグリーンの瞳を持つフィリアと同じ年の男児。
同い年。つまりは1歳の赤ん坊である。
その男の子は無表情で一切の感情も見せず、只々しつこく伸ばされるフィリアの手を容赦なく打ち払っていた。
フィリアと同じように母の膝に乗せられているため男の子の母もまたリリアと同じように困ったように苦笑を浮かべていた。
なぜこうなっているのか。
その理由はわかりやすく男児の腕に抱えられている。
小さな体躯と同じくらい、幼い腕には大きすぎる一冊の本。
緑色の装丁に白い線が走っている。その厚みもさる事ながら重厚な造りから辞書と見まごう大きな本。
パーティーが始まって直ぐに簡単な挨拶と紹介を終えると家族は皆並んで上座の席へと付き、そこからは来賓の人たちからの終わりの見えない祝辞面談が始まった。
フィリアは直ぐに飽き、落ち着きをなくした。
体はともかく中身はオッサンなのだから耐えればいいもののフィリアからは抜け落ちてしまっていたようだ。
暇を持て余したフィリアにいち早く気づいたのはフリード。
彼は使用人に何やらアイコンタクトを飛ばすと使用人は心得たとばかりに動き出した。
姿を消した使用人は直ぐに戻ってきて包装されたプレゼントをフリードに手渡し、それをそのままフィリアに笑顔で差し出した。
「誕生日プレゼントだよ」
フィリアは一瞬キョトンとして「このタイミングで?」と自身の態度に鈍感な様子で反応したが周りから見ればフリードはとても出来た兄に見えただろう。
一体どちらが大人なのか・・・。いやフィリアは確かに妹で一歳なのだが・・何か釈然としない。
そしてフィリアも退屈が勝っていたので兄からの免罪符に喜んで飛びついた。
満面の笑みを見せフリードに短い両手を精一杯伸ばした。
フリードはそんなフィリアの様子に眉根を寄せ、困ったように笑ったがフィリアの意図を叶えてその軽い身体を抱き上げ、フィリアの指定席である膝の上へと乗せた。
その間も挨拶は続きフリードはその状態を軽く侘び、相手も微笑ましいものを見る様子でその侘びに返礼を返す、というやり取りを繰り返した。
しかしそんな大人な対応とやり取りを頭上で繰り広げられているにも関わらず当の自称大人な1歳児は腕に収まらない大きさのプレゼントに意識がいっぱいだ。
本当にどちらが大人なのか・・。
フィリアは高ぶるワクワクに抗えず丁寧な包装を剥がしていく。
幼く繊細な動きに制限のある手。その上赤子には大きい対象のそれはどれだけ丁寧に剥がそうと試みても直ぐに限度があり、裂くように包装を剥いていく。
小さな手の効率は悪く中々進まない。だがそれも今のフィリアには最高のスパイスとなっていた。もどかしい思いも中々に高揚をさらに掻き立てる。目は爛々と鼻歌を漏らしウキウキと体を揺らす。
ようやく中身が見えるとそこには緑色に白色の繊細な模様が描かれたものが見えてきた。
「あ!!」
それだけでフィリアにはその正体がわかった。
フィリアの手が早さを増し先程までなるべく丁寧に・・出来てはいなかったが・・少しでも綺麗にと思っていた動きがそれよりも中身へと流行る衝動を優先させた。
「ふぁぁーーー」
取り出すとそこにはフィリアの予想通り、一冊の大きな本があった。
目を煌めかせ、感激の声を漏らし、その本を見つめるとギュッと抱きしめ。
惚けた笑みで頬ずりし始めた。
「ふへへ~」
気色の悪い声をこぼすフィリアの頭を優しく撫でるフリード。
愛おしげに微笑むがそれはシスコンのフィルターが確実に作用している。
フィリアはひとしきり頬ずりに満足すると頭を撫でるフリードを振り返り。
「ふいーどにいたま。あいあとうおあいましゅ」
きっと「フリード兄様。ありがとうございます」だろう。
拙い言葉は舌っ足らずでまだ難があったが、フリードには十分に伝わった。
フリードは一層笑みを深めた。
「ふへへ~」
フィリアの気色悪い笑みも付いてフリードは満足気だ。
「フィーが一番好きな本だったからね。欲しかったんでしょ?」
フリードの笑みにコクコクと頷き更に「ふへへ」と声が漏れている。
大好きな兄に自身の欲しいモノが伝わっていたのが嬉しくて仕方なかった。
「僕のは古くなっていたからね。ちょうど新装版が最近出たからフィーなら喜んでくれるかなってね」
「ふいーどにいたま、たいしゅき!!」
おそらく「フリード兄様、大好き!!」だろう。
拙い愛の告白と共に本ごとフリードに抱きつくフィリア。膝の上で実に器用な動きだ。
「僕も大好きだよ」
例に漏れずフリードには伝わったようだ。
フリードもフィリアに抱擁を返し頭頂部に唇を落とした。
その様子はもちろん他人の目もある中で。
完全に二人の世界だったがそこは一番目立つ位置な上に、本日の主人公自身である。
微笑ましく見るものは多いが、同じように苦笑を浮かべるものもまた多い。
それでもその場の者の心は大抵同じである。
―――レオンハートだなぁ・・
そんな同意を得てしまう一族・・いいのだろうか。
更にそんな一族たちはフリードとフィリアの様子にソワソワとしだしたが、挨拶と祝辞がまだあるためになんとか耐えてはいる。
しかし、「混ざりたい!!」という心の声はダダ漏れだ。
もちろん来客のの者は皆それに気づいているし呆れた息をも漏らすが皆心は同じ。
―――レオンハートだし・・・
本当にこんな一族でいいのだろうか・・。
フィリアは一時の抱擁を堪能するとフリードの膝の上で姿勢を正し本の表紙を見つめた。
少しばかり胸にさざめく緊張を深い深呼吸で押し込めるとゆっくりと本を開いた。
まだ新しく張った滲み一つない白紙。擦れていない紙の尖がりのある匂い。まだ指に馴染まず捲りにくい紙に僅かに手汗が滲み指の形に依れる。
そんなことにさえ満足感と愛おしさがこみ上げた。
そして最初のページを捲った。
息を飲んだ。
そこには所狭しと描かれた繊細で美しく細やかな絵が見開きいっぱいにあり目を奪った。
植物や動物。中には道具や武器。そして英雄や神々。
色彩豊かに一枚の絵画のように描かれたそれらはフィリアの前世にもあったがそれとは全く違う。
『天蓋ノ運命』
と、表紙に金字で銘打たれたこの本はフィリアがフリードに強請る程に惹かれた一冊。
これは新装版だと言っていたようにフリードが所有するのは古いものだったが、フィリアは内容を暗唱できるほどに繰り返し読んでもらった。
この本は幼児はもちろんフリードの歳にさえ難しい内容だったが二人は嬉々として楽しんでいた。
その理由の一端は挿絵にしてはあまりに美麗で目を惹く絵の数々だった。
フリードはその美しい挿絵に惹かれ、それをさらに理解しようと読み込み、その挿絵の意味や美しさの理由が解るたび充足感に満たされたものだった。
フィリアはそんなフリードから噛み砕き、わかりやすい注釈を加え、読みきかせてもらったのだ。
この世界の言語に不慣れなフィリアにも大いに興味を持たせた上に美麗な挿絵。
この本を好きになるには十分なきっかけであった。
しかもこの新装版は明らかにパワーアップしていた。
色彩は豊かさを増し、本の厚みも増し、更には一ページの文字数も増している。
フィリアの心は踊って踊って仕方ない。
そしてフィリアがこの本が好きな理由はもうひとつ。
むしろそれこそがこの本を気にかけたきっかけでもある。
それはこの本の内容。
天文学。星座。神話。
つまりは星の本。
フィリアの前世。綾瀬伸之。
趣味は天体観測。
父の職業は天文学者。
大学のサークルは天文部。
幼い頃から近所の図書館に通い本を読み尽くした。
そこでの決まり文句は「星の本を」だった。
つまりはフィリアのルーツ。
この本はそんなフィリアに大いな衝撃を与えた。
それもその筈だった。
世界が違うのだ。
そこにはフィリアのしらない星座や星星のオンパレード。
それに伴う逸話や神話、伝説なども知らないものばかり。中には地球でのものと似通ったものもあったが全く同じものは一つとしてない。
ヲタクといっていい程に星関係に思い入れがあったフィリアにとってはまさに狂喜乱舞の内容。
以来この本はフィリアにとっての聖書同然であった。
それのさらに上位互換。
フィリアの今の心情など知りたくもない。
鼻息荒く。絵や文字を指は卑猥になぞり。
上気した頬と潤んだ瞳は色気を持つ。
そんな一歳児。
気持ち悪くて仕方ない。
いつもより数割増しではあったが、こんな状態のフィリアに慣れっこのフリードは寧ろこんなに喜んでもらえたことに満足気で、愛おしげに頭を撫で続けていた。
しかし読んであげる事はしない。
普段は抱き抱えて読み聞かせるのが常ではあった。それはフリードの趣味であり癒しの時だった。
最初の頃は純粋に幼子への読み聞かせだったが『天蓋ノ運命』を機にフィリアの文字修学速度が以上なほどに上がり、難しい単語や言い回しもまだあったが、それでも今では大抵のものは読める迄になった。
時たまわからない言葉があったりしたら教えるが、それだけだった。
フリードはそれが寂しく、今でも簡単な絵本でも読み聞かせを行う。
端的に言って趣味である。
だがフィリアもそんなひと時が好きなため異論はない。
むしろ大好きな兄の抱擁と声。
役得だとして、辞する考えなど皆無だ。
寧ろ今ではフィリアの方から読書中のフリードの膝へお邪魔する事も屡々で、フリードもそれを当たり前に受け入れる。
そんな時はフリードに気を遣い朗読会は遠慮して二人で静かに本を読む。
気の使いどころを間違っているような気がするが・・。
ともかく1歳にして文字を習得したフィリアは恍惚とした表情で文字をなぞり、絵を視姦していた。
そんな気色悪い妹にどんな分厚いフィルターを通しているのか、至福な様子だと微笑んでフリードはあえて邪魔はしまいと朗読は控え挨拶を続けた。
余談だがそんな偏愛な兄妹のやり取りの最中に幾度も溢れたフリードの微笑み。
その度に黄色い声が漏れていた。
そこで時間を戻し。
にらみ合う二人の幼児。
正確には睨んでいるのはフィリアだけで男児の方は一貫の無表情。
そしてその男児の腕に抱えられた『本』こそ、大好きなフリードから送られたプレゼント。
フィリアにとって新たな聖書にして至上の宝。
幾度も手を伸ばしては払われ、一瞥の元に奪われた至宝。
フィリアの目にはもう限界いっぱいの涙が溢れる瀬戸際で留まり、唇は内側に巻かれワナワナと震えている。
男児の母は申し訳なさげにリリアとフィリアに声をかけリリアも困ったようにしてはいるが、フィリアの援護はしてくれないようだ。
レオンハートに嫁いだリリアは親バカの部類ではあったがまだ常識の範疇だったようだ。
子供同士。もっと言えば赤ん坊同士の小さな諍いに介入する気はない。
ましてや本を無碍にされる訳でもなく、男児の母の様子からフィリアのもとへ直ぐに返ってくるのは明白だ。
だがそんな常識や深慮さえも投げ去る者たち。
それが。
それこそが。
生粋のレオンハートだ。




