150 見上げれば、そこに
「・・肉体から離れた魂は、業火に罪を焼かれ、清流に洗い清められ、風に乗り世界を巡る、そして最後には大地に還り新たな生を得る。・・子供でも知っているような精霊信仰の常識だけど、ディーニが言いたいのはそういうことじゃなさそうね」
ナンシーの言葉にジキルドは頷いた。
「我々も魔術師の端くれ、当然信仰するのは精霊だ。・・だが、レオンハートの家としては、また別に、死に関しての信仰がある」
ジキルドは視線を促すように、フリードへと移した。
視線だけでジキルドの意を汲み取ったフリードもまたそれに頷きを返し、ナンシーに向かい合った。
「レオンハートが代々継承する『星を謳う者』。その『星』を納めた魔術書は十数冊ありますが、その全てに、表紙を開いた最初の一ページ目に決まって同じ一文があります。――――『夜空二灯リテ、悠久ノ観測ス』。・・精霊語の中でも特に古い単語と文体で書かれていますが、要は、『星』を残した術の製作者は、天上で『星』となって皆を見守る、という意味です」
「・・・死んだ人間は大地に還るのではなく、天上に招かれ、『星』となる」
ナンシーはその話を黙って聞いていた。
寧ろ、その話に肩を跳ねさせたのは、ジキルドの胸の中に蹲るフィリアだった。
「つまり・・ディーニもっていうこと?」
「私はどうだろうな・・、少々泥にまみれすぎているからな。・・・だがな、ナンシー。お前の父はきっと夜、見上げたその先にいる」
「パパが・・」
「故人が星になるというのは単なる解釈ですが、『星』を残した者が天上に招かれるというのは明記してありますからね。例え、伝承や宗教的なものだとしても、信じる価値はあると思います」
まだ、陽光の射し込む窓に目をやり見上げるように、ナンシーは視線を投げた。
「それにゼウロス様だけではなく、ナンシー、貴女の母君もまた、貴女を見守ってくれていると思いますよ。誰よりも近くで」
「ママ・・も?」
「えぇ。フィー。そうでしょう?」
フリードが声をかけたのは、震えるようにジキルドに縋るフィリアだった。
リーシャもフリードの声に覆いかぶさるようにしていた態勢をずらし、フィリアへ視線が集まった。
「こういう話は、私よりもフィーの方が詳しいですからね」
フィリアは暫し無言だったが、ジキルドの服を強く掴むと共に小さく声を出した。
「・・『こうまざ』の、『きたるふぁ』は、れんせいなのです」
「『レンセイ』・・といいますのは?」
「『連星』。所謂、双子星の事です。見た目は一つの恒星ですが、実際は複数の星からなる物です。『妖精の恋人』である『子馬座』の『真星』、『馬頭琴』も、また、その連星の一つです」
のそのそと起き上がったフィリアだが、その手は未だジキルドの服を強く握ったままで、不安を拭えていないのがわかりやすく伝わってくる。
「・・『こうまざ』のでんしょうは、しっていますか?」
「はい・・。簡単にではありますが」
「では、そこにあるしょうじょが、ようせいであったというのは?」
ちらりとジキルドを見たナンシーの様子から、ナンシーはジキルドからその話を聞いたことがあるのだろう。
「・・私と同じ、リャナンシーだったと・・・」
「えぇ・・。あくまで、しょせつあるなかの、ひとつですけれど」
「それが、何か・・?」
「・・でんしょうにある、しょうじょは、いのちにかえて、こをうんだといわれていますが、もし、そのしょうじょが、ようせいだというのならば、そのいみはおおきくかわります」
「・・・『転生術』」
「はい」
伝承にある少女は、子を産み事切れ、吟遊詩人が見つけた時には屍であったとあるが、それが妖精ならば意味が変わってくる。
吟遊詩人が連れ帰ったと言われる子馬は『誰』なのか・・。
あくまで、解釈や憶測であり。そもそも、寓話の話。
民俗学者の考察ではあるが、根拠と言えるようなものはほとんどない。
所謂、何処にでもある、本当は怖いなんとやら。
「このものがたりができたころは、まだ、れんせいだと、かんそくできるほどのぎじゅつはなかったはずです。『きたるふぁ』のれんせいがかくにんされたのは、ここひゃくねんほどですから。・・ですが、せんもんかのかたがたは、それがぐうぜんだとはおもわず、けんきゅうしているようです。・・ろまんですね」
「ロマン・・?」
「大叔父様が・・『子馬座』を『星』とした製作者がそれを知らないはずがないでしょうね」
「・・ここからは、ほんとうに、ただのおくそくです。・・ぜうろすさまが、それをしっていたとして、ぜうろすさまは、なにをおもって、『こうまざ』をえらんだのか・・。ふたごぼしにだれを、かさねていたのか」
「・・誰・・・」
額面通りに捉えるのであれば、それは歪んだ恋人への愛情。ナンシー自身の事を無視し、亡き妻の影を見ているという、自分勝手な愛。
だが、ゼウロスがそんな欲望を抱いていたなど、ありえない。
レオンハートであり、フィリアが見た、『星を謳う者』の観測からもそれが確信できる。
ジキルドが最も嫌うような『転生術』の考えを持って、この『星』を描く事など決してありえない。
ゼウロスの、ナンシーを、娘を想う愛に変な勘ぐりをする方が愚かと思える程に、純粋な親バカだったのだから。
そこで、ナンシーはフリードの言葉を思い出し、胸に手を当てた。
「・・ママは、私の中に、いるのですね・・」
「・・私は、そう思っています。今の話を聞けば、良い意味には聞こえないかもしれませんが、そのような他意などなく、素直に、亡くなった母君が貴女と共にあって見守ってくれているのだと」
「おにいさまは、あんがい、ろまんちすとですね」
「『ロマンチスト』?」
フィリアが惚気けるような微笑みをフリードに向けていたかと思えば、今度はナンシーへと視線を向けた。
ナンシーはそこに向けられた表情に顔を強ばらせた。
フィリアの表情は凪いでいるように穏やかなのに、あからさまに苦悶に歪むよりも、切なげに見えた。
「・・でも、おじいさまのかいしゃくは、またちがうとおもいます」
ジキルドを見れば、穏やかに・・本当に穏やかに微笑んでいた。
「そうだな・・・私は頭が固くてな。『転生術』に良い印象がない。・・だから、これは私の都合のいい解釈かもしれないが・・『馬頭琴』に見るものは少し違う・・」
「違うって?」
母との繋がりを否定されたような心持ちになって、ジキルドに向ける視線が鋭くなる。
「・・人は死んだら、どこに逝く?」
その再びの問い。
答えはもう知っている。
だからこそ、ナンシーは思わず視線を上げ、窓の外に目を向けた。
「パパ・・ママ・・・」
「・・傍ではなく、遥か遠い空の彼方ではあるが、・・二人は、今でも共に、寄り添いあって・・今も、愛娘を見守っているのではないかな」
フリードに負けぬロマンチックなジキルドの考え方。
だが、そんなジキルドの考えの方が不思議とナンシーの中に馴染んだ。
そして、それは、ナンシーにとって容易く想像できる、両親の姿だった。
まるで、目の前にあるようなその光景の中、両親は微笑み合い・・ナンシーに向くと、遠い記憶の中にあった、日だまりのような笑みを浮かべた。
『『リット』』
滅多に呼ばれたことのない、ナンシーの愛称。
真名に直結するそれを、最初に口したゼウロスはアンヌに思いっきり殴られていた。
だが、本当に時折、アンヌもナンシーをそう呼んだ。
最期の時も、どうせなら、その愛称で呼んで欲しかった――――
そんな懐かしさに目を細めて、何処か遠く、想いを馳せた。
「――――っ」
溢れた感情に、膝も震え、ナンシーは咄嗟にベットに手をついた。
悲しみが無いわけではないが、その涙の理由は、暗いものではなかった。
ようやく、安息地を見つけたような、心の強張りが溶けていく事への反動のようなものだった。
そんなナンシーに触れたのは、奇しくもナンシーがそんな感情を抱くきっかけになったジキルドだった。
怨敵。親の敵。
確かに、今は、少し前のような狂気に満ちたものはない。
だが、許せるわけなどない。当然、仲良く手を取り合うことなど考えられもしない。
それなのに、ついた手を優しく上から包み込むようなその手を振り払う事ができなかった。
寧ろ、その手に感じる確かな温もりに、抗えず、縋るようにその腕を抱き込んだ。
僅かな時間。
とは言え、本当はどれだけの時間があったのか。
一人一人に語りかけ、言葉を残すジキルド。
語り尽くすことの出来ない時間は、あまりにあっという間でもあったし。
多くを語る時間は、何日もの時間を費やしたかのように濃密な時間でもあった。
しかし、その時と共にジキルドの口数は減り、アンリが口を湿らせようとも、言葉は減るばかりだった。
それを埋めるように、周りの口数が増えるが、ジキルドからは頷きだけが返ってくる事が多くなっていった。
それでも、そこにある、ジキルドの表情は苦悶に歪むものでも、悲愴に影を落とすような事もなかった。
只々、穏やかに、安らかに、微笑む。
満たされたような幸福が、素直に表情に現れていた。
そして、そんな時間も、本当に僅かな時の中にしかなかった。
「・・少し、眠たくなってしまった」
「おじいさま・・・」
微笑むように穏やかなジキルドの声は、か細く、小さく、囁くように、消え入るもの。
アークは俯き拳に力を込め、マーリンは顔を逸らすように俯き雫を落とす。
リーシャは嗚咽を漏らし、フリードはその肩を抱き寄せるように支え自らも喉を鳴らした。
リリアの胸にアランは縋るように飛び込み、リリアもそれを抱きとめた。
「ディーニ・・」
ナンシーは握られた手に縋るように身を寄せ、そんなナンシーの姿にジキルドは、憂いが晴れたかのように、一層表情を穏やかにした。
「・・っ」
フィリアは上げていた顔を再びジキルドの胸へ埋めた。
しかし、今度はジキルドのみならずリーシャの服も強く握り締めていた。
「・・疲れましたね。・・少し休みましょう」
いつもと何ら変わらない、穏やかな笑みを向けるアンリ。
本当に僅かな休息を促すかのような、普段通りの声色。
しかし、それはあくまで目に見えるかぎり。
流石は大公妃として生きた女性、と言うべきだろうか。
だが同時にそのあまりに普段通りの姿は、アンリにそれ以上の余裕がない証拠でもあった。
故に、それが余計に周りの感情に拍車をかけた。
長年、というには余りにも短い夫婦生活。
されど、そこに築かれた絆は何処の夫婦にも負けないものだった。
「・・あぁ。ありがとう・・・・・アンリ・・私は・・・・」
――――君を愛している
言葉にならず眠りに落ちたジキルドの言葉だが、それはその場の皆に届いた。
「えぇ。私も、貴方を愛しています」
取り分け、アンリに届いた。
そして、アンリのこれ以上ない聖母のような笑みに、遂に涙が溢れた。
その日、自らを咎人と称した、魔導の王が、その短い一生を終えた。
最後は日溜まりに微睡むように眠り、家族に見守られ、レオンハートとしてこれ以上ない幸福に満ちた最期を迎えた。




