149 パパの日記
「ナンシー・・来てくれたのか・・」
「・・・」
表情を綻ばせるジキルドに対してナンシーの様子は全くの別物。
不快感や嫌悪感はないものの、戸惑いや迷いが出ている。
リーシャに引っ張られ、半ば無理やり連れてこられたのが明らかだった。
「・・お祖父様」
そのリーシャは、部屋に入って足を止めることなく、ジキルドの傍に寄るとそのままフィリアも同時に抱き込むようにジキルドの胸に身体を寄せた。
フィリアもまたその熱を背に感じ、ジキルドへの包容を深めた。
「リーシャが連れてきてくれたのか・・ありがとうな」
「私がお祖父様に出来る事はこれぐらいですから・・」
ジキルドは自身の胸に縋るような姉妹の頭にそっと手を置いた。
その時の反応は二人共あまりによく似ていて、微笑ましさに目を細めた。
そして、同時に、二人の今後を夢想するしかない、一抹の寂しさを湧かせた。
「・・ナンシー、こっちに来てくれるか」
僅かに浮かんだ未練を断ち切るようにジキルドは視線を動かし、未だ扉の近くで戸惑いを浮かべているナンシーに声をかけた。
だが、それでも、ナンシーの戸惑いは消えることなく、その場から動くのにも躊躇があった。
それでも、ナンシーは勇気を振り絞り、意を決したかのように一歩、また一歩とゆっくりとジキルドの元へ進み始めた。
その歩みを見守るように見つめるジキルドは、改めて、ナンシーの姿に、懐かしい面影を重ねていた。
義姉となったあの妖精そっくりの容姿。だが、似ているだけで同じではない。
本来ならば妖精の転生術らしくない事だが、それがナンシーへの両親からの愛の証明でもあった。
そして、色合いや仕草は、ジキルドにも馴染みのある、見慣れたものが多かった。
とても懐かしく、それでもって切ない感情を胸に湧かせる。
ナンシーの歩みはジキルドの傍に来ると一層躊躇が顕著となり、ゆっくりとしたものになった。
それでもジキルドは急かさず、その姿を目に焼けつけながらナンシーの歩みを待った。
そして、ようやく歩みを止めるほどに近くまでたどり着いたナンシーだが、未だ気持ちは戸惑いから抜けきれず、まごつく様に言葉を出しかけては飲み込むを繰り返した。
「アンリ・・」
そんなナンシーの姿に不快さを抱くこともなくジキルドはアンリに視線と言葉を投げた。
アンリはそれをわかっていたかのように、頷きや返事を返すよりも先にそっとジキルドの手に手紙を渡した。
それをジキルドは受け取り、一瞬眺めるように手を止めたが、すぐに、優しい眼差しと共にナンシーにその手紙を差し出した。
「・・ナンシー、遅くなって申し訳ない」
「・・・これは?」
ナンシーはその手紙を見つめ、そこまでの戸惑いとはまた違った戸惑いに眉を顰めた。
「兄さん・・ナンシーの父親、ゼウロスからの手紙だ」
「っ!?・・パパ、から・・の?」
「あぁ・・」
ナンシーは瞠目すると同時に、震える指先をその手紙に伸ばした。
壊れ物に触れるかのように、恐る恐るといった、慎重なものだが、その手は迷いなくその手紙に吸い寄せられていった。
怖々とした手が震えるが、受け取った瞬間、思った以上に厚みのあるその手紙に、夢幻ではないのだと、喉の奥からせり上がるものがあった。
「・・本当ならば、もっと早く渡したかったのだが・・思ったより遅くなってしまった」
「あんな強固な封印をするからですよ。専門の方々はおろか、術者である貴方自身でさえ解くのにこれほど時間が必要な程に頑強なものなど、さすがに過剰です」
「仕方あるまい・・ナンシーの存在を知るまで、誰にも渡すつもりなどなかったのだ」
「お義兄様の遺言ですのに・・」
「・・だとしても、所詮偽物程度になど渡すつもりなかったのだ。・・だが、兄さんも意地が悪い・・ナンシーのような娘がいるとは・・。現金な話だが、同じ転生術でも、ナンシーは全く違う・・本当に、私が浅慮だったよ」
「そうですね。お義兄様にも、ナンシーにも、もちろん、お義姉様にも詫びるべきですね」
元々ジキルドは妖精の転生術というものに忌避感が強かった。
だから、もし、ゼウロスとの約束を果たす相手が現れたとしても、それを受け入れることなど出来ないと思っていた。・・あの日、その約束を本来、果たすべき相手は、そのゼウロスと共に旅ったのだからと。
だが、ナンシーが現れた。
クローンのようなものとは全く異なる、『ナンシー』という個人。
見た目は瓜二つでも、そこにジキルドが忌避する理由はなく。
寧ろ、ナンシーの中に垣間見えるものに愛おしさを抱いた。
自己中心的で、少々都合のいいような理屈だが、理解できなくはない。
「・・・」
「開けてみなさい」
先に検分はされていたのだろう、封蝋は割られ代わりにリボンで丁寧に結ばれている。
ナンシーはそのリボンを静かに解き、中身を開いた。
その中には、一冊の手帳と、羊皮紙。そして、数枚の便箋。
「・・申し訳ないが、先に中身は検めさせてもらっている。その魔導紙も後でアークかゼウスに渡してやって欲しい」
そう言われ、ナンシーは最初に羊皮紙を広げた。
そこには、複雑な術式と魔法陣が書かれ、その注釈と詠唱が羊皮紙の隅々まで隙間なく記されていた。
「・・それは『星』。・・『星を謳う者』の『妖精の恋人』。その魔導紙だ」
ナンシーが見つめる魔導紙は、全て精霊語で書かれナンシーはその全てを読むことは出来ない。
しかし、題名のように周りの文字よりも大きく、一番目立つ位置に書かれた文字ぐらいは読めた。
それが術名。『妖精の恋人』。
そして一つの単語に付いた発音する事のない符号。
それを見てナンシーの目に熱が込み上がった。
・・直訳するのならば、『愛しい、君たち』。
「一応内容は納めてあるが、それは原文だからな。レオンハートとしては重要資料として厳重に保管しないといけない。・・だが、せめて一目、見せられたらと思ってな」
それは、間違いなく父が、母と娘を想っていた証。
ナンシーは一度、瞼を閉じ、その羊皮紙を皺にならない程度に抱きしめ、丁寧に折り畳んだ。
次にナンシーが開いたのは手帳。
古ぼけて使い込まれた革の表紙と、間には付箋や便箋、他にも枯れた草花や布切れまで挟まっている。
カサリ、という今にも崩れそうな音を鳴らし表紙を開いた瞬間、ナンシーは手を止めた。
そこには紙の切れ端に描かれた同じ顔の二人がいた。
同じ顔といえど、片方は無邪気で幼い少女。もう片方は、今のナンシーによく似た年頃の女性。
・・言うまでもなく、ナンシーとその母だった。
じゃれあうように寄り添い、満面の笑みを向け合う二人の姿は、あまりに懐かしい日常を思い出させ、知らぬ者が見ても、幸せで温かな二人だと一目でわかるような絵だった。
「その手帳には、兄さんがナンシーの母と出会ってからの事を事細かに記してあった。・・
しかしナンシーの事は何も書かれていなくてな。・・唯一その絵だけが残っていたが、同じ顔だしな、まさか娘がいるなどとは思いもしなかった。色が入っていれば気づけたかもしれないが、私的な手記にさえも残さず、ナンシーの存在を隠し通したのだ。そんなことを兄さんがしないだろうな」
それでも、愛する娘の存在を残し、肌身離さず持ちたかったゼウロスのせめても妥協がその絵だったのだろう。
「・・だが、ナンシーと出会って、辻褄もあったよ。・・真ん中あたりのページを開いてごらん」
ジキルドの言葉に従い、少し膨らんで空いていた隙間を開くように真ん中あたりを開くと、そこには、文章ではなく多くの絵が描かれていた。
その絵はさっきのものとは違い、図鑑のような鮮明な絵で、草花などの特徴を記したもの。
ナンシーには思い当たるものしかない。
ナンシーは、誘わられるようにもう一ページ捲った。
すると今度は、絵付きの料理レシピが載っていた。
『・・どうだい?お姫様』
『んー・・ちょっと辛いかも。それにこの芋、火が通ってないよ』
『あぁだからか。さっきから腹の調子が良くないのは』
『ちょっ、パパ!?』
『・・・これは、焔草。毒だって』
『じゃぁ・・次はこれだ』
『・・・・えっと、これは・・閻魔茸。猛毒』
『何!?・・じゃぁ、次は』
『パパ・・。全部毒だと思う。だって色おかしいもん』
『そんなはずは・・・あ』
『・・それは、毛虫蕗。細かな毛のような刺があって、素手で触ったら、しばらく麻痺するやつ・・・それこの間も同じ目にあってたやつでしょ』
『パパ。あれは?』
『ありゃぁ、鳳座だな』
『じゃぁあっちは?』
『水瓶座だな』
『その隣のは?』
『確か・・子馬座だったかな』
そこには、ナンシーの記憶・・思い出が描かれていた。
文章や言葉では残せなくとも、明瞭に描かれた思い出。
「義姉さん・・ナンシーの母が床に伏せるようになってから、絵が増えた。その頃にナンシーが生まれたのだろうな」
「パパ・・っ」
こちらを見つめて何かを書いていた父の姿を思い出す。
いつも、穏やかで優しい表情を浮かべ手帳を開いていた。
「・・もう一つ。一緒に入っていた便箋には精霊語で手紙が書かれていた。最初は何故わざわざ精霊語なのかと思っていたが、精霊語は直訳と本当の意味が異なることがよくある。・・その手紙も、ナンシーの事を知ってから読めば、まるで意味が違って来る。・・父さんはもしかしたら知っていたのかもしれないな・・その手紙を大切に保管するように言ったのはあの人だったからな」
ナンシーの目に溢れる涙は止めどなく地面に落ちていく。
おそらく、ナンシー自身、自分が泣いていると言う事に気づいていない。
彼女は、父の残したものを見つめながらも、それでなく、そこに蘇る懐かしき光景を見ていた。
「・・・その手紙は間違いなく、ナンシー。お前たちに向けた二人への恋文だよ」
ジキルドはようやく役目を果たしたかのように、穏やかで憑き物の落ちた表情でナンシーを眺めていた。
そして、独り言でも呟くかのように、静かにナンシーに問うた。
「ナンシー。人は死んだらどうなると思う?」
不思議とその小さな声は、素直に耳へと届いた。
ナンシーは視線を上げ、ジキルドを見つめた。
同時に、その言葉はフィリアの耳に残響のように鳴り響いた。




