147 大人びた長男
緋い陽光が差し込む部屋の中、誰もが口を噤み、成り行きを見守っていた。
部屋の真ん中。大きなベットの上。
そこには、窶れた老父・・ジキルドが横たわっていた。
ここの所、見るたびに老いていくジキルド。
一足飛びで歳を重ねていくようなその姿は、レオンハートの運命。
『祝福と呪い』、そのものだった。
そんなジキルドの傍に立ち、嗚咽を零すアラン。
彼は、ジキルドからの最後の言葉をもらい、その感情を押し殺せず溢れさせていた。
ジキルドはそんなアランの姿に、申し訳なさと同時に慕われている喜びを抱き、穏やかな笑みをアランに向けていた。
そこに、新たな来訪者が部屋に入ってきた。
ジキルドはゆっくりと視線だけを向け、それを確認すると笑みを深めた。
「・・フリード、フィー・・・それに、ゼウス・・ありがとう」
孫二人の来訪に愛好を見せ、ゼウスの姿、豪奢な正装を見て更に笑みを深めた。
そして、目礼での感謝を述べた。
それと共に涙に濡れたアランは、傍に寄ったリリアに支えられるようにして部屋の隅へと下がり、今度は、ジキルドによってフィリアたちが招かれた。
フィリアたちを招く、ジキルドの手はやせ細り、細かく震えていた。
最早、ジキルドの筋力は自身の身体さえ支えられないほどに衰えている証拠だった。
「フリード、来なさい」
そんなジキルドの声を代弁するかのように、ジキルドのすぐ傍に座るアークが穏やかにフリードを呼んだ。
フリードは一度、頭の上の三角帽を握り込み深く被ると、大きく息を吸い、顔を上げた。
そして、ゼウスに三角帽を返すと、一歩一歩重い足取りを進めた。
「フリード」
「・・お祖父様」
背中に枕を挟み、多少は身体を起こしてはいるが、それでも寝たきりなのには変わらない。
そんなジキルドと視線を合わせようとフリードは床に膝を付きジキルドの手に自身の手を乗せた。
「・・こんな姿で、申し訳ないな」
「そんな・・」
「だが、皆に会えて・・嬉しいよ」
ジキルドの声は掠れていて、話すジキルドも苦しさが滲んでいるが、それ以上に喜色が色濃く浮かんでいた。
そこにアンリが水を含ませたハンカチを口に当て、ジキルドの口を僅かに湿らせた。
それだけでジキルドの違和感がだいぶ緩和されたようで、表情もより柔らかなものになった。
そして、改めてフリードを見つめたジキルドは、眩しいものを見るように眼を細めた。
「フリードは、実に立派な後継者になったな」
「いえ、そんな・・まだまだ至らない事ばかりです・・」
「・・謙遜するな。・・あとは『命題』を決めるだけだな。・・何か、決めているものでもあるのか?」
「いえ・・まだ・・」
魔術師が掲げる『命題』とは、生涯を賭して挑む、自身の研究テーマの事。
魔術師とは、つまるところ一人の研究者であり学士。
故に、それぞれが、探求する真理がある。
そして、その『命題』を得る事こそが魔術師としての最初の一歩でもある。
「では、これを、参考の一つに」
ジキルドは枕元から、一冊の使い込まれた革手帳を差し出した。
「・・これは?」
「代々の大公が残す手記、その私分の手記だ。もちろん、内容は清書して歴代の大公と同じく『心臓』に保管してあるから、気にせずフリードが持っていていい。・・この中には、世界中を旅して見知った、不思議や謎、伝承や現象を記してある。よければ、選択肢を増やすのに、何かの参考にしなさい」
ジキルドの手から手記を恭しく受け取るフリード。
だが、いつもならどんなものでも読み物となれば、普段は見れぬ年相応の表情で喜々とした顔を見せるフリードが、俯いたような表情をしていた。
この場の意味を考えれば、それも当然なのかもしれない。
だが、フリードの様子はそれだけが原因ではない。
無言で受け取った手記を見つめるフリードに、ジキルドは静かに微笑んだ。
「・・レオンハートであり、大公。だがな、フリード。だからといって『命題』を縛る必要はない。・・最先端の研究、伝統的な学術、または革新的な発見。そんなものは必要ない。異端なものでも偏執的なものでもいい。・・もっと言えば、例え何の成果も出せなかったとして、それでもいいのだ。我々はレオンハートや大公である以前に、一人の魔術師なのだ。そこを履き違えてはいけない。己が探究心と好奇心に正直に、それが魔術に対する最低限の礼儀であり、それこそレオンハートが何よりも遵守するべきもの。そこに立場やら何やらを持ち込むのは無粋だろう?」
フリードは、おそらく歴代のレオンハートの中でも特に広い知識を持っている。
それはフリード自身が好きで身につけたものだが、次代の後継者として確かな糧となる。
その証拠に、フリードは既に大公としての執務を少しずつ担い、着実に次期大公として賞賛を集めている。
しかし、それ故に、責任や周囲からの印象を、無意識に背負い始めていた。
それは、人として普通の事なのかもしれない。
だが、レオンハートとしては、とてもらしくない。
自由奔放で、傍若無人。
人の目はもちろん、自身を縛るもの全てを無視し、嘲笑うような身勝手一族。
そんな一族にありながら、フリードの姿は人間らしいと同時に、異質だった。
とは言え、それがおかしな事とは言わない。フリードは思春期に差し掛かる年頃。
一から十までの全てを背負い込み、答えのない問題に真正面から挑む頃。
況してやフリードは、大人顔負けの知恵者。
心が不安定であろうと、その知識は翳らない。寧ろ、それ故に、人よりも考えすぎてしまう。
そしてそれが、本来広い筈のフリードの世界を縛り、狭めていた。
「・・安心しなさい、フリード。我らは魔導王。私たちが進む道が王道なのだ。何も杞憂することなどない。・・思うがままに、望むがままにしなさい。私たちはレオンハートなのだから」
聞くものが聞けば、はた迷惑にも思える持論。
だが、それでこそ・・それだからこそ、彼らは、魔導に携わる数多の者たちから、憧憬と畏れを集める、魔導の頂、魔導王足り得るのだ。
「お祖父様・・」
そこでフリードは俯き、溢れる漏れるものを堪えるように歯を食いしばった。
ジキルドはそんなフリードを見て苦笑を零した。
「複雑だな・・。祖父としては泣いて欲しくないし、先代大公としても理由は違うが泣くなと言わざるをえない。・・だが、フリードの為を想えば、泣いたり、感情を曝け出せる機会を望ましいとも思ってしまう・・なんとも身勝手な事だがな」
フリードの背に温かな手が添えられた。
それは、傍で無言のまま成り行きを見守ってくれていたアークのものだった。
フリードが唯一と言ってもいいほどに、弱音を晒す存在。
普段ならばそれでも、いつも通りでいられたが、流石にこの瞬間にまでそんな余裕はなく、アークの存在がフリードの心に隙を与えた。
泣くと言うよりも、自然と溢れ漏れたような涙が、頬を伝った。
それを見て、ジキルドとアークは小さく、愛おしげに微笑んだ。
「・・アーク」
「はい。・・フリード、これを」
ジキルドの言葉を受けアークは筒状に丸められた紙をフリードに差し出した。
「・・魔導紙、ですか?」
受け取った紙は、普段使うものより厚めの羊皮紙。
丸めた紙が開かぬようリボンが巻かれ、封蝋までしてある。
「それには、私の『星』が書かれている」
「・・『星』・・・『星を謳う者』・・ですか」
星を謳う者を継いだ者は、時代にそれを伝えるのと同時に、新たな『星』を残さなければならない。
そして、その『星』は創作者の死後に受け継がれ、『星を謳う者』に新たな『星』が加わることになる。
しかし、『星』もまた『星を謳う者』と言う魔術の一つ。
術式や詠唱を残そうにも、普通の紙であれば、書き記した瞬間に術が発動し、それに耐え切れない紙は消失するか、最悪、暴発さえする可能性もある。
その為、特殊な溶液に浸し、特殊なインクを用いる魔導紙を使う。
また、この魔導紙は、魔術を簡単に使える、使い捨ての一般的な魔導紙とは違い、術を発動できないよう加工された、特別なもの。
況してや、内容が内容なだけに、誰でも触れられるようなものではない。
それを許されたのは、フリードだからだろう。
「今、『星を謳う者』を継いでいるのは、ゼウスとフリードだけだ。・・将来的にはフィーも継ぐかもしれんが、今はまだ学び始めたばかりだしな。・・・原文たる、その魔導紙に触れられるのは一人だけ・・その役目フリードに託していいか?」
つまりは、この術を会得し、後世に残すのはフリードという事。
ゼウスやフィリアに教える事はもちろん、『心臓』へ記すのもフリードの役目。
それは、魔導を統べる、魔術師の王たるレオンハート大公の最も大事な役割。
それも『星を謳う者』と言う、レオンハートにとっても特別な術。
「背負い込むなと言った矢先に、何だがな」
「・・・ありがとう、ございます」
ジキルドはそう言ったが、それはジキルドとアークからの贈り物でもあった。
聡明なフリードはそれを正しく受け取り、二人からのエールに心よりの謝辞を述べた。
そんな優秀すぎるフリードの察しの良さに、気恥ずかしげに微笑んだジキルドとアーク。
だが、同時に、そんなフリードを誇らしくも思った。
俯くフリードの表情はわからない。
それでも、少し覗き見える口端は、柔らかく、年相応の表情を想像させた。
「フィー」
そして、フリードは顔を上げると同時に、振り向き、フィリアを呼んだ。
フィリアは、相変わらずクッションと同化しそうなほどに丸まって、ゼウスの腕の中にいた。
ゼウスはゆっくりと足を進め、傍まで来ると、フィリアとフリードの視線を合わせるよう膝を折った。
しかし、フィリアはそのゼウスの動きに反応し、更に深く縋るようにゼウスの胸に身体を埋めた。
ゼウスの腕の中、僅かに、盗み見るように視線を動かした。
穏やかだが、何処か困ったような最愛の兄、そして、その後ろにはベットの上からこちらを見つめる大好きな祖父の姿があった。
やせ細り、骨ばって、目も凹んだジキルドの姿に顔が強張る。
ほんの一月前までとはまるで違う姿。
それでも、浮かべる穏やかな表情と優しい瞳は見慣れたもので、余計にフィリアの手に力が篭もり、ゼウスの服とクッションの皺が深くなる。
「フィー」
その声に肩が跳ねる。
声は同じでも・・いや、同じだからこそ、枯れたように掠れたその声が怖かった。
死神の足音。
それを感じるようだった。




