142 新たな種
「――――書類関係はご実家の方にお送り致しますね――――」
「――――一応、城内にも部屋はありますが、ご希望でしたら通いも可能です――――」
サティと名乗った使用人の話が片耳から入ってはそのまま通り抜けていく。
何一つ内容が入ってこないまま、気づけば水路に面した格子の門を潜って城外へと出ていた。
「では、詳しい日程は後ほど他の書類と共にお送り致しますので、そちらでご確認ください。一緒に働ける日を楽しみにしています」
笑顔で見送るサティに、何も返せず呆然としたまま閉まる門を見上げていた。
そして、しばしの間、魂を手放し立ち尽くし、腕に抱えていた荷物を落とすと同時に、現実が襲い掛かり、天を仰いだ。
「どうしてこうなった!?」
慟哭のような心からの叫びに答えるものはいない。
ただ、門の守衛が不憫そうに視線をやるも、同情するのみで、直ぐに見ないふりをして視線を逸らした。
この日、彼女。シェリルは誰も羨む就職先への採用をもらった。
本人が望むものではないだろうが、間違いなく最優良雇用だった。
「うぅ・・もう、嫌・・・」
シェリルは膝を抱くように蹲って、小さくごちた。
その涙に似た絶望は、はらりと地面に落ち消えるだけ。
少しの間そのまま、消えたりしないかと、現実逃避にも似た挑戦をしていたが、そんな望みは当然叶う事などなく、シェリルは、ふらりと立ち上がり、ふらふらとその場を立ち去った。
その背には守衛の、哀悼が送られたが、今のシェリルには慰めにもならない。
浮つくような街の賑やかさも、今のシェリルの心を晴らしてくれなどしない。
寧ろ、はしゃぐような喧騒に目眩さえ覚える。
「・・お母さんたちになんて言おう・・・」
シェリル自身の心情もそうだが、それ以上に、家族を魔術師の元に送るなど、どんな気持ちだろう。
況してや、かつて獣人など実験動物程度にしか思っていなかった連中、その親玉たる魔導王に送るなど・・。
おそらく、戦地に送り出す以上の悲劇だろう。
かと言って、天下の五大公の採用を、大した理由もなく。それもこちらから応募しておきながら断るなど出来ようもない。
たとえ貴族でも許されないような事だ。それを平民、それも貧民に近いようなシェリルになど、選択肢などない。
屋台も多く並ぶ賑やかな街の中。
シェリルは今自分が地面に立っているのかも曖昧なまま、足を動かしていた。
更には前も見ず、俯くように歩くシェリル。
「っきゃ!?」
「わっ!?」
何もなくとも人の多いルーティア。それに加え、今は祭りの真っ只中。
当然人混みも普段の比ではない。
シェリルが人とぶつかるのも当然だった。
思わず尻餅をつくように弾き飛ばされたシェリルだが、それは相手も同様で、腰を摩る様にして、痛みに表情を歪めていた。
「ごめんなさいっ、ぼーとしていて・・」
「いえいえ、こちらこそ申し訳ありません。息子の勢いに引き摺られてしまって・・お怪我はありませんでしたか?」
「あ、はい。私は何とも。そちらこそお怪我は・・」
「いえ。大丈夫ですよ」
物腰柔らかな男性は、心配かけないように微笑みを返してくれたが、明らかに腰を痛めたように立ち上がるのにも、表情を歪めていた。
シェリルも土汚れを手で払いながら立ち上がり、男の様子を伺った。
「・・腰を痛めたのでは・・・」
「・・あぁ。これは、元からですから、お気になさらないでください」
「ですが・・」
「最近は座り仕事が多いもので・・いやぁ歳は取りたくないものです」
物腰が柔らかいというより、何処か頼りなさげな印象の男。
だが、人が良いのは間違いなさそうだ。
「・・・じゅう、じ、ん・・」
その声に視線を向けた先にいたのは、幼い少年。
先程、顔を合わせたフィリアと同い年くらいだろうか。
「ルーク!!・・申し訳ありません、不躾に。この子『獣人』の方を見るのが初めてでして・・」
「い、いえ。この地では、獣人も珍しいでしょうから」
慌ててルークと呼ばれた少年の頭を掴むように下げさせ、男も共に深く頭を下げた。
シェリルは慌ててそれを制するが、ルークは頭を下げながらも視線だけはシェリルを見つめていて、シェリルもその目とかち合い、困ったように微笑みを返した。
「・・やはりそうなのですね」
男は頭を上げるが、申し訳なさげな様子はそのまま、恐縮するような態度だった。
「六花祭の観光ですか?」
「・・いえ・・その・・・今度から、この街で働く事になりそうで・・す」
「そうなのですか。実は私共も最近、他国からこちらに越して来たばかりでして」
シェリルの周りをぴょこぴょこと走り回る小さな少年ルークは、シェリルを色々な角度から見ては好奇心に目を輝かせていた。
好奇の視線は正直あまり心地のいいものではなかったが、純真無垢な無邪気さは何の含みも感じられず、多少の居心地の悪さを感じるだけで嫌な感情を抱くことはなかった。
「元々住んでいた場所では、多くはありませんでしたが、獣人の方も普通にいらっしゃいました。ですが、息子はあまり外に出たことがなかったので・・・・ご不快な思いをさせ申し訳ありません」
男はルークを何度も捕らえ諌めるが、童心の好奇心は鎮められず、直ぐにルークの好奇心が元に戻る。
「いえいえ。息子さんにも悪気などないでしょうし、気になさらないでください。・・・ですが、こんなに興奮していて、息子さんの体調は大丈夫ですか?」
幼い時分。覚えていないというならよくある話だ。
しかし、外出自体を理由にするということは、そもそも他人との接触自体が少なかったという事。
その理由に思いつくのは、安直かもしれないが、身体の不調、病などだろう。
だからこそ、ぴょこぴょこを跳ね回るようなルークの体調を気遣った。
最近越してきたという事は、最近まで外に出ることを避けていたという事。
病だとしたら、治ったとしてもまだ治って間もないか、まだ、その身を蝕んでいる可能性もある。
だが、そんなシェリルの心配とは逆に、男はこれまでで一番の柔らかな微笑みを見せ、大丈夫だと呟いた。
「この子自身が、というより、周りへの影響が心配で外に出してあげられなかったのです。・・この子は『キルケーの種子』という特異体質を持っているので・・・ですが、この土地ならばこの子も自由に外に出られると聞き、思い切って引っ越してきたのですよ」
キルケーの種子。言わずと知れた、生まれながらに多大な魔力を有する体質。
大きな魔力は有用であると同時に、影響も少なくない。
嫌悪こそされずとも、遠巻きにされることも珍しくないだろう。
しかし、この地であれば、羨ましがられる事はあれど、避けられることなどないだろう。
影響も住民全員、魔力耐性が高すぎて、ほとんど皆無だろうし、寧ろ、それ以上の化物などゴロゴロといるような土地。
「ロイー、ルークー」
遠くから女性の声が聞こえた。
喧騒のせいで、聞き逃しそうなほどに、か細くではあったがシェリルの耳にも聞こえた。
「すいません、妻が探しているようなので」
そう言って男は懐から小さな紙切れ――名刺を取り出しシェリルに手渡した。
「もし、何かございましたらこちらまでご連絡ください。獣人の方々に向けた商品もございますので、お気軽にいらっしゃってください。その時はお詫びも兼ねて何かお贈り致します」
「いえっ、私が余所見していたので、お気になさらないでください。私こそ・・何かお詫びを」
シェリルはそう言い募るが、男はそれを聞かず息子と共に一礼して足早にその場から立ち去った。
ルークの方は片手を引き摺られるように引っ張られ、名残惜しそうにシェリルを見ていたが、男は微笑んで再び会釈をすると、人ごみの中に消えていった。
シェリルはその背中を追うこともできず、見送り、困ったように嘆息を零すと手の中の名刺を見つめ、そして再び顔を上げると大きな溜息を零した。
「・・今日は災難だよ・・・。でも、ここらじゃ獣人向けのお店も少ないだろうし、助かるかな・・・ここで働くことになっちゃったし・・・」
肩を落とし、再び歩き出すシェリルは、懲りず、ふらふらと上の空となっていた。
シェリルの手の中にある名刺。
そこには男の名前。ロイ・カンディアと、住所、電話番号。
「・・・外国か。・・・『じゅうじん』って何処の言葉だろう」
そして、店名が書かれていた。
婦人飾店『ソメイヨシノ』と。
バンッ
「疲れたよぉ、フィー!」
ノックもなしに勢いよくフィリアの自室の扉を開けたのは最愛の姉リーシャ。
部屋の中の面々が肩を跳ねさせると同時に、臨戦態勢を取った事などお構いなしに、飛び込んできたリーシャ。
疲れた、などと口にしながらも、顔は満面の笑みだった。
リーシャはフィリアと入れ替わるように、リリアと共に自身の側近候補と面談していた。
変人のフィリアはともかく、それは楽な時間ではなかっただろう。しかし、その表情を見るに、言葉以上に何か良い結果があったのだろう。
「だから、一緒にお茶、を・・・」
だが、そんなリーシャの明るい声が一瞬で霧散していく。
「・・もち、ろん・・ルリアちゃん、も、一緒・・に・・・」
勢いで、溢れた言葉にも心が追いついていないように、浮いたものになってしまった。
そんなリーシャに向け、室内にいた面々は苦笑すると、警戒を解いて、リーシャの視線の先を困ったように見つめた。
その中にはいつもの面々のみではなく、ルリアと、見慣れぬ彼女の側近たちもいたが、その反応は同じもの。
「・・フィー?」
「はい?」
リーシャの視線の先。
そこには窓からの柔らかな陽光を背負う女神がいた。
蜂蜜色の髪は陽光に溶けるように輝き、瞳は空を写したかのような蒼眼。
その四肢はスラリと伸び、細すぎない柔らかな肉付き。
腰は折れそうな程に細いのに、胸は親譲りの豊満さ。
背丈は女性にしては少し高く、その半分以上が脚。
シンプルなワンピースがその姿を邪魔することなく彩り。
寧ろ、その隙のない女神のような姿に更なる神秘性を生んでいる。
思わず同性であっても見蕩れてしまうような立ち姿に、無垢な微笑みが混ざり、妖艶さと真逆でありながら同様かそれ以上の色香を醸していた。
そして、その彼女の指には、見慣れた向日葵の花紋。
後光の中に微笑む美の女神。
その正体は、フィリアだった。




