140 最速の就職
街中から響くように上がる歓声。
その声は、城にまで届き、ルリアは思わず足を止め、窓の外に顔を向けた。
長い廊下を歩く、一行の足も、そんなルリアに従うように歩みを止めた。
フィリアもまた同じく足を止め、ルリアを見てその意識の向く方にその理由を理解した。
「賑やかですね」
「おまつりですから」
「・・でも、六花祭は明後日ですよね?・・ゼウス様たちの結婚祝いにしては当日である昨日よりも賑やかですし・・」
国の祭事である六花祭はどこでも、大きな規模で、賑やかなものであることは確かだったが、それは今日ではない。
数日後に迫っているとは言え、準備だけにしてはあまりに賑やかな歓声にルリアは、首を傾げた。
すると一行を先導するマリアが微笑んでルリアに向き合った。
「この街・・というより、この街があります湖には、その名の由来となった、大精霊様がお住まいです」
「・・ルーティア様でしたね」
「はい。ルーティア様は、賑やかな雰囲気をとても好み。水辺で子供たちが遊んでいれば、混ざり。船乗りたちが宴に興じれば、歌う。・・そして、お祭りには、人に紛れているそうです。そこでこの街では、そんなルーティア様に長く楽しんでいただけるように、六花祭の前後にも祭事を繋げて、今では十日間程の長いものとなっています」
国の祭事で大規模とはいえ三、四日程度の六花祭。
それでも十分な規模だが、精霊信仰の根強いこの地、それもこの街ではルーティアの為、その規模を拡大させた。
「本日は水上競馬の日ですね」
「水上競馬?」
「ケルピーに跨り、その腕を競い合う神事です。かつては軍事演習も兼ねたものだったそうですが、現在ではケルピーに跨るのは開幕のみで、トゥールという魔導遊具を使った競技大会の方が主です」
「トゥール。一度やってみたいですね」
「すごくたのしいですよ!」
フィリアのはしゃぐような感想に、側近たちからは白い視線がその背に集まり、フィリアは背筋を震わせ、静かに一歩下がり口を閉ざした。
「今の時間ですと、姫さまよりも少し上の年齢の、年少の部ですね」
「ねんしょう・・」
フィリアが思い浮かべたのは、あの日の子供たち。
トゥールを教えてくれたのもあの子達だった。
「ヒメ。チックたちも、でるっていってました」
「そう・・わたくしも、いきたいなぁ・・・」
フィリアの逃亡癖がなくなったわけではない。
だが、あの日以来、フィリアの逃亡は城内のみで、隠し通路はおろか城壁を超えることもなかった。
フィリアの近衛たちの奮闘でもあったが、それ以上にフィリアはあの日のマリアたちの表情を忘れられなかった。
そして、マリアたちもそれを理解しているからか、いつものように感情の消えた視線を咎めるように向けるのではなく、何処か申し訳なさを滲ませたような微笑みを浮かべ、ティーファとフィリアの会話を黙って見遣った。
「・・さぁ参りましょう。リリア様がお待ちです」
途中までルリアを客間まで案内して別れたフィリアたちは、そのままリリアの書斎まで向かい。リリアと合流した。
そして、今は小さな謁見室にて、リリアと並んでソファーに腰掛け、優雅にカップを傾けていた。
そこに扉をノックする音が響き、リリアは入室を促した。
「お連れ致しました」
ドアノブの音も立てず、流石の所作で使用人が入室し、そっと横に逸れて恭しく一礼すると、その後から質素な装いの女性が怯えるようにおどおどとして入室してきた。
その姿を見るなり、飛び上がるようにしてフィリアが立ち上がった。
目を煌めかせ、頬を紅潮させ、最高潮の興奮を前面に出すフィリアを押し留めるようにリリアはそっとフィリアの手をとってソファーに着席させた。
「今日はわざわざ御足労頂いて、ありがとうございます。まずは、そちらにお掛けください」
人好きするような朗らかな微笑みで促すリリアの言葉に従い、フィリアとリリア、二人の正面にあるソファーへ腰掛ける女性。
その間も、怯えは明白で、チラチラと自信を案内してくれた使用人を盗み見ては、失礼がないか確認している。
「まずは自己紹介から始めましょうか。私はこの城を預かる大公妃のリリアです。そしてこちらが――――」
「はじめまして。くまさん。わたくしは、ふぃりあ・れおんはーとです」
「フィー・・・」
「姫様・・」
座っていても隙のない美しい所作で挨拶をするリリアと、一応所作だけは取り繕ったフィリア。
だが、初対面でいきなり『くまさん』とは不躾が過ぎる。案の定リリアとマリアたちは呆れを含んだ声を漏らした。
おそらく、後でマリアとの話し合いがあることだろう。
「は、はじめましてっ・・わ、わたしゅっ!?す、すみません!!わた、私は、シェリル・フィリングでしゅっ」
最後まで噛み噛みの自己紹介をしたシェリル。その表情は青を超えて白くなっているが大丈夫だろうか。
緊張が上限突破をして、目も虚ろにさえ見える。
そして、このシェリル。フィリアが『くまさん』と称した通り、頭の上に丸っこい耳が付いている、熊の獣人。
とはいえ、容姿にその特性はあるものの、人とさして変わらぬ体躯や特徴。
その上、熊的要素など薄く、フィリアも履歴書に目を通していなければわからないほどだった。
それでも、フィリアの興味を惹くには十分すぎる容姿。
「さて・・まずは、フィーから何かありますか?」
「さいようですっ!!」
「はいっ!?」
「では採用ね」
「奥様!?」
そして採用RTA。
爆速でシェリルの就職が決まった。
フィリアもあれだが、それはいつもの事。
寧ろ、間髪入れずにそれを受け入れたリリアの穏やかな肯定がおかしい。
シェリルの驚愕の方が普通で、この母娘が非常識なだけだ。
シェリルは即座にこの母娘に見切りを付け、控える使用人たちを見るがそこは、流石レオンハートの使用人。顔色一つ変えず、主人たちの言葉に異を唱えることなど決してない。
それでも、その無表情の中に諦念の色が見えた気がしたのは、間違いなく気のせいではない。
「私は獣人ですよ!?」
「さいようですね」
「えっ・・・。そ、それに平民ですよ!」
「でも、魔術師でしょう?採用」
「え・・え?・・・」
まるで会話にならないこの母娘。
寧ろこの場において、自身の方が間違っている感覚がしてしまうシェリル。
だが、間違いなく、常識的なのはシェリルの方。
そこに黙っていた後ろに控えていたマリアが一歩進み出て、フィリアの耳元に顔を寄せた。
シェリルは当然のことながらそれに安堵し、このおかしな状況をどうにかしてくれる事を期待した。
「姫様。採用したとて、耳などを妄りに触る大義名分にはなりませんからね」
「ふぇ!?」
シェリルが望んだものではなかった。
だからこそ「そうではない・・」という思いを込めてマリアに縋るような視線を向けようとしたが、その時フィリアの絶望を在りありと浮かべた表情を見て固まった。
何処までも、話を脱線させるフィリア。
「で、でも、みりすはみみをさわらせてくれますよ・・」
そして、フィリアのその暴露に、ふい、と視線を逸らしたミリスだが、皆視線は冷たくミリスに集まった。
「・・後でミリスにも話があります」
マリアの低い声に肩を震わす、フィリアの筆頭近衛。
そこでリリアが咳払いをして、場を整え直すと、マリアも元の位置に戻った。
「・・シェリルさん。とにかく採用です」
「え、ちょ――」
「今は、六花祭の期間で慌ただしいので、来週からですかね。そのあたりは追って連絡致します。そして、それから、研修ですね。フィーの傍に置くつもりですので厳しい指導になるとは思いますが、頑張ってください。・・という訳で、本日はここまでですかね。わからない事があれば、貴女を案内したサティに聞いてください。・・あ。良ければ、せっかくですし六花祭を楽しんでから帰られても良いかもしれませんね。サティ、お願いしてもいい?」
「畏まりました」
シェリルの言葉を待たず、リリアは採用を告げると、先程シェリルを案内した使用人に任せ、そのままシェリルは引き摺られるように、退室していった。
その時のシェリルのドナドナ具合に気づくような主人たちではなく、只々控える使用人たちの視線だけが不憫だと言いたげにシェリルを見送った。
「次はリーシャね。呼んできてちょうだい」
リリアのその声に一人の侍女が一礼して部屋を出て行く。
そして、リリアはフィリアに声をかけた。
「フィー」
「はい」
「本当なら、もっと貴女の周りに人を増やすべきなのだけれど、取りあえずは今の子だけよ」
「はい。だいじょうぶです。わたくしには、もう、たよれるそっきんがいっぱいいますから」
フィリアの後ろに控える側近たち。
マリアを始め、皆一様に表情を引き締め、リリアに向け姿勢を正した。
彼女たち自身。誰よりも理解している。
自分たちの力不足から主人であるフィリアを危険にさらし続けている事を。
これからより身を引き締め、今後どんなものよりもフィリアを守る意思をその目に灯していた。
「そう・・。良い臣下に恵まれましね」
「はい!」
「でも。マリアは私のですよ」
「いやです!わたくしのです!!」
いつもの大人げない言い合い。
それに、二人の周りは小さく微笑んだ。
「それと、シェリルさんの着任と共に、セバスもフィーの執事として着けます」
「え!せばすですか!!」
ついにフィリアに絶対の忠臣が一人、セバスがその傍に侍る日が来た。
最近、フィリアの傍で影となっているのは知っていたが、それがようやく堂々とフィリアの傍に立てる。
フィリアにとってそれは、待ち望んだ朗報。
驚きとともに満面笑みで喜ぶフィリアに、リリアのみならず皆が優しく微笑んだ。
そして、そこでもう一つ思い出す。
「では、めありぃは!?」
その問に答えたのはリリアではなく、下がったマリア。
マリアは困ったように眉を下げフィリアに視線を合わせた。
「メアリィは、もう少しお待ちくださいますか?」
「まだ・・ですか・・・」
明らかに肩を落とし俯いたフィリアの頭にリリアの優しい手が乗せられた。
「申し訳ありませんが、まだまだ侍女はおろか、使用人としても足りない事が多く、姫様の傍にはまだ置いておけません」
「・・じじょじゃなくても・・ともだちに、あいたいだけです・・・」
「・・姫様が魔力覚醒した日、メアリィも魔力覚醒を迎え、今は少し仕事の時間を減らしている状況ですから、それも難しいです」
落ち込む姿は、年相応に幼いもので、マリアも困ったように、だが朗らかに微笑んだ。
その微笑みはリリアと視線が合い、笑みで言葉を交わした。
「ですが、姫様が『会いたい』と言っていたと聞けばメアリィも喜びます。励みにもなるでしょう。・・・姫様。我が子をそうも大切に思っていただき、ありがとうございます」
「・・しんゆう、ですから」
マリアはリリアともう一度見つめ合い、笑みを深めた。
「それはご遠慮下さい」
娘に自身と同じ苦労はさせたくない。
叶わぬだろうが。




