132 悪魔な執事
リーシャに抱きつかれ、顔色を赤から青へと変える王子と、その首に刃を突き立てる三兄弟。
それを見て、ゼウスは幼い三人の甥姪を応援したい気持ちを抑え、複雑な心境のまま嘆息を漏らした。
それは、ゼウスだけでなく、普段なら手もつけられないほど暴走するレオンハートの面々が、皆同様に、渋い顔をしながらも冷静を装っている。
「・・殿下の処刑については置いといて」
「ちょっと待て。ゼウス。息子の『処刑』とは、穏やかじゃないぞ?・・冗談に聞こえな・・いや、冗談じゃないんだな。やめて。本当にごめんなさい。お願いだから。本当にやめて」
そして、必死に言い募る、この国の王の声にすら目を向けない。
王の懇願すら、完全スルーで、その耳に掠めることさえしない。
「出てこいよ」
先ほどのような、感情任せに吹き出した、むせ返る魔力とは違う。
鋭利に研ぎ澄まされ、押しつぶすように重厚な魔力。
それが、魔導王の一族。
魔術師の長たる面々から膨れ上がる。
「悪魔」
ゼウスの冷淡な声が生んだのか、それとも驚きの連続でそうなっていたのか。
感情の失せた声が静寂の中に響き、それと共に更なる静けさが生まれた。
その中に、無機質に鳴り出したのは、硬い靴の音。
急くわけでも、躊躇う訳でもない、足音は短調に、そして、不気味にこだまする。
その音の先を探して、人々の視線が向かい。
無意識にゼウスたちと、その足音の先との間の人の群れが割れ、道ができた。
そこを真っ直ぐ進むドレス姿の貴婦人。
だが、その姿も歩むと共に歪み、その姿を変える。
『これはこれは、ご挨拶が遅れましたかな。一応祝辞も考えては来たのですが』
そして、歪んだ姿から変貌して現れたのは、執事姿の男。
彼は、番人に好かれるような微笑みを浮かべ、柔らかい所作と声色で、目を向けた。
しかし、彼に親しみを覚える者はいない。
それどころか、不気味で薄気味悪い彼に、警戒心が高まる。
その一番の理由は、そこに『いる』筈の存在感だった。
目の前にいるのに、誰も、その存在を掴みきれない。
まるで夢幻のような彼は、目を閉じれば、その存在を見失いそうなほどに、希薄・・と言うより、皆無。
悪魔ほどの精霊。
内包する魔力はレオンハート以上か、それに匹敵するものであるはずなのに、それを微塵も感じることができない。
それは異様なこと。
生物が、心臓を止めて息を潜めるようなもの。
故に、目の前の存在の、そこが見えず、恐れだけが煽り立てられる。
「そりゃ悪かったな。どうせなら聖句でも読んでくれよ」
だが、当のレオンハートの面々だけは、そんな彼に萎縮などせず、敵愾心を隠さず向けていた。
『・・そんなに、袖になさらないでくださいな。ボクは、アンヌに変わり、『約束』の報酬をお届けしただけですから』
「報酬?嫌がらせの間違いだろ?」
『祝い品でもあったのですが、お気に召していただけましたか?』
ゼウスと男の笑顔の牽制。
互いに笑みと裏腹の感情をぶつけ合い、同時に魔力が暴れるように吹き荒ぶ。
『役立たずだったとは言え、約束は約束ですから』
男が視線を送った先にいたタヌスとサーシスは、睨みつけ、悔しげに奥歯を鳴らした。
『あとは、ご挨拶ですかね――――』
男は片手を軽く上げ、小さく振る。
『――――うちのアンヌがお世話になった』
ズンッ
「「「「「っ!?」」」」」
その瞬間、その場の空気が重くなった。
比喩でもなんでもなく、文字通り重くなった。
思わず息すら詰まるほどの重み。
立っている事もままならず、何とか膝を折らずに耐えるものたちも膝を震わしていた。
レオンハートの面々にとっては身を持って、よく知っている力。
だが、ゼウスたち大人組にとっては、普段から見慣れた小さな魔女よりも、悪魔という存在のせいで、違う存在、忌々しき魔女の顔が記憶をかすめた。
『申し遅れました。ボク。参ノ葉。ギィと申します』
恭しくお辞儀する悪魔、ギィ。
その姿に隙はなく、完璧な執事の所作。
しかし、そこに灯る、鋭く禍々しい眼の光だけは、あまりに妖しく背筋をなぞる。
『本日は、届け物の代行でございますが・・ゼウス様には、これまでも兄弟達がお世話になったようですので、少々ご挨拶に――――っ』
殺気の滲んだギィの声と微笑み。
それは迷うことなくゼウスに向かった・・のだが。
剣閃が顎を撫でた。
ギィは仰け反るように飛び退き、翻った。
舞うように、美しい動きではあったが、誰が見てもそれは本人の予期せぬものだったのが明らかだった。
そしてそれは、その一瞬だけでは終わらない。
翻り避けたギィは、次の瞬間には、追撃に襲われた。
一合い、二合い・・連撃がギィを追い立てる。
それを、紙一重で避けようと身体を捻るが、想像以上に鋭い剣閃はそんな怠慢を許してくれなどしない。それ故、手で速い斬撃を捌く。
白い手袋と剣の打ち合いに、甲高い剣戟が響いた。
だが、それでも、優位には立てず、ギィはどんどん押されていく。
――――何だか体が重い・・
そんなことを思った瞬間。目の前の剣撃が一瞬の隙を見せた。
しかし、それと同時に、背後から白い剣閃が横薙ぎにギィの首に振るわれた。
『全く・・とんでもないお子様方ですな・・』
高い天井。その特に高い場所にある梁の一つに、逆さまに立つギィの姿があった。
剣閃は黒い霞を切り裂いただけで、ギィの首を落とすことは叶わなかった。
だが、触れられなかった訳ではないようで、ギィの首筋には薄く結晶化した小さな傷が出来ていた。
そのギィが向ける視線の先は、その剣閃の贈った幼女と少年。
言わずもがなフィリアと、そして、その兄、アラン。
『ボクの支配領域内で、そんな機敏に動けるなんて、信じ難い事ですよ』
やれやれと、呆れた息を漏らすギィ。・・だが、それを見上げるアランはコテンと首を傾げ、口をへの字にして、何の事か全く分かっていない。
「あの程度なら、全然、大した事ないけど?」
その含みのない返答は、正直であるが故に、ギィの琴線に触れ、こめかみを引きつらせた。
それはそうだろう。
その場に集まった者のほとんどは、立っているのもやっと。
レオンハートとて例外ではなく、今はもう術を破っているが、アランとフィリア程に瞬時に、それも、俊敏に動くことなど出来なかった。
それなのに、この二人は、まるで、何もなかったかのような顔で動いた。
また、それが、強がりでも何でもないのが、あまりに素直にわかるのが、余計に気持ちを逆なでている。
一目瞭然。ギィが使ったのは、紛れもなく『重力』の力。
この世界では、知られていないのか。それとも、知る者が少ないのか。
常識はおろか、未だその存在を知らぬ者が多い。
ファンタジーな世界にあっても、全くの未知な事象。
しかし、だからこそ、フィリアはわかる。
普段が普段だし。前世のこともある。非常識、規格外であることは変わらずとも、まだ納得できる。
だけど、アランは・・。
そうは思ったが、アランもまたレオンハート(理不尽)の一人だった。
端的に言えば、これもまたフィリアのせい。だが、こればかりはフィリア一人を責められない。
最近では、演習場で訓練する事が増えたフィリア。
その演習場の常連は、脳筋、騎士志望のアランだった。
フィリアの訓練風景を見てか、普段の姿を見てか、アランは思いついてしまった。
どこぞの宇宙猿しかやらないような、加重訓練を。
フィリアにとって息をするように容易くなっている重力魔法。
フィリアは二つ返事で了承し、アランの日課的な訓練となった。
その結果、筋力、体力、共に大幅に上がった。
・・・それだけなら良かった。
いや、良くはないが・・まだ、許容できた。
しかし、アランもまたレオンハートのだと改めて分からされた。
アランは肉体の強化のみならず、天性の魔術師としての才をも開花させた。
『重力』。それに対しての耐性を獲得してしまったのだ。
完全とは言えなくとも、フィリアの重力魔法を相殺し。
無意識で、重力耐性の魔力操作を行えるようになった。
現在、アランに施されるフィリアの重力加重は、ゆうに17倍。
・・・本当に頭がおかしい。まさに脳筋。
ギィの放った重力は精々、3倍から5倍。
その為、重力を自在に操れるフィリアは元より。
アランにも、この程度の重力など、何の効果もない。
十分強力ではあるとは思う。
しかし、この二人にとっては児戯に等しい。
ギィは深く息を吐いて、気持ちを整えると、元の微笑みを浮かべて、ゼウスへと視線を戻した。
『・・元々、本日は使いのみで、挨拶はついでだったのですが、少々感情的になってしまいました。・・お恥ずかしい限りですな』
ギィはそう言って、再び深く頭を下げた。
『少々長居致しました。ボクはこの辺でお暇いたしましょう』
「逃すと思っているのか?」
妖しい微笑みを向けるギィに、鋭い視線が集まる。
『ボクであれば、問題なく』
その瞬間、ギィの眼前に薄紫の影と鋭い牙が現れた。
『月猫ですか』
しかし穏やか口調と、微笑みは変わらない。
『それでは、失礼いたします』
ルシアンの牙は、先ほどのアラン同様に黒い霞を噛むだけで、空を切った。
パシャパシャパシャ
「・・なぁ。フィー。・・これ本当にやらなきゃダメか?」
パシャパシャパシャパシャ
「とうぜんです。これから、たべるのにこまらせない、という、あいてをしあわせにする、やくそくと、『おまじない』ですから」
「いや・・。これでも私は貴族・・それも元帥だよ?・・自分で言うのも何だけど、将来結構安泰だと思うのだが」
「それはそれ。これはこれです」
パシャパシャパシャパシャパシャ
渋い顔のゼウスさえも、その指で作ったフレームの中に収めるフィリア。
そんな二人の様子を微笑ましく見るグレースだが、流石にグレースも耳が赤くなっている。
「さぁ、はやく!あーん」
フィリアがの声にゼウスの眉間の皺が深まる。
フィリアがフレーム越しに指示するそれは、『ファーストバイト』。
言わずもがな、結婚式における代表的な甘いワンシーン。
ちなみに、ケーキ入刀もしっかりした、このタワーのようなケーキ。
想像通り、フィリアの手作り。
当然、マリアの気持ちは完全無視で、マリアは倒れかけた。




