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131 母への憧憬



 写真もなく、無名の画家が描いた絵でしか見たことがなかった。


 それでも、覚えている温もりは、記憶の朧気さに反して、確かに刻まれていた。


 更に人から語られる話を聞けば、その温もりにより明瞭な色を加え、物語の中の登場人物のように脚色と美化をさせていた。


 はっきり言えば私は、理想を当てていたのかもしれない。

 その上で、その理想に憧れを抱き、勝手に期待していただと思う。


 絵本にあるお姫様に憧れるように。

 唄にある騎士に憧れるように。


 私は、そんな童心をこじらせて、理想の女性を勝手に当てていたのだと思う。



 無意識の中でその事を分かってはいたのだとは思うけど、それに向き合えない私は、子供だった。


 それをこんな形で、叩きつけられるように気づくなんて、私は・・ティアラ母様への罪悪感でいっぱいになった。



 目の前に現れたのは、明らかに『人形』。

 魔力の皮で作った、謂わば風船のように、中身のないもの。


 ひと目で、転生術だとはわかったけど、あまりに粗末で、眉さえ顰めたくなるもの。


 だけど、私は、それとは違う落胆を覚えた。



 歪で空虚だが、確かに微笑んだ『人形』。


 そこにあったのは、これまで幾度も見つめ続けた絵画の人物と同じ顔。

 憧れの女性。理想の母。


 なのに、私の心に湧いたのは、絵画よりも劣る・・という、期待はずれを嘆く気持ち。


 その考えが頭を掠めた瞬間、私は自身の恐ろしい思考に唖然とした。



 次の瞬間、フィーの瞬く間の一閃にさえ、私は、何の感情も沸かなかった。


 表情を歪め断末魔の叫びを上げるその姿を見ても、何も痛みはなかった。



 お祖父様の怒号、お父様の耐える拳。

 ――私には、何も、なかった。



 「・・・ティアラ母様」



 唱えるように、確かめるように溢れた声。

 それを聞いて、タヌスもニコ叔父様も駆け寄って私を抱き支えてくれた。


 気づけば、膝から崩れ、涙が溢れていた。



 だけど、タヌス。違うの。

 そんな殊勝な感情じゃないの。


 私は、酷く傲慢で利己的な人間だった。


 その事に気づくと同時に、見失ってしまったの。



 私が見ていた・・・憧れた、のは、私が勝手に作り上げた偶像。


 私が最も、ティアラ母様を歪めていた。



 その事に気づき、目の前が真っ暗になった。


 ティアラ母様に「ごめんなさい」と唱えながらも、その先にあるティアラ母様もまた、私の勝手な理想なのではないかと、訳がわからなくなる。


 私の根幹が、足元から崩れるような気がした。






 ドサッ



 その時、何かが目の前に落ちる、重い音が聞こえた。

 短くタヌスの悲鳴も溢れたが、私はそれに気を向ける余裕がない。


 それでも、無意識にその音を追い顔を上げると、打ち上げられた死体が目の前にあった。



 「・・ふぐぅ・・・」



 息はあった。死体ではなかったみたい。


 そして、そのピンクローズの頭は見覚えがあった。

 顔は見えなくとも、元は華やかな衣装だったであろうそれがズタズタになっていようと、間違いようがない。



 「・・殿下。何をなさっているのですか?」



 タヌスがそうではないと言いたげに首を振っているが、一国の王子様が地面に臥せっているのに他にかける言葉など知らない。


 私の声に、殿下はピクリと反応すると、力を振り絞るように体を起こした。



 「・・リ、―シャ・・大丈夫、かい?」



 私をまっすぐと見つめ微笑んだ殿下だけど、どう見たって貴方の方が大丈夫じゃない。



 カチャ



 すると、その時、殿下の両肩に鈍く煌く剣が乗せられ、その首筋に当てられた。



 「にいにいのけんもきれいですね」


 「そうだろう?先月新調したばかりなんだ。フィーの剣も美しいね。大事にしなよ?」


 「はい!」



 あ。アランとフィー。

 ならば、きっと殿下が何か悪いことをしたのね。


 私の愛おしい弟と妹は、いい子だからそれが許せなかったのかな。



 「私の、リーシャ、に、そんな顔させる、なんて――――」

 「言い残すことはないな」



 私は殿下のものではないけど・・。

 それよりも、アランの背筋が凍るような冷淡な声。我が弟ながらカッコイイ。

 随分と大きくなったと、感慨深くなってしまう。



 「いつも、私に向けてくれる、猫のように愛らしい、リーシャの微笑みを」



 えーと・・。そんな憎らしげに顔を歪めているけど。

 私にその心当たりは全くない。



 「淑やかで、可愛らしくて、カッコイイ。理想的な女性であるリーシャの表情を翳らせるなんて・・許せん!!」



 満身創痍だったはずなのに、力強く演説する殿下。

 と言うか、それは、誰の話?本当に私?



 でも・・そうか――――


 ――――理想・・か・・・。




 今の私には何よりも鋭利な言葉。


 思わず溢れたのは自嘲するかのような、引きつった笑み。



 「まぁそれは私の勝手な理想像だけどね」


 「・・え」



 殿下はまっすぐ私から目を逸らしていなかった。

 私の痛ましい蔑みの自嘲を見つめ、苦笑を漏らしていた。



 「国内外を問わず要人と渡り合う姿は凛々しい麗人で、社交の場にあれば貴婦人の手本のように美しい華。・・だけど、私は知っているよ。リーシャの本来の姿は全く違うって」



 殿下は何を言っているのだろう。



 「親しい者たち、とりわけ家族の前では、年相応・・いや、それ以上に幼く、無邪気に笑う。それが本来のリーシャの姿なんだよね。・・・まぁ、ゼウス元帥には嫉妬するけどね」



 知ったような事を・・当然でしょ。

 その場の立場や、立ち回りで態度を変えるのも。

 心許せる人たちの前で砕けるのも。



 「贈り物だって、リーシャが何を欲しいのか考えると、家族の好みばかりだし。・・私に向けられる微笑みよりも、家族に向けられる笑みの方が甘く優しいしね」



 それは、少し・・多少・・・ちょっぴりは、申し訳なく思う。・・多分。

 それに殿下は確かに、友人の中では親しい方だとは思うけど、家族に敵うはずがない。



 「・・でも、リーシャは律儀で優しいから、贈った詩集はちゃんと読んでくれて、装飾品も絵に書いて保管してくれているよね」



 それは、だって、折角の贈り物を、無下には出来ないから・・。

 でも、フリードに譲る前に、目を通した詩集は難しくて、読みやすかった恋の詩しか読めなかった。

 装飾品も、写真だと色がないから、絵の得意なタヌスに描いてもらっていただけ。・・砕いたら形も残らないし、アランに譲れば、直ぐに壊れてしまうから。


 ・・・それに、『翡翠宮のティアラ』は・・特別だから。



 「皆が言うような姿や、私の理想像とは、違う。・・・わかってはいるのだけどね。それでも、やっぱり、憧憬を抱いてしまうんだ。ごめんね」


 「・・・理想、だとか・・憧憬、だとか・・・幻滅はしないのですか」


 「幻滅?どうして?」


 「思い描いていた理想像とは違って、落胆しないのですか」



 その問い掛けはずるいものだった。

 殿下の返答に、自身の罪悪感を全て着せるような邪な問い。


 現に、殿下は困ったように笑って、乾いた声で笑った。



 「はは・・、どうだろうね。・・・勝手に期待して、憧憬を見たくせに・・残念に思ったこともあるかもしれないね。身勝手で申し訳ない」


 「・・・」


 「だから、先に謝っておくよ。私はこれからもリーシャに理想を見ると思う」


 「はい?」


 「身勝手に、リーシャへ憧憬を深めていく。きっとその度に現実に君と並べてしまうだろうね」


 「何を言って・・」




 「私はリーシャの事が大好きだから」




 「・・・・はい?」



 殿下の脈絡のない言葉に、間の抜けた声が漏れた。



 「にぃにぃ。きりましょう。せかいへいわのために」


 「あぁ。斬ろう。細切れにして魔物に喰わせて、その魔物ごと火口にぶち込もう」



 殿下の首筋、その両側に紅い筋が流れているけど、私も殿下もそれに気を止めない。

 寧ろ同じ紅でも、殿下の真っ赤なその顔の方が気になる。耳まで紅くしてるし。



 「好きな人に、憧憬を抱くなというのは、無理だからね」



 ――――好きな人



 「・・それは、亡くなった人でも同じでしょうか」


 「亡くなった人?・・えっと・・歴史上の英雄たちは、今、その憧憬の中に生きているのかもね。史実では結構残念な話があったりしても、彼らを好きでいる人たちが、それでも憧れや理想を抱いて彼らを色褪せない英雄へと変えている・・としたら、同じ・・なのかな」



 好きだから理想を描く。


 そんなの傍迷惑でしかない。

 本人の気持ちもなく、勝手に想像して落胆して・・・。



 だけど、そんな詭弁が、私の中にストンと落ちた。



 私の思い描くティアラ母様は、身勝手な妄想なのかもしれない。

 況してや、そんな妄想を描いて、落胆までして、救いようもない。



 ・・・それでも、私はティアラ母様が好きなんだ。



 知らないからこそ、描いた理想像。

 それは、別人なのかもしれない。


 あの『人形』の出来と大差ないのかもしれない。



 でも、それもまた、『ティアラ母様』なんだ。



 昔、寝物語にお祖父様から聞いたティアラ母様の話を思い出す。


 『妖精であり、人』


 私が、描くティアラ母様もまたティアラ母様の一面。




 私は、感情任せに飛び込んだ。



 「リ、リーシャ!?」



 殿下の胸に顔を埋めるように抱きついた。

 タヌスもニコ叔父様も小さく息を飲んだだけだったのに、殿下は女の子のように甲高い声を上げた。



 今度、ティアラ母様の墓前に言って謝ろう。

 身勝手に、落胆したことを。


 そして、もっとティアラ母様の事を教えてもらおう。


 これまで以上に。



 大好きな人のことを、知りたい。



 「・・殿下、ありがとうございます」






 私の、愛おしい妖精の事を。






 「ちなみに、ゼウス元帥が語る理想の女性像は、あまりに具体的でわかりやすかったそうだよ」


 「殿下!?」


 「世界中を飛び回って逃げ待っていたのも、気を引きたいからかな・・。幼い男子のような思考だっ!?あがっ!リ、リーシャ、苦し、い、締まっ、てる・・でる・・中身、でちゃう・・」



 最後の情報は余計。

 絶対いらなかったと思う。


 と言うか、私は、まだ、あの悪い魔女を認めていないから。



 直ぐに泣かせて、離縁させてやる。



 私の叔父様は、あんたなんかじゃ、分不相応なんだから。


 世界一かっこよくて。

 世界一優しくて。

 世界一賢くて。

 世界一


 ――――――

 ―――――











 「ねぇ。にぃにぃ。きろう?」


 「いや、今、背骨と肋骨が悲鳴をあげている所だ、首を落としては楽にしてしまう。少し待とう」


 「そうだね。それに今、斬ったら姉様に穢れがかかってしまうから、待とうか」


 「兄様」

 「ふりーどにいさま」




 「お願い。伯父さんの顔を立てて、うちの子を許してくれないかな」


 「「「・・・・・」」」


 「ねぇ!?無視しないで!?」








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