129 白の朝焼け
純白のレースを重ねたドレス。
後ろに流れるレースのストールがあまりの軽さにふわりと浮かび。
皮肉にも、天使。
その表現がこれ以上ない程に相応しい姿。
正直、お前が結婚するんか?
と、問いたい想いだが、今回ばかりはフィリアに罪はない。
リリアを筆頭とした女性陣の暴走が故の悲しき被害者だから。
ちなみに、その中にグレースやナンシーの名前もあったのだが・・。
レオンハートに馴染んだことに喜ぶべきか、染まった事に悲しむべきか・・・。
いや、道ずれを増やしたとも考えられるか・・。
どうであったにしても、フィリアには悲報でしかない。
まぁたまには、被害者の気持ちを理解したほうがいいだろう。
「ヒメきれいです・・」
それを、立ち並ぶ客人の間から見つめる幼女が一人。
もはや陶酔のように見惚れる小さな親友ティーファ。
ティーファもこの場にふさわしく、可愛いドレスを纏っている。
そのドレスは髪色よりも少し明るい若草色で、肩にかけられたストールも揃いのもの。
だが、そのストールだけは、特別大事なように、ティーファは包み込むように握っていた。
目聡いものは気づくかもしれないが、大体の人間は気にも留めないだろう。
そのストールの刺繍が壇上のプリンセスと揃いであると。
まぁ、ティーファにとってはそれで構わない。
自慢して回りたい訳じゃない。自分たちだけがわかっているその証だけで満足だった。
「おい、見ろよ。あれが噂の『使用人』だろ」
「・・だな。あの容姿・・品に欠けるな。かのレオンハートとは言え、子供だな。あんな者と親しくするなど」
「今だけよ。分別さえつけば、相応しい御友人を選んでくださるわ」
「そうよ。・・それなのに、彼女ったら、痛々しくてみていられないですね」
「直ぐにお役御免になるのにな」
「・・・・・」
それでも、この手の声が気にならない訳じゃない。
ストールを巻き込んで胸を握り、下唇を噛んだ。
そして、そのまま俯きかけて踏みとどまった。
「・・・『ケセラセラ』・・だいじょうぶ」
愛する親友から教わったおまじないを呟くと、握り締めた手から暖かさが伝わるような気がした。
そして、自分がここにいる理由を思い出し、気持ちを改め、フィリアの姿を目に焼き付けるように見つめた。
「メアリィのぶんも、わたしがみていますからね・・」
この場に来れないもう一人の親友。
彼女は今この時も、裏方で走り回っている筈。
その彼女の分も、フィリアの姿を見守るのがティーファの役目。
「・・ヒメのあれ。・・こんどおしえてもらおう」
そして、そんな親友のため、フィリアの自重の欠けた思いつき魔法。『写真』を学ぼうと心に決めた。
流石に魔法は・・と思いつつ、無理とは言い切れない、フィリア菌の重篤なティーファ。
「おい。お前が分からせてこいよ」
「嫌だよ。前にそれで、お姫様の怒りを買ったやつがいたらしいじゃないか」
「全く・・困ったもんだ。その者たちだって善意からの行動だったろうに」
「・・っ」
ティーファは胸もとを更に握りこんで、声のする方を睨んだ。
自分のことなら耐えればいい・・でも、フィリアの事は別だ。
・・しかし、睨むというより上目遣いで物言いたげに視線を送ったようににしか見えないティーファは、その態度も相まって、か弱く、何の迫力もない。
「あ?何だよ」
「なんか言いたいことでもあるのか。庭師」
そこに集まっているのは、ティーファから見れば大きくとも、子供たちの集まり。
ティーファの視線に気づき、返す視線はあまりに冷たく、鋭いもの。
身なりは良く、一見高貴な子供たちだが、庭師を軽んじる事から、この国の子供たちではないだろう。
年上の集団。そこから集まる侮蔑や敵意にティーファは声が出ない。
その上フラッシュバックする、かつての記憶。
ティーファは何も言えず、視線を逸らすように、元の位置に戻ってしまった。
その瞬間、ティーファに向けられる嘲笑が増し、ティーファは情けなさに俯き、唇を噛んだ。
ストールを握り、まじないを唱えても、惨めさはどうにもならなかった。
フィリアからもらった勇気も、自身の拙さで汚してしまった。
ティーファは腰に差した黒杖の重さにも、心が締め付けられた。
「腐臭が酷いのだけど・・口閉じてくれません?」
ティーファの耳にそんな声が掠めた。
それは、子供たちの方から。
ティーファは恐る恐る覗き見るように視線を動かした。
「あ?何だこのガキ」
「腐臭がすると思いましたが・・脳まで腐ってましたか」
そこにいたのは、白髪で白い肌、ドレスまで真っ白な女の子。
そして、自身も子供である少年から「ガキ」などと呼ばれるその子。
ぱっと見だが、フィリアとさほど変わらぬ身長。
流暢な言葉使いが、非常にちぐはぐな幼女。
「礼儀作法もなにも分かっていない子ですね。ご両親はどのような教育なさっているのかしら」
「ちょっとっ」
苛立ちを見せた子供たちだったが、何人かは、幼女の事を知っていてようで、その姿をみて慌てて苛立つ子供たちを抑えた。
「そうですね・・祝いの言葉を陳べる前に蔑めとは、教わらなかったですね」
「も、申し訳ございませんっ。私たちは少し・・失礼いたしますっ。ほらっ行きましょう」
「ちょっとっ何よ」
そして、何が起きたか理解できない子供たちを引きずるようにその場を後にしていく。
ティーファも何が起きたのかわからない。
だが、その様子に、幼女が位の高い子だとはなんとなく分かるだけ。
そんな様子を盗み見ていたティーファだが、幼女は首をこちらに向け、にこりと微笑んだ。
「っ!?」
その上、幼女は真っ直ぐティーファの方に向かって近づいてくる。
ティーファは焦りを抱き、思わず視線を逸らし、逃げるようにフィリアの方を見つめた。
フィリアに助けを求めるような心情に情けなくもなるが、それ以上の逃げ道を知らなかった。
だが、当然。その逃避は、一時的なものでしかない。
「初めまして。貴女がティーファさんですね?」
すぐ傍でその声がかけられた。
その声の主など想像するまでもない。
「お噂は予々。私は――――」
「あ・・」
その時、ティーファはその声を聞くことはなかった。
すっと歩みだし、幼女の目の前を通り過ぎた。
「――――・・・ティーファさん?」
「皆に改めて紹介しよう。我が兄ゼウスとその妻となったグレースだ。今後は、エンペラーの家名を名乗ることになる。兄も遂に年貢の納時。是非とも義姉グレースには兄の羽を捥いで頂ける様期待しよう」
ゼウスが物言いたげに睨むが、ゼウス以外は笑い声と共に盛大な拍手を送った。
いや、若干一名、一見清廉なご令嬢が、悪鬼の如く顔を歪めて・・・見なかったことにしよう。
「そして、本日、二人の厚意によって、我が娘。フィリア・ティア・レオンハート。2歳の誕生祝いも共に祝わせてもらうことになった」
アークの言葉に続き、フィリアは優雅に一礼を見せ。
それに対し、会場に集まった者たちは皆揃って、フィリアに向かい深く頭を垂れた。
「フィリアちゃん」
見事な挨拶を見せたフィリアにゼウスとグレースはそっと歩み寄り、視線を合わせるように屈んだ。そして屈んだゼウスの手へ侍女が、美しく繊細な刺繍の布で包まれた長物を手渡した。
そして、その布を取ると、グレースはゼウスから受け取り、フィリアへ差し出した。
「お誕生日おめでとう」
フィリアがゆっくりと手を伸ばし受け取ったそれは、ひと振りの剣。
白一色、純白の鞘と柄の刀剣。
僅かに反りがあり、日本刀のようだが、記憶のものよりは反りが浅い。
鍔は西洋の剣のような手を覆うようなものだが、鞘も柄も彫刻のように美しいレリーフが描かれ、鍔も流線型の美しい造りの軍刀。
それは、剣ではあるが、実用性よりも観賞用のような、美しい刀剣。
本来なら、2歳という何の節目でもないフィリアの誕生祝い。
結婚式と並べるような事ではなく、立場もありそういった事に厳しい目を向けられる。
しかし、ゼウスとグレース、その二人が、それを容認ではなく、歓迎しているとして率先して、フィリアへの祝いを与えることで、その場での体裁を整えた。
慣習は大事だ。その上、上位の身分であればあるほどそれは守られるべきだ。
だが、この場にそれを気にする人間は少ないだろう。
滅多に目にできないレオンハートの末姫。
それも『ティア』というレオンハートの至宝。
表向きはどうあれ、本心は近づく機会を得たい者たちばかり。
だからこそ、この茶番のような二人のパフォーマンスに否を唱える者はいない。寧ろ、何も言わず、祝福を送り、歓迎する。
もちろん、それが理由ではあるのだが、二人の素直な気持ちをそんな茶番などに使われるのは不本意にも思えた。
でも、それは、ちゃんとフィリアに伝わっている。
二人が心から祝ってくれているのを。
二人もまた、フィリアからもらった多くの祝福に少しは、返せたかと笑みがこぼれた。
「むぅぅ・・・」
グレースが持つには少し短く、フィリアが持つには長すぎる剣。
フィリアは、ぐっと力を込めるが、普段はどうあれ幼いフィリアの腕では、抜くどころか、鯉口を切る事さえ出来ずに、プルプルと震えるのみだった。
「フィリアちゃん、魔力を込めてみて」
「ふぇ?・・まりょく、ですか?」
「そうだ。あ、でも少しだけな」
フィリアは手元を見つめ、魔力を流した。
「・・ふぁー・・・あ」
すると純白の刀剣。そのレリーフが淡く滲むように色付いた。
朝焼けのような暖色が薄く色付き、美しいレリーフが、一層の神聖さを醸す。
そして、それと共に、今度はなんの抵抗もなく。
するりと抜け、僅かに刀身が姿を見せた。
片刃の刀身。だが、金属とは違うのか、鈍い色の鏡面ではなく。
大理石のような白い鏡面の刃。
「これは剣の造りではあるが『魔道具』。『杖』のような物で、要は『魔力媒介』なんだ」
「正直、フィリアちゃんに相応しい物にする為、『魔力媒体』としての能力へ振り切ったから、剣として打ち合うには脆弱だけどね」
「でも、切れ味はいいぞ」
だからこそ細身で薄刃の刀剣。それも装飾をふんだんにあしらった軍刀なのだろう。
打ち合うのではなく、杖として振るい。もしもの時でも一刀で切り伏せられるよう。
「本当は、生まれた子に剣を送るのだけど、この国にその慣習はないし、私も二年遅れだけど、フィリアちゃんの健やかな成長を『願った』ものだからね」
つまりは、フィリアなどよりも卓越した『願い』、加護が込められたグレースからの御守り。
フィリアの瞳は輝いた。
魔法への憧憬も相まってではあるが、フィリアも男の子・・女の子だが・・男の子・・ややこしいな・・・。
とにかく、純粋に、剣を得たことに感動を高めていた。
訓練等で触れることはあるし、それも心湧くものではある。
だが、やはり、自分専用の剣という存在は、別格だった。
普段見慣れた剣よりも、細く薄い上に、長さも女性であるグレースでさえ足りないほどだが、それでも真剣。
フィリアが持つには重く、両手抱えても倒れそうな程。
だが、身体強化と重力を操れるフィリアにとってはいらぬ心配だったようで、軽々と剣を抜き、片手で高く掲げた。
そして一層溶けそうな表情を見せ、惚けた。
その表情は、二歳児とは思えぬ程の、色香篭った恍惚の表情で、集まった者たちが目を惹かれるように息を呑んだ。
子供たちなど男女問わず顔を赤らめ、彼ら彼女らの初恋をフィリアは総嘗めにした。
・・実に罪深き、アラサー幼女。
「そこでとまってください」
その時。その和やかな空気に似つかわしくない鋭い声が響いた。
鋭いとは言っても、その声は幼く。舌も足りていない。
視線を集めた先に居たのはティーファ。その声の主も彼女。
当然、空気を割った彼女を咎める視線も、囁く程度だが声も生まれた。
だが、それも、おかしな空気に消えいっていく。
大人たちが一斉に口を噤み、目を見開く者も少なくない。
そして、同時に、不快に顔を歪める者、血管が浮き出るほどに憤る者もいた。
ティーファがフィリアを背に、黒杖を向ける先。
そこには、一人の女性。
フィリアに歩み寄ろうとしていた彼女の行く手を阻むように間に立ったティーファ。
距離は空いているが、それでも、ティーファの警戒は全開だった。
金の髪に、青い瞳。
耳は尖り、細く白い肌。
「・・・『翡翠姫』様」
そう、誰かが呟き、彼女は歪んだように微笑んだ。




