127 踊り子の告解
舞う花弁と、漂う光。
霧の中に届く陽光は、攪拌して柔らかく広がる。
その中、身体を大きく翻す様に舞うルーティア。
そして、その場を支配する静けさ。
それは聴覚的な話ではなく、その場を満たす雰囲気。
腕のひと振り。流れるような足取り。
ルーティアが舞う度、その場を満たす、荘厳な気配。
水面から浮き上がる水滴。
雪のように降る花弁。
それらは何も変わらないのに、ルーティアが舞う事に空気は浄化され。
あれほど、蠢いていた水面も、鏡面のように歪み一つない。
僅かに浮かび滑るように舞うルーティアではあるが、僅かな小波さえない水面はあまりに異様で静けさの象徴だった。
その頭上では、今にも弾け散りそうなほどに火花を散らす指輪が強い光を放っていた。
「・・・グルゥ」
その空気に晒されたルシアンは、震えを隠すように耐えていたが、呻きが溢れ漏れた。
しかし、それでも、後ずさる事も、逃げ出すこともなく、視線すらも離さない。
「・・っ」
そして、それ以上に苦痛に耐える者が一人。
ジキルドは顔を歪め、ガクガクと震える四肢に力を込め、耐え続けている。
意識こそ保ってはいるが、視界は歪み、耳鳴りも止まない。
自分が立っている感覚も曖昧で、頭も支えられずグラグラと揺れる。
『ジキルド!制御が乱れています!』
激を飛ばすルーティア。彼女の息も少し上がっている。
そして、頭に響くようなその声を聞いたジキルドは、振り絞るように、歯を食いしばる。
その瞬間、シーツを両側から張ったような、張り詰めた、まるで神域のような空気に満ちた。
気が触れそうな程に濃い魔素に満ち、呼吸さえまともにできない。
その源泉は間違いなくルーティアであり、その舞。
そんな格の高い精霊が生む、高純度の魔素。
ジキルドはその魔素を一身に受け入れ、指輪へとその指向を向ける媒介となっていた。
つまりは、ルーティアにとっての『杖』。その役割を担っていた。
並みの魔術師であれば、四肢爆散してもおかしくないような負荷。
レオンハートだから耐えられる・・、というのも間違いではない。だが、フィリア・・、リーシャでさえ、その負荷に耐えうることは難しいだろう。
それなのに、ただでさえ、末期の身体であるジキルドに、その負担は、文字通り命懸け。
現役のアークであっても、身命を賭すような負荷の掛かる大事。
家族の反対も当然の中、それでも無理を通したジキルド最後の我侭は、その身に鋭く牙を突き立てていた。
それでも、歯を食いしばり、意識を引っ張り上げ、魔素の濁流に身を晒し、役目を果たそうと魔力に集中する。
ルーティアの舞が激しさを増すと共に、魔素の密度も高まり、指輪の放つ光も太陽の如く眩さを増してゆく。
徐々に、あまりの魔素の濃さに、空気が結晶化し、花弁と共に舞う。
まるでダイヤモンドダストのような幻想的な光景にも、感動を覚える余裕はない。
しかし、ジキルドたちとは離れた、桟橋の人々の目は惹いたことだろう。
視界を覆い尽くす霧も水の中までは隠せない。
その為、目の前よりも、澄み渡って鮮明に見える湖の底。
そこに光を放ち始めた『翡翠の神殿』が見えた。
――――翡翠宮
人々は大きく歓喜に沸いているだろう。
それは、御伽噺にもある。歴史的建造物。
普段は、澄んだこの湖であっても、見ることが叶わない神聖な姿。
そこに雪のように降り積もる、煌く結晶。
その塵積もった結晶の中からは、無数の蝶が生まれ出て、湖の中を舞い、神殿を更なる幻想的なものへと昇華していた。
まるで絵画に描かれるような、荘厳で、神々しいい光景。
そんな光景に感動するどころか、視線を動かしわざわざ見る余裕さえ、今はない。
強い光を放つ指輪だが、その光の眩さに指輪の姿は見えない。
それでも、激しく爆ぜるような音と、弾ける光は、少しの間も作らず、永遠と続き。
その存在を強めている。
そしてその指輪に向かう魔力の奔流も、魔力視なしで目視できるほどに濃密で、異常なものとなり、ジキルドから悍ましい勢いで吹き出していた。
大河を一人その身で抑えるような光景は、圧巻の一言だ。
しかし、ジキルドは全盛期は愚か、日々、その調子が降下している身。
後ろで、息苦しいそうに喉を鳴らしていたルシアンが、咄嗟に踏み出した。
それと同時に、ジキルドは踏み外したように、急に片足が湖に沈み、バランスを崩した。
朧な意識の中、身体を支えることもできないジキルドは重力に従う。
だが、水の中に沈む前に、ルシアンが滑り込み、その背に支えられるように沈み込んだ。
「・・あ、りが、とう・・助か・・った」
「グルっ」
声すら、掠れて絞り出すのもやっとなジキルドに、穏やかに喉を鳴らすルシアン。
ジキルドは柔らかな鬣に身を委ね、力を抜いた。
『ご苦労様です。よく、耐えてくれました』
そこに、ゆっくりと歩み寄るルーティア。
肉体を持たぬ筈のルーティアだが、少し上がった息と、紅潮したような頬は、わかりやすく舞の凄さが伝わる。
更に、気づけば、その場の空気が変わっていた。
澄み渡った清涼さは変わらないが、その場を満たしていた圧はもはや微塵もない。
寧ろ、普段より息がしやすいほどにまで、清々しい空気だった。
『老いたとは言え、流石はレオンハートの長ですね』
「・・手加、減、も、何も、ありま、せん、でした、ね」
『我が子の婚姻に、手加減をするつもりだったのですか?』
そう言って悪戯に微笑むルーティアは先ほどまでの張り詰めた雰囲気とは全くの別人のようで、ジキルドも安堵に、頬が緩んだ。
『ルシアン』
ルーティアの目の前に舞い降りる指輪。
力が飽和し、淡く光を纏い、微細な振動をしているが、それは間違いなく祝福を多分に受けて完成していた。
『お願いしますね』
その指輪を差し出すように手を向ければ、指輪は漂うようにルシアンの前に向かった。
それを、来た時と同じように咥えたルシアンは、ルーティアに深い目礼をして、一歩下がった。
「・・ルーティ、ア、様。こんな、姿で、申し訳、ありま、せん、が・・・祝福を、いただき、ありが、とう、どざいま、す」
『ゼウスとグレースに、お幸せにって伝えてくださいね』
「・・かな、らず」
ルシアンの背に伏せたまま、何とか顔だけを半分上げ、ルーティアに感謝と目礼を送ったジキルドに、優しく微笑んだルーティア。
それを、待ってルシアンが来た道を戻るように踵を返した。
『・・ジキルド。身体には気をつけてください』
「はい・・あり、がとう、ございます」
『・・・・ずっと一人でいるのも寂しいのです。・・・旅立つ時には、翡翠宮で、お茶をしに寄ってくださいね』
「・・はい。・・その時に、は、お気、に入りの、茶葉を、お持ち、いたします」
微笑みに少し影を落としたルーティアに精一杯の明るい声で返すジキルド。
事実、ジキルドには何の悲しい気持ちもない。本心からの楽しみ。
最近、最愛の孫娘が作った茶葉。
まだ、流通はなく、身内の特権で飲める、お気に入り。
孫娘が作ったからというのも、理由の一つではあるが、同時に味も好みだった。
若草色・・いや、翡翠のような美しい緑の茶。
最初はティーファの髪色から、そのまま、『ティーファ』と名付けようとしていた茶葉。
流石にティーファ自身がそれは嫌がった為、違う名前となった。
それも、今朝方。
「・・・『月の妖精』と、言って、ルーティア、様には、特に、おすす、め、したかった、ので」
『・・・『月の妖精』・・。・・そう、ですか・・。それは・・楽しみですね』
ジキルドの朗らかな表情に、返すように微笑むルーティアだったが、そこに滲んだ寂しさは隠しきれていなかった。
二人の間に落ちた沈黙。
それを、会話の終わりと見たのか、ルシアンは、ジキルドを背負ったまま歩き出した。
ルーティアはそれを止めることなく見送るが、ジキルドは慌てて、再び目礼をして、失礼する侘びをした。
そして、再び、ルシアンの背にもたれるように身をゆだねた。
『・・・ジキルド。ティアラの事・・ごめんなさい』
その時、背にかけられた声に、ルシアンは歩みを止めた。
「ルーティア、様?」
『・・・ティアラは、私の、お気に入りでした』
「・・はい。知って、います、とも」
『それなのに・・何も、出来ずっ・・・・・。もっと、私がっ』
それはまるで、罪の告白のような、悔みに満ちた声。
精霊、それも神格を得るような大精霊のルーティア。その告白。
そんな姿が、精霊らしくなくって、寧ろあまりに人間臭くて。
こんなルーティアだからこそ、人々から愛されるのだろう。
そして、それはジキルドとて、例外ではなく、ルーティアを優しく見つめた。
「大精、霊、たる、ルーティ、ア様、は、過度な、干渉は出来、ない、でしょう」
『それでもっ・・・』
苦しげなルーティア。
だが、その苦しみを拭える言葉をジキルドは知らない。
自身でさえ、その苦しみを抱えているのだ。何か慰めなど、出来なかった。
どんなに言葉を尽くしたとて、その苦しみを許すことは出来ない。
「ルーティア、様、は、あの子の、憧れ・・でした」
『知っています・・・。そして私ににとっても、そんな彼女が――――』
「はい。・・だから、忘れ、ないで、頂けない、でしょう、か?・・・・憧れ、の、ルーティア、様の、中に、ずっと・・置いて、いただけ、ない、でしょう。か?」
ルーティアの目に涙が溢れた。
その涙は目から溢れると同時に、宝石へと代わり、ボロボロと湖に落ちていく。
宝石は魔力を淡く発して、弱い光を灯して、湖の底に落ちていく。
「お願い、できま、すか?」
ジキルドの柔らかな声に、何度も頷いたルーティアは、涙を止めるように天を仰ぎ、そして、横目に、ジキルドより更に先を見つめた。
その視線を追うように、ジキルドも視線を動かし、その視線の先を察した。
「・・ティーファ、は、ティアラの、生まれ、変わり、なの、でしょう、か」
『流石に大地に還り、浄化された魂を特定は出来ませんよ』
「・・そう、です、よね」
『でも・・・。・・・何だか、懐かしいです』
その言葉で十分だった。
ジキルドは一層柔らかく微笑むと、何かを噛み締めるように瞼を閉じた。
ルーティアも先を見つめたまま、元の微笑みをたくわえていた。
気づくと、周囲を覆っていた霧も薄まり、青い空が透けて見える程度には、霧が晴れてきていた。
『・・それと、ジキルド。・・・声が聞こえました』
「声・・です、か?・・何方の」
『・・・・・『ステラ』の声です』




