9 飛ぶ天使
フィリアが手を払うと同時にふた振りの剣はハイロンドに向かって高速滑空での剣宊をかました。
それをハイロンドは大剣を盾にして身をひねるようにして二本同時に止めた。
それをきっかけに二人の立合は開始した。
剣突を防がれ剣達は身を翻すように斬撃を始めた。
二本の剣は各々全く違う動きを見せ全く違う位置どりでハイロンドへ剣撃を叩き込んでいく。
しかしさすがハイロンド。騎士団長の肩書きは伊達ではないらしくまるで剣舞でも舞うかのように力強くそれでいて雅にその剣撃を確実に対処していく。
時には躱し、いなし。時には叩き落とし、鍔迫り合いで押し返す。
その上ハイロンドは攻撃にも転じる余裕が有る。
鋭くした視線をその対象へ向ける。が、そこには先程までいたクッションを抱えた赤子はいない。
ふわりと舞うようにハイロンドの頭上を翻る小さな影。
それに瞬時に反応し、ハイロンドは視線を動かすが、その影を捉えるより先にその身には水が浴びせられた。
しかもその水はただの水ではなく、体中に雷撃が走った。
「っが!?ぐっ・・」
呻きが漏れたがそれは一瞬。
ハイロンドは体制を崩すこともなく背後に回った小さな影に向かい横薙ぎに剣をなぎ払う。
ガッギャッガッシャァァーーン
重い金属音と直ぐにガラスの割れるような音。
そしてその音と共に小さな影は軽く吹き飛ばされてしまった。
―――っ!くっ!!
その小さな影。
フィリアはハイロンドと距離を取らされたが全くの無傷である。
「防御結界・・それもハイロンドほどの相手の一閃にも術者を守りぬく程に強化な・・」
二人を遠巻きに見つめる大衆の一角でマーリンが考察を始めた。
その隣で先ごろとは全く違う精悍な顔つきでゼウスも顎鬚を弄りながら二人から目を離さない。
「ああ。しかも魔法だ。・・その上あの『水』はマーリン、お前が昔仮説を立てていた理論を実践していたのではないか?」
「・・えぇ。信じられないけど・・」
毎度のことながら自重を彼方へ見送ったフィリアは、魔法の研鑽に余念がなかった。
『水』に『雷』を通しただけの魔法。一見して単純。
そして水は電気を通すと言う常識的な事。しかしそんな簡単なことでもなかった。
フィリア自身偶然に気づいた事実。
水に濡れた対象を感電させる。王道中の王道である戦法をして試してみた。
しかし魔法で出した水に電気は通らなかった。
しばし考えた末、思い出したのは前世の雑学。
純水は電気を通さない。
その理屈までは覚えていなかったが、確か不純物こそが電気を通すみたいなものだったと曖昧な知識を思い出した。
科学の実験の際、何かを水に混ぜていたのをおぼろげな記憶から引っ張り出した。
そしてそれはつまり、魔法の水とは純水。
それもその筈だ。
水をイメージしても泥水を思い浮かべることはないだろう。
あとは簡単。それなら工夫を凝らせばいいのだ。
空中の見えない埃やら何やらを抱き込めばいい。
言葉にすれば簡単だったが、当然そんな単純な話ではない。
しかし、フィリアである。
出来た。出来てしまった。
その上さらにその不純物さえ繊細に操れてしまうようになってしまった。
・・・その繊細な魔力操作によってさらには飛躍的に魔力が増えてしまったのは知らなかったことにしよう。
結果的にできたのは絶縁体の純水チューブと自在な真水によって指向性を精密に制御された雷撃。いわば電線である。
それもフィリアの意思によって自由自在な。
フィリアは知らないが今回の相手ハイロンド。その装備には魔法対抗性もある。故に普通の魔法攻撃であれば無意味だった。もちろん雷を打とうと。
しかし水のような液体に隙間から入り込まれ、そこに流された雷撃には流石に無傷とはいかなかった。
鎧の装備の効果で致命傷とはいかなかったがそれでもダメージは確実にあった。
ちなみにフィリアはこの魔法をスタンガン程度だと安直に考えているが。殺傷能力は比較にならない事に気づいていない。
次に、ハイロンドの横薙ぎを防いだのは今やへし折れてしまった2本の剣とこれまたフィリアの楽観思想が暴走した結果生み出された魔法。
きっかけはなんてことない自衛意識という建前の好奇心である。
―――防弾チョッキを作ろう
そんなふざけた思いつきから始まった。
最初は体に沿うように魔力の膜を纏わせていた。
その膜を固くしたり厚くしたり編み込みのイメージを持たせてみたり。
その時点でも中々に笑えない代物ができたりしてはいたのだが、何を思ったのか。
―――・・・核シェルターってどんな構造なんだろう・・・
などとほざきはじめた。
シェルターを着るのだろうか。いやそもそも何を想定しているのであろう。
もはや個人自衛ではなく国家自衛の対策を考え始めているのだろうか。
結果として当然、核シェルターの構造を知るわけもないために行きつけなかった。
しかしそれでも十分に頭のおかしいものが出来ていた。
最初は頑強な膜を作っていたが、それの質を高めれば高めるほどに厚みが増していく。密度を高めてみたがそれはそれで一点の圧力に弱くなってしまっていた。
本来ならそこからさらに時間をかけて解決策を導き出す、故に現状はそこまでで終わるはずだった。だが残念ながらフィリアは浅慮ではあっても知識を持ってしまっていた。
膜を幾重にも重ね。その膜に工夫をする。
頑強で硬い膜を挟み少し柔軟性のある膜を張る。おかげで衝撃を緩和し逃がすことが可能になり。無駄に優れた魔力操作で隙間なく密着させていく。
その上幾何学模様の編み込みさえその中に入れるものだからその強度たるや、魔法と言う異次元の力と前世の防弾ガラスに似た構造によって全く笑えない性能にまで至ってしまった。
もちろん本人は全くの無自覚。
しかしその厚みは少々防弾チョッキの概念から一脱している為、今回のように盾や壁のような使用方しかできなかった。
それにしてもそんな非常識の塊のような産物フィリアを相手に吹き飛ばしたハイロンドの攻撃力の高さは純粋に息を飲んでしまう。
当のフィリアは自身の作り出した非常識の性能を理解していないためあまり驚きはない。
前世であればミサイルさえギリギリ防げる程だというのに・・
―――ちっ・・何枚か割られちまった・・
ミルフィール状の魔法版防弾ガラスを何枚か割られた上に衝撃回避から少々大げさに宙を舞ったフィリアだったがそこは無傷。
吹き飛ばされたようになっていたがその実ほとんどは浮遊の魔法による緊急回避と加減のわからない受身でしかない。
第一ウェーブを互いに凌ぎ二人は最初以上に距離を取った状態となっていた。
二人共気は張ったままだったが僅かに息をついた。
互いに油断はない。
フィリアは云うもがな、ハイロンドに対しての危機感と今の第一ウェーブでの僅かな光明から油断は愚か僅かな隙も見せまいとしていた。
ハイロンドは最初から予測指数を最大値まで上げていた。期待指数とも言うが・・。
そこには赤子だからという油断はなかった。それにも関わらず決して少なくないダメージを負わせられていた。確かに傷をつけてはいけないと言う前提ではある。だがそれでも手は抜いていない。故にあの瞬間。最後の一撃は前提を多少無視してしまった。そしてそれでも目の前の赤子は無傷である。嫌でも口角が上がるのを抑えられなかった。
フィリアの攻撃は確かに効いてはいたがそれでもあと何回同じレベルの攻撃をすればハイロンドの膝を折れるのかはわからなかった。
それに比べて世界共通一致でフィリアはハイロンドの攻撃一回で戦闘不能だろう。おそらくかすった程度であってもあの威力であれば余波だけであまりに幼く脆弱なフィリアの身は持たないだろう。
ノーダメージの縛りプレイなどと余計な考えが思考を過ぎり皮肉に笑ってしまう。
そんな二人の張り詰めた集中とは違い、周囲の盛り上がりようは最高潮だ。
最初こそフィリアの余りにかけ外れた規格外さに吃驚仰天し、その表情は誰も彼も面白い出来だった。アークらのように知っているものでさえ動揺を隠せなかった。
もはや皆が皆、大仰なリアクションである。そして第一ウェーブを乗り越えた今は大きな咆哮と共に賞賛と興奮が爆発している。
気味悪いと思う者も恐れを抱く者もいない。
その恵まれた境遇に感謝すべきかそれとも信仰的な熱量に恐れを抱くべきか・・。
この状況に気づいていないフィリアはそんな新たな問題が生まれたとは知らないだろう。
ちなみにその先頭に自身の姉兄が立っていたことには目を逸らしたほうがよさそうだ。
そんな中一際冷静に現状を見つめるのはゼウスとマーリンだ。
見極めはもちろんだが、それ以上にふたりの好奇心を揺さぶる魔法に真剣な視線を外せない。
もちろん驚嘆の想い等しくあったがそれ以上にこの二人は甥姪大好きな曇りフィルターを持っている。故に「さすがフィリア」や「フィリアなら当然」などという、「フィリアは天使で天才」という共通意思を共有してからは動揺などない。
むしろフィリアに悶絶する姿の方が多い。
「それにしても可愛いなぁ。・・・アークから聞いていたがあの飛行の魔法はすごいな。」
「えぇ。もはや可愛すぎて食べてしまいたいわ。・・・というかむしろ聞いていたよりもよっぽどスゴイわ。聞いていたのは『浮遊』だけだったけどあれはもはや『飛行』の魔法ね」
二人は視線をフィリアに向けたまま言葉を交わしていた。しかしどうにも考察の方がついでに聞こえてしまう。
・・気のせいだと思いたい。
そしてふたりが言うとおり。この一週間でもっとも進化したのは浮遊の魔法。
正確に言うのであれば『重力』を操る魔法。
この魔法は裁判の際にも感じていたとおり、あまりにもフィリアとの相性が良かった。
その証拠にこのたった一週間でその練度は他の魔法を追い抜き、ひいては追随もできぬ程に引き離した。
応用も、もちろん多様でその中でもこの浮遊移動は、飛行といってもいいほどの速度も容易く出せる上に何より浮遊移動程度ならば息をするような感覚で容易に行えるようになっていた。
今やフィリアは、歩行はできないがそれより容易に飛行はできるというデタラメな存在になっていた。
まぁ当の本人は歩くより楽な移動手段程度の考えで危機感の欠片もない。
非常に腹立たしい・・。
「しかもなんだあのクッションに乗っかってフヨフヨと・・・。可愛すぎんだろっ!天使か!天使なのかっ!?」
「しっかりして!おにいさん!気持ちはわかる!すっんごくわかる!けど耐えるのよっ!耐え切れなければあまりの可愛さに死んでしまうわっ!!・・っく!あの可愛さ!私たちを殺す気なのかしら!あっっ!?少し小首をかしげたわ!!もう無理!死んでしまうわ!!めちゃめちゃ可愛ィィィイイイィィィっ!!!!」
・・・・・。
・・・まわりはとにかく。
重力の魔法のその成果は直ぐに目の前で示された。
見つめ合ったままだったフィリアとハイロンド。
互いの時間がひどく遅く感じふたりの音だけが嫌に大きく聞こえる。
その時ハイロンドが汗で僅かにずれた握りを直した。と、同時にフィリアが飛び出した。
弾丸のように早く、真っ直ぐにハイロンドに向かう。
その瞬間何人かの騎士から小さく「あっ」と漏れたが二人には届かない。
ハイロンドの動きは確かに遅れたがそれは遅れとも呼べないほど。一瞬にも満たない時。
故にハイロンドの振るった剣は確実にフィリアを捉えた。
ように見えた。
しかしフィリアはありえない軌道を描いてその剣閃を躱した。
それに対してのハイロンドもやはりさすがなもので驚きも動揺も抱かずまるで初めからそうなるように決めていたかの如く剣を返し的確な二撃目をフィリアに振るう。
だがそれも寸前のところで鮮やかに躱される。
ハイロンドは素早い速度でのバックステップを行い同じように剣閃を紡ぐが紙一重で躱される。しかしフィリアに余裕はない、精一杯の回避なのは一目瞭然だった。故にハイロンドも変らず剣閃を切らずに振るい続ける。
フィリアの方も全力の回避と進行を見せている。
なんとか懐に入りたいが入れずにいた。
バックステップが思った以上に早く、その上襲いかかってくる剣はあまりに的確だった。
フィリア自身はもちろんだがその上進行方向を潰すような攻撃に無理矢理にルートの変更を余儀なくさせた。
速度はフィリアが圧倒的に上だが。やはり戦闘経験の玄人に対してはそのアドバンテージを活かせるだけのものがない。
―――だがっ!まだだ!
「っ!?」
僅かに剣閃が乱れた。
ハイロンドへの剣撃が増えた。
それは先程迄の余剰を残す様子を失わせていた。歯を食いしばり眉間に寄せる皺。筋肉に浮かぶ血管。汗の量も急激に増えた。
先を見据え、技を見極め、剣を紡ぐ。
そんなハイロンドの剣は目の前の今この瞬間の対処に手一杯になってしまっていた。
その理由はフィリアとともに自身の懐に入ろうとする五本の剣だ。
フィリアの自在に操る剣。
先程二本の剣は折れてしまったがフィリアは飛び出すと同時に他の騎士の腰から拝借していた。
それも先程は二本操ったが今ハイロンドを狙うのは五本。更にフィリアだ。
フィリアを落とせば問題ないが五本の剣はフィリア自身と同等以上の動きをして強襲してくる上にフィリアの防衛も絶妙。
先程フィリア一人に対しても全くかすらなかった剣。そこに今度は同じ精度の動きをしながらも当たってくる剣があるのだ。
一本の線を紡ぐようだった剣閃もその度に途切れる。
しかしハイロンドが手一杯になったのはそれだけが理由ではない。
「くっ!?またっ」
対処しようとした剣撃は急に勢いをなくした。
原因は目の前で急に制御を失った剣。フィリアの五本のうちの一本だった剣。
その本当のやっかいさは直後に来る。
直ぐさまハイロンドは剣を振るった。
キンッ
先程までと全く違う場所から『新たな五本目』がハイロンドに襲いかかる。
まわりを見れば十数本の剣が地面に刺さったり転がったりしている。
その場には先程までは騎士の腰にあった剣がそこらじゅうにある。
それをフィリアは順繰りに囮と差し替えていた。
それこそがハイロンドの思考を止めさせる一番の要因だ。
戦場では一対多などよくあることだ。その上訓練でも日常茶飯事。
しかしそれとも違った。目の前の脅威が突如消え見当違いの方向から来るのだ。
その上その驚異は周りに散乱する十数本全てでどれがいつ牙を剥くのかわからない。
唯一の救いはフィリアの制御限界はおそらく五本という事とフィリア本体を懐に入れなければ良いことだった。
故にこのまま凌ぎなんとか隙を伺っていた。
速度は脅威だったが実際五本の剣とフィリアならばなんとか凌げている。
ハイロンドの考えは正しく。
現在のフィリアに制御できるのはこれが精一杯で増やせばあからさまに精度が下がる。
ハイロンド相手では精度が下がった瞬間終わってしまうのは明らかだった。
これ以上増やすことはできない。
そして勝つにはフィリアが懐に入るしかなかった。
故にハイロンドは負けた。




