124 ベット常駐のお姫様
「・・・・・」
『・・・・・』
フィリアには苦手なものがある。
虫、しめじ、ノルマ・・・そして、お化け。
このところ、フィリアはよく、金縛りにあったように固まることがある。
実際は金縛りなどではないのだが、マリアやミミからは時折、心配するように声をかけられる。
そしてそれは、マリアたちがいない時にもなっている。
多くは早朝、というより、起床時。
微動だにせず、瞬きにすら気を向けている。
当然、声は発さず、息遣いも出来るだけ静かに。
まるで、猛獣と遭遇したときに、相手を刺激しないようにするかのように。
息を殺し、気配を殺し、只々過ぎ去るのを待っている。
「・・・・・」
『・・・・・』
ベットに仰向けに横たわるフィリアは、目を開けながらも焦点を合わせることはない。
何故なら、そんなフィリアの眼前でジッと見つめる存在と目が合い続けているから。
――――無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理
黒髪黒目の幼女。年の頃はフィリアと同じ位。
漆黒のドレスを身に纏い、その幼さに似つかわぬ、妖しい気配を放っている。
――――怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
そんな幼女が、横たわるフィリアと平行に浮いている。
その距離10センチ程度。
フィリアは何の反応も示さず、身体だけではなく、表情さえも微動だにしない。
この時ほど日頃の淑女教育が活かされた事などない。
目覚めてどれだけの時が経っただろう。
一分にも満たないのかもしれない。だが、フィリアの体感は無限にも思えるほどの時の中にいる。
「姫さまぁ。朝ですよぉ」
――――ミミ!!神!!
無表情で何の反応も見せないフィリアだが心の中で歓喜した。
そんなフィリアに反して、目の前の黒の幼女は、ミミの声の方に顔を向け、扉が開く前に霧のように掻き消えていなくなった。
「姫さま。おはようございま・・・どうしました!?」
無表情の中に一筋伝う涙。
ミミは慌てて駆け寄りフィリアの顔を覗き込んだ。
すると、ゆっくりと小さな腕がミミの首に巻き付いた。
「・・みみは、てんしです」
「天使は姫さまですよ」
天の救いなミミに向けた感謝は、黒歴史なナイフになって返ってきたが、今ばかりはそれに反骨する余裕はない。
「体調は、どうですか?」
「・・うん。げんき」
SAN値以外は・・・。
「それは良かったです。今日は結婚式当日ですから」
「え!?」
一週間、時間が飛んだ。
「・・今回ばかりは焦りましたよ。魔力枯渇・・それも、これまでは、枯渇してもある程度、残っていたのに、今回は本当に底が付いていて、四日間も生死を彷徨ったんですから。マリアなんて心労で一度倒れたんですよ?」
そんな状態なのに、今のミミがあまりに普段通りなのは、その峠を超えた後、医師よりあとは普段の虚弱さ故に眠っているだけだと聞かされたから。
それでも、本来なら心配になる所だが、幸か不幸か、フィリアにとってそれはあまりに日常。
目を覚ますまでもなく、普段と同じなら、何の心配もない。
要は慣れ故。
フィリアの意識の有無より、医師の診断にこそ、彼女たちの信頼があった。
そして、何より、その原因は、フィリア本人。
言うまでもなく『ミサンガ』こそが原因。
「間に合って良かったですね」
それにしても、もう少しこう・・感動や喜びがあっても・・。
などというのは、フィリアの身勝手。
と言うか自業自得。まさしく普段の行い故だろう。
ミミの笑みに複雑なものを抱きながらも、今のフィリアにとってミミは命の恩人的な存在。
言葉は愚か、表情にさえそれを出せはしない。
ところであの黒の幼女はなんだったのだろう。
フィリアは出来るだけ考えないようにしているが、本当に幽霊なのだろうか。
ここ最近頻繁に、さっきのような事があり、目にする事が多いが。
前にも一度、あの子を見たことがある。
その時は、本を読む姿が幻想的で、恐怖心など全くなかった。
かと言って何か感情を抱いた訳ではないが、その時は、幽霊とは全く異なる存在に感じられていた。
だが、それも前までは。
急に目の前に現れ、幻のように消える。
言葉は発さず、息遣いも気配もない。
フィリアの恐怖も仕方ないだろう。
大きな姿見の前で、ジキルドにアンリは後ろから豪奢なローブを羽織らせた。
「体調は本当に大丈夫なのですか?」
「あぁ問題ない。・・まぁ、例え悪くとも向かうがな」
「でしょうね」
「あの子の晴れ舞台だからな」
呆れた息を漏らすアンリに鏡越しに笑みを見せるジキルドは、また一段と老けていた。
実年齢より二十も三十も上に見え、アンリとさえ親子のように見えるほどだった。
鏡越しに見えるのはアンリだけではなく、ジキルド個人に忠誠を誓ってくれた、忠臣、リチャードもいた。
だが、そこにある痛ましい表情を直視できず、見ぬふりをしてしまう。
「・・それに、私にとって最後の大役だ。誰にも譲れまいよ」
「貴方はもう大公ではないのだから、アークにまかせれば良いではないですか・・・。まぁ、我が子の、一世一代ですから、気持ちはわからなくもないですが」
小言を呟くアンリだが、ジキルドはそんな妻の姿を見て、笑みがこぼれる。
それは、大公妃だった頃、大事な場面で着ていた、青いドレス。
位を譲ると同時に、もっと落ち着いた色のドレスに変わったが、今日はその色なのだと、ジキルドはアンリだって自分と大差ないではないかと、嬉しくなった。
ジキルドが羽織るローブは、大公時代に身に纏った『魔導王』らしい、荘厳なローブ。
豪華で煌びやか、装飾過多なローブは実用性などないが、ジキルドの世代にとっては、それこそが『魔導王』の証として、思い出せるような、印象深いローブ。
そこにノックの音が響いた。
「お父様、この薬を飲んでちょうだい」
部屋に入ってきたのはマーリン。
まるで百合の花のような丸みを帯びたドレスに身を包み、髪も複雑に編みこまれている。
ただ一つ、不釣り合いなのは、その見慣れたメガネ。
「マーリン。メガネは外したほうがいいんじゃないか?」
「わかってるわよ。・・全く誰のせいだと・・・、お父様が無理を押してまで儀式に参加するっていうから、薬を調合してきたのよ。式までにはお化粧も直しますから」
不機嫌なマーリンにジキルドは苦笑を漏らすが、それ以上に何かをいう資格はジキルドになかった。
本来なら、式典にだって、少しの参加にするよう子供たちに言われたのに、自身の我侭を通したのだから。
ジキルドは手渡された薬を見てマーリンの愛を感じる。
正直、もはや、薬の効果はほとんどない。
これまで抑制されていた老化も、加速の一途を辿るだけで、緩和などされなくなってきた。
それは、マーリンの腕がどうのの話ではない。
・・・もう、限界が近いのだ。
そしてそれを、本人以上にマーリンもわかっている。
だからこそ、彼女の作った薬は、今や老化よりも、痛みや苦しみを抑制するように効果を変えてくれている。・・ジキルドには気づかれてはいるが、内密に。
それも、弱った身体への負担を最小限にするよう苦心して。
ジキルドはその薬を呷る様にして一気に飲み下す。
正直、気休め程度の効果しか望めないが、それでも、ジキルドにとっては、何よりも効く万能薬だった。
更に口直しにリチャードが差し出すのは、フィリアが監修した煎茶。
ジキルドにとってこれ以上ない薬ばかりだ。
ザアーーーー
「・・ねぇ、まりあ。いれすぎじゃない?」
「問題ございません。マーリン様の調合ですので」
「たくさんいれたからって、こうのうは、かわんないとおもうけど・・・」
自慢の露天風呂に浸かるフィリア。
その水面には数多の植物と果実が浮かび、澱んだ池のようになっている。
更には、現在進行形でマリアが何かの粉末を大量投入しており、透明度が無いに等しい。
控えめに言って、ドブにしか見えない。
「・・まりあ。やくとうって、こういうことじゃないとおもうの」
「姫様。私がどれほど心配したと?」
「・・・」
それを言われてしまえば、何も言えない。
「そもそも、姫様は魔力枯渇でよく倒れられておりますが、本来レオンハートの方々であれば、絶対あってはいけない事です。何しろ、レオンハートの方々は遺伝的にそのまま死に直結するのですから。・・・なのに、姫様はそれが寧ろ常態化しています。そして遂には、今回、危うく死にかけたではありませんか。・・少しは御身を・・いえ、私共を想って自重くださいませ」
フィリア自身ではなく、マリアたちを想って・・。
実にフィリアの弱いところを突いた言葉だ。
だが、その言い方はずるい以上に、侍女としての範疇を超えた物言い。
それをマリアが口にするなど、本来なら有り得ない。
だからこそ、フィリアは珍しく、しおらしい様子でマリアの言葉を浴びていた。
マリアにとってそれほど、今回フィリアが倒れたことは、堪えた。
本気でフィリアが死ぬかと思ったのだ。
甘んじてマリアの叱責を受け入れて欲しい。
「私共だけではありません。アーク様やリリア様、レオンハートの方々皆、姫様の心配をしておりました。・・本当なら、姫様が目覚めたと聞いてすぐにでも駆けつけたいでしょうに。・・姫様は魔力枯渇で倒れたのだから、起き抜けで魔力を乱さぬようにと、控えてらっしゃるのですよ。・・そんな皆の気持ちをどうか汲んでくださいませ」
「・・・はい、ごめんなさい」
マリアが抱いた、侍女として控えようという考えはもはやない。
寧ろフィリア相手に遠慮していてはダメだと身にしみてわかった。
故に、今後も今まで通り・・いや、一層、フィリアに苦言を呈す事にした。
もちろん主人を立て、意向に添う事は、今後気をつけようと思うが、それ以外はより一層轡を締める事を決めた。
それともう一つ。
グレースから錠を購入することは決定事項となっていた。
と言うか、発注済みだ。
「特に魔法、取り分け新しい魔法に関しては、より慎重に。そして相談して、安全性を確保した上で行ってください」
「・・はい・・あ、そういえば、みさんが、わたしてくれましたか?」
「・・・・・」
本当に反省してるのか、と叱りたいところだが、そこでマリアは言葉のみならず動きをも止めた。
「・・まりあ?」
「・・・・・・・・はい・・・滞りなく・・・」
「ありがとう!おじさまも、ぐれーすさまもよろこんでくれた?」
「・・・・・えぇ・・とても・・」
歯切れの悪いマリア。
その理由は、その時の状況と、フィリアに対する後ろめたさ。
フィリアの事があって、マリアはミサンガを特級危険物扱いにした。
グレースにも持っていたが、その理由はフィリアからのプレゼントとしてではなく、それが魔法関連の危険物だと判断したため。
危険物処理の者たちと、軍部の兵。更に大公家お抱えの魔導師団、実質世界最高の魔術師集団まで引き連れて、仰々しいほどの万全体制でグレースの元を訪れた。
そして、危険物処理場を貸切り、事に当たろうとした。
だが、一目見たグレースは、嬉しそうに微笑み、何の警戒心もなくミサンガを手にとった。
マリアは焦り、手を伸ばし叫んだが、それに返って来たのは、穏やかな「大丈夫」の言葉。
グレースが言うには、確かに魔法が編みこまれてはいるが、それだけで、何か害があるわけではないという。それどころか、込められた魔法、願いは持ち主の幸せを強く願った物で、強力な加護がかけられているらしい。
そして、その対象さえ、わかりやすいほどに、純粋に強く願われた魔法だと。
フィリアが魔力を使い切ったのは、そんな強力な加護を付与したミサンガを、付ける際に更なる魔法を願い、その相乗効果もあってではないかと結論づけられた。
つまりは、幼い幼女、それも己が主人の純粋な祝福を疑い。
あまつさえ、過剰なまでの対処戦力をかき集めたのだ。
フィリアの日頃が日頃なのだからマリアに何ひとつも非はない。
そう思うが、今ばかりは、マリアに同情するしかない。
「あれは、『ぷろみすりんぐ』ともいって、ゆびわのかわりにもなるんですよ。・・いっぱい、しあわせになれるようにねがったから・・よろこんでくれてよかったぁ。・・しあわせになってくれるといいなぁ」
純粋な想いがマリアを刺した。




