119 魔力覚醒
「この間、フィリアちゃん、魔力暴走したでしょう?・・あの時のこと、覚えてる?」
「ふぇ?・・・えー、と・・・・・・て、てん、し・・になってました」
大事な部分があまりに小さく聞こえづらかったが、グレースはそれに突っ込まず、苦笑のみで察してくれた。
「あれは『魔力覚醒』と言われる現象で、魔力の成長期に大きく感情が揺れた際に、よくある事なの」
「え!?じゃぁっ、みんなてんしになるんですね!!」
希望を見出したかのように活き活きとした目を向けるフィリアに、グレースは困り顔で苦笑を深めた。
「・・天使は、いないかなぁ・・・」
「うぐっ・・」
いつものキレのある否定じゃない分、余計にフィリアの胸に突き刺さった。
そろそろ自分が人から外れてると、自覚するべきではないだろうか。
褒め言葉ではないが、君は人とは違う。特別なのだ。
「大丈夫です!天使は姫さまだけですよ!!」
遠くから叫ぶミミの純粋な慰めが余計に胸を抉り、辛い。
地面に突っ伏すようなフィリアを見て、グレースは改めて咳払いをした。
「この現象は個人差が大きいの。魔力量もそうだし、その時の状況や、揺れる感情の大きさにも左右されるから・・・その・・あんまり、気にしないでね」
「うぅ・・」
「・・一応小さいものだと、熱っぽくなったとか、瞳の色が変わったとかだから。フィリアちゃんも似たようなものだよ・・広義では、うん」
全然似ていないと思うが。
それが、グレースの精一杯のフォローだった。
確かにあの時フィリアは熱をもち、瞳も光っていたが、決して同列ではないだろう。
「それに、あれは魔力暴走の副産物だから、再現は難しいし、大丈夫だよ」
その言葉にようやくフィリアは顔を上げた。
藁をも掴むような表情にグレースは目を逸らした。
『難しいだけで、出来ないわけじゃないと思うよ』
「りあ!?おいうちをかけないで!それに、あなた、やっぱりひとのことば、わかってるでしょ!!」
『そんなに怒っちゃダメだよ。『天使』様・・フフ』
「りあっ!?」
頭の上に声を荒げるが、長閑な黒猫にはまるで何処吹く風。
何一つ報えてはいない。
「・・とにかく、それが魔力の急激な成長の起因となって、フィリアちゃんの魔力が爆発的に増えたのでしょうね。そして、急激に増えた魔力を制御しきれない今の状態では、只でさえ魔力に過敏になっている、お義父様と会うのは控えたほうがいいという事よ」
グレースなど、もはやフィリアに構うことを辞め、講義を再開しだした。
フィリアが体感する以上に、フィリア自身の魔力は大きく成長している。
軽く見積もっても倍では効かない程。
それほどまでに突然、異常なまで増えた魔力。
どんなに魔力制御の練度が上がっていようと、その制御するべき魔力がこれまでと全くの比較にもならぬ程の規格となっては、拙くて当然だろう。
「魔力覚醒っていうのは、本来、生まれ持った『魔力の器』を壊してまた新たに、今度は前よりも大きな器を作る事なの。『殻を割る』とも表現されるように、まるで魔力の殻を破り、決壊したかのように急激な変化が生まれるの。それこそ、まるで全くの別物のようになる事もありえる程の現象。個人差はあるけれど、誰しもが経験する事。・・・なのだけどね・・流石に、フィリアちゃんは『ティア』だし、慎重に万全で備える予定だったと思うのよ」
「・・・よてい、ですか?」
あ、どうやら講義はちゃんと聞いていたようだ。
「・・うん。予定。・・・だって本来なら3歳から4歳くらいに起こる現象なんだもん」
「・・・」
『目を逸らさないで、よーく聞きなよ』
まだ何も言われていないのにフィリアはツーと視線を逸らした。
「遅ければ洗礼式くらいまで起きない子もいるし、早ければ2歳でもいるけれど、そういう子は何らかの原因で生まれ持って、魔力の器が正常でない事がほとんどなの。人よりも多くの頻度で魔力覚醒を起こすけど、成長していくに連れて正常な器に変るし、何の問題もない・・のだけど」
前例があるではないか・・とフィリアは胸を撫で下ろしグレースに視線を戻すが、そこにあったのは困ったようにフィリアを見つめる表情。
フィリアはリアの冷め切った目には気づいていない。
「・・そもそも、フィリアちゃんに『魔力の器』なんてないじゃない?」
「・・ふぇ?」
「それがレオンハートにとって一番の弱点でしょ?・・遺伝性の疾患。だから、『魔力の器』もなくて、魔力の影響に過敏で乱されやすいのだしね。そして、だからこそレオンハートは魔力制御を覚えて、『魔力の器』の代換えが出来てからになるから、寧ろ遅いくらいなはずなの」
『呪いと祝福』。
マーリンにも習った。レオンハートの体質。
『魔力の器』という単語は初めて聞いた。だが、その内容はよく知るものだった。
そして、フィリアに至っては、本格的に魔力制御を学んだのは最近でも、実際は生まれて間もなくから面白半分でやっている。
魔力制御のやり方の覚えが早いのも当然だった。なにせ、思いつきでやり始めた事の答え合わせと、調整をしているだけなのだから。
「そうして、そうなると原因は、フィリアちゃんの魔力の成長率が速かったのだと思うの」
「・・・・・」
『絶対、君のせいだね』
正直、日々増える、魔力を面白がっていた節のあるフィリアは、黙って再び目を逸らした。
「正直、『ティア』の名を持つフィリアちゃん程の魔力覚醒なんて何があるかわからないしね・・実際予想外の規格での現象を顕現させたし・・・だからしっかりと準備を――――」
フィリアは居た堪れず、遂には身を縮こめて俯いた。
その時、グレースの目の前を火の蝶が横切った。
グレースはその蝶を目で追い、指を差し出した。
蝶は、戸惑う様子もなくグレースの指に舞い降りる。
不思議と熱さは感じない。
寧ろほんのりと暖かな温度が伝わり心地いい。
グレースはその蝶を見つめた。
指に止まった蝶は、ゆっくりと呼吸するように羽を動かしている。
その羽は、赤とオレンジの、火花の色で、それが銀細工のように細やか模様を作り、ステンドグラスのように細工以外は、向こう側が透けるようだった。
「――――あ」
グレースは、言葉を止め、声を漏らした。
「いたわ」
「・・はい?」
「天使じゃないけど、羽の生えた子」
「えっ!」
フィリアは勢いよく顔を上げた。
そこには罪悪感の影もない。
今の話の内容を、ぽいっと何処かに投げたようだ。
その証拠にそこにあるのは、同志を期待するキラキラとした目。
グレースは離れて控えるフィリアの側近に目を向けた。
そして、目のあったマリアは、今の会話をちゃんと聞いていたようで、深く頷き、静かに歩みを向けた。
「まりあなの!?」
「いえ。違います」
こちらに近づいてきたマリアに、フィリアは嬉しそうに問うが、バッサリと否定された。
無表情でフィリアの傍にやってきたマリアだが、飛び交う火の蝶を見るその表情は少し微笑んだように見えた。
「・・・彼女は、魔力の覚醒を起こすたび、背中に蝶の羽を生やしていましたね」
思い出を噛み締めるような優しい声色で、懐かしむように目を細めた。
「かのじょ?」
「はい。・・ティアラです」
「それって・・アンネの」
そして、ティーファの。
「あの子も、魔力量が多かったからね。お義父様直伝の魔力制御をもってしても、急激な変化には対応できなかったのね」
グレースもまた懐かしむように語り、マリアはそれに朗らかに微笑んで頷いた。
「・・ねぇ。なんで、てぃーがその、てぃあらさんだとおもうの?」
フィリアは気になっていた事を口にした。
確かに、ティーファとティアラには似通った、共通点があるのだろう。
だが、その内容はどちらかというと、ティーファよりもフィリアにこそ当てはまる。
フィリア自身、前世の記憶がある分、違うと否定できるが。
それを知らない者たちからしたら、ティーファよりもフィリアにこそその影を見るはずだ。
花紋も同じだと言うが、それは同じ花というだけ。
花紋は人それぞれ違い、同じ花の花紋でも、その形は千差万別。同じものは二つとない。
同じ花というだけであれば、この世にたくさんいる。
だからこそ、わからなかった。
だが、そんなフィリアの質問に、グレースとマリアは堪えきれなかった様に笑いだした。
二人共、淑女として声を上げたりはしなかったが、口元を押さえた手から声が漏れ、肩が震えていた。
「・・ぐれーすさま?・・まりあ?」
何がそんなに面白かったのだろう。
そう、首を傾げるフィリアに、声を切れ切れに二人は謝ると、咳払いをし、呼吸を整えた。
「・・ティアラは、料理が下手だったのです」
「・・・・・は?」
え・・それだけ?
いやいや、全然理解出来ない。
確かに、この間も、ティアラの料理がどうのとは言っていたが、それがどう繋がるのだろう。
確かに、ティーファも料理は出来ないが、まだ幼いのだから当然だろう。
フィリアの調理助手も務め、これからである。
それなのに、それがなんの決定打になるのか。
「ティアラは幼少より、孤児院に通い、色々なことを学んでいました。その中でも家事は特に優秀で、私の使用人としての技術はティアラから学んだ事がほとんどです。・・子供たちからも母と慕われた、ティアラの家事の技量は完璧なものでした」
「だけどねぇ・・・どうにも・・料理だけは・・ねぇ」
「・・はい、壊滅的でした」
「・・・それだけ?」
「はい。それが一番です」
マリアは言い切った。
グレースも笑って肯定する。
唖然とするのはフィリアだけ。
「姫様は覚えてらっしゃいますか?ティーファが玉葱を調理した時のことを」
「え・・うん。・・皮を剥いてとお願いしたら、身まで剥いてしまって、中身がないと泣いていました」
「じゃぁ卵も覚えてる?」
「あ、はい。殻を割るのに、包丁で切ろうとしてました」
・・・これ事実です。
庭師の子で、畑仕事も申し分ないのに、そこで出来た玉葱の調理を知らず。
卵の破片が入るとか以前の問題。
「全く同じことをティアラもやっていたのです。それも玉葱の次はキャベツ。卵は結局力加減がわからないからと魔術で殻ごと真っ二つに」
『・・ヒメ。まほうで、シュパってしたらダメですか?』
ティーファの無邪気な声を思い出し、フィリアは遠くを見つめた。
そんなフィリアの様子を見て二人は再び笑いあった。
「確かに、条件だけ見れば、フィリアちゃんの方がそれらしく見えるんだけどね。・・彼女を知っている者たちからすれば、そんな条件よりも、そっちの方が、説得力があるのよ」
「えぇ。それにこんな話をした後では説得力に欠けるでしょうが、ティアラはしっかりとした女性でしたから、姫様ではないでしょう」
「・・ん?ちょっとまって。それってどういうこと?まりあ?」
二人だけではない。ティアラを知る者たちは皆、その何でもないような共通点にこそ、ティーファの中にティアラを見たのだろう。
容姿や能力などの、ひと目でわかるようなものではなく。
些細な。知らぬ人間からしたら、意味がわからないような事。
それこそが、彼女たちにとってのティアラだったのだろう。
「ちなみに、共通点だけで言えば、フィリアちゃんの背負っていた『月』も、ティアラの得意技だよ」
「・・つき?・・・あ!せおってました!うしろに、おっきなつきがありました」
天使にフォームチェンジしたフィリアの背後には、魔力が飽和した月が浮かんでいた。
「あれは、『月盃』という技術で、さっき話した『魔力の器』を体外に作り出す、魔力操作の技の一つだよ」
「そしてティアラが『月の妖精』の二つ名を得た、ティアラの代名詞でもあります」
二つ名。つまりは通り名になるという事は、他人が簡単に真似できない技術という事。
「・・えー、と」
「ちなみに、レオンハートでも使える人はいないらしいよ。リーシャちゃんは練習中らしいけどね」
魔力暴走の最中。そんな状況でそんな高度な事を・・。
フィリアの規格外が止まらない。
「まぁこればかりはレオンハートの方が難しいしね。要は『魔力の器』を二つ作るって事だし。・・それに、この技は魔力が多い方が習得しやすいってティアラちゃんも言ってたし、普通に難易度高いよね」
「・・・天使の次はなんでしょう」
離れていても聞こえてるからね、ミミ。
フィリアの冷や汗が止まらない。
月盃。
それは、言ってしまえば外部バッテリーみたいなもの。
魔力を体内のみならず体外にも貯めておく技術。
そして当然ながら、その為には、卓越した魔力操作の技量が必要となる。
体内の魔力でさえ自在に動かすのは簡単ではない。
それを、体内の魔力同様・・いや、それ以上の操作で制御しなければならない。
更に、『魔力の器』を体外に作り出すといっても、『魔力の器』とは生まれ持って備わっているもので意識などした事がなくて当然のもの。それを作り出そうとしても、感覚も何もわからない。
そしてそれが、わかるレオンハートであっても、レオンハートはレオンハートで、今度はそれを体内と体外に二つ作らなければならないという問題が生まれる。
はっきり言って、並大抵の魔力操作では成し得ない難易度だ。
ただ、フィリアもティアラも人外の魔力量を持っていた。
それ故、魔力が溢れやすく、それを制御しようと思えば、体内のみの魔力操作だけでは足りず、体外にも意識が伸びる為、感覚が掴みやすくはある。
だが、フィリアはレオンハートであり、ティアラは違う。
同列に並べてはいけない。
「でも、言い換えれば、それだけ魔力操作が完璧だったという事だから」
「そ、そうですよね!ほめられるべき、あんけんですよね!!」
グレースのフォローに、激しく同調するフィリアだが、それはまだここに来て日の浅いグレースだから。
マリアとリアは冷めた視線を惜しみなく注いでいる。
「規格外である事に変わりありません」
『自重しなよ』
「・・・・はい」




