117 シェリル
そそっかしい。
危なっかしい。
ドジ。
目を離せない。
家族も幼馴染も、近所の人たちも、友人たちも。
皆、一様に私を、そう称する。
だけども、私は、これまでそれに異議を唱え続けてきた。
学校の成績だって張り出される上位者の欄には必ず入っていたし。
八人姉弟の長女で、家事だって家計だって助けていた。
相談事だって多くされたし、頼りにもされてきた。
なのに、周りからの評価は相変わらず。
少々不満ではあった。
私はこんなにもしっかりしているのに・・。
そりゃぁ、たまに、抜けてしまう事もあるけれど、そんなの愛嬌の範囲だろう、と。
でも・・。
今は、心底理解している。
自分の愚かさと、あまりに間抜けな思考。
あぁ自分は、ドジな子だったのだ。
そう、身を持って自覚した。
「はじめまして。くまさん。わたくしは、ふぃりあ・れおんはーとです」
天使と見まごう程の、美しくも愛らしいレオンハートのお姫様。
・・何故に、私はここに居るのだろう。
シェリル・フィルリング。17歳。
獣人の私は、魔術師の侍女面接を受けています。
みんなの言っていたことが、身に染みてわかった。
私は、・・心配な程に、そそっかしい。
――――――――
――――
『君は優秀な生徒だ。だが、それはあくまで、一学生として。社会に出れば、君以上に優れた者など、掃いて捨てるほどに居るのが現実なのだよ。・・君の要望には足りないかもしれないが、この子爵家の条件はかなりの優良条件だぞ?』
『私は獣人で、魔術師なんですよ!』
『確かに獣人の魔術師は物珍しく、稀少性も高いが・・、君は、見世物か何かになりたいのかい?』
『え・・いや、そういう意味では・・・』
『この国には、ファミリアという優秀な魔術師を多く有する土地がある。正直、そこで挫折した者達でさえ、並の魔術師なんぞよりも優秀で、引く手数多だ。・・そして君は、学生上がりの魔術師。経験も研鑽も足りない。言い方は悪いが、並みの魔術師以下だよ』
『・・・』
『獣人が魔術師などというのは、珍しいからね。需要はある。・・だがそれはあくまで『魔術師』として、並以上であることが前提だ。・・今の君では、はっきり言って、物珍しさを売りにした見世物程度でしか、その価値はない。・・・だからこそ、今は、まず下積みと言う意味で子爵家の出仕を受けてみないか?・・君は優秀な子だ。いずれ君自身の実力で『魔術師』として立てる様になれると思う』
『・・ですが、この条件では・・家族を支えることが・・できないんです』
『・・・そうか・・。・・だが、三等校である、我が校ではどんなに優秀生徒でもこれくらいが限度だ。・・・同じ国公立でも、二等校のように専門分野に特出しているわけでもないからな・・』
『・・一般教養は同じじゃないんですか?』
『基本はな・・。ただ、二等校は、それに加え専門学に特化している。一般教養だけなら、我ら三等校の方が優秀な生徒が多いくらいだ。だが、高等学校への進学率が高く、即戦力となり得る者も多いからな』
『・・一等校は・・、王侯貴族とか、資産家・・・権力者の為の学校ですよね・・。そんな人達より、私の方が・・優秀なのに・・・』
『シェリル・・君は確かに優秀だが。一等校の方々は別格だ。・・この学校で学ぶようなことは、初等部で学び終え、二等校に劣らない程、専門分野にも明るい』
『え・・十年を二、三年で、ですか?』
『・・一等校において、君程度の優秀さは、あくまで基本。・・君の優秀さをよく知っているが、それでも、一等校では、良くても真ん中程度だろうな。・・成績優秀者に並ぶことは難しかろう』
私は、優秀な成績で学校を卒業し、代表にも選出され答辞も読んだ。
・・だけど、そんな成績を残したのにも関わらず、将来に暗雲を残したまま、学園をあとにした。
家族は、子爵家の話を喜んでくれた。
だが、家族から遠く離れた場所で出仕するにはあまりにも、条件が足りなかった。
父は家に、たまにしか帰れないほど働いているが、それでも生活はいつもカツカツ。
母は身体を悪くし、ほとんど家から出られない。それでも無理をして、内職で家計に貢献していたが、その分、薬代も嵩んだ。
兄弟も多く。私を含んで五人の子供。
私が一番上で、一番下など、まだ五歳にも満たない。
だからこそ、頻繁に家に帰れるか、帰らなくてもいい程の給金が欲しかった。
その為に、辛くとも、必死に合間を縫って勉強して来たのに。
その条件は、甘い願いだと、一蹴されてしまった。
「シェリルちゃん。この間は助かったよ。また、お願いできるかい?」
「はい!こちらこそお願いします!」
その結果、生まれ育った下町に帰ってきて、近所の依頼をこなす毎日。
細々とした依頼ばかりだが、ギルドが仲介してくれるのは結構、割のいい仕事が多い。
肉体労働よりも、頭脳労働が多く、それは依頼数に反して、受けられる者が少なく、いい稼ぎになる。
その上、獣人の多いこの町では魔術師が少ない為、魔術の稼ぎは非常にいい。
真面目に勉強してきた事が、大いに役立っていた。
「シェリル。いつもありがとう。・・だけどいいのよ。貴女のやりたい事をしても。・・ラトルも最近では学校終わりにギルドで簡単な依頼をこなしてくれているし。・・楽ではないけど、何とかやっていけるわ」
「お母さんは心配しないで。私が好きでやってるの。・・それに、結構稼げて楽しいし、最近じゃ、私を指名してくれる人もいるしね」
そう言って笑った私に向けた、母と父の表情は複雑なものだったけど、それには気づかぬふり。
私自身、不安で仕方なかった。
依頼だっていつなくなるかわからない。
学長の言ったように、私より優秀な人は多くいる。それを最近では多く目にする。
それでも私に仕事があるのは、獣人だから。
獣人の多いこの街では、魔術師というだけで距離を置かれる。
だけど、同じ魔術師でも獣人である私は、そういった事がほとんどない。
でも、それも時間の問題。
最近じゃ、魔術師でなくとも学のある人が多くなって来たし。
そもそも、魔術師に対する、恐れも昔に比べてかなり軟化してきている。
このまま、私が、ギルドで日銭を稼ぎ続けるには限界がある。
だから、暇さえあれば良い条件の求人がないか、ギルドの求人を覗いたりもしていた。
だけど、やはり公募するような求人に、そんな好条件の求人は少なく、卒業時に紹介された子爵家への出仕と雲泥の差。
自身の見通しの甘さを、痛感させられるばかりだった。
「シェリル嬢ちゃん?そんな所でどうしたんだ・・・あぁ、求人の張り紙か。確かに、日銭を稼ぐような不安定な生活よりも、安定的な働き口のほうがいいよなぁ・・。でもなぁ、いい職場は大抵、ツテや、個人の紹介だし、ここに貼られているようなのは、似たり寄ったりだぞ。・・ほら、あっちの影になっている掲示板。あっちに貼られるようなのがほとんどさ。・・シェリル嬢ちゃんは優秀だし、そのうち良い所に誘われるだろうし、それまで頑張って依頼をこなしている方がいいと思うぞ」
お世話になっているギルド職員のおじさんが指さしたのは、ギルドの隅、階段の影になっている、通称『壁紙』と呼ばれる、不人気依頼の掲示板。
年に数枚程度しか、受領されない依頼書ばかり、達成されずに消える依頼書の方が多い中には、求人募集の張り紙も多く残っている。
おじさんはそう言って去っていき、私は何の気なしなしに、その『壁紙』の掲示板へ足を向けた。
命を賭ける割に安すぎる達成額や、御伽噺にしか出てこないよう素材採取などの依頼書。
その中に、紛れる求人募集の張り紙たち。内容はさっきまで見ていた求人の内容と大差ない。・・いや、よく見ると割に合わない物が多い。
やはり、おじさんの言うとおり、このまま依頼をこなし、信用やツテを重ねる事が一番確実なのだろう。
だけど・・それは何年かかるのだろう・・・。
それまで、今と同じだけの稼ぎを得られるのだろうか・・・。
いや、そもそも、それまで、自分の需要はあるのだろうか・・・。
そんな事を鬱々と考えながら、『壁紙』の上を目が滑った。
「・・ん?」
そして、その中で、目を止めた。
日に焼けたり、擦り切れたりした、時間を感じさせる依頼書たちの中に埋もれた、まだ真新しい紙。
白く、時間もあまり経っていないような紙なのに、隠されるように古ぼけた紙が上に重ねられていた。
気になった私は、手を伸ばし、無理難題だらけの依頼書を避けた。
それは、依頼書ではなく、求人の張り紙だった。
「は!?」
そして、書かれていた報酬は破格のもの。
学長が紹介してくれた子爵家の出仕と二つも桁が違う――――高額という意味で。
それも、仕事内容は、御令嬢の専属使用人。
立場も高い。
細々とした条件はあるものの難しいものではない。
その条項の中には『魔術師相当の魔術が使える事』や『身元の証明及び、身元の保証がある者』ともあったけど、私にとって問題はない。
学長からは並以下と言われたが、それでも魔術師の資格は在学時に得ている。
魔術師相当どころか、魔術師。それならば問題はないはず。
そして、学校卒業者の卒業証明書は身元証明にもなる。それも、他の証明書よりも確かな信用もある。
それに加え、私は、『成績優秀者』で卒業した。
御令嬢の専属である求人の条項。
そこにある『身元の保証』となれば、それは、後ろ盾や後見を意味するのだろう。
平民である、私は本来、そんな高貴な方々に保証できる、後見などない。
だが学校は、『成績優秀』の卒業者には、その保証を与える。
つまりは、学校が私の後見となってくれる。
だからこそ、子爵家にも紹介してもらえたのだ。
私にとってそこにある条項はどれも難しくなかった。
それどころか、その求人は私個人を指しているように・・運命のようにさえ思えた。
私は、奪うように張り紙を剥がし、そのまま窓口に駆けた。
「これっ!お願いします!」
「・・・求人票ですか・・応募でよろしいですか?」
「はい!応募で、お願いします!!」
「では、ギルドカードをご提示下さい」
いつも態度の悪い受付のお姉さんのぶっきらぼうな対応も、気にならない程に興奮していた。
「・・ギルドの紹介ですので、こちらにある情報での応募になりますがよろしいですか?」
「はい!」
「・・何か追記する情報はありますか?」
「え、え・・・えぇと・・・」
「無いようですので、このまま応募しますね」
「えっ・・あ・・」
そう言って、受付のお姉さんは、私の対応を終え、流れ作業のように次の、対応に移った。
正直、不満しかないが、俯くと共に手に握られた求人票を見て、そんな不愉快さも霧散した。
その求人票は、開かれた未来への希望の切符のように見えた。
だが、その希望は家に帰ると脆くも崩れ去った。
それどころか、地獄への切符を握ったような絶望へと変わった。
「・・シェリル・・貴女・・・これ・・。ファミリアの応募よ・・。それも、あの・・レオンハート大公家の・・・魔導王の・・」
「え・・・」
それは獣人にとって、何よりも恐怖の対象。
最近では魔術師への偏見が減ってきたといえ、その元凶たるレオンハートに対する恐怖は変わらない。
かつて多くの獣人がファミリアに連れ去られ、二度と帰らなかった。
人体実験。魔術媒体。
そりゃぁ、誰も目に付かない場所に張り紙があったわけだ。
獣人の多いこの地区じゃ、条件云々以前に、端に追いやられて当然だった。
「・・大丈夫よ。・・もう今の時代、そんな非道など有り得ない筈。・・それに、大公家の姫の専属に獣人なんて望まれる訳ないわ。・・直ぐに断りが来るわよ」
「う、うん・・そうだよね」
母の青褪めた顔で元気づけるように語る言葉を、信じ、頷くことしかできなかった。
だが、それさえも叶わず。
数日後やってきたのは、上等なローブを着た二人の魔術師。
レオンハート大公家の使いを名乗る彼らの訪問だった。
――――
――――――――
「リリア様」
「・・・どうしたの?・・書類なら、そこのテーブルに置いておいてくれるかしら。・・・正直今は、この書類で手一杯なの。急ぎのものがあるのなら、それだけこちらに持って来てくれればいいわ。・・今日中には目を通しておくから」
山となった書類が、執務机の上に連なり。
その主は、顔どころか、頭頂部だけがひょこひょことたまに見えるだけ。
思わず顔を顰めたくなるような仕事量が連なっているが、当のリリアの声は子供のように弾んでいる。
「ご機嫌ですね」
「えぇ。・・昔の友人を思い出してね」
それ以上言葉にすることも、聞くこともない。
リリアが友と呼び、そんな嬉しそうにするのは、二人だけ。
だからこそ、何も聞かず、静かに微笑み、見守るだけ。
「それで?ロバート。・・何か御用?」
宰相様こと、家宰のロバートは、入室した時より一歩も動いてはいなかった。
書類を足すでも、決済の終わった書類を回収するでもなく、そこに待機していた。
リリアは今目を通していた書類よりも、そんなロバート様子を優先させ、ペンを置いた。
「お忙しい所、申し訳ございません。・・ですが急ぎリリア様の判断を頂きたく」
そう言ってロバートは奥に進み、書類の山を超えて、リリアへ書面を手渡した。
「・・・これは?」
「先日まで募集しておりました、フィリア様の専属使用人。その求人に関する連絡でございます」
リリアは眺めるようにして、書面に目を通した。
「・・・身元が確かな事が、要項にあるとは言え、内外問わずの募集・・。五大公の責務ではあるけど、毎度、気が進まないわね。・・・でも、これがどうしたの?フィリアの募集は、今回の事もあって、周りをもっと固めて、フィリア自身の教育も、もっと進めてから、という話になったじゃない。急ぐ要件ではないと思うのだけど」
「・・・はい。・・その予定だったのですが・・。・・リリア様。二枚目をご覧下さい」
歯切れの悪そうなロバートの言葉にリリアは素直に従い、紙を捲った。
そこには、一枚目同様、求人に応募された名前と、その後見がずらりと並んでいた。
だが、そこにおかしな事は何もない。
「・・そして、三枚目を・・」
リリアは疑問符を浮かべたまま、もう一枚捲る。
すると今度は、事細かに書かれた履歴書があった。
その内容を、読み進めるうちにリリアの顔色は変わり、書面を食い入るように顔を近づけた。
そして、二枚目に戻り、何かを探すと、また三枚目に。
それを数度繰り返したリリアが零すように呟いた。
「・・・獣人」
「・・はい」
それに、ロバートも重々しく返事を返した。
「・・先送りとなった際に、各地に出していた求人も一時凍結としてもらい。応募いただいた方々にも、お詫びと説明を受け入れていただき、ご快諾もいただきました。・・ですが、それが、済んだ頃になって、その履歴書が届きました。・・職員のミスではあったようですが、私どもも、まさか獣人からの応募があるとは思わず、確認が足りておりませんでした」
「・・獣人の子が、魔術師の長であるレオンハートの出仕に、応募するとはね」
「・・表向きは、かつての遺恨もなく、対等な関係を謳っておりますが・・」
「事はそう単純ではないわね。・・実際、この土地に住む獣人は多くない上に、立場や扱いも、良いとは言えないわ」
「はい・・。その上で、この求人を断れば・・。他の希望者には迅速な対応があったのに、獣人だから軽んじたのだと、噂立ちます」
かつて、奴隷や実験動物のように獣人を扱ってきた魔術師たち。
当然その長たるレオンハートも例外ではなかった。それどころか、先陣を切ってその非人道的な行いをしていた。
魔導の王として尊敬を集める一方。
その為に働いた、数多の業と罪を背負ている。
そして、そんなレオンハートの業に最も晒されたのが、妖精と獣人だった。
「・・この子の調査は?」
「はい。済んでおります」
「そう。では、面接くらいはしましょうか」
「よろしいのですか?」
「・・面白そうじゃない」
「面白そうじゃないですよ・・。事は政治的にも繊細な問題ですよ・・」
「だって・・フィーよ?その子が仕えるのは」
溜息を交えたようなロバートの疲れきった声とは真逆に、リリアの声色は誂うように、愉しげだった。
「ミミっ・・ごめんなさい」
「・・姫さま。謝るのは私の方です。姫さまは被害者です。・・私はそんな姫さまを、お守りしなければいけない立場でしたのに・・。・・・本当に不甲斐ないばかりです。申し訳ございません」
いつもの如く、数日間寝込んだフィリア。
ようやく、ベットから起き上がり、最初に迎えてくれたのは、ミミだった。
申し訳なさそうに微笑むミミに、一瞬、止まったフィリアだったが、直ぐに、溢れ出した涙と感情に従い、ミミの胸へ飛び込んだのだった。
当然、今回のことはミミが悪いわけではない。
だが、それでも立場上お咎めなしではなかっただろう。
それが、叱責だったのか、罰則だったのかはわからない。
しかし、ミミは前と同じ、元気な姿でフィリアの元に帰ってきてくれた。
フィリアはそれだけで、十分だった。
「・・ところで、姫さま。・・こんな朝早くに、起きられて、大丈夫なのですか?」
「うん。・・ほんとうは、きのうからねつは、ひいていたの。・・だけど、まりあが、だいじをとろうって。だからきょうからは、もうだいじょうぶ!」
「そうですか」
「うん。おじいさまの、おみまいにも、いきたいから!」
「それで早起きを?」
「そう!これから、おじいさまに、『あいす』をつくるの!!」
「・・アイス?・・これからお料理ですか?」
「うん!これから――――――――・・・あ」
外はまだ、暁の空。
太陽は登り始めているが、まだ、灯りなしでは薄暗い時間。
「マリアーーー!!姫さまが、調理をしようとしてますよッ!!」
「あ、ちょっ、ちょっと・・みみっ・・しー、しー・・」
静かな朝に、ミミの声が響く。
なんだか、日常が帰ってきた気がする。




