116 睡蓮の水辺
額縁に収められ、壁に飾られる宝飾品の数々。
その中、細かな細工が美しい、豪華な『ネックレス』にタヌスは目を止めた。
「・・この、ネックレス。・・砕いたかと思っておりました・・」
「『翡翠姫のティアラ』の物は、どんなものでも、大事にするわよ」
リーシャの自室。
そこにある小さなドレスルーム。
ドレスルームとは言え、そこには数える程度のドレスしかない。
その代わり、飾られ、展示されるように、数多の宝飾品が並んでいる。
そこにあるほとんどの装飾品はナンバリングが『0』と表記されたものばかり。
オートクチュール以外の物は全てが。
「・・ここにある全て、『翡翠姫のティアラ』・・ですか」
感嘆の声を漏らすタヌス。
専属侍女の彼女ですら、この部屋には入ったことがなかった。
リーシャの『ラースモア』。
ほぼドレスルームのその場所。
唯一、小さなテーブルセットだけが、私室感を出しているが、それだけ。
フィリアのラースモアと全く違う内装は、姉妹といっても各々の趣味が顕著に表れる。
その中、タヌスは一点に目が止まった。
何も置かれていない台座。だが、そこに置かれる物の格を示すかのように、豪奢で立派な特別仕様。
リーシャもまた、その場所が目的だったようで、迷わずその場所に歩みを進めた。
「・・ここに、『月桂の髪飾り』を置こうと思っていたの・・・」
そこにあったリーシャの表情は悔やむものではなく、何処か晴れ晴れとしたものだった。
「・・・ティアラ母様の為の物だったからね。・・いつか手に入れようと思っていたの。まぁでも、私なんかよりも、相応しい子の元に行けてよかったわ・・・」
「リーシャ様・・」
少しだけ寂しさを滲ませてはいたが、リーシャの声は素直な喜びに満ちていた。
「知ってる?・・あの髪飾り。『翡翠姫のティアラ』の幻の逸品って言われているのよ」
「・・そうなんですか」
「・・友愛の冠』という通称でね」
「え・・」
「略して『ティーファ』」
タヌスの表情と思考は完全に止まり、リーシャの言葉だけが耳を通り過ぎる。
「ティーファが本当にティアラ母様の生まれ変わりか、なんてわからないわ。・・でも、ここまで偶然が重なってしまえば・・・信じたくなるでしょ?」
リーシャはタヌスに語るわけではなく、自分自身に問いかけるように呟いた。
「タヌス。ミルが貴女にどんな事を言ったか知らないけど、ティアラ母様が蘇る事はないわ」
「・・・」
「・・一応、妖精の身体を再構築することは不可能ではないわ」
「っ!!」
「・・理論上はね。それを実践する事は禁忌だし、成功させるのも難しいけど、理論的には可能よ。・・でも、それはあくまで、身体だけ。魂はそこにないわ。・・記憶を移植できたとしても、それを、貴女はティアラ母様だと、受け入れられる?・・・私には無理だわ」
リーシャはかつて保護した妖精を思い出していた。
彼女は妖精の『転生術』を受けていた。だが、その記憶が上手く馴染まず、自分を見失い苦しんでいた。
「そっ、それでも・・希望があるのならばっ――――」
「それは本当に希望なの?」
「――――っ・・」
「・・・貴女を責めることはできないわ。・・私だって、望まないわけじゃないもの。・・・でも、それは、身勝手な欲望だわ。・・・ティアラ母様の事も、生み出されたその存在の事も無視した。自己中心的な考えよ」
タヌスも悪魔に取り憑かれ短慮になっていただけで、自身のエゴに染まった、非人道的な考えに気づけない程、愚かではない。
況してや、忠義を捧げた主人の言葉を、聞けないほど、乱心などしていない。
それでも思い出してしまうのだ。
苦手な料理を、一生懸命に、でも楽しげにこなす、横顔を。
眠れない夜に、ずっと手を握り、歌ってくれた、子守唄を。
寒さに震える身体を、抱きしめ、摩ってくれた、体温を。
忘れられないのだ。
だから、母の蘇生を報酬に、ミルの甘言に乗ってしまった。
更に、フィリアがリーシャの立場を危ぶめる、などと聞いて、自分を正当化するどころか、使命のように感じてしまっていた。
悪魔の影響のせいもあったのかもしれない。
だが、火のないところに煙は立たない。
タヌスの本心がそこになかったとは言い切れなかった。
「タヌス」
――――『わたしは、いらないこなんでしょ!!ひとでも、ようせいでもない・・かいぶつ・・だから、おとうさんにも、おかあさんにも・・・・すてられたんだ!!』
――――『タヌス。それは違いますよ。・・貴女は人であり、妖精でもある、ちょと特別で素敵な女の子です。・・そして、今は、とてもとても可愛らしい私の、愛娘です』
「・・ティアラ母様は、ここにいるよ。・・・私の中に・・・タヌスの、中に・・」
――――『だから寂しい時は』
「それでも、寂しいなら」
――――『いつでも、タヌスの傍に居ます』
「私がずっと、傍にいるから」
――――『ずっと傍に、一緒にいますから』
「タヌスと、一緒にいるから」
『「だから、タヌスも、私の傍にいてもらえませんか?」』
二つの声が重なる。
子供のように声を上げて。
タヌスは今日、何度目かわからない涙を流した
――――――――――
――――――
薄暗く。石造り、というよりも、剥き出しの岩窟。洞穴の中のような場所。
そこには、隠された宝物庫のように煌びやかな財宝が所狭しと蓄えられている。
その中には、そんな絢爛さと相反するような無数の古ぼけた書物もまた、同じ空間に溢れかえっていた。
僅かな灯火が無ければ、鼻先程の近さでさえ見えぬ程に、明かりのないその場所に、急に眩い光が現れた。
『あ、ぁぁ、あぁぁ――――』
その光は霧となって滞留し、淡い光を放つと同時に、人影が現れた。
五体満足とは言えぬ、惨たらしい姿。
向こう側が透けるように、希薄の存在で。
言葉も紡げず、唸るような怨嗟の声だけが溢れ漏れているだけの哀れな姿。
「アンヌっ。・・・宝花・・まさか・・いえ、翡翠だけではないですわね・・・。・・レオンハート・・・化物が・・・」
光が現れたその場所は、彼女の、ミルの部屋。
急に現れた光にも驚かず、何気なく光に目をやったミル。
だが、その凄惨な姿には、流石に目を見開き、言葉を零した。
『あ・・あ・・ぁ・・・・』
そんなミルの驚きを待つことなく、その光は、見る見る力を失っていった。
呻くような声が小さくなると共に、光の正体、『肆ノ葉』の姿は小さくなり、希薄さが加速していく。
そして、光の霧が霧散する頃には、手のひらよりも小さな光にまで弱り、変わってしまっていた。
それに向かい、ミルは慌てるっでもなく足を進め、手を伸ばすと、その上にふわりと光が着陸した。
その瞬間、残った光が急に輝きを増し、破裂すように弾けて、光の茨が生んだ。
「っ――」
その茨は迷わずミルを目指し、腕へと、きつく巻き、広がった。
思わず走った痛みに顔を顰め、声を漏らすと、茨は溶けるようにミルの腕に吸い込まれ、ミルの肌に痣のような痕を残し、消えた。
「――――・・クレマチス・・・ディーニですわね・・」
忌々しげに呟くミルだが、その表情から感情は既に消え。
只々、無表情で、その『束縛』の痕を見て魔力だけを漏らした。
そして、ミルの手の上に落ちた光。
だが、そこにはもう光は残っておらず、枯れ縒れた、草のみが、手のひらに乗っていた。
赤茶けて、細く、捩れた、枯れ草。
淡く、吹き消えそうな程の僅かな魔力だけは纏っているが、あまりに微細で、そこに力を全く感じない。ただの枯れ草。
「・・・わざわざ顕華での、ご挨拶とは、ご丁寧な事ですわね・・」
更に、ミルの腕に嵌められた黄金の腕輪が、弾け、砕けるように散った。
「・・・あの二人との、繋がりまで切られましたわね。・・本当、腹立たしい・・・」
言葉とは裏腹に何の感情も見せない表情のままで、ミルは、手に乗った枯れ草を大事そうにハンカチに包んだ。
そして、迷いなく薄暗い洞穴の奥へ視線を移し、そちらに向かい歩き始めた。
長く、ヒールの音が響く闇の中を進む。
すると、向かう先に、ようやく僅かに光が溢れ漏れてきた。
明かりは増え広がり、次第に薄暗さもなくなっていく。
そして、目が眩むほどの光に目を細め、洞穴を抜ける。
だが、洞穴を抜けた先にあったのもまだ洞穴。
外に出たと錯覚するほどの明るく、さっきまでの狭いトンネルなどとは違う広い空間ではあるものの、天井も壁も、変わらずの岩窟。
そしてそこには、湧水というよりも源泉のような、洞穴の中の水辺が存在していた。
清涼で、清らかな空気と、僅かに頬を湿らせる水気。
水底は、そもそも水がそこにないと勘違いしそうなほどに澄んで見え。
泉からは、小さな光が生まれ出たように湧き上がり、宙を漂う。
更に目を奪われるのは、その泉の中心にそびえる大樹。
幾数もの木々が絡まったような大樹は太く、大きく、上だけでなく、横にも広く広がっている。
存在感、というよりも、無視できないほどの神秘的かつ、圧倒的な雰囲気は、『霊樹』と呼びたくなるような、不思議な空気を放っていた。
その大樹は、この広い空間いっぱいに枝や根を伸ばし、この場所は、その大樹を中心に全てが出来ているように仰々しい。
明るさは、天井や壁、地面にも、無数にある鉱石が発光した故のものだが。
それだけでなく、その大樹が纏う、神秘的な光の欠片たちや、泉や大樹から生まれる光のオーブもその要因だろう。
ミルは、その光景に目を奪われることもなく、迷いなく進み。
澄んだ泉の水辺に身を屈めた。
水辺に咲く睡蓮の花を手折り、息を吹きかけるように魔力を込めると、睡蓮を水面に浮かべた。
そして、ハンカチを丁寧に開き、そこから、枯れ草をソっと手に取ると、睡蓮を船に、枯れ草を水面に浮かべた。
ミルの手を離れると共に、睡蓮は独りでに進み始め、水面を漕ぐ。
中心の大樹に近づくにつれ、睡蓮は少しずつ沈み、終いには完全に沈むが、水中さえも迷いなく進んでいく。
ミルはそれを見送ると立ち上がり、スルリと服を脱ぎ去った。
一糸纏わぬ姿となったミルは、妖艶で、美しい身体を、隠す素振りも見せず、ゆっくりと泉の中へと入っていた。
進むごとに深さは増し、腰程の深さとなった頃。
そこでミルは一度、止まり、浴むように水を腕にかけた。
シュウゥゥーー――――――。
すると、腕に残った茨の跡が、蒸気と、焼ける様な音を上げ、洗い清めらていく。
「オーリーとギィに続いて、アンヌまで・・。少し、気持ちが逸ってしまっていましたわ・・。これからは、もう少し慎重に行きませんと・・」
その後、ミルは一度深く泉に沈み、頭の先まで身を清めると、飛沫を上げて浮き上がった。
そして、水を滴らせたまま、大樹を仰ぐように見上げた。
「もうすぐですわ・・」
ミルが見つめる先。
大樹の中心、その更に奥まった場所。
幾重にも絡まった大樹が、光の胎動をしていた。
今にも、何かが生まれそうな程に大きく激しい胎動。
「・・・・・・キルケー様・・・」
慈しむようなミルの呟きが、光の泉に消えた。




