6 一輪の花 前編
監視生活のある日。
フィリアは大広間の中、母リリアに抱かれて高座にいた。
二面コートを有した体育館ぐらい大きな大広間。
入口は大きな観音開きの大扉でまるで門のよう。そこから真っ直ぐに赤色で豪奢に刺繍をされた長いカーペットが道のようにまっすぐと伸びていて。
その先には父アークが鎮座する。
いわゆる謁見の間、そのもの。
広間全体は白と青が主となっており、はめ込まれたステンドグラスも同様の色合い。
そこから漏れた光は微かに揺れまるで水面より光が下りるよう。
そのせいか、赤のカーペットは嫌に存在を示し。そこにいる者も否応なしに存在感を顕にしてしまう。そしてそれはカーペットの先に鎮座する者も同様だ。
父アークは厳しく荘厳な出で立ちと表情でそこに居た。
その上、表情には抑えきれず漏れ出たような怒りも浮かんでいる。
そしてそれに対するように扉とアークの間に汚れ擦れ切れた瑣末な服装の男がいた。その男の両脇には騎士が立ち、男は後ろ手に両膝を付いていた。
男の表情は俯いている為に読み取れないが纏う雰囲気から諦めたような覚悟が見えた。
アークから一歩下がった場所にリリアはフィリアを抱き立ち、その隣にリーシャ、フリード、アランと並んで立っている。その表情には感情が不自然なまでになく冷たく鋭さを持っていた。
カーペットの両脇にも多くの人々がいてその瞳もまた刺すように男へと注がれていた。
ゆったりと優雅にアークは立ち上がり、静かに、だが腹にまで響くような声色で重厚に口を開いた。
「この男は先日、我が娘フィリア・レオンハートの暗殺を行おうとした」
アークのその言葉にざわめくことはない。
だが男に注がれる視線には更なる鋭さが加えられた。
アークは更に言葉を続けるがそこには明らかな憤りが込められていた。リリアもフィリアを抱く腕に力がこもり、更には奥歯が鳴る。
そんな中フィリアだけはなんの他意もなく男を見つめていた。
途中アークがその時の状況を説明しだすと周囲のチラチラと視線を感じその時ばかりは気まずさに視線を逸らしたがそれ以外は男へ視線を注ぎ続けていた。
―――よかった。火傷は治ったみたいだね
「――以上。何か申し開きはあるか」
話が終わるとアークは男に問うがそこには有無も言わせない雰囲気が込められていた。
「・・・・・」
男は終始無言。
広間に入ってくるときも入ってきてからも。
それどころか取り調べに対しても、牢の中でも。あの晩より男は一言も言葉を発してはいなかった。
その事は先程アークの話の中にもあった。
おかげで何も手がかりはなく、男の名前すらわかってはいなかった。
「何も言わぬか」
「・・・・・」
「貴様の名は」
「・・・・・」
「目的は」
「・・・・・」
「主の名は」
「・・・・・」
アークの言葉に対して何の反応も見せない。アークもわかっているのだろう。質問は投げるがそこに答えは求めていない口調だ。
それもそうだろう火傷こそ完治した様だが明らかな生傷が無数にある。そこから取り調べは決して平和的なものではなかったことがわかる。
そしてそれでも無言だったのだ。今更に答えが返ってくるわけがない。
「では、貴様の刑を下す」
アークはそこまで話しようやく腰を下ろした。その心情は明らかで最初の時の程度にすら押し殺せてはいない。
リリアの反対側、アークの隣に待機していた男が前に出た。フィリアはその男を数回しか見たことがない。ただそのうちの一回に誰かが『宰相様』と呼んでいたのを覚えていた。
・・名前は知らないが
そしてその宰相様は前に出ると、目の前に紙を広げ長々とした内容を読み上げ始めた。
そのは内容は簡単に言えば『死刑』だった。それも即日のもの。
罪状は擁護のできぬものだった。
だがその内容を耳に掠めながらフィリアは顔を顰めてしまう。
その視線は膝を付き頭を垂れた無言の男から離せない。
―――俺のせいでこの人死んじゃうのか・・
その感情は罪悪感に近かった。
元々、刃傷沙汰とは無縁でニュースや新聞でしか現実として接したことはなかった。
平和な世。寧ろドラマや漫画、ゲームといった創作の中での殺人の方がよっぽど身近だったフィリアに今の現状はどこか現実的ではなかった。それどころか嫌悪感すら感じる。
今回は特に危機感も感じず危なげなく事が終わったこともその思いに拍車をかけていた。
―――それに・・さっきのあれを見ちゃうと。・・余計に可愛そうだよ
男は終始無言だったが、終始反応がなかったわけではなかった。
広間に入ってきた際、僅かにフィリアと目があった。
表情こそ影が落ち、髪に隠れ伺うのも難しかったが、それ以上に瞳は正直だった。
一瞬だったがその時男は安堵の色を見せ愛おしむような視線を向けてきたのだった。
その上あの夜、男は不本意を口にし、更には謝罪まで口にしたのだ。
そんな男をフィリアは恨むことはおろか断罪の対象としても見れなかった。
あの時だってフィリアは全く命の危機を感じていなかった。寧ろそれを感じたのはフィリアの実験台になった男の方だっただろう。
そんなことを考えているとフィリアは自然と行動を起こしていた。
「ん?・・・えっ!?」
「―――であり、この男は此度のっっ!?」
「「「「「ッ!?」」」」」
リリアは宰相様の言葉を聞きながらも男へ射るような視線をそらさなかった。だが突然と腕の中の重さがなくなった。そして息を呑むような驚きが漏れた。
そしてそれは宰相様も同じで書面に書かれた文言を読みながらも視線を動かしたとき驚きに声が上ずり言葉に詰まってしまった。
それもその筈。幼い赤子が自身の目線と同じ高さを横切ったのだから。
フィリアはハイハイしていた。
空中を『浮いて』。
家族も宰相様も広間に集まった者たちは例外なく全員が目と口を大きく開け固まってしまっていた。
その視線はフィリアを追ってはいるが体はもちろん思考も固まってしまっている。
そんな周りの状況に気まずさを感じながらもフィリアは堂々と広間の真ん中を進む。
―――勢いでやっちゃったよ。・・・まぁでも命には変えられないし
あまり周囲を見ぬように空中を歩くフィリア。
これはあの晩動けなかった事から思案し、フィリアが考えついた魔法。
まだ筋肉が未発達の体では移動手段としても、また避難手段としても心許ないと思ったフィリアは「それなら『重力』を無くしたらいいんじゃない」と思い立った。
しかし当然ながら実践練習する隙はなかった。常に監視体制だったせいだ。
その為ぶっつけ本番だった。
本来ならばハイハイすら必要ないはずだったのだがそこはまだ試行錯誤が必要なようだ。
それでもどうやらこの魔法との相性はいいらしく初回で何とか一応の効果はあった。
本人的にはまだ課題が多い。
それでも周りを驚かすには十分すぎたようで、周りの驚嘆が居心地悪い。
例外は無反応に頭を垂れたままの男だけだった。
フィリアは男の前まで真っ直ぐに行くとハイハイを辞め、座る体制を取った。
当然、浮いたままで・・
―――・・案外無重力でもハイハイって疲れるな。少し汗かいた
フィリアはそう思いながら一息つくと、男の両脇に立つ騎士をみた。
騎士たちはフィリアを見てはいるがその表情からは驚愕が消えていない。そのうえ男の目の前にフィリアがいるのに動かぬ様子から思考も止まったままなのだろう。
そしてフィリアは騎士たちから視線を外すと目の前の男を見つめた。
俯いたままの男はこの場の異常な様子に気づいていないのかそれとも興味がないのか反応を見せない。
―――てい
ぺち
その音は異様に静まり返った空間に澄んで鳴った。
フィリアの小さな手は男の頭に置かれた。
するとようやく男は反応を見せた。
あまりに非力でこの場に似つかわしくない衝撃にゆっくりと顔を上げたのだ。
そこには宙に浮かぶ愛らしい赤子がいる。
―――お、イケメン・・?美人?・・顔も中性的すぎだろ
男は一泊置くとみるみる目と口が開かれていく。
「ッッッ!!!???」
声も出なかったようだ。
しかし男の反応は周りの思考を再興させるのに一役買ったようで周りが慌てだした。
男の両脇にいた騎士も思考が乱れながらもようやっと動き出し優先事項としてフィリアから男を引き剥がそうと動き出すがその手が届く前に目の前に光が溢れた。
―――痛いの痛いの飛んでけー
その光は男の頭に置かれたフィリアの小さな手から溢れた。
光は男を包むように流れ、男の体の幾つかの箇所で集結するように集まり淡い光が強く輝く。その光の流れは身体全てに巡ると徐々に輝きを失っていき終には消える。
その光景に再度動き出したはずの騎士はもちろん、周りの人間も驚愕に再び固まってしまっていた。
男も視線を自身の体へと向け驚愕が色濃くなっていく。
―――うん。跡も残ってないな
固まってしまった周りとは違い満足気なフィリア。
『回復』または『治療』の魔法。
しかしこれはファンタジーでよくある回復の理屈がわからなかったためどちらかというと自己治癒能力の効果促進や一般家庭医療に近かい。
消毒や患部保護などの方がフィリアにはイメージしやすかったからだ。
これはフィリアが初期に覚えた魔法。
魔法の練習はバレないように行っていたのに生傷が絶えなかった。
故にそれをごまかすために編み出したもので、実際使用頻度は一番多く最も練度の上がった魔法だったりする。
そのおかげで男の傷は全て消えていた。まるで初めから傷などなかったように。
膿んでいた程の酷い傷も跡を残していない。
「「「「「えぇーーーーーっっ!!!???」」」」」
大きな声が唱和となって広間に響き渡った。
集まった人達は鯉のように口をパクパク言わせているし、家族たちは驚愕を浮かべたまま何やら言いたそうに、でも喉が痙攣したように音が漏れるだけで言葉にはなり得ていなかった。
そして、終始無言で諦めたように無反応だったはずの男ですら表情豊かに驚きを表し大きな声を上げていた。
「フィ、フィー?」
その声に反応し振り返るとアークが驚愕を見せたまま、たどたどしくこちらへと足を動かしていた。
その姿は今に腰を抜かしそうで心配になるほどだ。
―――やっぱ罪人を治療はおこられるかなぁ・・
見当違いもいいとこである。
「ま、魔法・・」
―――あっ!そっちか!
当然である。
フィリアはアークに向き直ると『浮遊』の魔法で男を庇うように浮かんでみせた。
「・・ぱ・ぱ」
―――よしっ!上手く発音できた!
「え?・・・」
先ほどの驚愕とは違ったような驚きを見せたアークは意識が飛んだように一瞬呆けると弾けたように光を蓄えた瞳をフィリアに向けた。
「フィ、フィー?い、今、パパって」
そんな場合ではない。
しかしそう言うとアークは一瞬振り返り、後ろのリリアを見て。またフィリアを見た。
「フィー!もう一度言ってごらん!ほらっ!パパだぞ!パ~パ!!」
その期待に溢れた瞳と溢れんばかりの笑みが先ほどの魔法騒ぎを彼方へ飛ばしてくれているのがわかる。
もちろんそれはアークだけであり、周りの者たちは明らかに今はそこじゃないと言いたげだ。
家族たちは何やら浮き足立った視線を向け「次は自分」と言ってはいるが、そこじゃない。
・・・リリアは『まま』と口の形をゆっくりと見せている。
しかしフィリアが伝えたいのは当然そこではなかった。
確かに魔法騒ぎをうやむやにできたのはありがたかったがそこではない。
「・・ぱ・ぱ・・・め」
「うおー!パパってパパって言った!!フィー!もう一回!」
「・・め・」
「んー『め』じゃなくて『ぱ』だぞ」
「・・ん・・め」
「・・違うくてな。『ぱ』だ」
「・ぁん・・め」
「違うぞー。『ぱ』だ『ぱ』」
「・・・『ダメ』なんじゃない?」
最初は期待の目を向けていたはずのリリアはいつの間にか難しい顔になって言った。
それにアークは大きく頭を振って否定した。
「いや!ダメじゃない!さっきは確かに『パパ』って言ったんだ!!」
「いや、そうじゃなくてね。フィーの伝えたいのって『ダメ』じゃないかしら?『パパ、ダメ』って。・・ね?フィー」
「え?」
冷静な分析を成したリリア。しかしその実はアークが先にパパと二度も呼ばれ不貞腐れた結果冷静になっただけなのではあるが。それでもさすが母親である短い言葉からちゃんと意図を汲み取ってくれていたのだから。
そして冷静な分析にアークはフィリアを見るがそこには先ほどの熱はなかった。
この場でこのタイミングであれば何が『ダメ』なのかはすぐにわかる。
実際冷静な分析をしたリリアですら怪訝な表情となっている。
だからフィリアは小さく頷いてみせるだけに留めた。
そこで初めてアークはフィリアがアークと男の間でまるで男を庇うように居るのがわかった。
まだハイハイすらもマスターしていない赤子なのに声を発し、更には意思を示した。
しかしそれも親の贔屓目と魔法の行使によってさしたる異常性に感じられなかったようだ。
「フィー。パパは別にそいつを虐めてるわけではないんだよ。」
しかし身体は年相応程度の動きしかできないために、庇うといっても余りに無垢であり擁護とは言えない様子からどうやら子供という範疇に留めて勘違いをしてくれたようだった。
「・・・・・」
フィリアは反応を見せずアークをジッと見つめたままだった。
アークはそんなフィリアに困ったように顔を歪めてしまう。
まだ赤子の愛娘に理屈で語ることもできず、ましてや無理矢理になど出来ようもなかった。
そしてそれは広間に集まったものもそうであり。静まり返ったなか只々無言で親子を見つめるしかできなかった。
「お嬢さん。ありがとう」
呟くようなその声は広間の済にまで届いた。
皆がその声に視線を向け一瞬息を飲んだ。
それはフィリアも同じで、自身の背からの声に振り返り驚いた。
アークも同じでその声の主に驚いたように見えたが直ぐさま険しい表情へと変わった。
どれだけの拷問を受けようと呻き声一つ挙げることのなかった男。
人の口調、イントネーション、発音。それだけで人の大体の出身地や立場がわかる。もちろん誤魔化しや演技も可能だろうがそれを維持するのはほぼ不可能だ。故にプロであれば余計な言葉を発しない。そしてアークたちもそれはわかっていた。だからこそ何気ない言葉でも引き出し男の正体を確定させようとした。男もわかった上で口を開かなかったのだ。
「・・でも、悪いことをしたら怒られなければならないのです。そして・・・ちゃんと謝らなければならないのです。・・フィリア嬢。申し訳ありませんでした。」
謝罪を述べたところで何が変わるわけでもない事を男ならばよくわかっていた。この場にいる誰もがわかっていた。故に男の言葉は命乞いなどですら無い事もわかっていた。
ただ幼き赤子への教示。男にとってのささやかで精一杯の恩返しであり誠意だ。
「そして。ありがとうございました」
そう言った男は晴れ渡ったような笑顔をフィリアに向けたのだった。
「っむぎゅ!?」
男の笑顔は両頬を挟まれ奇妙な呻きと共に中断された。
男の目の前。それも息のかかる程近くにフィリアの顔があった。
両手で男の頬を挟む幼子の表情はまだ未発達のため読み取りづらいがなんとなく怒ったように睨まれているような気がした。
「めっ!!」
大きな声に男は呆けたように目の前の幼子を見つめた。
フィリアは「う~~」と唸る声を漏らし男を見つめている。
すると・・。
「・・・・?・・え?・・・あれ?・・・・・え?なんで・・」
男の視界はみるみるボヤけ、頬を伝った。
それはフィリアの手を伝い雫となって床へと落ちる。
男はそれが『涙』だと認識すると途端に破顔し歪んだ表情で嗚咽を漏らした。
それはせき止めることもできずどんどんと溢れ出す。
体温の高い赤子の手も余計に感じそれを助長した。
その場はしばしの間子供のように泣く男の嗚咽だけがこだました。
ここに集まった者たちには罪人の涙などに絆されるような者はいない。
それでもその場を誰ひとりとして濁すことはできなかった。理由はない。ただ無粋なことができなかった。
大の男がそれも死罪の決まった者が泣き喚く姿は醜悪なはずなのだが、目の前の光景は醜いどころか美しくさえ思えた。純真無垢にさえ思えたのだ。




