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1.Ⅰ-2


「――――――――――――――――っ!?」


 声も出なかった。

 驚きすぎて、ただひたすらに、一心不乱に、死に物狂いにセファードの首根っこにしがみ付くことしかできない。

 目蓋を固く固く閉じているが、全身を叩く風が未だ空をかなりの速さで飛んでいることを知らせる。自分の寝巻きと長い黒緋くろあけ、セファードの服と四枚の翼とが立てる、バサバサバサっと乱暴な音が、聴覚の全てを埋め尽くす。

 な、何で――――――――?

 これはまさしく逃亡だ。抗議の意味なんだろうが、こんなことをしたところでユキトが意見を変える筈もないのは、アメリアにだって分かる。

 ややして強風が収まり、風がはたはたと身体を撫でるだけになって、アメリアはそろりと目蓋を持ち上げた。


「――――――――」

「う、ぐ…っ」


 絶句。明確な恐怖を感じたのは、先日《カタストロフ》に襲われたことを除けば、本当に久々のことだった。

 二人は家々が豆粒ほどの大きさに見える高さを浮揚していて、アメリアは直下の景色を見るや元よりしがみ付いていたセファードの首に、ひし、と締め上げる勢いで巻き付いた。

 真っ青な顔をしてしがみ付くアメリアと、アメリアに首を絞められ青い顔をして呻くセファードの間の抜けた光景。


「悪い、飛ぶのなんて初めてだよな。そりゃ怖いな」

 アメリアの恐怖に気が付いたセファードは、アメリアの身体を横にして両手でしっかりと抱いてくれた。片腕に抱かれるより安定感があって少しは安心する。

 セファードは水平線を眺めていた。いや、それよりも、その先のもっと遠くを見ているような。精悍な横顔は、彫刻のように美しい。

「ユキトもな、初めて飛んだ時はそりゃあ間抜けな面しててさ。基本的に澄ました顔してるから、それが面白いのなんのって」

 彫刻のような顔の美丈夫は、しかしそこに様々な色を載せる。笑っているのに、どこか苦そうな、けれど懐かしむ温かみを思わせる色。それから、慈しみ。

「……似ているよ、お前たちは本当に。望みもしないのに力を与えられて、自分を押し殺して生きる事を強いられる。俺はそれを見てるのが堪らない」

「………」

 そして盛大に、それはそれは盛大に溜息を吐いた。

「年甲斐もなく頭に血が上った……」

 何をやっているんだ俺は、そう言って、セファードは項垂れた。

 アメリアは俯いて掛かってしまった風で揺れる彼の銀色のカーテンを指先で避け、ターコイズを覗き込む。どうやら頭が冷えたらしい彼は、情けなく眉尻を下げていた。

「…反省しているんですか?」

「……してる」

「私、神父様の言う通りにします。あなたはそうそう“あんな事”にならないと言いましたが、この国では違うのでしょう? あんなのは嫌です。他に聖人様がいるなら、余計に駄目です」

 セファードは渋面を作った。

「お前ならそう言うと思ってたよ…。だから聞かせたくなかったんだ。気持ちのいい話でもなかったろ」

「……命を賭す…?」

「まあな。俺は只人と違って頑丈だから、そういう役割なんだ。今回護るべき相手ってのは全くもって納得いかないが…。ユキトは、アレとお前を引き会わせたくないってのもあるんだろう」

「聖人様?」

 名前は確か、ジュリアン。セファードは肯定するように顎をしゃくった。

「《聖者》ってのは性格までは保証してくれないもんでね。だが間違いなく強い力を持っている。使命に関しちゃ、ユキトは間違ったことはひとつも言っちゃいない。正論すぎて業腹ではあるが。まあ俺も間違ったことを言ったつもりはないがな」

 セファードは肩を竦める。

「分かっておいてほしいのは、俺もあいつも、一番に考えてるのはお前だってことだ」

「え…」

「あいつ本当は、前を向こうとしているお前を置いていきたいなんて思ってないよ。莫迦みたいに庇護欲が強いからな。だが万が一“もし”が起こった時、責任を感じて酷く傷付くのはお前だろう? 連れて行くことで危険に巻き込みたくもない。置いて行くのも連れて行くのもリスクがある、だったらお前の平穏を取ろう、そんなところだ」

「………」

 冷たい人じゃないことはあの夜の出来事で充分に分かっていたけれど、そんな風に想ってくれていたことをアメリアが理解するのは難しすぎた。使命を優先しなければいけないのは当然で、冷静に冷徹に判断を下したものだとばかり。

 迎えに来てくれるつもりがあることは伝わっていたから、その優しさだけで充分だと思っていた。しかしもっと深くアメリアについて考えてくれていたという。アメリアには過ぎた優しさだ。胸の奥が痛くなる程。


 はぁ、と再びセファードは溜息を吐いた。

「それくらいのことは分かってたのに、あいつがあまりにお前を突き放すような言い方をするから血が上った…久々にあんな物言いを聞いたよ。あれもあいつの優しさだろうに、子どもじみた事を…」

 しゅん、として自分の衝動的な行動を恥じている様子のセファードに、どうしたものかとアメリアは少しばかり困った。

 大の大人が――――普段は少年の姿をしているが年甲斐もなくと言っていたので、おそらくこちらの姿が本来の年齢なのだろう――――こんな風に気落ちしているところには出くわしたことがなく、対処の術がない。

「あの…落ち込まないでください。癇癪のお陰で空を飛ぶなんて非常識を経験できました。とてもすごいことです」

「お前よりによって何て言葉選びを」

「私の所為で怒らせてしまってごめんなさい。でも胸がギュッとなるから、もうやめてください」

「ギュ……? 怖かった、か?」

 怪訝そうに眉を寄せるセファード。アメリアは首を振って否定する。

「セファードが怖いなんてないです。でも優しいと痛いんです。私には勿体ないから、駄目」

 セファードは意表を突かれたような顔をした。


「……………それは、嬉しいってことか?」


 再び首で否定する。

「嬉しいは痛くないです」

 アメリアの朧げに覚えている“嬉しい”は、確かもっと温かなものだ。こんなに胸を締め付けるようなものじゃない。

 セファードはまた項垂れてしまった。

「そこからか、そうか……。色々問い質したいが今は――――うっ」

 言葉半ばで、セファードがアメリアの膝裏に回した腕で自らの胸を押さえた。げんなりとした顔で、ぐぅ、と唸る。

「ユキトが怒ってる……」

 こりゃあ帰って来いってことだな…、と呟くセファードに、アメリアは首を傾げた。

「分かるんですか…?」

「俺の中にはユキトの力が入っててな…そのお陰で人の姿を取ることができるんだが、ついでにちょっとした気配とか感情とかはわかるんだ」

「……? 心の神様で繋がっているから?」

「本当にお前は、そういうところの理解は早いな。助かるよ」

 どこか少し呆れるように言うセファード。


 途端、急降下。


 溺れる者は藁にも縋るとはこういうことだ、と体現するかの如く、アメリアは叫び声も上げられず一層セファードに齧り付いたが、気付けば地上に降り立っていた。一瞬記憶が飛んだような心地だ。いや、実際飛んでいるのだが。

 いつの間にか少年の姿に戻っているセファードはアメリアを地面へと降ろした。そして、ふん、と腕を組んで仁王立ちになる。彼の視線を追うとそこは宿の前で、ユキトが大きな荷物を片手に立っていた。

 二人の姿を認めると、ユキトはにこりと微笑んだ。


「随分と()()()()()()手法を採りましたね、セフ? その割にお早いお戻りで」

「埒が明かんからな。とはいえ、お前の言い方がこいつに辛辣だったのを、俺は責めたいところだがね?」

「包帯が靴に見えている人には言われたくないものですね」

「あ」

 一度別れた病院からここまで、アメリアがほぼ裸足の状態で歩いていたことに、セファードは今やっと気が付いたらしい。アメリアの足を見て、ばつが悪そうに顔を歪めた。

「気付かなかった、悪い」

「こんな格好で出歩かせるものでもありません。大分炎症を起こしていましたから、痛いでしょう?」

 ユキトはアメリアの肩にローブを掛け、更に足元に跪いて足の様子を窺った。見上げてくるペリドットに、こくりと頷く。

 これまで身体の痛みについて口にすると叱られたため、我慢強くもあったし伝えるつもりもなかったのに、何故か素直に認めてしまった。彼の不思議な光の宿る瞳がそうさせるのだろうか。頷いたアメリアにユキトは穏やかに微笑んでみせた。

「手当てしましょうね。さ、行きましょう。セフ、彼女のことを背負ってあげて」

「行くってお前」

「モントレードです。このままの格好でいさせるわけにはいかないでしょう。物を揃えるならあちらの方が良さそうですから」

「……いいのか?」

「私の意見は変わってはいませんが――――『助けた責任がある』というのは、ええ、身につまされる言葉でした。私もまだまだ修道が足りていませんね」

 ユキトは何かを納得するように、気難しげな顔で何度か小さく頷いた。

 何の話をしているのかアメリアには分からず、ユキトを見上げるしかない。幼い子どものような瞳で見詰めるアメリアに、彼は少しだけ困ったように微笑んだ。

「酷いことを言いました。ごめんなさい、アメリア」

「? 神父様は酷くないです」

「貴女を振り回すことになるかもしれませんが、私たちと一緒に来てくれますか?」

 アメリアは一瞬、思考が固まる。自分の受け取った問いがあまりに己に都合が良過ぎたからだ。

 ユキトの言うそれは、モントレードというところ? それとも。


「………王都に…?」

「はい」

「でも…」


 彼は考えが変わったわけではないと言ったのに。

 ユキトは自身の太腿の辺りを二度軽く叩いてみせた。そして、アメリアの寝巻きを指差す。ワンピースのポケットだ。手を差し込んでみると、中にはネックレスが入っていた。

 いつから入っていたのか全く気が付かなかったそれは、光が当たるとマホガニー色に輝く暗色の小さな玉が数珠つなぎになったチェーンに、縦の長い十字の中心に(ケルティック)環が重なった意匠(・クロス)の銀色のペンダントトップが付いていた。

 ユキトが胸に下げている物と同じだ。

 手にぶら下げると、シャラ、と清廉な音を立てる。

「それは聖者の力の気配を抑える(まじな)いが掛かっているロザリオです。貴女の移り香も抑えてくれるかもしれません。気休め程度ですが、常に身に付けておいてください」

 アメリアの手からロザリオを取ったユキトは、それを首に掛けてくれる。

 そして、目線を合わせるように膝を折った。

 戸惑いを浮かべるアメリアの両手を取り、柔らかく、優しく、慈愛をもって微笑む。


「もう貴女をひとりぼっちにはしません、アメリア」


 多分、この時アメリアの息は止まっていた。

 それくらいに胸が痛くて、切ないくらいに締め付けられて、痛みで息もできなかった。

 息もできないのに、息をたくさん吸い過ぎたように胸がいっぱいで苦しい。


 神様がいるのなら、きっと、こういう人だ。



 驚き固まる時間を動かしたのは、アメリアの頭をわしゃわしゃとこねくり回したセファードで、彼は大きくない身体でアメリアを背負い、更にユキトが手に持つ大きな鞄をひったくり、「お前たちの“我慢”というのは不健康だ!」と叱りながら二人の身体を気遣った。

 アメリアはその温かな背に抱き付きながら、どくどくと昂る胸の痛みに、未だぼうっとしていた。


 痛いのに、どうして嫌じゃないんだろう。



 痛みに多くの意味があるということを。

 嬉しさが、歓びが、幸せが、泣きたくなるほど胸を締め付けることがあるということを。

 感情を棄ててきてしまったアメリアが知るのは、もう少し先のこととなる。




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