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 湿った土の匂いと、青々とした木々の香りが鼻腔を擽る。

 背の高い木々は日光を遮り、昼間とは思えないほどの暗さの森は、人の侵入を拒むように鬱蒼と、侵入した者は逃さじと鬱然と、視界の全てを埋め尽くしていた。

 見渡す限りの木々。少し先を見たところで、黒々と闇に覆われ様子は全く窺えない。人の生活の気配など微塵もさせないそこは、最早自身の通ってきた道無き道すら見失わせた。

 身体を撫でるひんやりとした空気に、ぶるりと身震いがする。

 方向感覚を失い、行く宛てもなくうろうろと彷徨い続ける少女の顔に、しかし悲愴な表情は窺えない。


 どうしてこんなところにいるのでしょう。


 自分の置かれた状況に理解が及ばないまま、黒緋くろあけ色の髪の少女は、頼りない足取りで元の道を探して歩き続けていた。



  ✳︎



 関わった人たちの悉くが死んでいく。

 少女――――アメリアは、《呪われた子》と呼ばれていた。

 両親を亡くし、引き取られた親戚を亡くし、その後面倒を見てくれた人を、仲良くなった人を、飼い主を亡くし、口さがない噂なだけかもしれなかったそのまことしやかな悲劇の名は、しかしとある教団の齎した情報によって紛れもない真実であったことが判明する。

 全てかどうかはわからない。けれど確かに、アメリアは彼らの死に関わっていた。

 《聖女》。

 まるで正反対のそれが、《呪われた子》の正体であると言う。

 この世では人が化け物に成り代わってしまうことがあるらしい。その《カタストロフ》と呼ばれる化け物を浄化できる“加護の力”を持つ者、それが聖女なのだそうだ。だがその弊害として《魔》に狙われるというのが聖なる者の特性で、これこそがアメリアの“呪い”の正体である。

 アメリアは類稀なる力を有している。《魔》の接近を赦さないほどの、他の聖者とはステージを画する強大な力。

 ではアメリアを狙う《魔》はどうしたのか? 溢れるアメリアの聖者の力の気配かおりを移された人々に襲い掛かったのだ。アメリアの知らないところで、アメリアの所為で、何の罪もない人々はその命を刈られていった。

 元より絶望の泥沼に溺れていたアメリアが、厭世の底に引き摺り込まれるのは当然だった。

 死を、選んだ。それだけが自分に残された幸せだったから。

 けれどアメリアを救ってくれた人がいて、救われていいと赦してくれた人がいて、生きることを選んだのだ。自身の生が赦されざるものと知りながら、希望を求めて初めて心から生を望んだのだ。


 だというのに、今はこんな森の中をひとりぼっちで彷徨っている。

 どちらに進んでいいか見当もつかない道程はアメリアの体力を僅かとはいえ奪い、はぁ、と少し熱の篭った息を吐かせた。

 アメリアの人生はずっと、この森のようだった。行く先も見えない闇の森。少し歩けば足を取られる。そこには誰もいない、ひとりぼっちの寒い世界。やっと抜け出した暗闇に再び放り出されたようなものだった。

 けれどアメリア自身は、この状況をそれ程意に介していなかった。十五歳の少女にして、しかし厳しい幾多の経験を生きてきたアメリアにとって、これしきのことは特に困難を感じるものではなかった。身体を痛めつけられ苦しいわけでもないし、身体の感覚がなくなるほどの空腹や極寒の環境に苛まれているわけでもない。

 その感性こそが狂っているのだと、もし聞かれたなら怒鳴って叱る人がいる鈍感さだが、今のアメリアには幸いなことだった。

 今の状況を疑問に思う以外、悲観的なことは頭を過ぎりもしない。少しあるといえば、完治しきっていない足底で歩き続けるのは疲れるな、というくらいで。

 立ち止まって、辺りを見回す。元の道は一体どこなんだろう。

 目線を落とすと、膝下まで丈のある紺色のワンピースの裾と白い靴下が、泥で汚れているのが目に入った。一度尻餅もついたから、きっと背面は酷く汚れていることだろう。折角ユキトが買ってくれたというのに、悪いことをしてしまった。

 いつの間にか姿を消したアメリアに、彼らは怒っているだろうか。むしろ呆れて愛想を尽かしているかもしれない。そもそもがお荷物のアメリアをこれ以上面倒見きれないだろう。


 不意に、遠い空から音がする。

 蒸気の音。アメリアの飼われていた港街のほど近くの街からここまで乗ってきた、蒸気機関車の音だ。

「出発の時間……」

 ぽつりと溢す。

 荷積みのために三十分の停車をすると言っていたが、その終わりの時間になったのかもしれない。

 置いていかれたら自分はどうなるのだろう、ぼんやりと考える。未だ『聖者教育』を受けていないアメリアは、力の使い方も制御の仕方も知らない。その意味するところはひとつだ。

 ()()()()()()()()()()()()

 たった一人で国外のどこかにある教団まで辿り着けるとは思えないし、今向かっている王都へも見知らぬ誰かを脅かす可能性を考えれば一人で行くわけにもいかない。この国は《魔》が発生しやすい環境にあるというからには余計に。であれば、ここで死ぬのが妥当な決断か。

 やはり、沢山人を殺してきたくせに、生きようと思ったのが贅沢だったのだろう。野垂れ死にとは、お似合いの末路ではないか。

 ああ、でも、嫌だな。

 胸が酷く痛む。このまま彼らに会えなくなるのは、とても嫌だった。

 出来ることなら戻りたい。生きて、アメリアを赦してくれる彼らにせめて報いてから死にたい。何もないどころか人に害を為すだけだった自分だから、初めて誰かの役に立ちたくて、願わくば護ってくれた彼らの役に立ちたい。

 会いたい。

 けれど、汽車の音の方向はわからなくて、どちらに帰ればいいのか分からなかった。

 誰かが探しにきてくれるかもしれないという希望など露ほども思い浮かばず、アメリアは途方に暮れていた。


「貴女なんてここで野垂れ死んでしまえばいいんだわ!」


 自分を森へ置き去りにした少女を思い出す。

 敵意の視線。彼女は何をそんなに憤っていたのか、思い返しても分からない。一言も話していないが、アメリアの何かが気に障ったのだろうか。

「ユキト神父がお願い事があるんですって」、笑顔でそう言われて、良くも悪くも純粋なアメリアには疑いも上らなかった。言われるままに汽車の駅から離れ、この森の深くに連れられ、突如突き飛ばされて尻餅をついた。びっくり、といった程度の感性に欠けた可愛らしい驚きで見上げるアメリアに、彼女は敵意をぶつけてきたのだ。そして彼女はあっという間に走り去ってしまい、置き去りにされたという顛末。

 何故このようなことになったかはわからないが、きっとアメリアが悪いのだろう。

 彼女は無事汽車に戻っているだろうか。《聖女見習い》だという彼女ならば対抗手段を持っているので心配はないはずだが、少しの間近くにいた分、アメリアの“聖者の移り香”で《魔》に危害を加えられなければいい。

 ここに至れば彼女の言う“ユキトのお願い”が嘘だということは、悪意に疎いアメリアとて流石に理解していた。だからといって、自身をこんな目に遭わせたとしても、彼女に傷付いて欲しいなどとは思いもつかない。博愛で、聖女然とした気持ちから来るものではない。アメリアにとって他人とは等しく傷付いて欲しくないものなのだ。

 自分が傷付けられることに頓着はしないが、他人は嫌だ。これまでの人生でそう歪んでしまったが故の、聖女性。


 生茂る木々で覆われたまるで夜のような空を見上げ、はっと気が付いた。

 随分と遠い昔、星で方角を知る方法を教わったこと、そして森での狩りについて教わったことを思い出したのだ。

 暗がりの足許に目を凝らす。汚れた自分よりも下、足跡だ。殆ど陽が当たらないこの森の土はほんのりと湿っていて、アメリアの軽い体重でも跡を残していた。歩いてきた道を振り返り、獲物を追うように足跡を辿る。全ての足跡を追っていけばこの森に入った場所まで辿り着けるはずだ。

 ここまでは大分見当外れの道を歩いていたらしい。目標ができ足早に歩いていると、今アメリアが引き返してきた足跡の道と、四人分の足跡の残る道が交わったのだ。左手に向かう二人分の足跡と、右手に向かう歩幅の広い足跡が一人分、そして今アメリアが歩いた方向へ向かう足跡が一人分。であれば、走ったと思しき右手に続く三人分の往来の足跡が来た道だ。

 知らず、アメリアはほっと息を漏らしていた。汽車の時間はとうに過ぎてしまっているかもしれないが、どうやら駅には戻れそうだ。獲物の狩り方を教えてくれた、にこりともしない頑固なお爺さんの顔は既にぼんやりとしか思い出せないけれど、ありがとうございます、とお礼を零した。

「………」

 希望が見えて初めて、彼らは待っていてくれないだろうか、と仄かな願いが浮かび上がる。セファードとユキトの顔が思い出されて、ちくりと胸が痛んだ。その痛みが“置いていかれたら哀しい”という気持ちだとは気付けないまま、アメリアは先程までよりも歩を速めた。

 しかし、その歩みはすぐに止められる。目の前の茂みがガサリと揺れたかと思うと、巨体がのっそりと姿を現したのだ。暗がりで正体が掴めず、アメリアは足を止め警戒するように後退る。


「あ? 嬢ちゃん、こんなとこで何してんだ」


 その巨体は熊のように屈強な男性だった。彼は目をまんまるに見開いてアメリアを見ていた。

 アメリアは咄嗟に、いけない、と数歩下がる。

 彼に“聖者の移り香”を残してはいけない。気配を移される有効範囲や時間などは全くわかっていないのだから、不用意に人に近付いては駄目だ。この距離でも、この一瞬でも手遅れかもしれない可能性を考えたら、アメリアには最早恐れしかなかった。

 胸に下げたロザリオを、ギュッ、と握りめて、どうかその恩恵がありますようにと強く願う。

「怖がんなくて大丈夫だって」

 表情筋の動かないアメリアではあったが、退がったことで恐怖を感じられていると思ったらしい男は粗野に笑った。アメリアはかぶりを振る。

「迷ってしまって…」

「何だ、じゃあ外まで送っていってやろう。ここは人が立ち入る森じゃないからな、方向感覚も狂ったろ」

「近付いては駄目です」

 話しながら、アメリアは更に後退した。しかし男の方は構わず距離を詰めてくる。

「何もしないって」

「違うんです。私、呪われていて、私に関わると死んでしまうんです」

 慌てて言えば、男は大笑いした。

「何だそりゃ! 傑作じゃねぇか! 益々気に入った!」

 そのままがしりと腕を掴まれ、強引に引き摺るように歩かされる。

 どうやら信じていないようだ。こんな話すぐに信じられないとは思うが、アメリアにとっては死活問題である。

 しかしここまで近付いてしまっては、もう手遅れかもしれない。ならば駅まで共に行って、もしユキト達が待ってくれているなら相談してみるのが彼の命を守ることに繋がるだろうか。近くにいる分には安全な筈だから、今更離れる方が下策とも考えられる。

 諦めて後をついて行くことにするが、ふと視線を落とした足許に違和感を覚える。そこにはアメリア達が森に入るまでの足跡はなく、こちらに向かって歩く大きな足跡が一つしかない。駅の方向へ向かっているのではなかったのだろうか。

「あの……」

 疑念を抱き顔を上げると、木製の小屋が目に飛び込んできた。かなり小ぶりなそれはひっそりと佇んでいて、こんな深い森に訪れる人も居なさそうなのに、生活感こそないが廃れた様子は感じられない。

 え、と目を瞬かせるが刹那、扉を開けた男に背を押されて小屋の中に押し込まれる。

 たたらを踏んで入った薄暗い室内に光源は壁にかかったランプ一つしかなかったが、森の暗がりよりも視界を確保できた中で見た光景に、アメリアは瞠目した。

 そこにはアメリアを置き去りにした聖女見習い、名は確か、そう――――グレース。彼女が布で口に猿轡を、足首と後ろ手に腕を縄で拘束された状態で、驚きに見開いた涙目でアメリアを見上げていた。

 人攫いだ、と瞬時に理解したものの、受け身で緩慢に生きることに慣れてしまったアメリアには地頭の良さをもってしても対処など出来ようもなく、ただゆっくりと背後の男を振り返ることしか出来なかった。

 男は小屋に到ってからこちら、にやにやと下卑た笑みを浮かべていたが、振り返ったアメリアのあまりに無感情な顔を見て片眉を上げた。

 そうして男を見ながら、逃れる打開策はないものかと考えを巡らせるアメリアは、状況を整理するためなのか自然とこれまでのことを思い出していた。


 セファードとユキト、彼らと共にいた、たった数日のこと。

 

 


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