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0-4.《聖者》が救うもの

 腰を抜かした上体力の底をついていたアメリアは、覚束ない足取りで神父に引っ張られるしかなかったが、振り返って確認した化け物は前足を失ったことで身体の均衡を失い、追ってくるには時間がかかりそうだった。

 細い路地に入って逃げる。

 神父の為すがままだったが、漸くはっとすると、アメリアは声を上げた。

「し、神父様……彼が…彼が海に…! 私の所為で…!」

「今はご自分の心配を! 先ほど強く力を放出してしまった所為で、一時的に加護の力が薄れています。それを察した者たちが集まり始めているんです」

「私のことなんていいから…! 彼を助けて…!」

 アメリアは力一杯神父の腕を引き、足を止めさせ、悲痛に叫んだ。

 もう嫌だ。自分の所為で誰かが犠牲になるなんて。自分の命を、厄災だと知りながら引き留めてくれた優しい人を、喪うなんて。元より命を断とうとしていた自分の無事など、どうだっていいのだ。

 神父は泣きそうなアメリアと目線を合わせるように膝を折り、優しく微笑んだ。

「大丈夫です。教団(わたしたち)は人々を『魔』から守るため、遣わされているのですから」

「でも、彼は、海に………」

 海に投げ出されてしまった。細く幼い身体を玩具のように薙ぎ払われ、奈落の底に。例え生きていたって、助けなければすぐにでも死んでしまう――――――――


「ユキト!」


 ばさり、とした音と、低く耳を揺さぶる声が、空から降る。神父は空を仰ぎ、アメリアもつられてその視線を追った。

 そこには、目を疑う光景。


 星空を背に、天からの来訪者が。二対の翼を持つ、神々しくも力強い――――天使が、居た。


 アメリアはそれを呆然と見上げるしかない。昼間に見たと思った、しかし死の間際の幻でしかないと思っていた天使。あれは夢でも幻でもなく、今目の前にいる精悍な青年、その人だ。

 けれど、どうしたことだろう。その顔にはよく覚えがある。背丈はアメリアどころかアメリアの頭半分以上も上の神父すら優に超していて、年齢も神父を上回っているように見えるのに、左耳のターコイズのピアスもないけれど、彼は別人とするにはあまりにも、先程まで傍にいてアメリアの所為で海へと消えていった少年そのものなのだ。

 別人じゃなければおかしい。それどころか人間ですらないのに、同一人物としか思えない。

 まさか、本当に――――?


 地面に裸足で降り立った天使は、濡れた髪を厭うように首を振った。

「悪い、油断した…コイツの周囲には姿を現せないものだと…」

「いいえ、私も加護が弱まっていることに気付くのが遅れました。彼女の放出した力を感知した周辺の《カタストロフ》がどれ程集まってくるか計り知れません。この国は信仰が殆どありませんから、彼女を長らく付け狙っていた者だけとは思えな――――…」

「………」

 思案気に話していた神父だったが、話の半ばに移った天使の視線に気付き、彼の視線を追うと言葉を途切れさせた。間の抜けた顔のちっぽけな少女に二人分の視線が注がれる。

 彼らの会話など耳に入らなかったアメリアは、ひたすら食い入るように、じっ、と天使を見つめていた。ターコイズ色の瞳も今はこちらを向いている。あの少年と同じ色の瞳。

 天使は少し困ったように笑って、アメリアの黒緋色の髪を大きな骨張った手でくしゃりと撫でた。


「無事でよかった」


 声は全く違うのに、分かる。彼だ。

 アメリアには返せる言葉はなかった。無事でよかったのは、そちらの方なのに。ただ言葉にできない感情が、目頭を熱くさせる。

 鼻根に皺を寄せるアメリアを見ると、天使は慰めるつもりなのか、今度は乱暴にぐしゃぐしゃとアメリアの髪の毛をかき混ぜた。そしてふわりと宙に浮く。


「まとめて浄化できるなら好都合だ。ユキト、“赦し”を」

「――――――――“赦します”」


 天使が親愛の挨拶を交わすように、神父に恭しく頬を合わせ言葉を交わすと、天使の口から光の粒子の帯のようなものが波打ちながら溢れ、神父の身体に吸い込まれていく。

 ふわりと風が撫ぜるように、天使の背を覆う翼が三対に、短かったはずの髪の毛がさらりと膝ほどまでも伸びた。

 人の形をしていたはずの耳が小さな翼の形に形状を変え、ターコイズの色をしていた瞳は、まるで夜闇の月のように、琥珀色に輝く。

「気を付けてください。恐らく、かなり凶暴化しています」

「ああ。お前こそ手持ちはあるのか」

「心許ないところですが、そこは主の加護を祈るとしましょう」

「まじか……」

 にこりと微笑む神父に呆れ顔の天使は、しかしすぐに表情を引き締めると、夜空を仰いだ。


「“土は土に、塵は塵に、神は神に”――――《神還パージ》、執行する」


 天使は不思議な詩を唱え、ただ唖然と様子を見ていることしか出来ないアメリアを振り返った。


「必ず護る」


 そう、告げ。

 アメリアの髪を一房取り、それを虚空に舞い上げながら、夜空へと浮かんでいった。

 周囲を警戒して辺りに隈なく視線を走らす彼を見上げながら、アメリアは独りごちるように呟いた。

「――――――――彼は、人間じゃ、ないのですか…?」

 一拍の間。


「人間、でした」


 神父は言う。

「じゃあ…《(カタストロフ)》…?」

「神の力に侵されたという意味では同じです。けれど、似て非なる者。貴女は、天使、悪魔、人魚、吸血鬼――――こういった、人と違う数多の存在を知っていますか?」

 空を飛んでいた天使は地上付近に降り、こちらからは少し離れたところで、先ほどアメリアと彼を襲った化け物と交戦している。彼が人より膨らんだ、熊のように変化させた腕で横薙ぎにすると、化け物は粒子状になって消滅した。

「でも…そんなの物語の中のもの…」

 目の前にいる彼の存在すら、未だ信じられないのに。

「彼らは実在します。そしてそれらは全て、元は人間でした」

「え………、っ!」

 天使のいる方向とは反対の路地から、違う姿の化け物が姿を現した。こちらは蛇のような長く太い胴体に人の手足が生え、ぞろり、と人の歯が並ぶぽっかり空いた空洞を頭部に持つ姿だった。同じなのは漆黒なことと、悍しいことだけ。

 元が人間だなんて思えない。思いたくない、姿。

 身の毛もよだつ感覚。恐怖。畏怖。心の裡から湧き上がる焦りのような堪らない気持ち。アメリアのこれまでの人生で、こんなものは感じたことがなかった。感性のくるったアメリアでさえ覚える、明確で本能的な畏れ。

 神父はアメリアを背に庇うとそちらに銃を向けた。銃弾を撃ち込まれる度化け物の身体は小さな爆発を起こすが、怯む様子がなく、六発を正確に撃ち込まれて、ようやく化け物は粒子状に消えていった。

 間髪入れずに更に姿の違う二体の小型の化け物が現れて、神父はアメリアを連れ立って応戦しながら、更に細い小道へと入った。小道の前を天使が陣取る。

「稀に、《原初の神》の力を呑みこめてしまう器を持った人間がいるんです。彼らは神の力を取り込み、人の身を超えた命を得、そして身体が変化する。説明は省きますが、動物の一部を模した形態に、です」

 神父は辺りに隈なく目を走らせながら、アメリアに説明する。引っ切りなしに知らされる世界の真実とやらに、最早何に驚いて良いか分からなくなっているアメリアは言葉も返せない。

 確かに天使も悪魔も人魚も吸血鬼も描かれる姿は、人の身の一部に動物の部品が付いていたり融合していたりするが、それだけで元々人間だったことの証左になるとは思えない。見るに耐えない化け物と化してしまった《魔》と較べればまだ信じられなくはないが、だとしてどちらもアメリアの想像の域を絶していた。

「彼らは幸か不幸か、神の力に愛されてしまった人々です。彼…セファードもまた、同じように」

 遠くで、アメリアを護るために戦っている天使を見る。


 ――――誰も選ばれたくて選ばれたんじゃない。


 不意に、そう言った天使の、少年の声色が頭を過った。

 ああ、そうか。すとん、と、アメリアの中で腑に落ちる。

 彼もまた、世界の理不尽に選ばれてしまった人間なのだ。平然としているがあの言葉を思えば、きっと人ではなくなってしまった自分をよしとしていない。だからあんなにもアメリアを引き留めてくれた。同情ではなく共感で、アメリアを想ってくれたのだ。

 自分も、彼も、あの化け物――――《魔》も。世界はなんて残酷なんだ。


 アメリアが状況に翻弄される中、更に大小問わない大きさの《魔》が襲い掛かっていた。この状況が教団の彼らにとってどれほどあり得ないことかアメリアには判断しかねたが、自分を庇う神父の顔を見れば、旗色が悪いことだけは理解できた。

「く…っこんなに数がいるなんて…! 国教を持たない国というのは、伊達ではありませんね…!」

 神父は服の下からダガーを取り出し、それを構える。手持ちの弾丸が切れたのだ。

 そんな小さな物で化け物に対抗しようというのか――――悲惨な未来を予感したアメリアが神父の上着を強く握り締めたと同時、彼が上空を、振り仰ぐ。


「危ない!!」


 アメリア目掛けて上空から一直線に襲撃してきた《魔》の、鎌のように鋭い一部が、身を挺した神父の肩から腹部までを一気に切り裂いた。

 どさりと、彼は地に伏す。

「神父様!!」

「ユキト!!」

 瞬時に二人と《魔》の間に割り入った天使が、それを腕で薙ぎ霧散させていく。一撃で仕留めた彼もまた傷だらけだった。

 アメリアは神父の傍へとへたり込んだ。とうに土埃で薄汚れていた白い寝間着が、その汚れを覆い隠すように、じわりじわりと神父の血で真っ赤に染まっていく。

「い、いや…神父様…っしっかりしてください…神父様ぁ…」

 肩を揺らしても、彼は返事をしない。

 まただ…また、私の所為で、誰かが死ぬの…? 涙が溢れて、視界が歪む。


「お願いです…私が死ぬから、これ以上はもうやめて………」


 爪が食い込むほど握りしめたその手が、優しく包み込まれる。

「っ…!」

「………彼らは…憐れな、人々です…」

「神父様…!?」

 まともに息が出来ているのかすらもわからないような様子の神父が、絶え絶えに言葉を発しながら、身体を起こしてアメリアを見詰めた。とても起き上がれるような傷ではないというのに。

「し、神父様、だめです……っ」

「望まずあのような姿になり、望まず人を襲う……無辜の怪物なんです……貴女はその理不尽な世の(くびき)から、彼らを解放する力を持っています…。彼らを、救えるんです……」

 神父は小刻みに震えるアメリアの手を開かせると、そこに弾切れになった古めかしい銃を握らせた。銃口を上向かせ、アメリアの手に自分の手を添え、後ろから包むように身体を支える。背中が神父の温かな命で、じわりと濡れた。

「銃だけを意識して…弾を込めるイメージをして…引き金を引けば、貴女の力が、彼らを貫く」

 群がる《魔》に、銃口を向けさせられる。

 何を言っているのかわからない。アメリアはゆるゆるとかぶりを振る。

「そ、そんなの、できません」

「できます」

「わからないです…!」

 今度はもっと強く、首を振った。

 力って何だ。そもそも自分におかしな力があることを、ついさっき知ったのに。こんな曖昧で、目に見えない、自分では感じ取れないものをどう扱えというのか。そんな自分に誰を救えるというのか。

 救えやしない、誰も。

「焦らなくていい、ゆっくりイメージして…できます、貴女になら」


「私にはそんなことできない!」

「できる!」


 大声を上げたアメリアを遮るように、神父はピシリと声を張った。思いがけない声量にアメリアはびくっと肩を跳ねあがらせた。

「っ」

 恐る恐る、自分の顔の真横に付けられた、神父の横顔を窺う。声色とは裏腹に、彼は辛い身体の状況を圧して、優しく微笑んでいた。


「どうか、自分を諦めないで。誰を救うんじゃありません。その力で、自分を救ってあげなさい」


 その時、アメリアの中で、何かが弾けた。

 誰かじゃない。自分を、救う。

 人に不幸を撒き散らす自分は、自分自身を不幸にした。人の不幸は自分の不幸だった。

 そんな負の連鎖から救われたかった。ずっと、ずっと、ずっと。

 もう二度と、不幸になどなりたくない。誰も失いたくない。

 今度こそ。今度こそ失わない。自分を生かしてくれる人を、奪わせない。


 奪わせて、たまるものか。


 ドン、と、銃口が爆発した。

 純白の光がアメリアを中心に爆散する。


 アメリアには、何をしたのかは理解できていなかった。ただ、支えられて、引き金を引いただけ。

 辺り一面を光が包む時には、薄れゆく意識の中で、ただひたすらに希った。


 どうか、どうか、誰にも不幸が訪れませんように。

 私の手で誰かを不幸から守れるなら、それ以上は望みません。

 それが私にとっての救いです。それが私にとっての幸せです。

 私が救われることは許されないかもしれないけれど、どうか、守らせてください。

 どうか、誰にも不幸が訪れませんように。


 どうか、今度こそ、誰も私を置いていかないで――――。



  ✳︎



「銃どころか、爆弾だったな…とんでもない力だ」


 二対の翼の天使の姿に戻り地に降り立ったセファードは、溜息とも安堵とも、呆れとも取れる息を吐いた。

 地面に座り込んだ自分の神父の胸の中では、幼気いたいけな少女が、一筋の涙を零しながら安らかに眠っている。

「……この地域一帯の《魔》は吹き飛んだでしょうね」

「オイ、死ぬなよ」

 息も絶え絶えの様子のユキトの横にしゃがみ込む。半眼でねめつけると、ユキトは切れ切れの息で小さく笑った。

「貴方の力を借り受けているようなものなんです、これくらい、何ともありません…。血は、ちょっと、足りないですけど……。貴方こそ、随分無茶をしましたね」

 ユキトが視線を寄越した先は、右腕を失くしたセファードの身体だ。とはいえ負傷といえばそれくらいで、他に負った細かな傷は既に治癒していた。

 セファードは、ふん、と鼻を鳴らす。

「俺はいいんだよ。どうせ死なないんだから」

 ユキトが傷を負ってすぐ、力を彼の中に差し戻したことで弱体化し、相対した《魔》に噛みちぎられた腕。こんな姿、とてもではないが少女には見せられやしない。

 喚き散らしたいような痛みがあるとはいえ、《神呑者フィリウス》であるセファードの命には何ら影響はなかった。再びユキトに力の抑制を解いて貰えばすぐさま治癒するが、今は彼の命を繋ぐためにも、自分の“定命を超える力”は抱えておいてもらわなければ。

 昏倒してしまいそうで、流石に(しょうねん)の姿には戻れないが、唯の人間であるユキトに較べればこれしき何ともない。


「人間には何ともない傷じゃないだろうが。お前は肝が据わりすぎてる。腹の括り方がえげつないんだよ。何なんだ、その胆力。こんな小娘に真実を突きつけるにしても、身を挺して護るにしても、本当に、困る。こっちの身にもなってくれ。お前を失えない。お前の心にこれ以上傷をつけたくもないんだ。もっと自分を大事にしてくれよ、なあ」

「セフ……? 泣かないでください…」

「泣いてるように見えるんだったらお前とうとうヤバイだろうが! 絶対に死ぬなよ莫迦が! お前は本当にどうしようもない!」

「死にませんよ…貴方たちを元に戻す方法を見つけるまで、絶対に、死ねません……」

 そして、意識を失った。セファードは倒れてきた彼を、腕の中のアメリアごと受け止める。

 とんでもない意思の強さだ。本当ならずっと意識を失っていてもおかしくなかっただろうに、精神力だけで保ち、少女にあそこまでやらせた。彼女を護りたい、彼女の心を救いたい、その一心で。

 地面に蹲り身体を縮こまらせ、祈るようにして懺悔を繰り返していた、惨めで憐れな少女の姿を思い出す。救われてくれただろうか。自分がユキトに救われたように、彼女も救われてくれただろうか。

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「………お前達《聖者》っていうのは、どうしてこうも抱えたがりなのかね…」


 空はいつの間にか、白んでいた。



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