2.Ⅰ-3
「くそ……っ」
窓辺の椅子に腰掛け、窓枠で頬杖を突くセファードは、苛々とした表情を隠そうとすることもなく腹立たしげに貧乏揺すりを繰り返していた。
アメリアとグレースがロッドジェリの駅から姿を消して、一日と少しが経っていた。にも関わらず、ユキトとセファードは王都への道程を予定通りに進み、今は宿で明日の大事に備えているところだ。
ロッドジェリに残って彼女たちを捜索しているのは、ジャン=ジャックと二人の侍祭の三人。ユキトらを含んだ他の者七人は、ジュリアンに随伴していた。
本来はシズルに着港した日、同日の夜に王都に向けて寝台列車に乗る予定だったのだが、身投げをするアメリアを港から見つけたセファードが彼女を助け一連の騒動が起き、それから二日予定が狂っていた。任務に就いた一団のうち、聖者という特殊な立場のジュリアンを除けば、一番位の高い役職のユキトが大怪我を負ったためこの時は別行動をせず予定を遅らせるという判断が取られたのだが、今回は聖女見習いと候補者が姿を消すという先の見えない不測の事態が起きたため、捜索の人員だけ残して先行することと相成った。
聖者に成れるほどの素質を持つ者は貴重だ。だが彼女らはまだ見習いと候補者――――正しくは洗礼を受けおらず信徒にすらなっていない者――――であり、素質はあっても大成するとは限らない。その上目撃者の話によると、どうも自らの意思で駅を出て行ったのだという。
ジュリアンとしては、そんな莫迦げた行動を起こした者のためにこれ以上予定を狂わせるなどあり得ないことだった。しかも新入りのアメリアではなく、自分の側仕えがそんなことをしたとあっては、顔に泥を塗られたも同然だった。駅に残る選択肢を取ることなど一考するにも値しなかったのだ。
第一に、予定が目前に差し迫っていた。
この度の訪問の目的は宣教の許可を戴くことである。しかしその為の建前にして手段、宗教を徹底的に排そうとするウィランドへの入国の許可を取り付けられたのは、明日行われる『ウィランド国王生誕記念式典』に出席するという大前提があるからだ。
友好国でもないアルカディアが招待を受けることはないが、世界的に信仰され各国と密接な繋がりを持つ宗教特区のトップが、偉大なる国王の記念すべき還暦を言祝ぎたいと親書を寄越せば、流石のウィランドとて邪険にはできなかったのであろう。
長年、宣教についてどれほど交渉しようとも取りつく島もなかったし、国内行事への参加も国交がない故に認められることはなかったのだが、ミラリュキア教の世界への影響力を鑑み、やっと足掛かりを得られたという訳だ。
とすれば、その式典に間に合わなかったなどとは、アルカディアの威信を損ねることであり、あってはならないことだった。
その後に、交渉とまではいかなくとも、この国の憂慮をご注進差し上げる席を設けてもらうことこそが重要なのだ。ただで帰ると思っていないウィランドも、当然そこは織り込み済みの筈。あちらとしては大臣かもしくは下級官吏に面通しすれば義理は果たしたといったところだろうが、使節団の任務の目的は神の末席に座す国王陛下にお目通り願いミラリュキア教の流布をお赦し戴くことなのだから、尚のこと心証は肝要だ。
だからこそユキトも、治癒していない身体を押してまで、任務へと戻ったのだから。
「……っ」
熱い息が漏れる。ベッドの端に腰掛け、左肩から右脇腹に掛けて一文字に裂かれた肌に、包帯を巻く。外面を装うのは得意だが、こうして手当てしていると、なかなか平然とするのは難しい。
傷自体は大分治った。しかし常人であれば致命傷といえるほどの負傷が、流石に三、四日で快癒するわけもなく、普通に動けていること自体が奇跡と言える。
不意に、巻き付けていた包帯の端を手元から失った。
振り向くと、仏頂面で手当てを引き取ってくれたセファードがいる。
「あ……、すみません、セフ」
彼は暫く黙ったまま包帯を巻いていたが、ユキトが痛がるように小さく身体をひくつかせると、フン、と鼻を鳴らした。
「たわけ。手伝ってくれくらい、言え」
ぶっきらぼうな声が背中から掛かり、ユキトは申し訳なさげに微笑した。
「貴方には我慢を強いているのですから、私のことまで気に掛けなくていいんですよ」
優しいセファード。こんな時、彼は自身の境遇を特に呪っていることだろう。
彼は当然残って捜索に加わりたがった。一番移動に秀でているのは彼だし、何かあった時の戦力にもなる。
だが、彼はユキトの傍を離れて行動することを許されていない。そして何より、それに逆らうことができない。
セファードにとって、自らを人間の姿に戻すことのできる力を持つユキトは、最大にして最優先の守護対象であり、最大の足枷であった。
有り体に言えば、人質。
ユキトを引き合いに出され、立場を悪くするとか過酷な任に就けるとか言われてしまえば、従わざるを得なかった。自身の失態の所為でユキトが酷い折檻を受けたこともあるし、自身を通してユキトを悪く言われることも、セファードにとっては我慢のならないことだった。
だから教団の決定には基本的に逆らわない。どれだけ不条理で理不尽で業腹だろうが、逆らえないのだ。
それはユキトにとっても同じだった。
セファードを再び異端審問官の管理下に送ると脅されてしまえば多くの命令に逆らえない。そこで《神呑者》の彼がどんな目に遭うかは――――考えたくもない。
それでも司祭という立場がある分、発言は許されるし多少の異議や抵抗も通るが、この任務において我を通すのは危険だった。
ジュリアンは特に《神呑者》根絶派の一員であるし、後からそちらの枢機卿にある事ない事吹き込まれては困る。
何より、《神呑者》を蛇蝎の如く忌み嫌うジュリアンが今回のセファードの同行を渋々同意したのも、剣であり盾である“露払い”以外に、重要な役回りがあるからだ。そのためどうしても使節団を離れることができない。
任務の重要性においてのみ論ずるならば、ユキトは二人の少女を待つ余裕などないというジュリアンの切り捨てを否定できなかった。勿論肯定もできないけれど、否定が上回ることだけは決してなかったのである。
恐らくはグレースの起こした気の触れた行い。国同士の政の絡む任務の中で、自らの衝動を優先した小娘の愚行に構いつけていられないのは真実なのだ。
アメリアが傍に居ない今、《魔》の脅威を一身に浴びるジュリアンの警護を減らすことも出来ない。実際、車上戦も含め、既に何体かの《魔》と交戦済みだ。人の多い街ほど危険が増すことを考えればむしろ捜索に三人も回したのが多いほどで、現状がぎりぎり許される人員配置だった。
だからといって、誰が、あの頼りなげな少女を捨て置きたいと思うのか。連れてきた以上、ユキトは全面的に彼女の安全に責任を持たなければいけないのに、任務だ何だと言い訳ばかり。
もうひとりぼっちにしないなどと嘯いて、無辜の民を護りたいなどと壮語して、結局選ぶのは己の先行きとは……くだらない。
バチンッ!
「い…ッ! 痛いですよ……」
手当てを終えたセファードに、背中を思い切り平手打ちされた。振り向いて見上げた彼の顔はやはり仏頂面で、ユキトを責めているわけではないだろうが、現状を納得もできないと語っている。
「お前は、悪く、ないだろうがッ」
「……どうでしょうか。二人の少女の安否よりも政治を優先したのは、少なくとも褒められたことではありません。あまりにも恥を知らない」
「そりゃあ俺だってな、俺なんかの保身よりアメリアを選んで欲しかったと思ってるさ! けどな、お前が……あの糞野郎の手の内にあると思うと、如何ともし難くて、ッ……くそっ、情けない」
言い捨てるセファードは、少年の顔には不釣り合いなほどの苦悶が浮かぶ。
「…私が不甲斐ないばかりに、ごめんなさい」
「やめろ。お前に謝らせたいわけじゃない。それに、謝るとするなら相手が違うだろう。お前も、俺も」
「そうですね……」
これが聖職者だなどと、笑わせてしまう。
アメリアは、最早ユキトを無条件に信頼している。信用している。
―――― ユキトが神様だったら、私はきっと、神様を信じられます
そんな風に、穢れのない瞳で真っ直ぐにユキトを見詰めた少女を、ユキトは今現在も、裏切り続けている。
矮小すぎる自分を信じてくれた彼女に応えなくて、一体何に応えられるのだろう。
――――神父。大丈夫だ。任せてくれ
立場ある者としていつも平静を装っている、そんなユキトの進退に窮する内心を察してくれたジャン=ジャックが、力強く肩を叩いてくれたのは、本当に救われた。「惚れちゃいそう! って言ってくれても良いんですよ」とウインク付きでジョークを言って台無しにすることすら、彼の度量の大きさだった。
基本的に軽薄な態度を取る彼だが、その心根はユキトとは較べるべくもなく清廉で、真摯で、聖職者たるものだ。そこに騎士道まで備えているのだから、己のために聖職者の道を志したユキトでは彼の足許にも及ばない。数少ない尊敬できる人物。
アメリアが信頼するべきはユキトじゃない、ジャン=ジャックのような人だ。
「………アレは、信頼のおける人間なのだろ。だから俺も、無責任にも、託したんだ。だから、平然とした顔のまま、内心で自分を灼くな。弱音でも何でも吐け。俺の前で取り繕うな、莫迦が」
ユキトの自責を察したセファードは考えまでもお見通しなのか、不服そうな声で言いながら、ベッドの上に胡座をかいた。
「己の恥知らずが堪らないのは俺も同じだ。“助けた責任”が聞いて呆れる。今何よりも譲れないのはアメリアの無事だと思っているのに、俺は制約を破ってここを飛び出すことも出来ない。お前とアメリアを天秤にかけて、お前を選んでるんだ。偉そうなことばかり言って、俺があいつを連れて行きたいと言ったくせに、あいつを、選ばない、なんて……。っ……こんなことになるなら、やっぱり、お前の言う通り置いてくるのが正解だった」
俯くセファードの頭を、子どもにそうするように、ユキトは優しく撫でる。
「私を悪くないと言ってくれるのならば、貴方だって悪くありません。貴方はいつだって雁字搦めだ。板挟みの中で鬩ぎ合って、身動きが取れなくて、私を選んでいるように見えているだけです。でも、本当は良いんですよ。ここを飛び出して行って良いのです」
「良い訳があるか」
「貴方は本来自由であるべきだ。縛られるなんて間違っています」
「やめてくれ。どう足掻いても俺はお前の枷で、お前は俺の枷だ。二人で教団に立ち続けると決めたあの日から、そればかりはどうにもならん」
自由を棄てても教団を選んだ。その事が首を締める。
くそ、とセファードは今日何度吐いたか知れない悪態を、再び口の中で呟いた。
「一度、己の不甲斐なさは全て棚に上げさせてもらうがな」
「え? ええ」
「そもそも、悪いのは何もかもグレースだろ。何の目的があってアメリアを連れ出した。本当にジュリアンの仕業ではないんだろうな」
二人の会話の中でグレースの責任を追及するのはこれが初めてだ。
当然責められるべきグレース。しかし彼女の本意が分からない以上、二人が一番に問題にすべきはアメリアのために動けない自分たちであって、責任の所在ではなかった。
だがこうなっては、責めるしか自身の鬱屈を晴らせる術などない。セファードとしては責めて愚痴を言うに留まらず、口汚く罵ってやりたいくらいだった。
「ジュリアンにとって現在のアメリアは視界に入れる存在ですらありませんから、関わっていませんよ。今回のことは彼に不利益しかありません」
「随分と言い切るな」
「まあ……ええ。あの憤りを見れば。彼はあの手の芝居は不得手ですし」
「お前に較べりゃどんな狸も可愛いもんだ」
セファードが身体の包帯へ視線を落としたので、ユキトは苦笑を零し、シャツを羽織って視線を遮る。
幾ら外面を装ったところでセファードには色々と勘付かれてしまうから、とうに慣れた関係とはいえど少しやり難い。離れていても危機を察知してくれるという点ではお互いに便利だが、理解者と言うにはあまりに筒抜けすぎる。
セファードが言うには“何となく分かる”とのことだが、それもどこまで真実を言っていることやら。
「だが、それなら尚更分からん。顔合わせしかしていないアメリアを、何故連れ出す理由がある? お前たちの目を盗んだということは害意しかないに決まっている。聖女候補を蹴落としたかった? だがアレらはアメリアの聖気を感じていない。そう、視界に入れてすらいない筈なのに、だ。仮にお前のような異能の加護を持っていたら、あの娘に不利益が生じるとでも? ――――どうあれ査問の余地なく聖職者返上だ。胸糞が悪いにも程がある」
腕を組んで吐き捨てながら、苛立ちからか普段は砕けた口調を意識して吐いているものが、段々と堅苦しいそれに変わるセファード。
「……利は、関係なさそうですが」
「…何だって? お前まさか、理由を知っているのか」
「いいえ。確かなことは何も」
刺すように睨みつけるセファードに小さくかぶりを振り思い出すのは、アメリアを見詰めたグレースの瞳。そこに静かでいて苛烈な炎が燃えているのを見た。
それがどういう意味を孕んでいるのか、恐らくセファードは正面から見たところで分かるまい。聖女候補としてのライバル心とでも勘違いするのだろう。
彼は、自分が他人にどう思われているか、本当に理解していないから。
正体を知る信徒に、畏れと、同じだけ憧憬やら感嘆やらを覚えられていることは分かっている。だがそれを好ましくないと一蹴しているが故に、大多数に紛れる個人の感情を分かっていないのだ。
グレースがどんな想いを秘めてセファードを見ていたか、常に彼の傍に立つユキトは気付いていた。
天使姿のセファードは、例え背に翼が生えていなくとも憧れを抱く者は少なくないだろう。元は黒髪だったという銀髪は、彼の神々しさを引き立てるのに特によく働いていた。ユキトには崩した表情を向けるが、他の一切には冷ややかな視線を向けることしかないのも、彼の神秘的な魅力に拍車をかけていた。
立っているだけで美術品のような男。
内面に触れたことがなかろうと、そんな男に胸の裡で淡い想いを抱くことを、一体誰が責められよう。
しかしグレースは違う。
彼女はジュリアンの側仕えだ。たったそれだけのことで、誰に知られてもいけない禁じられたものに変わる。
だがそれを今回のことと結びつけるのは早計にも思う。グレースはプライドが高いとはいえ、本来の彼女はあんな愚行を働く人間ではなかったはずだとユキトは記憶していた。つんとお高く留まって見えるが、理知的で礼節は欠かさない少女。
彼女がアメリアを連れ出して何をしようとしたのか、二人して戻らなかったことで判然としない。しかし教団にとって重要な任務だと理解した上で、ただの嫉妬で行動するだろうか?
思えばグレースにとって、ジュリアンの傍にあることは抑圧の連続だったろう。ジュリアンはあの通りの横柄な性格で、自身にも厳しいが他人にも厳しい。高みを見過ぎている彼は己の成果や努力を認められないからか、他人の成果も努力も認めようとはしない。プライドが高く頑なで、己の価値観が何よりも正しく、努力の成果を台無しにするほどに他人を見下す。努力の過程を知らぬ人間からすれば、彼の良い面など、逆に鼻につくと言ってしまえる気品ある立ち居振る舞いくらいだ。
計らずも同じ国の出身、その上名の知れた貴族同士であったこともグレースには悪く働いた。聖者として出家し、家名を元より持たなかったことにされた彼らであるが、二人の間で元の家格の力関係が維持されていたのは、聖者としての師弟の関係を含めても明らかだった。
教会本部で生活する時とは違い、仕事も修行もなく殆どを傍で過ごす旅の中、グレースの鬱屈がぐちゃぐちゃに彼女の中を掻き乱していたとして。
そんな時、誰にでも冷たい秘かな想い人が、自分と同年代の、しかも同じ立場の少女に親しげに話し掛けていたとしたら。
もしくは、彼女の中で自分を制御するための何かがプツリと切れ、一時の激情が正気を失わせたのか。
それとも嫉妬などとは勘違いで、腐った教団と高圧的な師に愛想を尽かし、同じ憂き目に遭うであろう少女を連れ立って逃亡を謀ったのか。
ユキトが思い当たることなど、それくらいしかなかった。
「全ては本人から事情を聴かなくては」
「戻ればの話だろう」
「そんな言い方、縁起でもない」
「そうだな、縁起でもない。だがな、二人の足跡を見つけたが行方は知れず、ロッドジェリでは行方不明者や組織的な犯罪が多いと報告を受けて、誰が楽観的に考えられると思う? アメリアがいる以上《魔》の仕業とは考えられない。ならば人災だ。早いところ手を打たなければ、二度と見つけられなくなる。……こんなこと、俺が一番言いたくないんだよ」
結局責めるのは、現実を噛み締めるほど理解しているのに、探しに行かない自分自身。
「……ジュリアンに不在を知られなければ」
「ユキト」
提案すれば、セファードは咎め、子どもを諭すように名前を呼んだ。
「例えその選択をするのなら、俺は昨日のうちにやっている。選ばなかった理由は、分かるな」
「上手く誤魔化します」
「露見するリスクを考えるなら、俺の別働をアレと交渉しろ。こんなことがあって、今は特に俺の動向に眼を光らせている。隠れては無理だ。そうでなければ、こんなところで漫然と無駄な時間を過ごしちゃいない」
昨晩は一同で城下町を哨戒して、幾らかの《魔》を《神還》して回った。だがそれ以外の時間も、ジュリアンは抱き込んでいる侍祭に定期的にセファードの所在を確認させている。姿を見せなければ露見するのは避けられない。
「彼は認めない。分かっているでしょう」
「頼むから困らせないでくれ。お前の後悔は痛いほど伝わってきてる。俺だって捜しに行きたい、当然だろう! けどな、どれだけ無責任だと罵倒されようが、人でなしだと軽蔑されようが、どうしたって無理なんだよ、ユキト……! もうあんなのは、二度と、ご免なんだ……」
ゴツ、とユキトの肩口の骨に、鈍い音を立てて額を押し付けるセファード。シーツを固く握り締め、布がギリギリと破れそうな音を立てる。
「莫迦みたいだ……こんな時ばかり、信じてもいない神に、祈っている。…くそっ……何であいつは、困難にばかり見舞われなくちゃいけない……俺は、何でこんな、力が足りない……ッ」
「セフ…………」
アメリアを護りたいと思っているのも、手を拱いていたくないと思っているのも、二人とも同じだ。
だが、それでもセファードはユキトを切れない。セファードにとって利益のある存在だからではない、優しすぎるから。少女の無事に代えれば、その後の罰など甘んじて受けるべきだというのに。
甘い考えかもしれないが、恐らく最悪の処断は免れるだろう。お互い少しばかり我慢すれば赦される筈だが、そこに確実にある痛みと万が一の処断を看過できない。きっと過去にユキトの痛みを、その時の感情を、他人事ではなく直接受け取ってしまったからなのだろう。
優しい人。不器用な人。
理不尽な世界で、痛みばかり抱えて、ずっと生きている。
アメリアは不幸な人生を歩んできた。まだ詳しく訊いていないが、間違いなくユキトの想像もしていない境遇に置かれ、その上それを不幸だと思う心すら失っている。頼れる者もいない。だからセファードは護りたいと思っている。
けれど不幸は、セファードも同じだ。酷い境遇に置かれ、死んだ方がましだと思う日々の中、死という最期の救済さえ叶わない。
だから、そんな彼にユキトは無理強い出来ないのだ。どうかお願いしますと乞えば叶えてくれる人だから、余計に苦しんで欲しくないから、これ以上言えないのだ。
結局、二人してどっち付かず。選びたいはずの少女を選べない。そして非道なまでに放り出したまま。
アメリアはきっと、こんな酷い大人たちに、叱責も失望もしないだろう。彼女の価値観はそういうものだ。だからこそ余計に捜しに行ってやるべきなのに。
笑えてしまうほどの、無力感。
窓の外は陽が傾き、オレンジ色に染まっている。
二人の少女の行方が知れなくなって、もうすぐ一日半になる。
何一つ彼女のために出来る事がない自身の情けなさに打ちひしがれながら、夕焼けに視線をやって願うのは、無責任を省みない、少女の無事。
「主よ、どうか罪なき憐れな少女に救いの手を」
どうか何事もなく戻ってきてくれますようにと、自分を真っ直ぐに見詰めた宵闇色の瞳を想い、ユキトは静かに目を瞑った。