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1.Ⅱ


 モントレード駅構内、プラットフォームにて。


「アメリア、こちらへ」


 蒸気機関車に積まれた黒い石(せきたん)を不思議そうに見上げていたアメリアに、機関車がどういう仕組みで動くのかをセファードが簡単に教授してくれていたのが終わりに差し掛かった頃、離れた場所で教団の一同と話していたユキトがアメリアに声を掛けた。

 見ると、一団の多くの視線がこちらを向いている。目を瞬くアメリアの背中を、横に立っていたセファードが軽く叩いた。

「そろそろ出発の時間だ、行ってこい。誰に何を言われても、気にしなくていいからな」

「セファードは行かないんですか」

「悪いな、俺は別の車両だ。ああ、同じ汽車だぞ? 区分された、少し後ろの方だな」

 セファードは、ユキト達が脇に立つ客車よりも奥の方を指で示してみせた。前の方の客車は外装がシズルで過ごした屋敷の様に豪華で、後ろの方はそれほど飾られていないように見える。

「どうして?」

「まあ、与えられた立ち位置ってものがあってね。聖者の傍に居るといい顔をされないんだ」

「…聖者を護る使命なのに?」

 さも不思議そうに問われたセファードは、虚を突かれた顔で目をしばたたかせた。そして、クッ、と喉の奥で実に愉快そうに笑う。

()()()()()()()()。どんな状況でもすぐに駆けつけてくれるってな」

 ニッ、と意地悪に笑うそれが皮肉であることをアメリアが気付くことはなかった。

 とはいえ、そういうものなのだと言われれば納得する以外はないのだが、何とも合理的でないことはアメリアだとて感じる。傍に居ることを許されない人を、セファードは護らなければいけないのか。

 それは何だか、とても、不思議だ。

 セファードは目を細めて、どこか不憫そうに笑った。

「いずれ知るだろうことだ、お前には隠し立てをしないでいるが…、お前は気付かなくていいものにまで気が付くからなぁ。情緒を育てて、灼かれてしまわないかが心配だよ。――――さ、早く行け。もたもたしてると面倒なのにくどくど言われるぞ。また明日な」

 アメリアの背中をトンと押したセファードは、肩の横でひらひらと手を振った。

 後ろ髪を引かれるような気持ちを覚え、一度セファードを振り返りながら、アメリアはユキトの元へと小走りに駆けた。


 傍に寄って見上げれば、ユキトは柔らかく微笑んだ。

「アメリア、皆さんにご挨拶してください」

 背に手を添えられ、一団の前へと導かれる。

 その場に居る男女全員が黒と紺の装束を身に纏い、アメリアがユキトからもらったロザリオを胸に下げている。しかしよく見ると、何人かずつで幾らか装いが分かれ、その中でも数人だけ少し装飾の多い格式の高そうな様相をしていて、ユキトもその内の一人だった。

「アメリア、です」

 一団に向かってペコリと頭を下げる。先をユキトが引き取った。

「聖女候補者とはいえ、右も左も分からぬ娘ですので、皆さんご指導お願いしますね」

 顔を上げて見た人々の表情は殆どが優しかった。表情の乏しいアメリアを見て、それなりの訳がありそうだと多くが察したのだが、勿論アメリアはそんな機微には気がつかない。

 だがそんな中で、眇めた灰色の眼で値踏みするようにアメリアを見る男が一人。輪の中心のその人は、一番に立派な服装をしていた。はた、と視線が合った彼は、フンと鼻を鳴らして蔑むように目を細めたと思うと、興味なしとばかりに外方を向いた。

 ユキトがアメリアと彼の間に立って、彼を手で示した。

「アメリア、こちらは《聖人》ジュリアン。この任務の代表です。そして彼女は《聖女見習い》のシスターグレースです。ジュリアンの側仕えをしています。貴女にとっては二人とも先輩ということになりますね。他の方は折々で紹介しましょう」

 ジュリアンと、彼の後ろに控えていたグレースを紹介される。

 ジュリアンは錆色の髪をした涼やかな青年だ。だが、まだ少年のような幼さもどこか抜け切っておらず、成長途上にある年齢に見えた。背筋をピシリと伸ばした様子が余計、大人びて見せているのだろう。

 グレースは漆黒の艶やかな髪をハーフアップにし、上品に編み込んだ少女だ。瞳も漆黒で、衣装も概ね黒、見た目の色彩はとても暗いが、慎ましやかながら華やかさのある娘だ。

 どちらも育ちの良さそうな品を感じる。《聖者》というのはそういうものなのだろうか。アメリアもこの半年余りはとても丁寧に磨き抜かれていたので見目は整えられているものの、持っている雰囲気という意味で言えば彼らに遠く及びはしないのだが。


 ジュリアンは忌々しげにユキトを睨みつけた。

「先輩だと? 戯言を。こんな少しの聖気せいきも感じない者の為に僕の予定を狂わせたなどと、度し難い。君の気の緩みの言い訳になりもしないぞ。くだらぬ策を弄する前に、自らを高めることに注力しては如何か」

「私の力不足は大変遺憾ながら、彼女の聖者としての力は確かです」

「成る程。では君の同類というわけか? 笑えることだ。役に立たぬ聖者擬きの力など検知しないよう、試聖石しきんせきを改良すべきだな」

 ジュリアンは嘲り笑った。しかしユキトの凪のような表情は変わらず、淡々と窘める。

「ジュリアン。教皇聖下はその様な物言いはされません。聖者として相応しくあれと努力する貴方を、自分で貶めるようなことはおやめなさい」

「偉そうに僕に指図するのは止めろと何度言ったら分かる、神父」

 殊更『神父』という呼称を強調して、苛立ちも露わにユキトを険しく睨んだジュリアンは、黒衣を翻し早々に客車に乗り込んでしまった。

 その姿を目で追い、その後元の場所に戻したアメリアは、ぱちりとグレースと視線が交錯する。彼女は、じっと感情の窺えない瞳で、しかしねぶるような粘性のある何かを含んだ双眸でアメリアを観察するように見詰めていた。

 やがて、ふいっと顔を逸らしてジュリアンの後を小走りに追っていった。


「仕様のない人ですね。さあ、私たちも乗りましょう、アメリア」

 見上げた隣のユキトは変わらず穏やかな顔で微笑んでいる。

 促されて乗り込んだ初めての汽車は、外観を見た時に加え更に驚きで、中は何と個室になっていた。ふかふかと靴を沈める絨毯のひかれた床と、座れば柔らかい向かい合わせの長椅子が一対。一等車と言うのだが、アメリアはまだその意味を知れる知識量ではなかった。

 大きさの割にいやに軽い革製のトランクを、座席の上の荷物置き場に置こうとユキトの真似をして背を伸ばすと、当然のようにユキトがそれを手伝ってくれた。

 昨日このトランクを彼が買ってくれた時、自分には持ち物など同時に買ってもらった洋服くらいしかないから要らないと固辞したアメリアに、ユキトは穏やかに、そして特別なことではないように言った。


「これから一つずつ、この鞄に詰められるものを作っていきましょうね」


 、と。

 アメリアは、きっとこの言葉を一生忘れないと思う。

 彼は、そういうことを自然と言える人なのだ。

 アメリアの知る多くの大人と、ユキトは全く違う。海容でいて決して甘いだけではなく、しかし包み込むように優しい。

 それはアメリアが第一印象で感じた通り、彼が“違う生き物”だからだろうか。けれどジュリアンに軽んじられている様子は、決して温かな幸せの中だけで生きた人ではないと思わせた。

 何も持たないアメリアの未来を、人を脅かすだけのアメリアの将来を、当然のように見てくれる人。

 セファードも不要なほど優しいと思うが、尚ユキトのそれは質を異にしていると感じる。

 そもそもアメリアの中で、これまで己の面倒をみてくれた殆どの人は、例えどんな扱いをする人であっても“優しい”と思う麻痺が起こっているのだが、麻痺した感覚の中であっても彼らの優しさは特別に映った。



 正面に座ったユキトを見る。

「神父様…傷はもう大丈夫なのですか?」

 荷物を持ち上げたユキトの動きは、アメリアの前で負った傷を思えば信じ難いことだった。当然心配にもなる。

 ユキトは小さく、ふふっと吐息を漏らすように笑う。

「ええ。人より回復が早いんです。すごいでしょう?」

 どこか悪戯っ子のように言うユキトに、アメリアはコクコク頷いた。そしてユキトは人差し指を立てて、シッ、と自らの口許に運ぶ。

「でも、このことは人には内緒にしてください。貴女の力の強さについても、今は内緒です」

 アメリアは数回目を瞬いて、また頷いた。

 時を同じくして大きな音が聞こえ、車体がカタリと動く。様子の変化にアメリアが視線をきょろりと動かすと、窓の外の景色がゆっくりと動いていることに気が付いた。ホームに立つ人々が遠ざかり、屋根がドーム型の駅舎より出ると、街が動く。

 動いているのは自分なのだと理解するまでに、しばらくかかった。

「――――――――………」

 外の広大な景色に釘付けになった。唯一乗った経験のある荷馬車とは何もかも全く違う。宵闇色の大きな瞳を傾き始めている陽光にキラキラと輝かせ、食い入るように動く景色を見ていた。

 空を飛んだり汽車で動いたり、この数日で目に入る世界の景色はとても広くて、やっぱりあの日海に飛び込んだ自分は死んで今も長い長い夢を見ているんじゃないか、そう思うくらい現実味がなかった。


 ふと、傍にいない人が思い出される。

「セファード…」

「大丈夫、またすぐに会えますよ」

 ぽそりと呟いた名前を拾い、ユキトは安心させるように微笑むが、アメリアはどうしても気になっていた。

「神父様とセファードは、パートナー…? …なのに、どうして一緒に居てはいけないのですか」

 ユキトは真っ直ぐな疑問に苦笑を零した。

「セフが面倒事を嫌ったんです。私はこの場に居ていいと言ったんですが、…まあ、ジュリアンが非難するだろうことも分かりきっていましたので」

「…? ここに聖人様はいません」

「隣の部屋にいることも、彼にとっては忌むべきことと言いましょうか…。私とジュリアンは立場上こちらに乗らなくてはならず、ですからセフが距離を取った形になりました。後ろの車両で、他の信徒と同じところに乗っていますよ」

 理解できないと顔に書くアメリア。ユキトは眉尻を下げて微笑んだ。

「…貴女は、セフの本当の姿を、美しいと思いましたか?」

 本当の姿――――翼を背に掲げる、天使の姿のこと。

 思い返すまでもなく美しかった。今まで目にした何よりも美しく神秘的だった。アメリアはひとつ頷く。

「ええ、ですから…セフの言葉を借りるなら、彼は少し、得をしているんですよ。セフのように神の力を取り込んだ人を《神呑者フィリウス》と呼ぶのですが、決して彼のように見目麗しい者ばかりではありません。そして人を超越する力を持っている。そのどちらかだけでも、多くの人にとっては畏怖の対象となります。教団の実働信徒はセフ以外の《神呑者》を実際に見たことがある人も多く、彼らにとっては畏れ排すべきものなんです」

「元は人間なのに…?」

 ユキトは暫し押し黙った。言うか言わないかを迷っているように、アメリアの瞳を見詰める。

 いずれ知るだろうことだから隠し立てしない、セファードはそう言っていたが、ユキトも同じことを考え決めかねているのだろうか。

 隠され誤魔化されたところでアメリアは文句を抱きやしないが、彼らは真摯に向き合ってくれているのだ。今はまだ早いと子ども扱いして隠すのか、考え自立するよう促すのか。

 当然、知らなくていい事実も存在するだろうが、知るべきこととの狭間の事実だから迷うのだ。

 ややしてユキトは、言う。


「……首が飛んでも死なない生き物を、人は人間だとは思えないものです」


 言われて、それをアメリアの頭が理解するには充分に時間が必要だった。いや、時間があったところで理解できているとは言い難い。

 瞠目するアメリアに、ユキトは哀しげに微笑む。

「根本から、人間ではなくなってしまっているんです。人は生き残る本能の為、または心を守る為、区別や差別をする生き物です。輪の外にあるもの、理解できないものや得体の知れないものには特に辛辣に。ジュリアンは特に考え方が凝り固まってしまっている人の一人ですから、セフは余計な軋轢を生まないように立ち回るつもりなんですよ」

 説明をされたところで、アメリアにはやはり理解できなかった。


「…聖者の力も、とても得体の知れないものなのに」


 自分の《カタストロフ》を呼び寄せる力の方が、余程得体が知れない。目にできない、しかし確かに力ある何か。その代表のようなジュリアンが、何故セファードを忌み嫌うのか、全くわからなかった。

 アメリアの呟いた言葉に、今度はユキトが瞠目する番だった。

「貴女は……とても真っ直ぐなものの捉え方をするのですね」

「?」

「立場により“得体の知れないもの”の括りは変わってきますが、そうですね…貴女にとっては自身の力が何より怖いものでしたね。多くの人が広い視野を持つことができれば、きっともっと優しい世界になるのでしょうけれど…難しいものです」

「………」

 自分に優しい眼差しを送ってくれた人々も、セファードをジュリアンのように忌み嫌っているのだろうか。

 セファードは、哀しいだろうか。

 自然とアメリアの視線が落ちる。


「やあやあ神父にお嬢さん! 俺もお話に混ぜてくれよ! おや? 何だか暗い雰囲気だな」

「……!?」


 突然、けたたましい音を立てて個室のドアが開き、黒髪の男が許可も取らずにズカズカと入り込んできて、アメリアはびくりと肩を跳ねさせた。

「ジャン=ジャック…マナーを銃弾に込めて放ってしまったのですか、貴方は」

「残念、俺のメインの得物は刃物ですよ、ユキト神父」

 困り顔のユキトにウインクしてみせると、男はドカリと無遠慮にアメリアの隣へと腰掛けた。線の細いユキトに較べ、しっかりとした筋肉を服の下に隠していることが窺える体躯の彼は、取り立てて巨体というわけでもないのに隣に来ただけで圧迫感を覚えさせる。華やかな彫りの深い目鼻立ちもそれに拍車をかけた。

 彼はユークレースのような瞳でアメリアの瞳を覗き込みながら、その手を恭しく取り、アメリアが人生で聞いてきた中で恐らく一番良い声だろう美声を発した。


「俺はジャン=ジャック・ジェームズ。教皇庁聖務省外務局特務課所属《神還祭エクソシスト》。花も恥じらう二十四歳。この車両では聖者殿の護衛を任されている。任務の間、君のような可憐なお嬢さんとご一緒できるなんて嬉しいよ、アメリア嬢」


 アメリアの周囲には疑問符が散らばっていたに違いない。

 何を言っているかも不明であれば、他人からこんな風に距離を詰められたことなど終ぞなく、どう対応していいのか全く分からないのだ。無表情ではあるものの、ジャン=ジャックと至近距離で見詰め合ったまま困惑しきっていた。

 何も反応を返さないでいると、彼は不思議そうに目を瞬いた後、取っていたアメリアの手の甲に口付けした。

「ジャン=ジャック」

 名前だけで咎める、ユキトの声。ジャン=ジャックは手を離し、降参と言わんばかりに両手を顔の高さに上げた。

「いや、まさか“右も左もわからない”がここまでとは。失礼した。悪気はあったけど」

「何をしに来たのですか? 貴方はジュリアンとグレースの個室警護担当でしょう」

「シスターグレースに話しかけていたらジュリアン様に五月蝿いと追い出されました! いやいや、こんな密室でジュリアン様と長時間一緒とか、息が詰まってシスターグレースが可哀想でしょうが。俺の気遣いですよ、気遣い」

「余計に可哀想だったのはグレースでしょうに。発車して十五分足らずで貴方という人は…」

「というわけで、こっちに参った次第で。あ、こっちに警護は付けてないとか言わんでくださいよ。大きな声じゃ言えないですけど、使節団の実質的な指導者は神父なんですから、対人警護用に置いといてください。ただでさえ最大戦力なくしてるんだし」

 尤もらしいことを曰うジャン=ジャックに、ユキトは優しく微笑んだ。

「赦します。本音を言ってごらんなさい」

「神父のお言い付け通り、アメリア嬢に手取り足取り“ご指導”を!」

 明るく言い放ったジャン=ジャックに、ユキトは額に手を当て首を左右に振ると、盛大に溜め息を吐いた。

 何事にも動じない印象のユキトを困惑させるジャン=ジャックはすごい人なのかもしれない、アメリアは何故だか感心してしまう。それは決していい意味ではないのだけれど。

「…良いでしょう。元々そのつもりでしたから。折角ですので、神還祭エクソシストである彼の話も交えながらお話ししましょう」

「そうこなくちゃ!」

 ユキトの了承を得たジャン=ジャックは白い歯を見せて笑い、パンッ、と両手を打ち合わせた。


「さあ、お勉強の時間だ」


 アメリアは、こてり、と首を傾げた。



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