3章-5
テーブルに刺さったもの、それは矢だった。矢の長さは短いが当たれば殺傷力は十分にある。
「ブランシュ様! 伏せて!」
ブランシュはカテリアーナの言葉に素早く反応し、咄嗟にテーブルの下に隠れる。
「一体どこから?」
カテリアーナは矢が刺さった方向から射出先を特定しようと、バルコニーへ目を向ける。だが、何かにそれを阻まれる。異変に気づいたパールが駆け寄り、カテリアーナを背に庇ったのだ。
「パール! 危険だわ。貴女も伏せなさい!」
「できかねます! カテリアーナ様は我が国の王妃となられる御方です。お守りするのが臣下の務めでございます」
パールは他人には伏せろと言いながら、自身は危険を顧みないカテリアーナを強引にテーブルの下へ引き込む。
「でも、射出先を特定しないと!」
「そのようなことは騎士の役目でございます!」
テーブルの下でカテリアーナとパールの舌戦が繰り広げられる。カテリアーナとパールの熱き戦いは「ふにゃあん」という弱々しい鳴き声が聞こえるまで続いた。
二人が鳴き声のした方へ振り向くと、長毛種の白い猫がぷるぷると震えている。
「まあ、猫ちゃん、どうしたの?」
カテリアーナが白い猫を抱き上げる。うるうるとした青い瞳でカテリアーナを見上げるので、胸がきゅんと締め付けられた。
「こんなに震えてかわいそうに」
白い猫を落ち着かせるように優しく撫でる。
「随分と毛並みのいい猫ちゃんね」
絹のように柔らかい毛並みをカテリアーナは堪能する。
「……わたくしですわ」
か細い声が白い猫から聞こえる。聞いたことがある声だ。
「もしかして、ブランシュ様?」
白い猫はブランシュだった。
ブランシュはテーブルの下に避難した後、カテリアーナが心配になりテーブルクロスの下から覗いたところ、パールとカテリアーナの舌戦に巻き込まれた。矢が飛んできたことよりも二人の舌戦の方がブランシュを怯えさせたのだ。恐怖のあまり猫姿になってしまうほど……。
事情を聞いたカテリアーナはまだ猫姿のままのブランシュを抱いたまま、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「お二人の声はよく通るので、テーブルの下では響くのですわ。ケットシーは耳もいいのです」
「それは申し訳なかったわ。ごめんなさい、ブランシュ様」
パールはカテリアーナとの舌戦で熱くなってしまった自分を恥じる。そもそもこのようなことをしている場合ではないのだ。
「カテリアーナ様、申し訳ございません。少々取り乱してしまいました」
「いいえ。わたくしこそごめんなさい。パールの言うことはもっともなのに……」
三人がテーブルの下で項垂れていると、突然テーブルクロスが捲られ、カルスが顔を出す。
「何をしていらっしゃるのですか?」
カルスに外に出ても大丈夫だと言われ、三人はテーブルの下から顔を出す。
「カテリアーナ、無事だったか?」
フィンラスはカテリアーナが無事だったことにほっとする。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。フィンラス様」
差し出されたフィンラスの手を借り、カテリアーナは立ち上げる。
「母上とブランシュ嬢もご無事で何よりです」
カルスはパールとブランシュに手を差し伸べる。ブランシュの顔が赤くなっていたのをカテリアーナは見逃さなかった。
「カテリアーナを守ってくれたことを感謝する。パール、ブランシュ嬢」
フィンラスがパールとブランシュに礼を言うと、ブランシュが「違います」と手を振り、慌ててカーテシーをする。
「わたくしは……あの……むしろカテリアーナ様に守っていただいた方ですわ」
「でも、ブランシュ様のおかげでわたくしは癒されました」
頭を下げたブランシュの手を取り、カテリアーナは感謝の言葉を伝える。
時はカテリアーナとパールがテーブルの下で舌戦を繰り広げていた頃に遡る。
カテリアーナが座るテーブルに矢が放たれたため、舞踏会場は騒ぎに包まれた。だが、ほどなくしてフィンラスとカルスが会場に戻ってきたので、落ち着きを取り戻したのだ。
「陛下! 大変なことが起きましたぞ」
「どうした? ジェイド」
ジェイドは会場で起きたことをフィンラスに告げる。ジェイドは参加者に挨拶回りをしていたため、異変に気づくのが遅れた。
「それで、カテリアーナは無事なのか?」
「妻とともにテーブルの下に避難されております」
ひとまずカテリアーナが無事なことを聞くと、フィンラスはほっと胸を撫でおろす。
カルスが布に包まれた矢をフィンラスに見せる。駆けつけた近衛騎士が毒が塗られていることを懸念して矢を抜き取る時に布に包んだのだ。
フィンラスは矢を受け取ると、バルコニーの近くに設置されたテーブルに目を向ける。テーブルの下にはカテリアーナがいるからだ。
カテリアーナの無事をこの目で確かめたいと思ったフィンラスはバルコニーへと足を運ぼうとした。その時、バルコニーに黒い影が映っているのを視覚が捕らえる。ケットシーは夜目が効く。そこに誰かがいるのは明らかだ。
黒い影はその場から立ち去ろうとしているのか、だんだんと遠ざかっていく。
「カル、追え!」
「はい!」
カルスは白いフクロウの姿に変化すると、バルコニーに向かって飛んでいく。カルスはケットシーとハーピィのハーフなので猫姿と鳥姿に変化することができるのだ。
しばらくすると、カルスは戻ってきた。フィンラスはカルスの首が横に振られたことで、事情を察した。
「逃がしたか」
「申し訳ありません」
黒い影はすぐに痕跡を消してしまったので、追えなかったのだ。
◇◇◇
舞踏会場であった大広間が闇に包まれた頃、黒い影が月明りに照らされる。耳障りな男の声が低く大広間に響く。
「危ない危ない。もう少しで見つかるところだった。ケットシーは意外と鋭いな。エルファーレンで『取り替え姫』を殺めるのは難しそうだ。別の機会を狙うとしよう」
矢はカテリアーナに向けて放たれたものだった。しかし、男はカテリアーナほど弓の名手ではない。一度目は外してしまった。続けて放とうとした時にカテリアーナが立ち上がり、狙うことができなかったのだ。さらに赤いドレスの貴婦人がカテリアーナを庇ったので、男は機会を待った。
しかし、テーブルの下にカテリアーナが隠れてしまったため、機会は失われた。立ち去ろうとした時にフィンラスが男の影を見つけ追っ手を差し向けてきたのだ。
だから男は追っ手の目を欺き、静かに戻った。元いた舞踏会場へ……。
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