3章-5
カテリアーナを乗せた馬車はエルファーレン王国との国境シド島に近づいてくる。
「王女殿下、まもなく国境でございます」
護衛騎士として向かい側に座っているアイザックが窓の外に目を向ける。カテリアーナはアイザックの視線の先を辿り、自らも窓の外に目を向けた。
「あれがシド島」
遠くに見える湖に浮かぶ中洲シド島をカテリアーナはじっと眺める。
エルファーレン王国へ行くには、この中洲を通っていくルートしかない。
迂回ルートがないわけではない。湖の周りにそびえたつ山を越えればいいのだが、標高が高く、山道は険しいうえに、危険な獣がいる。さらに妖精の国側には魔物がいるのだ。人間が越えられるルートではない。
「殿下……。無理に妖精の国へ嫁ぐことはないのですよ。このまま隣国へ亡命するという手もございます」
「アイザック卿、それはできません。わたくしが亡命をすれば、王国騎士団に罰が下ります」
「裏工作は何とでもなります」
「なりません! 裏工作とは不慮の事故を装うことですか? それともわたくしが独断で逃げたことにしますか? どの道をとるにしても国王陛下が王国騎士団を許すとは思えません」
父のハーディスと会ったのは数回だが、祖母クローディアから父のことは聞いている。幼い頃、国王として即位し、狡猾な大人に囲まれて育ったハーディスは疑り深い性格になってしまったのだ。
ここでカテリアーナが逃げだせば、王国騎士団はどこまでも追求されるだろう。
たとえ『妖精の取り替え子』だとしても、カテリアーナががいなくなれば、ハーディスは王国騎士団とアイザックを許さないだろう。切り札になるはずだったのだから。
「この話は聞かなかったことにします」
それきりカテリアーナは口を閉ざしてしまった。
◇◇◇
湖に浮かぶ中洲からこちらを見送るカテリアーナの姿をアイザックは目に焼きつける。
「アイザック、行くぞ」
父である王国騎士団長ストリングスに声をかけられ、アイザックは馬首を返す。
「カテリアーナ姫の行く末が気になるか?」
アイザックと馬首を並べたストリングスは前方を見据えながら、そう問いかけてくる。
「当然です。未知の世界にたった一人で行かせるなど、国王陛下は何を考えておられるのか」
カテリアーナが七歳の時に彼女の護衛騎士となったアイザックは、王宮の塔に閉じ込められるまで、そばで見守ってきたのだ。気にならないほうがおかしい。
アイザックは幼かったカテリアーナを思い浮かべる。
活発な王女は離宮の庭園にあった高い木に登ったり、鞍を着けていない馬に乗ったりと大変なお転婆姫だった。その度に祖母に叱られて、頬を膨らませていたカテリアーナは子供らしい子供だったのだ。
だからこそ、十六歳になったカテリアーナを久しぶりに見た時、アイザックはあまりの美しさに思わず息をのんだ。人間離れしたその美しさは形容することができなかった。
「カテリアーナ姫をエルファーレン王国へ嫁がせると、会議で突然陛下が仰られた時は儂もお前と同じ気持ちだった」
「でしたら、なぜ殿下を引き留めなかったのですか? 父上」
「あのままラストリア王国にいてもカテリアーナ姫は不幸なだけだ」
ストリングスは眉を顰める。ラストリア王宮でカテリアーナの味方は一人もいない。使用人ですら、不敬とも思わずカテリアーナを『取り替え姫』と呼び蔑む。
「エルファーレン王国は妖精の国です。妖精が人間の殿下を受け入れるとも思えません」
「いや。エルファーレンの国王は懐が深い人物と聞く」
「人ではなく妖精です。エルファーレンの国王は怪物のような姿という噂しか聞いておりません。殿下が食べられてしまったらどうするのですか?」
捲し立てる息子を宥めるために、ストリングスはアイザックへ顔を向ける。アイザックは騎士としては一流なのだが、一本気な性格が玉に瑕だ。
「落ち着け。妖精は人間を食わない」
ストリングスも実際にエルファーレンの国王の姿は知らない。
人間でエルファーレン王国への入国を許されているのは、隣国オルヴァーレン帝国のカルヴァン商会のみだった。
だが、三年前にラストリア王国のオーガスタ商会もエルファーレン王国への入国を許可されたのだ。
オーガスタ商会の会頭ベアトリクスはストリングスの騎士学校時代の友人だった。今でも親交はあるので、時々飲みに行ったりしている。
ベアトリクスは剣の腕が恐ろしくたつ。男装して騎士になったことがばれなければ、王国騎士団長になっていたのは彼女だったかもしれない。
男装がばれて騎士の位を剥奪されたベアトリクスは、実家のオーガスタ商会を継いだ。
彼女は商才もあったらしく、エルファーレン王国への入国許可まで取り付けた手腕は大したものだとストリングスは思う。
先日、ストリングスはベアトリクスと酒を飲みに行った時のことを思い出す。酒の席でエルファーレン王国へ商談に行った時の話を延々と聞かされたのだ。商談の際、エルファーレンの国王と謁見したことも得意気に語っていた。
「とにかくね。懐が深いというか、できた人物? 妖精猫だからお猫様かしら? だったのよ」
それと「もふもふが溜まらなかった」ともベアトリクスは言っていたが、ストリングスには理解できなかった。
ベアトリクスは少々がさつなところがある女性だが、信頼がおける。彼女の言うことは本当だろう。
ストリングスは空を仰ぐと、ひとりごちる。
「カテリアーナ姫が幸せになることを祈るばかりだ」
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