008.『一振りの大剣に似た』
相変わらずの巨体だ、と俺は思った。
こうして距離を縮めて見上げると、その圧倒的な大きさに身震いする。大咬蛇、というだけのことはある。その口の大きさ、まるで刀かと思うくらいの長さの毒牙、奥に生え揃う牙でさえ、俺の肉を易々と貫く事は簡単だろう。
ざらついた蛇鱗は所々剥げ落ちてはいるものの、その一枚一枚ですら掌の大きさで、握り締めてたら血が出てしまう程度の硬さと鋭さがある。手軽にナイフでも作れそうだ。
そんなものが無数に付いている尻尾、胴体で巻き取られたら、まるで調理器具のおろし金で擦られたような事になりそうなのを想像して、背筋が寒くなる。
でも、それでも。
「ボク達から離れないで」
「マコトくん、大船に乗ったつもりでいて下さいね」
リィンとアリス。彼女達がいる、それだけでこんなに安心するものなのか。出会ってまだ一時間も経っていないのに。俺からしたら、まさしく命が掛かっている状況。それなのに彼女らは全く持って危険だとは感じていない。寧ろこの困難にこそ立ち向かう事に喜びを感じているようにさえ見える。
それが冒険者なのだろうか。
「ああ、俺も冒険者になるんだからな、これくらい何てこと無いさ」
そして、俺もそうだ。俺は笑った。笑うしかない、ではない、笑いたくなったのだ。強がりかもしれない、でも自然と笑みが浮かんできた。
「ふふ、吹っ切れた」
「無謀と勇敢は違うけどねー。でも、良い面構えだよぉ」
「これからもっと酷い目に合うかもしれないのに」
「それも含めて、冒険者だからー」
そうだ、訳の分からない所に連れてこられて、死に掛けて、それでもこれからも生きていかなきゃいけない。こんな蛇に、怯えてたら話にならない。俺は、強く思った。
ああ、なんか、久し振りのような気がする、こんなに血が滾るのは。何故だろう、記憶を無くす前よりも、何だかーー。
「行くよ」
リィンの合図で、戦いは再開した。絨毯大咬蛇は俺の召喚した青金蟹という新たな戦力の投入に見に回っていたものの、恐るるに足りないと思ったのか攻勢に回る。
群がる骸骨や犬をその巨体で薙ぎ倒しつつ、俺達に襲い掛かろうとする。
「インガバラット、頼む」
それは俺の初めての命令であった。
青金蟹は、自分よりも何倍もの巨体を迎え撃つ。八足でしっかりと自重を支え、その振り翳した大剣のような鋏を構えて、文字通り体で当たっていった。
ぎゃりぃ、と硬質なものが擦れ合う音が響く。質量と質量がぶつかり合う音。
それでも、俺には確信に近い何かがあった。青金蟹は、自分の倍以上もある絨毯大咬蛇を、止めたのだ。
「好機」
「行っくよー!」
示し合わせたように、左右に分かれるリィンとアリス。リィンは再構築で骸骨達を復活させながら、細剣で鱗ごと体躯を刺し貫く。
「溶かせ、爛れろ、魂までー『亡者の霧』」
負わせた傷口に向けて手をかざすと、茶色く濁って空気が集まり、傷口を爛れさせする。どろどろ鱗や皮膚が崩れ落ちる。
「でやぁ!せい!」
アリスは配下の四体の魔物を引き連れて、丁度アリスと反対側に回り、掌で、足裏で、衝撃を叩き込む。その細い体からは想像出来ないような重い音を立てて連撃を叩き込むと、
「お願い、火炎吐息!」
蹴りを叩き込んだ反動で綺麗に空中で回転しながら離れる。その叩き込んだ先に向けて、子竜が口を開け、まるでバーナーのような鋭さで炎を吐く。
さぞ激痛なのだろう、絶叫にも似た声を上げて身を捩り、その大柄な尻尾を振り回して追い払おうとするが、左右に分かれているせいで同時には追えない。狙われた方がさっと身を翻しながら距離を取ると、もう片方がその間に再度攻撃をする。
そうしている間にも、じりじりとリィンとアリスの従える魔物部隊が、俺の対面、つまり後ろから攻撃を始める。
完全に包囲された状態だった。可哀想なほどに。
ぎゃぁあぁ、と絨毯大咬蛇が怒りに震えた声を上げる。ぐるりととぐろを巻き、身を守るように縮こまると、口から毒液の銃弾を撒き散らす。アリスとリィンは難無くその鋭い銃撃を交わすが、骸骨達はまずその衝撃に、その後に溶ける毒の効果に気勢を削がれる。
「泡沫の鎧」
魔物図鑑に載っていた情報がよぎり、命ずる。青金蟹は口元から大きな泡を吐き出した。まるでシャボン玉のようにいくつも膨らませたそれは、毒弾に当たると包み込むようにその泡の中に入れて跳ねる。弾力のあるゴムのような液体で包まれたそれは割れる事はない。
俺に向かって何度も毒弾が打ち込まれるが、その度に体積を増した泡に防がれて届く事はない。よく見ると泡を作り出した液体は青金の体全体にも薄く覆われており、毒弾をその身に受けても何の問題も無くずるりと地面へと落ちる。
「いけぇええええっ!」
俺は吠えた。応えるように、その体躯からは予想もつかない速度で突撃する。
毒弾に恐れる事なく真っ向から立ち向かい、鋏を振り上げるその姿はまるで戦場の中で活路を切り開く甲冑騎士のようだった。
大咬蛇も迎え撃つように鎌首をもたげ、その名に相応しい顎門で噛み砕こうと覆い被さる。まるで一つの小山が、山津波のように襲い掛かってきたようだ。
しかし青金の騎士の方が早かった。その振り上げし二本の大剣が開き、大咬蛇の顎門を擦り抜け、柔らかな首元に吸い込まれるように、
ぶつん、と音がした。
びちゃ、と水音がした。
左の小さな鋏で押さえ込まれ、右の大剣で喉元を切り裂かれた大咬蛇は、真っ直ぐに俺と目が合う。その邪眼も、剥き出しの牙も、殺意ももう俺には届かない。
そのまま、青金の騎士は右の大剣を大きく突き出し、更にもう半分繋がっていた首を、完全に切り落とした。
ずぅん、と砂埃を立て、断たれた胴体が地面へと倒れた。
「やった……」
静寂に、胸を打つ鼓動がやけに耳に煩い。
こうして、俺は初めての戦闘に、勝利したのだ。