006.『邂逅する開口』
ぎしゃああぁあ、と地響きのような奇声を発し、現れた蛇は大きさからして段違いだった。メキメキと音を立てて砕け散る、人の腕の中には収まりきれない程に太い木にさえ何重にも巻き付く体躯。
鎌首をもたげるその顔でさえ、見上げるようにしなければならない高さにある。開いた口は、長い前歯が上下に二本、そして凶悪なまでに尖った牙が生え揃い、俺でさえ立ったまま飲み込める程の大きさだ。
その縦長に開かれた瞳孔、金色の蛇眼に見据えられただけで俺は、急に体が動かなくなった。息がうまく吸えない、汗が吹き出て、恐怖で頭の中が真っ白になった。
蛇に睨まれた蛙、という言葉が実感を持って身体を襲い、俺は覚束なくなった呼吸を必死にこなそうとするしか出来なかった。
「マコト、落ち着いて」
「大丈夫だよー」
気付く、俺の前で構えてる二人の、平然とした態度に。こんな絶対的な死を運ぶ存在を前にしても揺らがない二人の背中に、俺は少しずつ平静を取り戻す。ゆっくりと、口の中の唾を飲み込み、呼吸を整える。
「はぁ、はぁ……ごめん、もう大丈夫だ」
「平気、ボク達は慣れてる」
「蛇の瞳には魔力が込められているから、あんまり直視しない方が良いよー」
リィンは振り向き、小さな金属のプレートを渡してきた。慌てて掌で受け止める。
「冒険者になるなら、これも良い経験。持ってて」
「これは何だ?」
「冒険者の証の、パーティを組むのに必要」
「パーティになると、色々な魔法の共有が出来るんだよー」
「『加入承諾』」
リィンが呟くと、渡された金属のプレートーー冒険者の証が淡く発光をして熱を持った。驚いたが、落としてはまずいと思い、ぎゅっと握り締める。
「これでパーティ仮登録、完了。アリス、お願い」
「はぁい。『魔物図鑑』!」
◇
【敷き広がる大咬蛇】
危険度:B−
非常に獰猛な個体。全身の蛇鱗が鋭い起伏があり、巻き付くだけでおろし金のように獲物の身体を削り取る。前牙に出血毒が、喉奥には神経毒を溜め込んだ毒袋があり、霧のように巻いたり水鉄砲のように飛ばしたりする。
カーペットの由来は、とぐろを巻いて寝ている時の姿が美しい一枚の敷物のように見える為。脱皮した時の抜け殻を一匹丸々求める好事家もいるという。
所有スキル:
おろし金の蛇鱗、毒長牙、猛毒吐息、毒射撃、麻痺の蛇眼
◇
「な、なんだこれ!」
リィンの合図にアリスが魔法で応えると、いくつもの紙切れが宙を舞う幻視を見て、頭の中に直接、敵の情報が認識されるという不思議な感覚に、俺は思わず声を上げた。
初めて見る魔物だというのに、その情報、行動さえも理解させられてしまっている。元々知っていた知識のように。
「絨毯大咬蛇か、手強い」
「初めて遭遇するね、頑張ろっかぁ」
二人の会話から察するに、二人も同じ情報を、同じように共有しているらしい。
パーティ内で共有出来る魔法、と言ってたな。仕組みは分からないが、凄い魔法だ。情報を共有出来る手間が省ける。
「まずは」
「突撃ー!」
大木には巻き付いて、その巨大な体躯を更に大きく見せ付けて様子見していた大咬蛇が行動を始める、その起こりの前に二人は味方は合図を出す。
リィンの骸骨兵と腐乱犬、アリスの取り憑く犬が徒党を組んで四方から襲い掛かる。
大咬蛇は、じゃあぁあ、と低い唸り声をあげながらその身を唸らせて、鋭い鱗のついた尻尾で薙ぎ払う。それをまともに食らった腐乱犬達は潰され、骸骨兵の体がバラバラになり、四方へと散らばる。
元々俊敏であった取り憑く犬達は空中へと飛び、それぞれが今薙ぎ払われた直後の尻尾へと噛み付き、引っ掻く。金属製のものが擦れ合うような不快な音と共に、鱗が数枚飛び散るが、微々たるダメージしか与えられてないようだ。
「全てはほら、元通りーー『再構築』」
リィンが囁くと、先程吹き飛んだ骸骨兵達の体が怪しく紫に光り、集い、その場でまた同じ様相として蘇る。そしてまた愚直に突進していく。
腐乱犬達も紫色に光るが、元々肉体があった所は骨が剥き出しの体になり、それも意に介さずに走り出していく。
「お願い、やっちゃって!」
アリスが命じると、側に仕えていた白い蜘蛛から光が発せられ、絨毯大咬蛇の周りから土の棘が生える。それに気を取られている隙に、四本足の鴉が羽ばたき、その鋭い爪を鼻先に突き立ててはふわりと上空を旋回する。子竜は真っ向から立ち向かい、その爪でしっかりと蛇の肉を抉る。
「肉を切り、曝け出すーー『断つ骨身』」
続けざまにリィンが唱えると、それぞれの骸骨兵達の手が変質し、反った刀身の鋭利な刃物へと変化し、それらを振りかざしながら、その蛇の体躯に突き立てんと迫る。
しかし流石はこの辺りの主といったところか、この数と真っ向から当たっているというのに怯む事は無く、喉を持ち上げると纏わりつく犬達に向かい、赤黒い霧のようなものをぶちまけた。
その霧に触れた、取り憑く犬達は受け身を取ることも出来ずに地面へと倒れ込む。恐らくあれが『魔物図鑑』で知った、毒袋から吐かれる神経毒のポイズンブレスなのだろう。
「アンデッドには効果は薄そうだけど」
「生きている者にはよく効きそうだねー。あの子達の毒を治してあげて」
アリスの左脚に纏わり付いていた緑色の不定形が、まるで銃弾を飛ばすかのように倒れ込む取り憑く犬達に自らの身体を撃ち込む。すると気怠げにゆっくりと立ち上がり、二、三度あの陰鬱そうな声で吠えるとまた大蛇へと向かっていく。毒消しの効果があるのか。
なるほど、アリスの連れている四匹の魔物達は、それぞれの役割があるのか。
白い蜘蛛は先程の魔法を見るに遠距離攻撃、四つ足の鴉は偵察と斥候、緑色の不定形はどういう原理か分からないが回復を担当、そしてあの子竜が前衛、と言った所か。非常にバランスが取れている、気がする。
リィンの生み出す死者達は恐怖を知らず、痛みも知らずにただひたすらに雪崩れ込む。それは強みでもあり、逆に言えば無駄に浪費してしまう事もある。
しかしアリスの『おいで、おいで』で味方に付けた取り憑く犬達はそれとは少し違う。鳴き声を掛け合っているのを見ると、ある程度の知性を持っているように見える。命令に従う、というのは変わらないが、そこにはある程度の意思が見える。
リィンの不死部隊が機械のようなものならば、アリスの魔物達は歴とした生物的行動だ。
「追い討ち、かけるよ」
「賛成でーす」
大咬蛇は尻尾で薙ぎ払い、骸骨に巻き付き粉々にしたかと思えば、その大口でちょこまかと跳ねる腐乱犬を咥えて噛み砕く。しかし次の瞬間にはリィンの力でまた蘇り、隙だらけの蛇鱗に甘んじてその攻撃を受ける。苛立つように、空気の漏れるような細長い声を漏らす。
一体一体の力は大した事無いかもしれないが、圧倒的に数が違う。しかも半数以上は死んでも問題の無い体で、リィンがいる限り戦い続けられる。
それでも追い討ちをかける、畳み掛けるのは恐らく魔力にも限りはあるのだろう。ここで死力を尽くしてしまうと、この後にまた戦闘があると困るのは明白だ。
「身を骨にして、護れーー『骨の鎧』」
「『頑張れ、頑張れ』」
リィンとアリスの身体の周りに骨のパーツが浮き上がり、要所を守るように滞空し続ける。攻撃を代わりにうける魔法なのだろうか。
アリスの唱えた魔法は、リィンと自身の統べる魔物達に赤い輝きを纏わせる。恐らく、攻撃力を上げる意味合いがあるのだろう。
「さぁ、行くよ」
「とおりゃー!」
細剣を構え、拳を握り締め、前線で奮闘する配下達の隙間を縫うように、大咬蛇に攻撃を加える。
頼りなそうに見える細剣の鋭さは易々と鱗を貫き、布しか巻いていない拳の重さは軽々と鱗を叩き割る。物理的に見て、どう見ても攻撃が通るようには見えないのだが、その戦闘力は他の配下達よりも高い。
何かしらの魔力を込めている、と考えるのが普通なのだろうか。俺は異常な光景に慣れ過ぎて、冷静な分析しようとしている自分に呆れていた。
しかしそこで、苦悶に呻く大咬蛇に動きが見える。伸ばした尻尾で大木を巻き取ってそのまま引き抜くとリィンとアリスに向かってぶん投げた。
巨大な質量が、リィン達に襲い掛かる。が、リィンは冷静だ。
「『骸骨は骸骨に』、全体並列」
リィンの魔法と共に、地面から一斉に湧き上がった骸骨達が横並びになりながら大木へとぶつかっていく。
轟音。
鈍く砕ける音を立てて幾多もの骨の体を犠牲に、大木は砕け散る。
「ーーあ」
それは、完全に予想の外だった。砕けた木片のいくつかが勢いを殺さずに、後ろへと流れ、そのまま二人の後ろにいた俺に襲い掛かってくる。
「マコト!」
「マコトくん、避けてぇ!」
二人の声が、聞こえた。
飛んでくる木っ端から目が離せない。足がすくんで、怖くて、どうしようもない死が、すぐ、もうすぐ俺をぐしゃぐしゃにする。
「ーーさ」