026.『蛇鱗鎧』
部屋の窓を開けると、朝日と共に緩やかな風が室内へと入り込み、品の良いカーテンを揺らす。その朝方の温い風が、風呂上がりの肌の上を通り過ぎるといつも以上に涼しく感じ、何とも気持ちがいい。火照った身体に心地良い疲労感、このまま布団に倒れ込んだら気持ち良く寝れてしまいそうだ。
アリスとの日課の走り込みを終えた俺は風呂で汗を流し、与えられた客室で身支度を整えていた。このリィンとアリスの屋敷に寝泊まり一ヶ月以上経つが、いつも高級なホテルに宿泊するような気分になる。
二人は悠々に座れる、見事な皮のソファー。木目の美しい一枚板のテーブルには魔力を注ぐと灯る魔法灯が置かれ、ベッドは天蓋付き。毎日、この屋敷の給仕兼警備である骸骨兵が寝支度をしてくれるお陰で常にふかふかだ。
クローゼット、コート掛け、一人用の机に姿見まで完備されていて、これ以上家具を置く必要も無いくらいに揃っている。
俺が持っている私物なんて、この世界に飛ばされた時に着ていた服一式と異空間収納リュック、それと初日に二人に買って貰った部屋着など雑多な物だけで、この広い客室を大分持て余していた。
しかし、これからは違う。昨日からまた一つ、この客室に置いておく私物が増えたのだ。
「ふふふ……子供みたい、とは自分でも思うけど、ワクワクするな」
俺は薄手の長袖とズボンに身を通すと、昨日『竜の宝玉』工房から漸く出来上がったものと前に立った。工房の主、ホールとグレンにお願いした絨毯大咬蛇の鱗鎧が遂に出来上がったのだった。
その鎧は窓から差し込む朝日で、青鈍色に輝いていた。
初めて遭遇した時は黄土色がかっていたように思ったが、それは表面に泥を塗り、岩石や鉱石などを削り取った結果ついた色だったらしい。おろし金の蛇鱗、とはよく言ったものだ。
鱗の付着物を洗い、または削り、色々な方法で落とすと本来の鱗は鈍く輝く青鈍色を取り戻す、とホールは笑いながら教えてくれた。
両肩には特に大きな鱗を一枚ずつ肩当てのように置かれ、腕は二の腕の辺りまで、裾は腰の辺りまで広がっている。ちょっとした上着のようだ。
一人でも着込めるように、と前側が空いており、羽織るように着込んだ後でベルトで締めて固定出来る。そのベルトを更に上から鱗の前掛けを掛けて隠す事で、着脱性と防御力を両立している。
徐ろに鎧掛けから手に取り、袖に腕を通す。鱗の内側には、絨毯大咬蛇の鱗下の皮膚がそのまま使われている。伸縮性が良く、初めて来た時はそのフィット感にびっくりしたものだ。
鱗鎧としての防御性能と、革鎧の機能性を併せ持った、俺の為だけに作られた専用の鎧だ。
前のベルトをきっちりと閉め合わせると、気持ちも引き締まるようだ。そのまま、同じ鎧掛けの下部に掛けてあった籠手と脛当を手に取る。材料が余って更に制作意欲が沸いたから、と追加で作ってくれた代物だ。柔らかいベッドに腰掛けて、それぞれ両手両足に嵌め込む。
鱗鎧、籠手に脛当まで着込んだ後、つい姿見で何度も確認してしまう。昨日も寝る前にこっそり付けて確認してしまったが実に良い出来栄えだ。お腹の奥からじわじわと嬉しさが込み上げてくる。
剣や鎧を身に付けて、高揚しない男がいるだろうか、いや、いないだろう。しかもそれが自分専用に誂えられたものならば尚更だ。
異世界で目が覚めて一ヶ月。魔物という脅威、魔法という未知のエネルギー、そして冒険者という生き方。前の世界には存在しなかった色々な事を体験したが、今でもこの世界は驚きと喜びに満ちている。勿論、全てが良い事ばかりでは無いが、それでも今の生活を楽しんでいる自分は確かにここに居た。
「リィンとアリスのお陰だな」
右も左も分からない俺を拾い、助け、そして今も支えてくれる少女二人には本当に頭が上がらない。
「二人にも見せに行かないとな」
最後にベッドの横、サイドテーブルに置いてある異空間収納箱、もとい異空間収納リュックを背負う。実はこのリュック、持ち歩く分には良いけど戦闘中に破れたら不安だと思っていたが、ホールに鑑定を頼んだら『破壊不可』の魔法も付与されていたそうで。
その力は例え火龍の火炎吐息に曝されて俺が蒸発しても無傷で残るくらいの耐久性を誇るとの事。そんな事を想像すると少しだけ背筋がゾッとするが、何にせよ下手な装備より背中を守ってくれるならば有難い。
「これで冒険支度は万端だ」
ずっしりと全身を覆う鱗鎧が頼もしい。準備が済んだ俺は意気揚々と客室を出た。
何せ今日は、冒険者ギルドに依頼を受けに行くんだからな。
◆◇◆◇
昼前の冒険者ギルドは早朝とは違い、落ち着いてるように見えた。勿論冒険者は多いものの、何というか全体的に流れている時間がのんびりしているというか、落ち着きがあるように思える。
「なんでこんなにのんびりしてるのかなー、って思ってるでしょー?」
「……よく分かったな。朝来た時とはまた違う雰囲気だな、って」
「この時間に来るのは高ランクが多い。慌てて依頼を奪い合わなくても、残っている」
アリスに心を読まれ、リィンが疑問に答える。確かによく見てみると、今冒険者ギルドの椅子に座って雑談するパーティーや、隅で装備品のチェックをしている冒険者達の装備はしっかりしている。装飾も見事な金属製のプレートや剣の鞘など、駆け出しの俺から見ても一目で良い物だと分かる。
「死体弄りと気違い兎じゃん……あれ、もう一人は? あんま見た事無い顔だけど」
「最近訓練所で見かけたな、新入りらしいぞ」
「えー、本当ー? 今までずっと二人でやってたじゃん、なんか裏がありそー」
「分からん。だが、装備を見る限りは大事にされてるようだな」
「あれってもしかして絨毯大咬蛇の鎧? いいなー、あたしも欲しいー」
「俺達も今度、人を集めて狩りに行くか」
そんな中、駆け出しでありながら絨毯大咬蛇の鱗鎧を身に纏った俺は目立つ。聞いたところによると、絨毯大咬蛇を討伐出来るのは通常ならギルドランクとしても高位で無いとなかなか難しいらしい。
「ふふふ、皆の注目の的、って奴かなー?」
「変な風に注目を浴びるのは避けたいな……」
「いいんじゃないー? その鱗鎧、マコトくんにぴったりだと思うなー?」
「半人馬にも衣装」
「リィンはそれ、褒め言葉なのか?」
「勿論。半人馬は常に半裸だから、ちゃんとした装いをすれば様になるという意味」
「駆け出しだなんて誰も思わないよー」
二人はなんだかんだで、鱗鎧姿を気に入ってくれているようだった。そんな俺の右肩にはアリスの仲魔の仔竜ファフと、左肩には三つ足の鴉ラウムがそれぞれ羽を休めている。時々髪の毛を弄ったり、嘴で挟んだりと容赦無しだ。
「二人ともマコトくんの肩が気に入ったってー。ふふ、魔物使役士としては妬けちゃうなー」
「気に入ったっていうか! おもちゃ扱いされてる感じがすっごいするんだけど!」
「気にしなーい、気にしなーい! 私以外で懐く事なんて滅多に無いんだからー」
代わりにアリスの両太腿には白蜘蛛アラネと、緑の不定形ブエルがそれぞれ巻き付いている。悪戯好きのファフとラウムとは違って、どことなくアラネは冷めた感じがするし、ブエルは何も考えずにぼーっとしてるようにも見える。
一緒に暮らしていると、言語として言葉を交わさなくても通じるものがある。
「これはこれは」
空いている冒険者ギルドの依頼受付カウンターでわちゃわちゃしながら並んで待つ事数分、通されたカウンターには見慣れた顔。
眼鏡の奥、優しそうな目を細めてサルナンが柔らかく微笑む。
「どうもサルナン、久し振り」
「マコトさん、お久し振りです。どうやら絨毯大咬蛇の鎧が完成したみたいですね、お似合いですよ」
「ああ、解体の時は世話になった、どうも有難う」
「いえいえ、仕事ですから。という事は、そろそろ依頼を受けに?」
リィンとアリスが俺の左右から顔を出す。
「そうなんだー、ここ一ヶ月で基礎的な体力とかも付いてきたし、そろそろ良いかなーって」
「ボク達用の依頼は来てる?」
「リィンさんとアリスさん用の依頼ですか……少々お待ち下さい」
サルナンが席を離れて、依頼書を取りに行く。
「ボク達用、って、何か専門で受けてたのか?」
「あははー、元々私とリィンちゃんの二人しか居ないからね、選り好みさせて貰ってるんだよー」
「大規模な討伐依頼とかは断ってる。後は魔窟探索依頼もそう」
「リィンちゃんも私も、金銀財宝とかには元々興味無いしねー。私は悪い人間をぶっ飛ばせればそれでいいし」
「基本的には小規模な討伐依頼や、アリスの言う通り悪人狩りが多い。後は死霊が出るものは率先して受けてる」
「それは、死霊術師だからか?」
今いる屋敷に元々居た幽霊達も昇天させた、と言っていたのを思い出した。リィンにとって、死霊は従える物に過ぎないのだろう。
「半分はそう。死霊の扱いには慣れているのもある」
「回復薬は回復薬屋っていうしねー!」
「もう半分は?」
「ああ、お待たせしました」
リィンが俺の問いに答える前に、サルナンが二枚の依頼書を持ってきた。
「急を要する依頼があったので、持ってきましたよ。死霊絡みの物です」
その中の一枚をすっと差し出してきたので受け取る。書類の文字は見慣れない文字ではあったが、何故か俺はその文字の意味が解読出来た。
「えーと、なになに……『国境付近に死霊達の発生を確認、調査及び討伐依頼』か」
この世界の言葉は自動的に俺が理解出来る言葉に、そして俺の言葉は自動的にリィン達の住む世界の言葉に変換されているらしい。初めてリィンやアリスと会ってからスムーズに会話のやり取りが出来る事を不思議に思っていたが、つまりはそういう事だ。
原理は分からないがもし言葉が通じなかったら、今頃俺はここに居ないだろうという確信すらある。非常に有難い能力だ。
「国境付近、ねー……」
覗き込んできたアリスの笑顔が一瞬強張ったように見えた。過去に村を襲われた騎士団の所属する隣国が近いのが気になるのだろうか。
「ええ、ここから徒歩で丸一日以上離れた山道で屍人と遭遇した商隊がいましてね。被害は無かったのですが、何故そんな所に屍人が沸いたのか、その調査と可能であれば討伐して貰いたいという依頼ですね」
「そんな山奥で、屍人が出るなんて珍しいねー」
「そうなのか?」
「屍人が自然発生するには幾つかの条件がある。素体もそうだし、死霊化する為の魔力もそう。恨みを持つものが死に切れずに屍人になる事はあるけれども、大体が歪んだ魔力の溜まる土地での出来事、いきなり出現するとは考えにくい」
死霊術士としての顔を覗かせながらリィンはすらすらと答える。
「ええ、そうなんです。その一帯の山で屍人が目撃された事は一度も無かったようです。また数こそ多くは無かったようですが、皆年齢も服装もバラバラで共通点は無かったそうです」
「自然発生で無いとすると、死霊術が使われた可能性が高い」
「でもそれなら見つからないように隠れ住んで、痕跡を残さないようにするのが普通じゃないかなー? 何か悪巧みをするのだとしたら、尚更」
「分からない。屍人が増え過ぎて制御が出来なくなったか、何らかの意図を持って屍人を仕向けたのか」
俺を挟んで書類を見つつ、リィンとアリスは意見を交わし合う。
「確かにボク達向けの依頼」
「だねー、マコトくんにはちょっと荷が重いかもしれないけど、私達もいるし大丈夫だよー」
「はは、頑張るよ。……サルナン、それでもう一枚は? わざわざ持ってきたって事は何か関係してるんだろう?」
「流石マコトさん、その通りです。実は先日、その屍人の調査をとあるパーティに依頼したんです。自分はリィンさん達が来るまで待ちたかったのですが、そのパーティ自体やる気も実力もありましたからね、お願いする事にしたんです。屍人自体の討伐難易度は低めですからね」
「ただの屍人だったら、今のマコトでも十分相手になる」
「でもこうして依頼がまだ達成されてないって事は、帰ってきてないって事かなー?」
「帰ってきてない、ってまさか」
「ええ、そのまさかです。今日でもう一週間……死んでしまっている可能性も高いでしょう」
サルナンが低く呟く。その顔には後悔の念が見えた。
冒険者として生きるのであれば同時に命を落とす事もあるだろう。それは依頼を受けた時から覚悟の上だったとも思うし、例えサルナンがリィンに受けて欲しい依頼だったとしても受けたいという冒険者を無碍にする事は出来ない筈だ。
それでも、結果としてそのパーティは戻ってこなかった。
「サルナンの所為じゃないだろ」
つい、そんな言葉が俺の口から出てしまった。
「……有難うございます、マコトさん。そう言って頂けると救われます」
驚いたように俺を見つめたサルナンだったが、すぐに気を取り直していつもの柔らかい微笑みを浮かべた。
「という訳で、此方の依頼書は冒険者ギルドとしての依頼です。『行方不明の冒険者達の捜索』、先程の依頼と合わせて二つの依頼になります」
「分かった、受ける」
「私も、リィンちゃんがオーケーなら構わないよー」
「有難うございます。前者の依頼に関しては元凶の討伐とはありますが、もし難しそうならば撤退して下さって構いません。命は大事ですからね。
後者の依頼に関しては生存者の救出、もし死亡していた場合は冒険者タグと可能な限りの遺品を持ってきて頂ければと思います……家族や仲間もいるでしょうし、ね。パーティメンバーの特徴は依頼書に書き込んでおきましたので、道すがら確認をお願いします」
そう言ってもう一枚の依頼書を手渡すと、サルナンは頭を下げた。
「宜しくお願いします。リィンさん、アリスさん、そしてマコトさん」
「ボク達に任せて」
そう言って背中を向けたリィンの一言がとても頼もしく感じた。
◆◇◆◇
「どう見るー、リィンちゃん?」
「今の状態だと分からない。ただサルナンが屍人にやられる人材に依頼を任せるとは考えにくい」
「となるとー、はむ、なんだろーねー」
リィンの召喚した骨馬が率いる戦車『首無し騎士の荷馬車』の荷台の上、俺達は思い思いに寛いでいた。
屋台のおばさんが作った野菜サンドイッチを頬張るアリス。桃色の兎耳が丸い帽子から解放され、ぴこぴこと揺れていた。
「んー、このサンド美味しいっ! マコトくんも食べなよー!」
「ああ、頂くよ。リィンはどうする?」
「冷たいお茶、欲しい」
アリス特製のアイスティーをリィンに手渡し、俺もサンドイッチに齧り付く。異空間収納リュックから取り出す事にも慣れたもんだ。
「あむ、屍人の数が思っていたより多かった、とか?」
「それだけだと帰ってこない理由としては弱い。数が多いだけなら、一人位逃す事も出来る筈」
「それじゃー、強い敵がいる、とか、何かしらの罠が仕掛けられているとかかなー」
「人為的な発生ならその可能性が高い。屍人を操る黒幕がいる筈」
まだ太陽が頭上高くにあるので、リィンはローブのフードを被ったままだ。冷たいアイスティーは口にあったようでリラックスしているように見えた。
俺の異空間収納リュックなら、出来立てのサンドイッチも冷たい飲み物も時間を止めて運ぶ事が出来るから重宝するな。長旅でも美味しい物が食べられる方がいいもんな。
「その場合、黒幕を倒す所までが依頼って事か?」
「そうなるかなー? 黒幕が素直に諦めてくれるとは思わないから、どうしても力技になっちゃうけどねー」
「……その為に受けたようなものだから」
ぽつりと、リィンが呟いた。
「マコト、ボクが死霊が関係する依頼を受けるもう半分の理由。それはボクを出来損ないの吸血鬼にした奴を探す事」
「リィン……」
「そいつは死霊を操る術を持っていた。そして不死者の研究をしていた」
半分程飲み干したアイスティーの器を両手で持ち、真っ直ぐ此方を見詰めた。
「だからこうやって死霊に関係する依頼をこなしていれば、いつかそいつに辿り着けると信じてる」
「そっか……それならこの依頼が終わってもまた、死霊関係の依頼が来たら受けよう。リィンのしたいようにすれば良いさ、俺も手伝うからさ」
「……うん、有難う、マコト」
いつか辿り着く、と信じて一体何年の月日が経ったのか。過ぎ去った歳月はきっと両手の指ではきっと足りないくらいだろう。それでも信じて依頼を受け続けるリィンの手助けになりたちと思った。例え依頼内容が偏っていようと全然構わない。
「ふふふ、今回の依頼で手掛かりが掴める事だって十分あるからねー? 頑張ってこー!」
アリスが場を盛り上げようと明るく声を上げる。つられて側にいた仲魔達がぎゃうぎゃう、だの、かーかー、だのと騒ぎ立てる。場にこういう明るさを灯してくれるアリスは凄いな。
「アリスも、受けたい依頼が在ったら遠慮無く受けてくれよ」
「わぁ、マコトくん優しいねー、有難うー」
「ここまで来たら一蓮托生だ。リィンやアリスには返し切れない恩があるからな」
他に信頼出来る人を作らず、いや、作れなかったのかもしれないが。出会ったから二人でやってきたリィンとアリスだ。
「俺にも、二人の事を背負わせてくれよ」
その二人の中に、加わらせて貰ったんだ。パーティの一員として迎えてくれた二人の為に、俺に出来る事なら何でもしたいと強く思った。
「……なら、まずは今回の依頼、力になれるかしっかり見せてもらう」
「一ヶ月、色々取り組んで貰ったんだから、マコトくんの格好いい所見せて欲しいなー?」
リィンは素っ気無く、アリスは愛想良く。この二人の前だと、俺には出来ないなんて言えないな。それでも変に気負った感じがしないのが不思議だ。二人と一カ月、走り込みに訓練にと過ごしてきたからかもしれない。やるべき事をやってきた、後は実戦で磨くだけだ。
だから俺は胸を張ってはっきりと応える。
「ああ、分かったよ。俺に、任せてくれ」
「期待してる、マコト」
「頑張ってね、マコトくん!」




