023.『待つ者と』
備え付けの分厚いカーテンの隙間から差し込む日差しに朝の訪れを感じる。色々あった次の日の朝にしては、随分と爽快な朝だった。
目が覚めると、膝の上で寝ていた筈のアリスの姿は居なくなっていた。アリスに掛けたブランケットだけが膝に残されていた。
俺を起こさないようにそっと抜け出して、そのまま使っていたブランケットを俺に掛けてくれたのだろう。ふと見ると、テーブルの上のティーセットも綺麗に片付けられていた。何から何まで世話になりっぱなしだ。
両腕を上げ、背伸びをする。座ったままの態勢で寝た為か、気持ち良いくらいにバキバキと音が鳴る。思った以上に頭の中はスッキリしていた。
それが良い事なのか、良くない事なのかは俺には分からないけれど、きっとこんなにも晴れ晴れとした気持ちなのはアリスの気遣いと淹れてくれたハーブティーのお陰なのかも知れない。
ブランケットを畳もうとするとほのかに甘い花の香りが鼻に香った。
「……アリスの香りだ」
そっと顔を埋めようとしたところで慌てて我に返る。何しようとしてるんだ。良い歳をした大人が思春期の初心な若者のような反応をするのは自分でも情けない。
手早く纏めたブランケットを元の位置に戻し、いつもの服装に着替えると部屋を出た。
「うお」
時々通路をすれ違う骸骨兵の姿には体がびくりと反応してしまう。生活したいな場所に人骨が彷徨い歩いているのは未だに慣れない。
彼らは給仕兼警備の役割を担っている。リィン達が冒険に出ている間はこの屋敷は無人になる為、骸骨兵が屋敷の掃除を黙々と行っているのだ。留守だからといって帰ってきたら我が家が空き巣や無法者に荒らされていた、なんて自体は持ち主としては愉快では無い。許可無き者が無断でこの屋敷内に入ってきた時、彼らは普段持っている箒や雑巾を剣と盾に持ち替えて立ち向かうらしい。
暗がりからぬっと頭蓋骨が出てくるのは心臓に悪いが、文句一つ言う事無く、俺達の身の回りの世話をしてくれていると思えば何処となく愛着が持てるような気もしてくる。
「今日も有難う」
すれ違いながら礼を言いつつ、俺は一階の食堂に向かった。
相変わらず三人で使うには大き過ぎる程に広々とした食堂だったが、人影は無かった。大きなダイニングテーブルには白いクロスがぴんと綺麗に伸びていて、椅子もズレなくきっちりと揃えてある。誰かが使った形跡は見当たらない。
一昨日は宴会を、昨日はお茶会を楽しんだ場所だが、今は静けさだけが漂っている。
「まだ、昼には時間あるしな」
昨日の輸送の依頼と、追い剥ぎ達の緊急討伐での報酬受け取りをする為に、昼頃に三人でギルドに顔を出すという話になっていた。
食堂に来ればリィンとアリス、どちらか起きているかと思ったが当てが外れてしまった。アリスは兎も角、リィンは吸血鬼のなり損ないだ。宵闇のローブのお陰で陽を浴びても大丈夫との事だが、早く起きてくる事も無いだろう。
「どうしようかな」
また客室に戻って寝る、というのも悪くは無いが、寝過ごす事を考えると少し怖い。かといって勝手に屋敷内を彷徨くのもそれはそれで躊躇われる。
この屋敷は拠点でもあり、魔術師の工房でもある、というのがリィンの言葉だ。大まかなニュアンスでしか分からなかったが、素人がおいそれと踏み込んではいけない所があるとの事。不用意に歩けばもしかすると怪我をするかもしれない。
怪我をするという事よりも、その事でリィンに要らない気を遣わせる事の方が嫌だった。屋敷内を歩く時はやはり誰かに付き添って貰おうか。
「それなら、外に行こうか」
まだ日が出て間も無い内なら、人混みに揉まれる事も無いだろう。リィンやアリスと一緒に買い出しで歩いた事はあるが、一人で散策はした事は無かった。
これから俺が生活をしていく街なんだ、知っておいた方が良い。咄嗟の思い付きにしては、暇潰しと実益を兼ねた良い案だ。
「ちょっと行ってくるよ」
無言で見送る骸骨兵を背中に、俺はこっそりと正門を出た。
屋敷の周りは人影が疎らだった。街の中心から離れた所に位置している為かもしれない。それでも通りを幾つか抜ける度に仕事に向かうであろう大人達や、遊んでいる子供達が増えていく。
耳の尖った女性や、犬耳をはやした男性、使い古された外套を纏った冒険者にすれ違うと、此処は本当に俺が元いた世界とは全く違う所なのだと感じる。
それでも朝の、これから一日が始まっていくんだという活力に満ちた空気は変わらないような気がした。
太陽が外壁のほんの少し上に昇り、その光に照らされた街並みは美しかった。前の世界に住んでいた所ではまず見当たらない、煉瓦が積まれた家。不思議な文字のような模様が刻まれた壁。至る所に浮遊している魔法照明が陽の光を反射して輝いていた。
こうして見ながら歩くだけで、海外へ旅行に来たような非日常感を感じてわくわくしてしまう。この世界に来る前はあまり旅行をしたという記憶が無いから凄く新鮮だ。
大通りへ近付くと、踏み固められた地面から少しずつ舗装された道に変わる。離れた路地からでも聞こえる喧騒が、どんどんと大きくなる。慣れない街を歩く、という事にドキドキしながら思い切って大通りへと出てみる。
大通りは、開店準備をしている露店と往来を闊歩する人達で一杯だった。これでもまだ朝という事で少ないのだろう。大きな体格の冒険者の横をすり抜けて、朝食を作っているのであろう露店の良い匂いに何度も心を惹かれる。そういえば昨日の夜から何も食べていない。今は異空間リュックを持ってきていないから手持ちが無いのが悔やまれる。
そのまま、人の流れに身を任せて歩く。
時折、すれ違いざまに一瞥される事もあるが、それは服装が変わっているからだろう。ただそんな事はこの街では些細な事のように思えた。がっちりとした甲冑を着込んだ男、本当に守られているのか不思議に思う程に露出の激しい鎧を身に付けている女性、リィンと同じように頭からローブを被って歩く人もいる。皆、それぞれ統一性の無い服装をしている。それでもそれが逆にある種の様式美というか、この街に相応しいと思える雰囲気があった。
ここは冒険者の街、ファスタリアなのだ。
「そこにいるのはマコトではありませんか」
ふと声を掛けられた方を見ると、サルナンが驚いたような顔で此方を見ていた。赤と黒が基調の冒険者ギルド職員の制服は今日も皺一つ寄っていない。
「おはよう、サルナン。今から出勤かな?」
「おはようございます、そうですね、少し遅いくらいですが。昨日はマコトもお疲れ様でした、追い剥ぎ達に襲われるとは災難でしたね」
眼鏡の奥の茶色の瞳は何とも眠たそうだ。俺達が報告をしてから遅くまで、サルナンは事後作業に追われていたに違いない。
「こればかりは仕方ないよ、誰にも予想出来なかった事だし。それにリィンやアリスも居たから」
「そうですか……何はともあれ、気持ちをしっかり切り替えられたようで何よりです。昨日はかなり落ち込んでいたみたいですから」
「心配をかけたね、でも俺はもう大丈夫だよ」
「そのようですね」
サルナンは少しばかり安堵したように見えた。昨日の、初めて人を殺した後の俺の様子から、俺が随分心を立て直したからかもしれない。
「冒険者として生きていく中で、予想通りに行かない事や思う通りにならない事も多いでしょう。依頼が失敗する事や、後味の悪い結果になる事も。でもそれを思い悩めるのは、生きていればこそです、マコト」
「……はい」
「だからこそ、必ず生きて帰ってきて下さいね。死んでしまったらマコトの愚痴や文句を聞く事も、出来なくなってしまうのですから」
サルナンは微笑んでいた。冒険者の依頼には危険が伴う。依頼半ばで死ぬ事も、冒険者としては覚悟しなければならない事かもしれない。
それでも生きる為に足掻く事を忘れてはならない、とサルナンは遠回しに言ってくれていた。怒ったり、悔しがったり、落ち込んだりといった事も無事に生きて帰ってきてこそだと。
確かに、人を殺した後の俺は心あらず、と言った具合だった。命を奪ってしまったという事実以外、何も考えられずに茫然としていた。
もしそれが一人の時だったり、まだ戦闘が続いている時だったらどうなっていたか。
「うん、肝に命じるよ」
「そうして下さい」
サルナンさんの言葉は、冒険者の帰りを待つ冒険者ギルドの職員としての実感が深く篭っていた。待つ方が辛いとは言うが、実際そうなのだろう。
一体何人の冒険者を見送って、何人の冒険者が帰ってこなかったのか。
そう思うと、俺も易々とは死ねないな。
「そう言えばマコトはどうして大通りに? 今日は昼頃ギルドに来る筈だったのでは」
「あ、いや、たまたま早く起きてしまって。散歩でもしようかな、と」
そう、大した理由でも無いのだが、俺が答えるとサルナンは何故か真面目な顔で考え込む。そのまま数秒、黙り込むと徐ろに俺を見据えた。
「……リィンさんなら、南東にある教会にいると思いますよ」
「えっ?」
思い掛けない言葉がサルナンの口から出る。
どうして、リィンは屋敷にいる筈では。
「いつもこういう依頼の後、彼女が教会に向かう姿を目撃してます。だからきっと今朝もいる筈ですよ」
「そ、そうなのか」
「宗教国家である隣国の影響で建てられた教会なんですが、ここ数十年の非道な行いで信仰する者も減りましてね……今でも敬虔な者はいるようですが、訪れる者も殆ど居ません。リィンさんがそうだとは自分も知りませんでしたが」
サルナンは言葉を選ぶように話すと、ゆっくりと俺の目を見据える。
「パーティと言えども、元は他人です。何処まで踏み込んでいいのか、何処まで胸の内を開いていいのか。それには当人達の歩み寄るタイミングがあるのかもしれませんが、まずは自分から一歩踏み込んでみるのも良いかもしれませんよ」
多分サルナンは、俺がリィンを探しに街まで出てきたのだと思ったのだろう。だからこそ、リィンの居場所を教えたのだ。まだパーティとなって間も無い俺に、仲を深めるようにとお節介を焼いてくれた。
確かに、まだこの世界に来て二日、付き合いとしてはとても短い。内容が濃い、とは思うが純粋に交わした言葉は少ないだろう。
獣人族のアリスも、容易く話す事の出来ない重い過去と自責を背負っていた。それも言葉を交わして初めて知る事が出来た。
吸血鬼のなり損ないとなってしまったリィンも、恐らく俺が想像する以上の過去や思いを抱えている筈だ。
「……有難うサルナン、行ってみるよ」
「沢山話が出来ると良いですね、ではまたギルドでお待ちしております」
俺はサルナンに礼もそこそこに、教会を目指して走り出す。
全て知る事は出来ないとしても、その先端に触れる事が出来ればいいと思う。全てを理解出来なくても、仲間として隣に居る為に。
◆◇◆◇
ファスタリアは冒険者ギルドを中心に東西南北へと大通りが伸びている。それこそが冒険者の街と言われる所以の一つなのかもしれない。お陰で歩き慣れていない俺でも、すぐに目的の場所を見つけられた。
その教会は、サルナンの教えてくれた南東、やたらと開けた場所にぽつんと建っていた。教会の周りだけは芝が生い茂っているが、長い間手入れをしていないのか伸び切っていた。扉へと通じる道だけは踏み固められているのもあって通れそうだ。
建物の影に隠れている裏には石の置物が幾つか等間隔に並んでいて、恐らくあれはお墓だろう。
教会、と言うだけあって外装は凝った作りをしている。白く化粧された壁、装飾の施された正面扉、屋根もアーチ状のデザインで作られている。しかし、近寄って見ると所々壁の化粧が剥がれ、蔦が無数に這っていて、煉瓦も一部分は欠け、正面扉も木で出来ている為に風化している。
まるでこの教会だけが街の皆に忘れ去られたようだ。
「こんな所に、リィンはいるのか?」
元居た世界でもこのように朽ちた社があって、誰も訪れたのを見た事が無い。最低限の手入れしかされていないこの場所も同じだろう。
それでも何故か、そんな所だからこそリィンは居るような気がした。
出来た当初は立派だったであろう、塗装も剥げた正面扉に手を掛けて、そのままゆっくりと押し開く。
ぎぃ、と軋む音を立てて開いた。
「……リィン」
そこは、静謐を称えた聖域のようだった。
鈍く輝く銀色の灯台、白く塗られた壁に、赤、青、緑、様々な色の光が映り、幻想的な光景を表す。鮮やかに彩られた部屋の中心の天井から放たれた、まるで祝福されているかのような陽光の下に。
「……マコト?」
陽光に負けじと煌めく、純金色の髪。暗色のローブからすらっと伸びた、白磁器のように滑らかな両手。
振り返った、まるで彫刻か絵画のような整った顔立ち。驚いたのか、開かれた深く暗い紅玉色の瞳。
不意に名前を呼ばれたその声は鈴の音色のようで。
吸血鬼の彼女は祈っていた、まるで天使みたいに。




