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021.『獣人差別主義』

 青金蟹(インガバラット)は、その右手に存在する大鋏を頭上高くに持ち上げて了解の意を示す。その様は騎士が大剣を振り上げて覚悟を決める儀式めいていた。


 これから起こる事は誰でもない、俺の願いを叶える為に、俺が望んだ事だ。


 リィンとアリスと対峙している追い剥ぎ達の後方、石畳の上を硬質な音を立てて青金蟹は突進する。


「な、なんだ、ぎゃあああ」

「このデカブツはどこからきやがった!?」


 魔物をけしかけた所為で無防備になった背中へ、青金蟹の体躯がその重量ごとぶつかるとまるで玉遊びで使われるピンのような勢いで追い剥ぎ達が四方へと飛び散らばる。


「くそぉ、ふざけやがって!」

「ぐっ、かてぇ!」


 運良く範囲から外れていた追い剥ぎ達が次々と獲物を振りかざして青金蟹に攻撃を加えるものの、金属の擦れるような音だけが虚しく響く。あの絨毯大咬蛇(カーペットサーペント)でさえ真っ向から止めた青金蟹だ、追い剥ぎ達の攻撃で揺らぐ事は無く、そのまま無造作に大鋏を開いて振り回す。


 ぶしゅ、と赤い花が咲いた。


 その上半身と下半身が引き裂かれる刹那に、薄汚れたその顔が浮かべた驚愕と苦悶の表情が、俺の目に焼き付いて離れなかった。

 高く放り上げられた上半身が重力に負け、地面へ鈍い水音を立てて落ちた。血の香りが一層強くなる。


 その血溜まりの上を歩いて、俺達は更に歩みを進める。


 青金蟹が無造作に大鋏をもう一振り、追い剥ぎ達が構えた鉄剣や盾、鎧が紙屑を引き裂くような容易さで断たれ、命が消える。


 リィンのように技巧を凝らした鋭利な一刺しでも、アリスのように素早く飛び跳ねて魔物達と共に繰り広げる乱撃でも無い。


 身に纏う強固な甲殻で攻撃を全て受け止め、圧倒的質量と筋力で振るう重い一撃。ただそれだけが暴力的な迄に恐ろしかった。


「か、勝てる訳ねぇ……!」

「逃げろ逃げろ! こんな化け物達と戦ってられるか!」


 追い剥ぎ達はその一方的で凄惨な事態を目にし、明らかに戦意を無くしていた。小柄な女二人組なら、と数を頼りにしていた追い剥ぎ達も俺と青金蟹の乱入に、歯が立たないと諦めたのか武器を放り出して散り散りに森へと逃げていく。


「おい、てめぇら! 戻ってこい、くそが!」


 そんな中、一人がなり声を上げる男がいた。他の物より上等な鎧を着込み、胸元には宝石で出来た、趣味の悪い首飾りを下げている。先程、魔物達をけしかけた男だ、この追い剥ぎ達の頭目だろう。腰が抜けたのか、怪我をしたのかは分からないが地面に座り込んだままで逃げようとはしなかった。


「終わり」

「ふぅ、良い汗かいたなー」


 そうこうしている内に、リィンとアリスは対峙していた魔物を全て倒し終えていた。怪我も見た所、負ったようには見えない。

 二足歩行の豚型の魔物はリィンとその死体達によって切り裂かれ、熊型の魔物はアリスとその仲魔達によって全て地面に倒れ伏している。


「二人共、無事で良かったよ」

「うん、後はこいつだけ」

「魔物達を強制的に隷属させたり、荷馬車を襲ったり、やりたい放題してくれたねー? この辺りの生態系が変わったのも、このおじさんの仕業だねー」

「お陰でボク達の依頼も片付きそう」

「……こっちはてめぇらの所為で台無しだよ」


 頭目は毒突くように吐き捨てる。

 元はと言えば追い剥ぎ達が荷馬車を襲ったのがきっかけとは言え、その追い剥ぎ達の大半は事切れ、辛うじて息をしているものも五体満足とは言えない状態で、けしかけた魔物達も全て動かぬ骸として横たわっている。

 というのにも関わらず、まるで買い物のついでに用事が済んだ、とでも言わんばかりの気やすさで。

 二人の手助けをしたいなどと考えていた俺だったが、あれ程の数の劣勢を物ともしないだけの強さがリィンとアリスにはあり、その遠さに少しだけ目眩がした。


「森へ逃げた追い剥ぎ達は追わなくていいのか?」

「夜の森に入ってどうせ無事に済む訳が無い」

「マコトくんは、寝ている時に起こされたら凄く気分悪いよね? そして皆寝ているからこそ活動している魔物も居たりするんだー。そんなお腹空かせてる時に分かり易く音を立てて動く人間が居たら、がぶり、だよー」


 拡げた右手を口に見立てて、勢い良く閉じるアリス。


「無事に寝ぐらに逃げ込めたら相当運が良い」

「もしそうなったとしてもファスタリアに戻って警備隊に報告したら、また明日にでも探索して貰えばいいしねー」


 リィンは細剣を鞘にしまい、襲われた荷馬車の方へ近付く。馬も御者も矢で射抜かれて横たわっていた。その近くで死んでいるのは護衛達で、皆似た武具を纏っていたのだろうが、幾つか身包み剥がされて転がっている死体があった。


「どー? リィンちゃん」

「何人かはまだ中で生きてる、多分女性」

「そかそか、本当に最低だねー」


 仲魔達と共に近寄ったアリスの笑顔は変わらないが、その瞳はまるで笑っていない。


「て、てめぇ、なんで獣人なんかと組んでやがんだ」


 二人が少し離れた時、頭目がへたり込んだまま呟いた。緊張で、青金蟹の鋏(リッパーニッパー)を握り締めた手に力が入る。


「仲間だからだ」

「くそ! 何が仲間だよ、ふざけやがって。そんな甘っちょろいこと言ってんのかよ、くそくらえだ」


 その物言いに俺は苛立ちを覚えた。


「お前だって魔物と共にいたじゃないか」

「はぁ? あんなのは使い捨ての消耗品みたいなもんだろ、幾らでも補充が効くじゃねぇか」


 それが当たり前だ、と言わんばかりに頭目は笑う。


「俺はよ、昔傭兵やっててな。隣の国に雇われてた時に、堅物な聖騎士共からこの首飾りをくすねてやったのさ、代わりにお尋ね者になっちまったがな。こきつがあれば魔物を強制的に隷属出来るんだ、凶暴な魔物でさえこいつの力に掛かれば奴隷みたいなもんさ」


 悪趣味な首飾りを手で持ち上げ、見せ付ける頭目。これが、魔物を使役していた魔導具(マジックアイテム)だろうか。

 あれだけの数の魔物を何の力もない男でさえ従わせる事が出来る、というのはそれだけで強力で、凶悪だ。


「……それで?」

「これをやるから、頼むから見逃してくれよ」


 頭目は卑屈な笑みを浮かべて見上げてくる。欲しいだろ、と言わんばかりの態度に呆れたが、生憎そんな悪趣味な物には興味が無い。


「マコト、その男の言葉を聞いちゃダメ」


 気付くとリィンとアリスが戻ってきていた。アリスの仲魔達は荷馬車を囲んで、中の生存者を護っていた。


「そもそもその首飾りが本物かどうかも分からない、立場は圧倒的に此方が上、聞く必要も無い」

「ちっ、これは本物だぜ?」

「どうせ連れて帰っても死刑、良くて首都の監獄で一生を過ごすんだから、今ここで殺しちゃってもいいんだよー、おじさん?」


 逆撫でするような甘い声でアリスが物騒な事を言うと、不愉快そうに顔を歪ませた。手入れのされてない、伸び切った髪と髭が怒りで震える。


「なんでこんな目に合わなきゃいけねーんだ、畜生め」

「たまたま」

「あはは、運が悪過ぎだねー、おじさん」

「うるせぇ、てめーらが居なければ! 品物も女も売り捌いて良い稼ぎになったんだ!」


 わざとらしく音を立てて唾を吐き捨てる頭目。


「とことん不愉快な種族だよ、獣人なんてのは」


 何も間違った事など言ってない、とばかりに臆面も無く言う頭目に、俺は怒りを隠せなかった。


「さっきから聞いてれば獣人に恨みがあるみたいだけど、あんた、獣人に何かされたのか?」

「ああ? んなもん何もねぇよ、そんなもん無くたって不愉快なもんは不愉快だろーが。なまじ人に似ている分、気持ち悪ぃだろ」

「……ふざけてるのかよ、ただの偏見じゃないかそんなの」

「マコト、落ち着いて」

「でも、リィン!」


 あまりの無礼な物言いに、俺は声を荒げてしまった。リィンがそっと腕を掴まなければ、俺は拳を振り上げていたかもしれない。


「ここまで拗らせているのは珍しい、でもこういう偏見に満ちた、差別的思考な人も残念ながらいる。こういう人は死んでも治らない。怒るだけ、無駄」


 リィンの握る手が、少しだけ力が篭っているのに気付いた。リィンも同じく、この男の物言いに怒りを覚えているのが分かって、俺は少しだけ落ち着きを取り戻した。

 俺よりもアリスとの付き合いが長いリィンだ、こういう場面に何度も出くわした事もあるだろうし、その度に今俺が感じているような不快な気持ちになってきたのだろう。


 俺とリィンが黙っていると、頭目は鼻を鳴らしながら嘲笑う。


「奴隷の獣人と釣るんでるお前らも人間としての誇りはねぇのかよ? 馬鹿な奴らだぜ」

「ねぇ、おじさん。おじさんの嫌う獣人に邪魔されて全部おしまいになった気分はどう? どんな気持ちかなー?」


 ぞっとするような冷たい声色に俺は思わず、アリスの顔を見た。アリスは変わらずにこにこと、俺と初めて会った時のような酷薄な笑みを浮かべていた。


「て、てめぇ」

「情けないよねー? 恥ずかしいよねー? みっともないよねー?」

「おい、黙れよ」

「知ってた? 弱肉強食なんだよー、この世界は」


 こんなに人を貶めるような物言いのアリスは見た事が無かった。小馬鹿にするように笑みを浮かべていたアリスは、笑みを浮かべるのを止めた。そして、


()()()()()()()()


 目を細めたアリスは全ての感情を無くしてしまったかのような無表情で、呟いた。その目は哀れな愚か者を見るような、いや、そういった感情を浮かべる価値すら無い対象を見るように、虚無だった。


 頭目は顔を下げ、低く唸りながら、先程よりも大きく震えていた。


 何も言い返せない事に気分が晴れたのか、アリスはふぅ、と大きく一息付く。頭目に背中を向けて俺達を見たアリスは、いつもの調子に戻っていた、ように見えた。


「さ、リィンちゃん、マコトくん、帰ろっか」

「……ふ、ふざけやがってぇえええっ!」


 それは言葉にもなっていないような怒声だった。顔を真っ赤にしてた頭目が襲い掛かろうと立ち上がる。手には何処かに隠し持っていたのか、鋭い切っ先が見えた。


 アリスが気配に気付き、振り返ろうとする。

 リィンが素早く細剣を鞘から抜こうとする。


 それよりも前に、俺の身体は前に出ていた。右手に持った青金蟹の鋏を振りかぶる。


 大切な仲間に迫り来る危険に対して、ただの反射的な行動なのか。

 誰にもどうする事も出来ない種族を嫌悪され、アリスを侮辱された怒りによるものなのか。

 追い剥ぎ団の頭目に対する苛立ち、同じ人間だとは思いたくない、ただの憂さ晴らしにも似た感情なのか。


 分からない。分からないけれども。


 振りかぶった勢いのまま、青金蟹の鋏は襲い掛かる悪意に向けて、子供が棒を振り回すように叩き付ける。頭目が咄嗟に持った小振りの刃物で防ごうとしたのが見えたが、ほんの少しの抵抗を生むだけだった。


 手に伝わる、感触。

 皮膚を切り、肉を裂き、骨を断つ。あまりに抵抗が無い、こんなに、こんなに呆気ないのか。でもそこにある、初めて生命を奪うその感覚を、俺は一生忘れられないだろう。


 頭目の身体の、俺が青金蟹の鋏でなぞった線から血飛沫が迸り、走り込んだ勢いのまま袈裟上に上半身と下半身が崩れ落ちる。


「あ、あぁ……」


 息が漏れるように、頭目が呻いた。いや、それは俺の声だったのかもしれない。


 目線を下ろす。石畳には一人の人間の死体が、あった。どのような形であれ、さっきまで確かに言葉を交わしていた人間の死体が。


「マコト、大丈夫だよ」


 リィンの声がすぐ背後から聞こえる。あやすように背中を撫でてくれていた。


「……ありがと、マコトくん」


 ぽつりと呟いたアリスの声が優しく響いた。


 自分が痛いくらいに青金蟹の鋏を握り締めていた事に気付く。手が震えてる、いや、膝も笑っていた。シャツが汗で濡れて身体に張り付いているのが分かる。胸が苦しい、息も荒い。


 そうして、改めて実感する。

 俺は、人を殺したんだな、と。


 ◆◇◆◇


「ふぅ……」


 俺は風呂に入ってなお重い身体を、客室のベッドに預けた。時刻はもう真夜中、月も大分西空に傾いていた。


 あの後、俺達は生存者を連れて、ファスタリアへと帰還した。冒険者ギルド経由で、街の警備隊に連絡が行き、一時騒然となった。


 追い剥ぎ達はこの街道沿いで何度か犯行に及んでいたらしい。送った物品や人材がファスタリアに届く事無く消えた事が何度かあり、冒険者ギルドにも護衛の依頼や原因究明の依頼が入ってきていた、とサルナンが言っていた。それが今回、こういう形で解決するとはサルナンも思っていなかったらしい。


 生存者は六人、三台の荷馬車に何人もの護衛を付けて街道を渡ろうとしていた時に、いきなり魔物達がその身を挺して荷馬車を止め、その横合いを追い剥ぎ達に襲われたらしい。

 御者や下男、傭兵達は皆殺され、乗っていた商人の男とその家族の娘達、そして従者として扱われていた獣人が残った。


 命を助けて頂いて有難う御座います、と商人の男に何度も御礼を言われた。尖った猫耳の獣人の娘も、殺されるかと思った、と余程怖かったのだろう、泣きながら御礼を言われた。


「命を助けて、か」


 俺は、何とは無しに呟いた。なんと重い言葉なんだろうか。結果として人を助けた、でも人の命を奪った事も事実だ。それを天秤に掛けるか、という問題では無い。


 その事に後悔は無い。やらなければやられた、という極限状態では無く、俺は自分の意思で選択をした。青金蟹に命じ、そして最後は自分の手で。


「後悔はしてない、んだけどな」


 武器を持って、この手で人を切り捨てた感覚。思い出すとまた震えてしまいそうになる。それは、言ってしまえば未知なる領域に踏み込んだ恐怖だ。禁忌を犯してしまった、とも言えるかもしれない。

 前の世界に居た時は、例え言葉にする事があったとしても誰も実際に行動を起こす事など無かった、人を殺すという行為。


 俺はこれに慣れるのだろうか。慣れていかなければならない、のだろうか。


 布団の上で纏まらない思考に、眠りに付けずぼーっと天井を眺めていると、とんとんと扉をノックする音がした。こんな夜更けに誰だろうか。


「マコトくん、起きてるー?」

「アリス? どうした?」

「マコトくんが眠れてないんじゃないかなーと思って、良く眠れるお茶淹れてきたんだー。入って良い?」

「有難う、今開けるよ」


 起き上がり、扉を開けると桃色の寝巻き姿のアリスが居た。薄桃色の髪はまだほんのり濡れていて、いつもの金色の片眼鏡では無く、家用の黒縁の眼鏡をしていた。


「ふふー、有難うね」


 アリスは柔らかく微笑む。溢さないように、慎重にティーポットとカップを二つ携えて、そのまま客室に備え付けてあるテーブルの上に置いた。


「きっと一人で考え込んでるんじゃないかなーなんて思ってねー?」

「……アリスの言う通りだよ、寝付けなくてね」

「やっぱり」


 こぽこぽと二つのカップに注ぐと、柔らかな材質の二人掛けのソファーにぽすんと座る。


「はいどうぞ」


 アリスからカップを受け取る。甘いリンゴのような香りがした。ベッドの縁にでも座ろうかと思っていると目線の合ったアリスがぽんぽん、と隣の座る所を叩くので大人しく従う事にする。


 アリスからふわっと、甘い花の香りがした。女の子の香りだ、と思うと少し、鼓動が早くなる。


「ふふ」


 知ってか知らずか、アリスが可笑しそうに微笑んだ。その笑顔に何処かほっと心が安らいだ気持ちで俺はアリスの淹れてくれたお茶に口を付けた。甘めの香りと少し苦さの混じった味で、俺は思わずほぅ、と息を吐いた。


「今日は有難うねー」


 カップの中身を見つめたまま、アリスは呟いた。


「いや、俺は何もしてないよ」

「そんな事無いよ、マコトくんが手伝ってくれなかったらもっと時間掛かってたしー、それに」


 アリスの薄暗い水色の瞳が、俺を見詰める。


「怒ってくれて、嬉しかったんだよ」


 その瞳に吸い込まれそうになる。まるで夜の始まりのような、静けさを称えた深い青だ。


「アリスの事を貶されたんだ、怒りもするよ」

「……そっか、そういう事言ってくれるんだね、マコトくんは」

「俺を止めたリィンも相当頭には来てたと思うな、あれは」

「あはは、うん、そうだねー、リィンちゃんは表には出さなかったけど今にも手を出しそうだったもん」


 ほんの数刻前の血生臭い出来事ではあったが、こうして笑う事が出来るのはアリスのこの明るさのお陰かも知れない。


「だからかな、私も怒っちゃったんだー。あのおじさんが馬鹿な奴らだ、なんて言うから。私の大切な人達を馬鹿にされたから」


 そういう事か。初めて俺がアリスに会った時にもアリスに敵意を向けられた事はあったが、今日のアリスは比べ物にならない位だった。あれは、本当にアリスが怒ったからか。


 アリスは自分が少し強張った顔をしていたのに気付いて、あはは、と誤魔化すようにお茶を飲んだ。


「こんな日に、ううん、こんな日の夜だからなのかもしれないけど」

「うん」

「マコトくん」


 アリスは覚悟を決めたように、少し泣き出しそうに、何処か苦しそうに。

 それでもまっすぐと俺を見詰めるその顔は、


「私の昔の話、聞いてくれる?」


 微笑んでいるように見えたんだ。

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