020.『これからを歩む為の覚悟』
「突撃と同時に、ボクとアリスを飛び降りる」
「了解だよー、皆、おいでー」
行きの行程よりも幾分揺れが激しくなった荷台で、手早くリィンが指示を出す。飛竜の尻尾の棘で作られたという、抜身の細剣が微かな街灯の灯りに怪しく反射する。
アリスは仲魔達を呼び寄せると、三つ足の鴉のラウムは左肩に、仔竜のファフは右肩に、スライムのブエルは左太腿に、白蜘蛛のアラネは右太腿に、それぞれ定位置のように収まる。
元々だぼっとした上着にショートパンツという軽装な格好のアリスだが、まるで生きた装備品を身に付けたかのように装いが変わる。
二人とも、完全に戦闘をする気だ。荒れ狂う魔物と戦う時と同じように、追い剥ぎ達を、人間を殺す気でいる。
「お、俺は」
「マコトはそのまま乗ってればいい」
「お馬さんが止まってから、のんびり来ればいいよー」
戦力としては考えられてないのは当たり前だ、俺はまだ何一つ戦闘として訓練を受けてない。リィン達に合わせて飛び降りた所で無様に着地を失敗して怪我して戦線離脱、なんて情けない事も十分に有り得る。
それよりも、人間を相手にしなければならない。それが二人の一番の理由だろう。
俺は人間を傷付ける、最悪殺さなくてはならないという状況を想定していなかった。何処かで前の世界の常識で物事を考えていた。
魔物だけじゃない、生きた人間、同じ血の通った言葉の通じる会話が出来る、そういう相手を殺さなければならない事を考えていなかった。
いや、ダメだ、これはただの言い訳だ。
考えてなかったから出来ない、なんて言ってる内に何か起こってしまっては遅い。その最後の一線を超えない事で守れる物は自分だけだ。
それでリィンを、アリスを守れると思っているのか。
リィンやアリスに、守って貰えればそれでいいと思うのか。
そんなお荷物で、本当に二人と一緒に冒険が出来ると思っているのか。
そんな覚悟で、本当にこの世界を生きていけると思っているのか。
「俺も、戦うよ」
決意して出した声は、思ったよりも震えていて弱々しかった。
「いいの?」
「ああ」
何か言わないと、と思っても二の句が出てこない。喉が張り付いて、思考が纏まらない。それでも。
「俺も、仲間だからな」
俺は自分勝手だ、人でなしだ。いや、そう考えるのはこの世界ではおかしいのかもしれない。そうだとしたら、俺は今、本当にこの世界の住人になったのかもしれない。
リィンとアリスと同じ位置に立ちたい、二人に守られるのでは無く、守り合いたい。
その為に、全く知らない、恨みも無い人間の命を奪おう。
そう思えるようになった俺が、確かに居たんだ。
「分かった」
ただ一言、でもそのリィンの声が優しい響きを称えていたように感じたのは俺の気のせいだっただろうか。
「マコトは突撃した後、あの蟹を召喚して。そのまま、一緒に歩を進めて残党を狩って欲しい」
「ああ、分かった」
「私達の方で上手く合わせるから、マコトさんは気にせず戦って下さいねー」
「多分、追い剥ぎ達は魔導具で魔物を従えてる」
「私のように自主的に、じゃない、強制的に魔物を隷属させる道具の筈だよー」
「それは、壊せば良いのか?」
「壊せればそれに越した事は無いけれどー、それを優先的に守るようにも命令されてる可能性があるねー」
「手加減は要らない、殺せる時に殺さないと自分が殺される。それは魔物も、人間も同じ。分かった、マコト?」
「ああ、俺に出来る事は一つしかないって事だな」
自身の無力さを思うと何一つ為せる事が無くなってしまう。だからこそ、俺はもうたった一つしか出来ない事を強く、強く思った。
そうして殺す為の算段が付いた。
「マコト、これだけは言う。ボクはこんな所で君を失いたくない」
「あははー、そうだよー! これから一緒に色んな依頼をこなすんだから。絶対に、死んじゃダメだよ……?」
二人は優しい。それは心配してくれている、という事でもあるし、言葉を選んでくれている。遠回しに、背中を押してくれている。
冒険者という職業は、血生臭い事と切っても切れない関係だ。ランクが上がれば上がる程に、増えていく事だろう。もしかしたらリィンもアリスも、いつかはこういう事態が訪れる事を予想していたのかもしれない。
それが今日だった、というだけの話だ。
「ああ、任せとけ。死なないように頑張るよ」
俺は強がって、笑おうとした。頬が引きつって、上手く笑えなかった。
「サルナンも、マコトの依頼を待ってる。グレンもホールもそう」
「うん、そうだよー! 皆、マコトくんに会いたがってるんだから! 終わったらまた打ち上げしようね」
「これからを生きる為に必要な事。どうか迷わないで、マコト」
二人の言葉が、ふと日常を呼び起こす。まだ一日しか経ってないこの世界で触れた、暖かさ。優しさ。
そうだ、こんな俺にも『これから』が待っているんだ。
震えが、止まった気がした。手に、力が戻ってくる。息はもう、苦しくない。
「行くよ」
リィンが命ずると、骨で形作られた首無し馬は体を震わせて声無き声を上げたような気がした。
俺達を乗せた『首無し騎士の荷馬車』が、大きく蹄を鳴らして石畳を踏み抜く。夜の帳と共に訪れた静寂に、戛々と高らかに音を響かせて、追い剥ぎ達に襲われている荷馬車へと向かっていく。
幾つかの荷馬車に群がる追い剥ぎ達も此方に気付いて慌てて体勢を整えようとしているのが見えた。燃え盛る荷馬車の明かりは頼りなく、はっきりとは姿は見えないが皆装備もバラバラで浮浪者のようにも見えた。人の形をしていない影は魔物だろうか。
追い剥ぎの何人かが矢を番え、俺達に向かって射出した。身体が骨で出来た馬は何の痛痒も感じていないようだった。荷台の縁を盾にしている俺達までは届かない。
骨馬は勢いを落とす事なく、駆ける。
怒号が聞こえる。背中を向けて逃げ出そうとする追い剥ぎ達を、無慈悲に踏み潰そうと骨馬が追い掛けて前脚を振り上げる、その瞬間、
「アリス」
「うん、リィンちゃん」
荷台の縁に足を掛け、二人は宙に舞った。純金と薄桃が闇夜に煌めく。まるで重力を感じさせない、ふわりと少しの滞空。
炎に照らされた二人の姿は、ただただ綺麗だった。
「ぎゃあっ」
「ひいぃ、あ、ああぁ」
次の瞬間、衝撃。
たっぷりと水気を含んだ果物が強い力で潰れる音と、硬くて薄い陶器を踏み砕いたような感覚が荷台の床越しに伝わる。
それが骨馬が人間の身体を容赦無く壊したからだ、という事実に背筋がぞっと粟立つ。つんと、鉄錆のような匂いが鼻に付く。
ああ、これが、今から俺が飛び込む世界の音、匂いだ。
「なんだてめぇら!!」
「ガキじゃねぇか! やっちまえ!」
「ぐぁあ、いてぇ、いてぇ」
「うううう、がぁあ」
口々に喚き出す追い剥ぎ達の声を背中に、俺は骨馬が足を止めるのを待った。骨馬はその身に乗った勢いを無理に止める事はせず、ゆっくりと減速しながらリィン達から百メートル離れた街道でその歩みを止めた。
荷台に足を掛け、ゆっくりと飛び降りる。先程の二人のようには行かないが、街道の石畳へと足を着ける。骨馬は微動だにせず、ただぼんやりと空席の荷台を持て余しているようだった。
俺は街灯の明かりの下で、ゆっくりと右手を振り上げる。
「『異界召喚:青金蟹』」
右手に嵌められた瑠璃色の指輪が応えるかのように熱を持つ。目の前の空間が、まるで自分の見ている視界だけがブレたように歪み、その歪みが大きくなったかと思うとその歪みの先にゆっくりと瑠璃色の体躯が姿を表す。
頼もしい背中は相も変わらず、その大振りの鋏は記憶に新しい。全身を硬質な鎧に身を包んだ青金の騎士だ。
「『武装顕現:青金蟹の鋏』」
更に俺は呼び寄せる。目の前で佇む青金蟹の、全てを断ち切る鋏を用いた片手剣だ。中空に浮かぶ柄を右手で握ると、吸い付くような手触りとずっしりとした重さが腕に伝わる。
これを手にする事で、何が出来るのか、何が起こるのか。この戦いが終わった時、この剣の重さは増しているだろうな、と思った。
「行こう」
青金蟹を先頭に、はやる気持ちを抑えつつ交戦地帯へと近寄る。石畳は相変わらずに歪み無く広がっていて、かつかつと青金蟹の節足が音を立てる。
その歩みの途中、鈍い水音が上がる。
目をやる必要も無い。見なくても分かる、人間の死体、それも千切れかけだ。骨馬の車輪に引き摺られたのだろうか、真っ直ぐと血の道を作り、壊れた人形のように放り捨てられていた。
暗がりで本当に良かった。
すれ違う瞬間、人の汗と垢の饐えた臭いに恐らくまだ暖かいであろう血と臓物の鉄錆のような匂いが混ざった香りが鼻腔を掠め、急に胃の中が反転しかける。
この匂いは、終わりの匂いだ。人間が終わってしまった匂い。この匂いを嗅ぐ状況、それ自体が俺自身の終わりを感じさせたのか、身体が勝手に反応する。
だが、嘔吐きそうになるのを無理矢理飲み込む。こんな所でヘタれているのなら最初から来なければ良いんだ。それを承知で来たんだ。だったら、こんな所で足を止めてる暇は無い。
俺は足の裏に感じる仄暗い黒い体液の感触を無視しながら進む。リィン達の姿も見えてきた。
リィンは死んでしまった荷馬車の護衛や追い剥ぎ達を『不死の呼び声』で使役し、物量をカバーすると同時に、自身もその不死者の軍勢の勢いに混ざり、すれ違いざまに喉元を切り開き、心の臓を指し貫く。屍が屍を生み、生きている物が居なくなるまで増え続ける。
アリスはもっと単純だ、蹴って、飛び跳ねて、殴る。どこにその怪力が眠っているのか不思議に思う程、蹴られた箇所は不自然に折れ曲がり、殴られた箇所は陥没する。耐え切れずに石畳に倒れ込む追い剥ぎ達に仲魔達は容赦をしない。糸で、爪で、牙で、酸で、ありとあらゆる凶器を用いて息の根を止める。
骨馬での強襲から二人による奇襲に翻弄され、追い剥ぎ達はまだ立て直していないようだった。仕事を終える間際、突然の乱入者に面喰らったと言えばそうだが、それ以上に二人が圧倒的だった。
「魔物をけしかけろ! 使い潰しても構わねぇ、一気に行くぞ!」
一回り大きく、他の者達よりもしっかりと装備を纏った男ががなり声を上げる。
首輪の付けられた熊のような魔物と二足歩行の豚のような魔物が数体、明かりの中に躍り出る。
呻き声に何処か、痛みを堪えるような悲痛さを感じた。何かしらの方法で従えた魔物達を無理矢理盾に、一気に押し潰すつもりだ。
「インガバラット」
見上げる程に大きいその甲羅。俺の唯一、暴力に抗う為の武器。傷一つ無い、硬質な殻に触れ、押し出すように、振り絞るように命令を出す。
「俺達を邪魔する者をーー殺せ」
青金の騎士は応えるようにゆっくりと体を開き、その大振りの鋏を振り上げる。つぶらな黒い瞳が、真っ直ぐと敵を見据えた。
俺はもう、安寧と平穏に満ちていただろう前の世界には戻れないな、と強く思った。




