019.『ハイウェイマン』
ギルドに戻り、寝起きのサルナンに指示されて必要な情報を得た俺達はそのまま冒険へと向かった。目指すはファスタリアから歩いて数時間程の元鉱山だ。名前をワーン鉱山という。
大昔に採掘が行われていたそのワーン鉱山は、掘り出された岩石を魔法で砂に変換して辺りに散布していたらしく、その麓一帯は砂丘が出来ているらしい。そこの砂が良いでしょう、とはサルナンの言葉だ。
「はー、やっぱり帽子は疲れるねー」
リィンの呼び出した『首無し騎士の荷馬車』の荷台で、アリスは丸型の帽子をバサっと取った。しまわれていた桃色の兎の耳がぴょんと伸び、労わるような手付きで撫でる。
街中では目立たないように隠しているので、こうやって人気の無いところにくると羽を伸ばせる、いや耳を伸ばせるのかもしれない。
「その耳って、痛くならないのか」
「勿論、長い時間しまいっぱなしだと痛くなるよー、こう見えてもデリケートな部分なんだよー?」
「体の一部だもんな……」
「柔らかくて、意外と冷たい」
「ふふふ、マコトくんも触ってみるー?」
兎耳をぴこぴこと揺らしてアピールしてくるアリス。そのふわふわの毛皮に包まれた兎耳の誘惑は抗い難い。
「じゃ、お言葉に甘えて」
俺はそっとアリスに手を伸ばす。きょとんとしたアリスの視線を受けながら、なるだけ優しく兎耳に触れる。
おお、これはまさしくもふもふだ。根元は特にもふもふ感が強い、伸びている所は少し硬く、確かに、ほんのりと冷たい。熱いものを触った時に、自分の耳たぶで冷ますような感じなのだろうか?
「凄い、もふもふだ」
「あー……うん、ブラッシングは欠かさないしねー」
「力具合は平気だったか? 痛くないか?」
「そのー、それは大丈夫だけど、マコトくん、気持ち悪くない?」
「え、なんで?」
「あー、そっか、マコトくんにこの世界の常識は通用しないんだった」
「獣人族は人間族と違うから、接触する事自体厭う事が多い」
多分アリス的には冗談のつもりだったんだろうけど、俺が何の抵抗も無しに触ったから驚いてるんだな。しかし、幾ら人と違うからって触れるのが気持ち悪いとか、そういう考えになるものか、普通。
「全然、寧ろずっと触っていたいくらいだよ」
「ず、ずっとは流石に……困っちゃうかな、あはは……」
実に見事な触り具合だと伝えると、アリスは顔を真っ赤にして俯いてしまった。丁寧に手入れをしてるんだ、自信を持って良い兎耳だと思う。
「アリスを困らせない」
何故か無表情のリィンに足を踏まれた。そんなに痛くは無かったが。
「しかし、俺の依頼は砂集めとして、二人の依頼は暴れてる魔物の討伐か……」
「討伐は結果として遭遇したら。とりあえずの建前は調査」
「人里離れてるから、それ程迷惑になってる訳じゃないしねー。どちらかというと、どうして暴れ出すようになったのか、その原因を探りにきた感じかなー?」
「その場合って、どういう原因が考えられるんだ?」
「基本的に魔物は行動可能範囲がある。それを超えての行動となると限られてくる」
「例えば、その群が増え過ぎて食糧の確保が難しくなって、とか。食い扶持が増えれば、狩りの範囲も広くなるからね、昨日の取り憑く犬みたいに」
魔物、という言葉の響きだと何処も彼処も荒らして回ってそうなイメージが付いてしまうが、意外と理由は現実的だ。
「急に気分で暴れ出したりする事は殆ど無いのか」
「絶対無い、とは言えないけど、何かしらの理由が普通はある」
「魔物も言ってしまえば動物だからねー。勿論知性はあるんだけど」
「野生は無益な争いはしない」
「お腹が減ってなければ襲われる事はまず無いし、領域を犯さなければ攻撃をされる事も無いんだよー。それでも倒しに行くのが冒険者だけども」
ただ暴れている魔物を倒せばいい、なんて思っていたが、もっと根っこの部分での修正が大事なんだな。
「マコトの考えてるのも分かる、倒せば結果として解決する事ではある」
「そういう対処療法もあるしねー、でも今回はそうじゃないってだけで」
「はー……自分の浅はかさを知ったよ」
「そっちはボク達の依頼。マコトは自分の依頼に集中して」
「遭遇したら倒さなきゃいけない訳だし、そうでなくても魔物達の棲み家を通る訳だからね」
リィン達に言われて、俺は気を引き締めた。昨日のように襲われたから、では無く、自分からその危険に向かわなければならないのだ。
暫く街道を走っていると、途中で森の方へ続く横道を見つけた。地図を見るにそこから鉱山に登るらしいが、今走っていた街と街をつなぐ街道のように綺麗に舗装されている訳ではなく、草は伸び、石畳も所々欠け、何とも寂れた道だ。
元鉱山、という事は過去に栄えていた時はさぞ往来も多く綺麗に整えられていたのかもしれないが。
左右を鬱蒼と生い茂った木々に囲まれながら緩やかな坂道を登る事小一時間、開けた視界に伐採された斜面が見える。
「ここが、ワーン鉱山かな」
そこは開発途中で放り出されたような、山奥のベッドタウンのようにも見えた。目に見える木々は切り倒されて丸坊主にされ、魔法で固められたのだろう、混凝土のような石壁で覆われている。大きなトンネルのような大穴がぽっかりと空いていて、恐らくそれが鉱山への入り口か。
至る所に広がる砂は、そこだけ砂丘にでもなってしまったかのように広がる。悠に野球場を飲み込んでしまうくらいに広大だった。落ち掛けた赤い夕陽に照らされて、きらきらと細かな輝きを見せる。
「こんなに大きな鉱山だったのか」
「大昔はよく鉱石が取れていた、と聞いた」
「今じゃ誰も訪れないんだけどねー、鉱山の中は魔物の巣窟になってる可能性もあるねー」
『首無し騎士の荷馬車』から降りて、その砂を踏み締める。きゅ、と踏む毎に音を立てるその砂は、手で掬うとそのきめ細かさがよく分かる。
「鳴き砂って奴か」
「歌う地面、なんて呼ばれていたりもする」
「あはは、何だか歩くの楽しくなるねーこれ」
「こういう風に鳴く砂は、汚れが少なくて砂粒が綺麗に揃ってたりするんだとさ。俺の昔いた世界にもそれが名物の場所があったんだ」
アリスの連れてる魔物達も、アリスが楽しそうに歩いてるのを見てわざわざ地面を歩いてぺたぺたと足跡を付けている。スライムのブエルは水分を奪われてしまいそうだけど、大丈夫か?
「さて、どれくらい持っていけばいいかな」
「足りないよりは多い方がいい」
「あそこの小山一つ分くらい?」
「入る?」
「やってみないと分からないけど、絨毯大咬蛇が入るんだから多分平気かな」
冒険者ギルドの訓練所自体は確かに広いし、複数箇所それぞれ用途に合わせて分かれていたが、アリスの指した小山で十分足りてしまいそうだ。
俺は砂の山に近寄ると、その一辺に手を置き、異世界リュックに収納する。
手の中に吸い込まれるイメージを浮かべると、ゆっくりと砂の丘が端から崩れるように消えて行き、気付けば見上げる程だった砂山も全て収納されていた。自分でも手慣れた物だ。
「ホント、よく入るね……」
「まだ余裕ある?」
「多分、だけど。まだまだ入りそうな気配がするよ」
「マコトくんが本気を出せば、家とかも収納出来ちゃいそうだねー」
「川の水を大量に収納して、砂漠にオアシスを作る事も出来そう」
「自分の物ながら本当よく入ると思うよ」
リィンもアリスももう慣れたもので、いちいち驚いたりはしないけれど、やはりその容量の多さには驚いているようだ。
「俺の依頼は終わったけど、二人の依頼はどうする?」
「まずは先に砂を届けに行く」
「私達のは期日に余裕あるしー、先にマコトくんのから終わらせるのがいいかなー?」
「そっか、無理に今日の内に終わらせなくてもいいのか」
「そういう事」
二人は下見に来たようなものだ。今度からちゃんと依頼を確認しておく癖をつけた方が良いかもしれないな。
「暗くなる前に帰る」
「夜行性の魔物も多いしー、無理をしないのも冒険者の秘訣だよー」
「分かった」
目的を早々と済ますと、止めておいた『首無し騎士の荷馬車』に乗り込んだ。初めて見た時はインパクトがあったが、何も言わずにじっと待っているこの骨の馬も可愛く見えてくるから不思議だ。
来た時と同じように木々の間を抜ける。日が落ち掛けているからか、木々の影が長く伸びて何処となく不安になる。こんな見通しの悪い所で横合いから襲われたら堪ったものでは無い。勿論、リィンもアリスもその魔物達もいるから例えそうなったとしても問題は無さそうだ。
漸く街道に出たその時、リィンが静かに骨の馬を止めた。
「どうした?」
「血の匂いがする」
「……誰か、襲われてるみたいな音がするねー」
リィンが暗闇の先を見据え、アリスが兎耳をぴんと伸ばす。今まで安全だと思っていたこの街道でそんな事が、と辺りを見回すと、街道の先に赤く燃える何かが微かに映る。ファスタリアとは逆の方向だ。
「魔物に襲われたのか?」
「……人間、でも魔物もいる」
「あれは追い剥ぎ、だねー?」
「魔物が暴れ出した原因かも」
「追い剥ぎが?」
「マコトくんには言ってなかったけど、暴れ回る原因に周囲の力関係が崩れて起きる事もあるんだー」
「悪意ある人間が辺りに居を構え、周囲の魔物を排除したり従えて人を襲わせる事で勢力図が塗り変わった可能性が高い」
「街道で実際に襲い掛かってるのを見ると、放っておくと被害が増えちゃうかもー?」
「大変だ、た、助けに行かないと!」
どうやら襲われているのは大きな荷馬車だ。馬は切り離されたのか姿は見当たらない。燃え盛る松明の周りには同じ装備をした人間が数名倒れている。死んでいる、のか。まだ息があるのか分からない、けれども今なら助かるかもしれない。
その荷馬車に手を掛けている何人かの男達がその惨状を作り出したのだろう。
「そうだねー、やっちゃおうかー」
「依頼を抜きにしても、蛮行は止めるべき」
ゆっくりとリィンは細剣を抜く。飛竜の尻尾で作られた、と言う細剣は暗闇の中でもその存在感を失わない。アリスに付き従う魔物達も、アリスの両肩や両脚にしがみ付き、いつでも飛び掛かれる体制だ。
「マコト、無理は禁物」
「マコトくん、無理しないでいいから、ね? 出来る範囲で手伝ってくれたらそれでいいからー」
「あ、ああ」
二人の気遣いが何を指すのか、分かった。
俺の身体が、震えていた。
今まで俺は冒険者とは魔物との戦いだけが全てだと思っていた。でも、実際はそれだけじゃない。同じ人間同士で殺し合う事だってある。
事実、今誰かが襲われている状況は、既に話し合いで済む段階では無い。凶行を止めるには、血を流させる以外もう無い。
人を傷付ける事が、俺に出来るのか。
俺は、人を殺せるのか。
「このまま奇襲を掛ける」
「あいあいさー」
リィンが合図を出すと『首無し騎士の荷馬車』は一気に加速した。




