017.『岩妖精のグレン』
冒険者ギルドの賑わいを背中に、俺はリィンとアリスに連れられてファスタリアの街中へと歩みを進めていた。太陽が昇りかけの頃合いの大通りは、冒険者ギルドにも負けないくらいの賑わいがあった。
主だった露店には食料品が並ぶ。前の世界に似た果物や野菜、肉といった原材料からそれを使った料理。それを買いに来る主婦も居れば、依頼前の腹拵えなのか、使い込まれた椅子や机に腰掛けて食事をしている冒険者達の姿もある。
惹かれる光景ではあるものの、俺は二人とはぐれると右も左も分からない状況の為、横目でちらりと見る程度にしておく。因みに先頭を歩くのは黒色のフードを被ったリィン、続くのは丸い帽子で兎耳を隠したアリスの順番だ。
「また後で案内してあげる」
「バレてたか」
「さっきからチラチラ見渡しながら歩いてたら、分かるよー」
後でと言われて自制が出来ない程、子供ではないので俺は大人しく付いていく。アリスの頭を飛ぶラウムやファフと目が合うと、どんまい、とでも言いたげに鳴いた。
「そういえば、どんな所なんだ? 装備を整える場所って」
「一言で言えば工房」
「武器や防具を売っている所はこの街にも幾つかあって、それこそ露店にだって並んでる時はあるけどー、今行く所は私達の行きつけみたいな所かなー」
「装備を仕入れて売る商店じゃなくて、装備を製作する場所、だから工房」
「それはまた、凄い所だな」
気付けば、大通りを離れて細道を何本か曲がった、閑静な場所へと着いていた。民家はあるものの中央の密集した立ち方では無く、隣の家との間が空いているように疎らに建っている。
その中で一つ、煙突の付いた大きな建物があるのに気付く。もくもくと煙を吐いている所を見ると現在稼働中のようだ。もしかしてあの建物か?
「ちょっと変わったご夫婦だけどねー」
「腕は確か」
そんな二人の言葉に期待半分、不安がもう半分。一体どんな人が待ち受けているのか。
飾りはシンプルな分厚い木造の扉を、リィンは軽々しく押し開ける。
「いらっしゃいませー」
壁際に様々な装備が鎮座する部屋の中、奥には木製のカウンターがある。そしてそこに、随分と小柄な白髪の女の子が居た。現代で言うツナギのような橙色の作業服に、赤色の厚手のエプロンを掛けていた少女は、俺達を見ると柔らかく微笑んだ。
「あらー、リィンとアリスじゃない」
「グレン、久し振り」
「グレンさーん、お邪魔しますー」
その女の子、グレンはカウンターからわざわざ出迎えに来てくれた。まるで探していた宝物が見つかったかのように目を輝かせているようにも見える。
「聞いたわー、絨毯大咬蛇を討伐して持ち帰ってきたんだって? しかも状態がかなり良いままに!」
「あはは、流石グレンさん、耳が早いねー」
「それはそうだわー! 久し振りに思う存分に腕を振るえる仕事が来ると思ったらもうわくわくしちゃって! ねぇ、リィン、出会った絨毯大咬蛇は凄く大きかったって聞いたけど、どれくらいの大きさなの? 鱗の状態は? 牙の鋭さは? 現物はあるの、持ってきたの?」
「グレン、近い、離れて」
まるで子供が親に質問攻めをするような怒涛の勢いで近寄るグレン。流石のリィンも勢いに押されて、いつもより反応に困っているように見える。
「あら、其方の方は?」
「ボク達のパーティの新人。昨日冒険者登録したばかり」
「どうもマコトです、始めまして」
「ご丁寧にどうも、私はこの『竜の宝玉』工房の店長、グレンと申しますわ。以後お見知り置きを」
優雅にエプロンの裾を摘んで、まるでドレスを着ているかのようにお辞儀をするグレン。店長……店長!? この見るからにまだ二十代にも満たない容姿のこの子が!?
「ふふふ、こんな子供が、と、お思いですか?」
「正直に言えば……はい。ご夫婦で経営していると聞いていたので、てっきりお子さんかと」
「あら、マコトはお上手ね、私もまだまだいけるかしら?」
「その言い方が年寄り臭い。グレンは岩妖精だから、人間よりも背丈が小さい」
「岩妖精の女性は人間で言えば、子供の姿のまま歳を重ねる事が殆どなんだー。だから見た目が若くても実際は」
「アリス、歳の話は女性には禁句だって教えなかったかしら?」
グレンはその細腕でアリスを抱き寄せるとぎゃあ、と悲鳴を上げて大人しくなる。昨日あれだけ肉食獣も裸足で逃げ出すような鋭利な雰囲気を醸し出していたアリスも、自身より強い肉食獣に絡まれれば服従せざるを得ないのだろう。
「『口を開くのは酒を飲む時だけで十分だ』、岩妖精の格言の一つよ、全く」
「うぇ、分かった、分かったからー!」
「二人とも遊んでないで。今日は製造依頼に来た」
「あらー、やっぱり。件の絨毯大咬蛇の素材かしら」
「マコト用の鱗鎧を作って欲しい。後は武器も少し見せて。欲しがると思って剥がれた鱗だけは持ってきた、残りの素材はまた後で。出して、マコト」
依頼の話を聞いてすぐさまアリスを解放するグレンに、俺は異次元リュックから絨毯大咬蛇の鱗を取り出し、手渡した。
目を輝かせて、弾むような足取りでカウンターに戻ったグレンは、幾枚か鱗を取り出してまじまじと見入る。
「待ってたわ! これが噂の……確かに、この鱗の大きさは、かなりの大物だったみたいね」
「それ以前の目撃例に比べても、大きかった」
「辺りの生態系の頂点に立ってるみたいだったねー」
「状態は言わずもがな良し。硬度も詳しく調べてはいないけど、並みの金属よりは硬そうね。加えてこの軽さ! 元々鱗鎧は防御力を確保しつつ、機動性も維持する為のものだからうってつけね」
どこからともなく金属の棒やルーペのようなものを取り出して、表面を擦ったり、叩いたり、透かしてみたりと作業をするグレン。
「蛇だから角鱗型かと思っていたけど、この独特なおろし金のような鱗は楯鱗型に似ているわね。表面の材質が独特よね、周囲の物質を鱗に擦り合わせて同化させてるのかしら。よく見ると複数の違った性質の層で分かれてるわね、鱗の箇所に寄っての硬度の違いもある訳だからーー」
「あのー、グレンさん?」
「ーーとなると対衝撃用には表面はある程度削るべきかしら。変に引っかかって体勢が崩れる可能性もあるわね。いやー、恐るべきは絨毯大咬蛇の筋力かしら? となるとどの程度のーー」
「あはは……グレンさんはね、武器や防具をこよなく愛していてね? 魔物の、特に良質の素材に対しても凄い興味を示すの」
「こうなったら気が済むまでずっと弄り回すからとりあえず武器を見る」
「……いいのかな」
完全に自分の世界に入り込んでしまって尚且つ扉まで閉めてしまったようなグレンを放置する事にして、俺達は改めて店内を見渡す。
壁には様々な形状の武器が並び、そのすぐ近くにはプレートでどの素材を使ったか、どのような加工をしたのか事細かに書かれている。こういう説明って、読んでいるだけでも何だかわくわくしてくるから不思議だ。
一部屋だけかと思ったが、両隣の部屋にも出入り出来るようになっていてそれぞれに防具、どういう用途で使われるのか分からない道具などがそれぞれ展示してあった。これは全部売り物なのだろうか?
「この数を全部自作しているのか……」
「それだけの拘りがある。だからボク達も贔屓にしてる」
「自分の身を守るものだからこそ、信用出来る人に作って貰うのが一番だからねー」
「リィンやアリスも何か作って貰ったのか?」
「ボクはこの細剣。大型の飛竜の尻尾の棘を加工して作って貰った」
「私はこの服かなー? アラネの糸を紡いで作って貰ったんだー。ちょっとやそっとの攻撃じゃ破れないくらい丈夫なんだよー」
「アラネはそんな事出来るのか、凄いな」
アリスの右の太腿にしがみ付いているアラネの赤い目が輝いたように見えた。喜んでいる、のか。
「お陰で、グレンさんがこの子達を見る目がちょっと怖いんだけどね……生きた素材だと思われてないかなーなんて」
「……流石にそこまでの分別はあるんじゃないか?」
「彼女が自制効くように見えるの、マコトは?」
「出会ったばかりだから、ノーコメントにしておく」
しかし、魔物の素材を使った装備が多いのは確かだ。勿論金属によるものもあるのだが、この店は魔物素材加工によるものがメインなのかもしれない。普通の金属で作るよりも、色々な効果が付与されているのかもしれないな。
「マコト、武器はどれにする?」
「ざっと見たけれど、俺に使えそうな物があるのか分からないな」
「最初に持つなら多分どれも変わらないとは思うけど……私みたいに素手で戦うのもいいとは思うし」
「アリスは先天的な素質があるからいい、でもマコトには向かない。体術の鍛錬にはなるけど」
「訓練だけは付けて貰おうかな。さて、どうしようか……」
牙を用いた大型の短剣。同一種の素材を組み合わせた長槍。複数の素材の良いところを組み合わせた斧。それぞれ説明書きのプレートを見つつ、自分がその獲物を振るう事を頭の中で想像してはみるものの、どれもしっくりと来ない。
記憶が曖昧な上に、これまでの人生の中で恐らく武器を振るうという経験が無い俺には、そもそも争い事の経験が無い。見たのは、この世界での出来事。
リィンが強く踏み込んで細剣を突き刺す姿、アリスが跳ねるように蹴りを繰り出す姿。絨毯大咬蛇での死闘だ。
その凛々しい姿は鮮明に覚えているものの、それが自分に出来るようになるか……。
いや、違う。一つだけ、もう一つだけ、覚えている姿があった。
板金鎧のような頑丈さの体躯。身体を支える、八本の節足。振りかざした右腕に備えられた大剣の如き大鋏。自分より巨大である大咬蛇に真っ向から立ち向かい、受け止め、そして一刀の元に断ち切った勇姿は、忘れられる事は出来ない。
そうだ、青金の騎士。召喚士である俺の、唯一行使出来る力。
あの雄々しき姿を思い浮かべると、何故だかしっくりときた。自分が召喚したからと言えばそうなのかもしれないが、あの強さに、一種の憧れさえ感じる。
そうだ、あの青金の騎士のように、剣を振るう事が出来たらーー
「ーーえ?」
急に、右手に熱を感じた。いや、正確には右手の人差し指にはめられた瑠璃色の指輪が、まるで主張するように熱を持っていた。
「マコトくん?」
「魔力を感じる、どうしたの」
「急に、この指輪が熱くなって」
異変に気付いた二人に指輪を見せる。リィンが手を指輪にかざして、何かを感じ取っている。
「契約の証から溢れそうな魔力の波動を感じる。マコト。何かした?」
「昨日の戦いの事を思い浮かべてたら、いきなり」
「絨毯大咬蛇とのー?」
俺は頷く。火傷をするような熱さではないのが救いだが、この反応は一体。
「具体的には、何を思ってたの」
「青金の騎士の、大鋏。これだけ魔物の素材を使った武器があったからさ、あの鋏を武器に使ったら強いだろうなって」
「蟹さんが呼んでるって事なのかなー?」
少しだけ考え込んだリィンは真っ直ぐと俺を見上げた。
「マコト、召喚してみて」
「ええ、ここで!?」
「蟹さんを呼び出すなら、流石に外に行った方が良いんじゃ……」
「もしかしたら、マコトの思いに反応しているのかもしれない」
「俺の?」
「契約された魔物は、契約者に対して何かしらの恩恵を与える事がある、と聞いた事がある。それがどういう形で訪れるかは分からない。でも、マコトが装備の事を望んでいたのであれば、もしかしたら」
二人の視線を受けて、俺はゆっくりと右手を前に突き出した。リィンの言葉に、何故か確信に近いものを感じたのだ。
体の奥底から、見えないエネルギーが溢れてくるほのかに暖かさを感じるそれは、魔力と呼ばれるもの。その存在を昨日よりも感覚的に、そして現実的に感じる。
この内に溜め込まれた魔力がある種の指向性を持って、腕を伝い、手首を通って、右手に集まり、人差し指にはめられた瑠璃色の指輪に流れ込みーー
「ーー『武装顕現』」




