015.『最初の朝は賑やかで』
ふと、意識が眠りの底から浮上した。こんな質感の布団だったか、と寝ぼけた頭でいつも枕元に置いてあるスマートフォンを弄ろうとして、伸ばした手は空を掴んだ。
「……あれ……?」
身体の下敷きにしちゃったか、それとも落としたか、と起き上がって確認しようとして、全く見た事の無い室内の様子に此処はどこだと冷や汗を掻く。が、すぐに思い出す。
「……夢じゃ、なかったか」
安堵とも残念とも自分でも分からない気持ちで溜息を吐く。異世界に来て、初めての朝である。
暫くぼーっとしていたがこのまま二度寝してしまうのもなんだか罪悪感があり、このやたらと豪奢な客室から出る事にする。ベッドから降りて室内用の履物を履き、向かう先は昨日宴会をした食堂にしておこう。眠気覚ましの散歩だ。
窓から日光が差し込む廊下をぺたぺたと歩く。この品の良い調度品の飾られた廊下には客間は幾つかあり、改めてこの屋敷の規模の大きさを実感する。二階のホール付近に近付くと大きな姿見があり、そういえば寝巻きのままだという事に気付く。俺が昨日まで着ていた服は海水でべとべとだった為、アリスが洗ってあげる、と言ってくれたので籠を預けたのだ。
……流石に寝巻きのままで外は出歩けないな。前の世界ではスウェット姿でコンビニ行く人も居たが、どうも人の目が気になって俺は出来なかった。小心者だ。
そんなどうでもいい事を考えながら手摺りすら見事な階段を降り、一階のホールを抜けて食堂に向かう。両開きの扉をゆっくり押し開けると、
「マコトくん、おはよー」
「早いな、アリス。おはよう」
昨日の酔い潰れた姿は何処へやら、アリスが椅子に座っていた。机の上には陶器のポットとカップが置いてあり、どうやらティータイム中だったようだ。昨日と変わらない、桃色に染めた柔らかい生地のだぼっとした長袖と短いズボンが可愛らしい。
「私は朝は強いんだー、あ、お茶飲む?」
「ああ、貰おうかな、カップはどこだろう」
「私が持ってくるからいいよー、まだ物の位置も分かってないでしょー?」
「そうだな。この食堂に来るのだって、正直迷いそうになったよ」
ちょっと待ってねー、とアリスは奥の台所から新しいカップを持ってきて、陶器のポッドからお茶を注いでくれた。対面に座って頂くと、嗅いだことは無いが良い花の香りがした。あっちの世界で言うところのハーブティーに近いな、でも口当たりも良くてどこかほっとする味だ。
「初めて飲んだけど、美味しいよ」
「ふふふ、口に合って良かったー、私のお気に入りのお茶なんだー」
「良いのか? 頂いちゃって」
「いいよー、珍しいものじゃないしねー。これからはこうやって一緒にお茶する事も増えるだろうし、遠慮しなくていいからねー!」
カップの取っ手を摘みながら、優雅にお茶を嗜むアリスは微笑んだ。つられて俺も笑ってしまった。まさかアリスからそんな事を言われようとは。
「せめてカップ位は用意出来るようにならないとな」
「後でちゃんとハウスの中を案内しないとねー」
これから俺と一緒に生活する事を肯定的に受け止めてくれているようで嬉しい。出会った時は返答を違えば殺されるのでは、と思う程度には敵対心を抱かれていた、そういう面もある事にはあるだろうが根は優しい子なんだろうな。
「あ、そういえば、昨日預かった服だけどそろそろ乾くと思うよー」
「本当か? 洗って干したにしては早過ぎる気が」
「それはねー……あ、乾いたみたいだよ」
ぴくっと兎耳が動く。あ、やっぱりそれは本物なんだな、思っていると食堂の扉が開いて、四匹の魔物が乾いた洗濯物の入った籠をそれぞれ持ちながら入ってきた。鴉や子竜は掴んだり抱えたり、蜘蛛の子は糸で巻き付けて背中に乗せてるからいいとして、スライムの子は何というか一人バケツリレーみたいな不思議な持ち方してる。
えーと、確か……。
「蜘蛛の子がアラネ、鴉の子がラウム、スライムがブエルで、竜の子がファフ……だった、か?」
「せいかーい! ちゃんと覚えてるなんてマコトくん偉いよー!」
まるで自分の事のように喜ぶアリス。各々の魔物達も名前を覚えていたからか若干嬉しそうに声高く鳴きながら、籠を一つ俺の傍に置いた。そこには昨日まで来ていた普段着が綺麗に折り畳まれた状態で入っていた。しっかり乾いていて、仄かな植物の香りがした。
「ふふふ、凄いでしょー?」
「……一体どうやって?」
「ブエルの体を洗剤代わりに洗って、アラネの糸を紐代わりに、プエルが吊るして風を送って、ファフが炎で乾かすんだー、四人の協力技だねー!」
えっへん、とでも言うように胸を逸らすアリスと魔物達。ファフなんかドヤッ、と鼻息荒くしている。何だかそれがおかしくて、つい俺は笑ってしまった。何だか今日は朝から笑ってばかりだな。
俺が有難う、と礼を言うと、ぎゃうぎゃう、かーかーと応えるように鳴きながらわちゃわちゃと押し寄せてくる。
「なんだなんだ!」
「戯れてるんだよー、これくらい朝飯前だ、だってー」
「熱烈過ぎるだろ!」
「あははは、こんなにこの子達が懐くのも珍しいんだよー?」
「オモチャと思われてる気がするけど……あー、うん、これからも宜しくな」
足に、背中に、肩に、腕にとしがみついて歓迎の意を表してくるこの魔物達。魔物というと昨日見た取り憑く犬や絨毯大咬蛇といった怖いイメージが付いて回るが、アリスに従うこの四匹の魔物は愛嬌がある。言葉は通じなくても意思疎通が出来るというか、感情表現が豊かなのが可愛いと思える。ちょっと直線的だが。
「おはよう」
「あ、リィンちゃんも起きてきたー。おはようー!」
「おはよう、リィン……少しは休めたか?」
「問題無い」
そうこうしている内に、リィンが食堂に現れた。黒のワンピース姿ではなく、既にもう闇夜のローブを羽織り、いつでも出掛けられる服装だ。流石に帯剣はしていないようだが、異空間収納箱はきっちり腰に備わっている。その顔はいつも通り、何も浮かべていない……いや、いつも通りと言える程、長い付き合いでは無いのだけどな。
アリスがいつのまにかカップを用意して、隣に座ったリィンにもお茶を振る舞う。カップを持ち上がるリィンも所作が洗練されていて、俺はつい背筋を正してしまう。
「今日はどうしようかー?」
「解体も済んだと思う、一度ギルドに顔を出しておきたい」
「受付の人が張り切ってたな、良い値段が付くといいが」
『魔物図鑑』で見た時に、名前の通り敷物としての価値があると表示されていた。かなり鱗や体に傷を付けてしまったが、上手く切り貼り出来れば高い値段も付くかもしれない。
「後は、マコトの装備を整えておきたい。これから冒険者として生きるなら、備えは大事」
「マコトくんがどういう武器を使いたいか、にもよるんだけど、どういうのが良い?」
「武器、か……そういうの持った事無いからな」
「ひとまず、防具だけでも良い。武器の習得には時間が掛かる。でも防具は分かりやすく身を守ってくれる。今なら絨毯大咬蛇の素材もある」
「あーそうだね、あのお邪魔蛇の鱗、大分頑丈だったし……鱗鎧にするの良いかも」
装備、を整える……しかも既製品では無く、自分専用か。その響きだけで、どうしても小市民気質が抜けない俺は縮こまってしまう。
「大丈夫、素材持ち込みなら大体加工代だけで済む。それにマコトの異空間収納箱があれば、素材自体劣化せずに長期の保管が可能」
「あはは、ここで節約してマコトくんが死んじゃったりしたら、それこそ本末転倒だよ」
「そ、そういうものか?」
「それにこれから冒険者として成長していけば、もっと色んな装備を賄える。言わば先行投資」
「そうだな……ごめん、甘えさせて貰う事にするよ」
少し温くなった茶に口を付ける。道案内、依頼戦果の山分け、道中の飲食代に寝巻きの代金、果ては住む所までと完全に二人に甘えてしまっているのだ。男として、というより一人の自立した大人として自分よりも一回りほど小さい子供達に何から何まで世話して貰うというのは正直格好悪い。格好悪いが、後ろ盾の無い俺はその二人の優しさが無いとまともにこの異世界生きる事が出来ないのも事実。
絶対恩返しするからな、待っててくれ。
「あのさ、俺、確認したい事が二つあるんだけど」
「何?」
「一つは、俺の召喚魔法について。普通の召喚魔法って呼び出せる魔物の数って決まってるのか?」
右手に嵌められた瑠璃色の指輪を見せる。これが契約の証であるならば、俺が今後冒険者として生きていく上であの青金の騎士は切り札になっていくだろう。
一体でさえ十分な戦闘力であったが、もし二体呼べるならどうか。
「ボクも本職じゃないから詳しい所は分からないけど、召喚出来る数は召喚士の魔力と、召喚する魔物によると聞いた」
「俺の問題なのは分かるけど……召喚される側も関係してるのか?」
「ただの『スライム』を召喚する、なら何体でも可能だけど、ブエルというスライムは一体しかいないから『ブエル』は一体しか召喚出来ないって事かなー?」
「名前付き、唯一、呼び方はそれぞれ。そういう手合いは基本的には一体しか呼び出せない。」
色々と制限はあるけれども、俺次第で呼び出せる数は増やせるということか。
「そっか。なら、今の内に俺が呼び出せる青金の騎士の数を確認しておきたいかな。まだ自分の力の把握も出来てないし」
「現状を確認しておくのは良い事。一体しか呼べなくても、マコトが補助して強くなる事も出来る。装備や経験で魔力が増やされば、もう一体呼び出せる事もある。これからのマコト次第」
「で、もう一つ確認したい事ってー?」
「ああ、俺の持ってる異空間収納リュック、これの容量を調べたくてな」
今は客間に置いてある、どう見ても何処にでもあるようなリュック。それがどんな物でも収納出来、更には収納した物の時間を止めて鮮度を保てるだなんて誰にも予想は出来なかった。
あの十メートルは超える絨毯大咬蛇ですら入ってしまうのは分かったが、実際に限界まで詰め込んだらどれくらい入るのか。
「手当たり次第に放り込む訳にはいかないから、土とか砂とか水とかそういうので試した方が良いのかな、なんて思ってる」
「それが良い。収納した物を吐き出すにもスペースがいる」
「沢山入れば入っただけ、使い道も広がるしねー!ご飯に着替え、装備に素材、回復薬や魔法消耗品なんかも揃えておけば、長期間の旅も出来るね」
「そうだな、二人には色々アイディアを頼む」
人形とか、いやいやお出掛け用の服とか、そんな女の子らしい会話で盛り上がりを見せる二人を横目に、俺はカップのお茶を飲み干す。
今日も良い日になりそうだ。




