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013.『祝宴の夜に』

「依頼完了と! マコトくんの冒険者人生のこれからを祝して! かんぱーい!」

「有難う、乾杯っ」

「かんぱーい」


 アリスが乾杯の音頭を取ると、俺達は葡萄酒の注がれた杯を持ち上げた。金属で出来た酒器(ゴブレット)はずっしりと重かったが、口を付けた後はすっかり軽くなってしまったように感じた。それぐらい、リィンの持ってきたワインはするすると喉を通ってしまった。


 前いた世界では恐らくそこまで酒を嗜んでいなかった筈なのだが、それでも全く抵抗無く飲んでしまえる。甘味があって、果実の味が濃く出ている、それなのに口当たりが軽くてまるで水のようだ。


「うわ、このワイン、めちゃくちゃ美味しい」

「くー、染みるねー! リィンちゃん、流石ー!」

「初めは軽いのから始めるのが良い」


 三人で使うにはかなり広いテーブルを挟んで、アリスとリィンが座っている。アリスはクラッカーにチーズと塩漬けした薄切り肉を乗せたつまみを頬張っているし、リィンは早々と二杯目を注ぎ、優雅に口を付けている。


 因みに三人とも風呂上がりだ。三人とも土埃塗れになっていたし、そもそも俺は何故かべとついた海水塗れだった。流石にそのままなのは忍びない、とリィンとアリスの寝泊りしているこの家の風呂を借りたのだった。


 リィンは黒のワンピースに赤色のカーディガンを羽織っていた。流石に自宅でまで人目から隠れるようにローブは着ないようだ。頬には昼間の戦闘で負った傷を隠す布が貼り付けてある。ほんのり濡れた長い純金の髪は潤いもあってから妙に艶っぽい。杯を掴む姿は何処となく様になっている。


 アリスは桃色に染めた柔らかい生地の長袖のシャツに、これまた短めのズボンを履いている。上はやはりアリスのサイズより大きめで、シャツの裾がズボンを隠してしまうほどに長い。肩口まで伸びた薄い桃色の髪は洗い立てだからかふわふわとしていて可愛らしい。金色の片眼鏡は外し、黒縁の眼鏡を掛けている。


 俺はというと、海水でべとべとしていた服から、上下共に薄水色の寝巻きに着替えた。途中の服屋で男性用の服やら寝巻きやらを一式買った、いや、買って貰った。細かい日用品はさておき着替えの服は必要だから、と。

 何というか、養われてる感が半端無いのだが、それはこれから違う形で返して行きたい。返していければ良いと思っている。


「しかし、広いなぁ」


 リィンに注いで貰ったワインを片手に、俺は辺りを見回す。「好きに使って」と通された客間は一般的な一人暮らしの部屋よりも広々としていたし、このダイニングだって会食の席か、と思ってしまうぐらいに調度品も見事だ。テーブルですら椅子を数えるとゆったり座って二十人分はある。三階建ての豪邸だ。


「ここはね、元々貴族が住んでたんだって」

「へー、道理で」

「でもね、痴情のもつれから当主とその妻が殺されちゃって」

「ええっ!?」

「殺した相手もその場で自殺して、大変な騒ぎになったんだー。その後、空き家になって売りに出されたんだけど」

「殺された当主と妻、自殺した女の霊が出るからと買われては売りに出され」

「最終的に訳有り物件って事で格安でゲットしたって訳!」

「お買い得だった」


 向かい合ったテーブルでワイン飲みながら上機嫌に語るアリスと、変わらずに淡々と語るリィン。


「で、その霊達はどうしたんだ?」

「ボクが処理した。死んでも怒鳴り合う、殺し合う程仲の良い三人組だった」

「うふふ、リィンちゃん、霊祓魔師(エクソシスト)の仕事でもしたら儲かるんじゃないー?」

「職に追われたら、考えとく」


 そう言いながら、リィンは二本目のワインを開ける。新しい酒器を用意している所に拘りが見える。外では無愛想で淡々としていたが、冗談も言えるんだな。きっとアリスと気が置けない関係なのもあるのだろう。


「そろそろお肉食べたい」

「お、出そうか?」

「いよ、待ってました! 熱々のお肉ー!」


 二本目は重めのワインだったので、そろそろメインでも出そうかと思い、異空間収納リュックの出番とばかりに食卓に料理を並べる。

 屋台で買った、スパイスの香る串焼き肉。薄い陶器の器に入った、牛スネ肉の煮込み。鶏肉の燻製や肉団子なんてものもある。前の世界でも一般的だった家畜が存在しているお陰で、食料事情は豊かだ。


 ぱちぱちとアリスが拍手を送る。リィンの赤い瞳も、輝きを増したように思える。手元のお皿にささっと各自取り、それぞれが熱々の肉の旨さに声を上げる。


 焼き立てのお肉をそのままを頬張り、その後を赤ワインで追いかける、うーん、幸せだ!


「はぁ、やっぱりマコトくんがいると捗りますねー」

「何処でもいつでも、出来立ての物、美味しい物を食べられるのは、良い」

「こんなんで良ければいつでも使ってくれ」


 こんな事に貴重な時間停止魔法の掛かった異空間収納を使うなんて、と言われてしまいそうだが今の所、こういう使い方以外をする予定も無いので有難く使わせて貰おう。


 暫く、肉とワインで口福を感じながら、俺達は色々な話をした。出逢いこそ唐突だったが、不思議とリィンやアリスとは馬が合った。この世界の事、今日起きた戦闘の事、そして、俺の記憶が無くなる前の世界の事。

 自分の頼りない記憶を拙い話し振りで聞かせると、二人は不思議に思いながらも何処か納得したように肯いた。


「事情は分かった」

「だから、私に対しても変な嫌悪感無かったんだー」

「嫌悪感? どうして?」

「この国では、人間っていう種族が一番偉くてー、獣人種っていうだけで見下される事多いから……」


 酔いに頬を赤く染めながら、アリスは今までの嫌な事を思い出しているのか、苦く笑った。初めて会った時に見せた敵対心はある意味、自分とリィンを護ろうとしたからの反応だったのか。


「冒険者もそう。獣人種の扱いは良くない」

「リィンちゃんと私は、それなりに依頼をこなしていて、そのやっかみもあるんだけどー」

「何にせよ、マコトのように偏見が無い人間は貴重」


 対してリィンは飲む前と変わらず、磁器のような白い肌は健在だ。既に横には何本かワイン瓶が空いていて、まさに蟒蛇だ。


「……ねぇ、マコトくん、もし良かったらでいいんだけど」

「なんだ、アリス?」

「もし良かったら、だよ? ……私達とパーティ、組まない?」


 とろんとした、それでも真っ直ぐこっちを見つめたアリス。酒の勢いかと一瞬思ったが、その暗い空色した瞳があまりに真剣で、俺は飲み掛けた酒器を置く。リィンも酒器を置き、眉根を寄せる。


「アリス、それは」

「リィンちゃん、分かってるよー、分かってるんだよ、でもさー、マコトくんは良い"人間"だし、召喚の力も異空間収納箱も頼れるし、一緒にパーティ組めたら嬉しいなーって」


 リィンに咎められたアリスは、でもだって、と酒器を見ながら口籠る。その様子を見て、リィンはため息一つ、ワインを呷った。


「ボクは反対」

「リィン、どうしてか聞いていいか?」

「マコト、ボク達二人はそれぞれ色んな物を抱えてる、その為に冒険者をしてる。ボク達とパーティを組むという事はそれに巻き込まれる可能性がある。今日みたいな、命掛けの戦闘もある。マコトに構ってる余裕だって無い」


 淡々と語るリィン。対するアリスはうつ伏せになってうーうー唸っている。リィンはマイペースにワインを飲み、言葉をじっくり選んで口を開く。


「それにボク達と居ればマコトだって、やっかみや偏見の被害に遭う。クエスト報酬受け取ったらとっとと新しく部屋を借りて、一人でイチから始める方が良い」


 だんっ、と乱暴に酒器をテーブルに乗せたリィンの言い方は冷たく聞こえた。赤い瞳が鋭く睨む。だけど、俺には、リィンのその言葉は、


()()()()()()()()()()()()()

「……別に」


 押し黙ったように酒器を口に運ぶリィン。答えは聞かなくても分かった。


 リィンはこう言った、命掛けの戦いがある。それは俺の命も危険だ、という心配。こうも言った、偏見の被害に遭う。俺を巻き込みたくない、という配慮だ。

 もしかしたら、リィンの言う通りなのかもしれない。一人で、一人の人間として冒険者ギルドに所属して、一からコツコツと地道に依頼をこなして、そうやって新しい知り合いが出来て、そんな風に生きていくのが波風立てない平穏な、この世界での生き方なのかもしれない。


「言ったろ、困った時に頼れるようになるって。それなのに二人が近くに居ないんじゃ、意味無いだろ」

「マコトくん……」

「やっかみとか偏見とか、二人と居れるなら構わない。自分一人の身くらい守れるように、これから努力する。それぞれに事情を抱えて生きているのだって分かる、それでも俺に何か出来るのであれば頼って欲しい」


 でも、俺はリィンとアリスと共にいたいと思った。こんな、優しい二人を守りたいと、分不相応かもしれないが思ったのだ。


「だから、リィン、アリス。俺を、二人のパーティの仲間に入れてくれないか」


 気付けば立ち上がっていた。酒の酔いなどすっかり醒めてしまっていた。リィンの、その鋭い真っ直ぐな赤い瞳とぶつかり合う。アリスは俺の顔をちらと見上げた後に、横に座るリィンを見つめる。


「仕方ないな、マコトは」


 数秒、しぃんと静まり返った室内の冷たさを溶かしたのはリィンのその一言だった。いつも無愛想で無表情で、動かしても眉根を寄せるだけだったリィンが、本当に少しでそれは苦味もあったかもしれないがーー口元を緩ませ、笑ったのだ。


「パーティリーダーとして、マコトの加入を認める」

「リィンちゃん!!!」

「はは、有難うリィン、アリス。これからも宜しくな」


 アリスは感極まってリィンに抱き着くが、その時にはもういつもの無表情に戻っていた。抱き付いてぴょんぴょん飛び跳ねるアリスに驚いたのか、繋がった廊下からアリスに仕える四匹の魔物が飛び込んできて、アリスはそのまま四匹と戯れだす。


「ボク達に付いていけるように厳しく行くから、宜しく」

「すぐ追い付けるように頑張るから、お手柔らかにな?」


 リィンの後ろでかーかーだの、がおーだの、やったーだの、やたらと陽気な声が聞こえる中、俺はつい反射的に右手を差し出していた。その手をじっと見詰めるリィンを見て、この世界に握手という文化が無いのかもと思い、手を戻そうとするもそれよりも早くリィンに右手を掴まれ、握手する。


 驚いたのはその小ささ。俺の手の中にすっぽり収まるその手で細剣を振るっていたのかと思うとびっくりする。そして何よりも驚いたのはお酒を飲んでいたとは思えない程、ひんやりと冷たい掌。まるで氷のようだ。でも手が冷たい人は心が暖かいと言うし、なんて馬鹿な事を考えながら、


「よろし……く?」

「……」


 リィンの瞳が、これ以上無いくらい大きく見開いていた。動揺が、震えとして小さな掌越しに伝わる。一度反射的に振り払おうとしたのか、腕を引いたがでも離れる事は無く、今度はぎゅっと力一杯握り締められた。


 最初は、他人と触れ合うのが嫌とか、男性恐怖症だ、とか、もしかして俺の手が汗で濡れてて不快だったのか、なんて思ったのだが。その後の、ぎゅっと握り返された後の、リィンの表情が初めて、


「あたたかい、ね」


 泣いてしまいそうに見えたから。


 俺は、手を離せなくなっていた。


「あー、私も握手したいー! これから宜しくね、マコトくん!」

「あ、ああ、此方こそ宜しく、アリス」

「皆もほら! これから仲間になるマコトくんだよー! かかれー!」


 アリスが勢いのまま詰め寄ってから俺とリィンの手は離れ、代わりに蜘蛛の糸が腕に引っかかるわ、鴉に髪の毛を引っ張られるわ、スライムに手をべとべとにされるわ、子竜に顔を舐められるわと散々な事になった。

 楽しそうに笑うアリスと魔物達にもみくちゃにされながら、俺はさっきのリィンの様子が気に掛かっていた。



 新しいパーティメンバーに乾杯、とまた託けて飲み出した俺達だったが、それまでに杯を重ねていたのもあって速攻アリスは落ちた。そこまで喜んでくれたのは嬉しい事なのだが、倒れ込むように眠りに落ちたのは心臓に悪い。それを予期していたのか床に倒れ込む前に四匹の魔物がアリスの身体を支え、器用に足並みを揃えてアリスの寝室に運んでいった。


 世話をするのが魔物使役士、とは言っていたが、これじゃどっちが世話されているのか。


 アリスが寝落ちした事で何となくお開きの流れかな、と思い、使った食器を纏めて隣のキッチンへと運ぶ。キッチンもかなりの広さだ、流石貴族の元屋敷。洗い物をしようと思ったが、骸骨兵にやらせるから、とリィンが言うのでそのままにしてきた。


 そのリィンは、先程握手してからどうも様子がおかしい。それまでの淡々として動じない、冷静な様子とは違って、何というかそわそわとしている。


「リィン、飲み過ぎたか?」

「大丈夫」


 ワインの飲み過ぎかと思ったが、そうではないらしい。確かに廊下を歩く足元はしっかりしてる。疲れでも出たのか、それとも眠いのか。分からないが、今日の所はもう寝るだけだ。


 お休み、と与えられた客間に戻ろうとした時、


「ねぇ」

「ん、何?」

「ちょっと、話したい事がある」

「ああ、なんだい」

「……ボクの部屋に来て」


 俺はめちゃくちゃ驚いた。いや、こんな子供みたいな姿のリィンだ、勿論変な意味での誘いでは無い事は重々理解している。しているが、流石にこんな夜更けに女の子の部屋に入る事こそ勇気のいる事はない。

 しかし、ここに居ても埒が開かないし、大人しく先導するリィンに付いて行き、躊躇いながらも部屋に入る。


 そこは、酷く殺風景な部屋だった。置かれている調度品は最小限で、入り口横にはコート掛け、中央にソファーとテーブルが置かれている。昼間ずっと背負っていた何か、はソファーの上に置いてあった。ベッドが端っこにある、妙に意識してしまう。分厚いカーテンで窓が覆われており、光の差し込む隙間も無いが、リィンが作り出した魔法の明かりがふよふよと浮かんでいる。


「それで、話って?」

「パーティ加入の事、だけど」


 その柔らかい光に照らされたリィンの顔は、何処か強張っている、ようにも見えた。


「何か、俺に問題があったか?」

「ううん、マコトは大丈夫。問題があるのは、こっち。いや、ボクの方」

「……どういう事だ?」

「マコトがボク達のパーティに入ってくれる、と言ってくれたのは嬉しい。獣人族の現状も話したのに、構わないって言ってくれて、アリスは凄く嬉しかったと思う。アリスはああ見えても、寂しがり屋だから」


 ゆっくりと室内に進みながら語るリィンの背中を、俺は入り口で追う。リィンの純金の髪が、生み出した光に照らされて、薄暗い室内によく映える。


「でも此処から話すのは、偏見で済む話では無い。命を狙われる、の度合いがまた違う。これはアリスも知っている事だけども」

「……リィンにしては、何とも回りくどい言い方をするな」

「ごめん。ボクの話を聞いて、やっぱりパーティから抜けたいならそれでも良い。でも仲間になるなら話しておかないと、と思って」


 窓際まで近付くと、リィンは振り向く。壁と壁、端と端、先程まで一緒に食卓を囲んでいたのに今はその距離が遠く感じてしまう。


「ボクはね」


 唐突に部屋が真っ暗になる。リィンが魔法の明かりを消したのだ、と同時に、しゃっ、と分厚いカーテンが引かれる音がする。


 窓の外には、綺麗な満月が浮かんでいた。元の世界でも見た事が無い、と思うくらいの美しい満月の光が部屋の中に差し込んで、俺は、


「本当は」


 それよりも、自然の作り出した美よりも。


 厳かな月光を受けて輝く純金。

 光を受けて仄かに青白く照らされる肌。

 暗がりの中でも爛々と輝く、赤い瞳。


 それら全ての調和した姿に慄然とする。息をするのも忘れてしまうくらいに見惚れてしまった、その恐ろしさ故の美しさに。


「人間じゃないんだ」


 リィンは、笑った。ただ、悲しそうに。

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