012.『冒険者の街、ファスタリア』
「くれぐれも問題を起こすなよ……ようこそ、ファスタリアへ」
「どうも」
鎧を着込んだ男に全く歓迎されてない態度で見送られながら、俺はそびえ立つ壁に守られた街、ファスタリアの地を踏み締めた。
門を抜けてすぐに大きな道が真っ直ぐと伸びており、その傍に様々な建物が並ぶ。よく見ると道の到る所に小さな露店が設置されており、様々な背格好の人達が往来する。この世界に来て、初めてこんな大勢の人間を見たな。
恐らく街道で見たのと同じ原理なのだろう、魔法街灯が往来の邪魔にならないように空に浮かび、辺りを照らす様は何とも幻想的だ。
「すっげぇ……」
近代的とは言わないが、異国の情緒溢れる眠らない街、と言った感じか? 賑やかな雑踏の中に紛れて歩きながら、俺はついきょろきょろと辺りを回して、フードの隙間から目が合ったリィンに何してんだこいつ、みたいな顔で見られる。それを見て丸い帽子を被ったアリスが変なのー、と言いながら笑っている。おのぼりさんなんだから大目に見て欲しい。
「リィン、今更だけど大丈夫だったのか?」
大きな門を潜る際、守衛に呼び止められて身元を怪しまれたが、リィンの「責任は私が取る」の一言と放り投げた一枚の金貨で相手は押し黙った。俺に身分を証明するものも、待ち合わせも何も無く、リィンが対応してくれなければどうしようも無かったのだが。
「問題を起こす気あるの?」
「無いけど! 無いけどさ!」
「なら良いんだよー、それにリィンちゃんがそう言わなかったら入れなかったんだよ、それは困るよねー? 」
アリスはいたずらっ子のような顔で振り向く。金縁の片眼鏡の向こうの、暗い空色の瞳が楽しげだ。守衛との会話の際、珍しく何も言わずに黙っているだけだったの為、少し気になっていたのだが、良かった、いつものアリスだ。
「そういう事」
「そっか、有難う」
「ん」
リィンは振り返る事もせず、相も変わらずに低い音で返す。思えばこの世界に来て、リィンとアリスには何度礼を言ったか分からないな。何か、恩返しの一つでも出来ればいいのだが。
「そういえば、冒険者ギルドって何処にあるんだ?」
「この街のほぼ中央、この大通りをまっすぐ行くとある」
「冒険者ギルドを中心に栄えてきた街だから文字通り、四方に伸びる大通りの真ん中にあるんだよー」
それで門を潜ってからひたすらに真っ直ぐ歩いてきたのか、初めてこの街を訪れる人にも分かりやすい。確かに少し目線を上げると、遠くからでも分かるほど巨大な建物の屋根が見える。
「冒険者の為に商人が集まり、流通が出来、街が発展した」
「他の街も勿論冒険者ギルドはあるんだけど、この辺りでは一番だねー」
「そんなに稼げる仕事なのか?」
「魔物の被害はいつだって途絶えない」
「その魔物だって倒せば素材になりますし、クエストをこなせばその分の報酬も貰えますから」
俺は自分の抱えているリュックの中に仕舞われた絨毯大咬蛇の事を思う。俺にとっては命懸けではあったが、そのような危険は冒険者に取って日常茶飯事なのだろう。
「いきなり危ない橋は渡らない。暫くは小さな依頼をこなして実力をつけていく」
「ふふふ、頑張りましょうね、マコトくん?」
半日前の戦闘を思い出して、少し顔が強張ったのが分かったのか、リィンとアリスは緊張をほぐすようにそう言ってくれた。リィンは無愛想に、アリスは何処となく危うさがあるものの、こうして気を遣ってくれる。初めて会ったのがこの二人で良かった、と思いながら、俺達はそびえ立つ巨大な冒険者ギルドに入っていった。
◇
建物に入ると、そこは大きなホールのようになっていた。少し遠くにカウンターがいくつも並び、そこに列を作る冒険者達。椅子と机が無造作に並べられ、そこにコインを積んだ男達が報酬を分け合っていたり、かと思えば壁を背に座り込んで黙々と道具の整理をしていたりとなかなかに混沌としている。
冒険者ギルドの前には、街を覆う防壁の前に立っていたような守衛は居なかった。気になっていると、
「冒険者に喧嘩を売る事は、自殺と一緒」
と、リィンが教えてくれた。確かに実力のある冒険者達と真正面から戦い合って生きていられる気はしない。元の世界で言う大きな病院のような建物の中で屯する他の冒険者達を見ても、そう思う。
大剣を背負う、片眼を塞いだ強面の男。念入りに弓の手入れをする若い女性。無い片腕の服の裾をひらひらとさせながら歩く老男。持っている武器もバラバラな、見るからにガラの悪い集団様々な人達が、この冒険者ギルドの内部にひしめき合っている。
傷を負っていたり、すれ違う体から血と汗の匂いがするのは依頼帰りなのだろうか。
「マコト、こっち」
「迷子にならないでねー?」
そんな中で、リィンとアリスは何とも異質な存在に見える。猛獣の中に解き放たれた子猫と子兎だ。しかし、この人混みを難なく掻き分けていく。いや違う、人混みの方が二人を避けている。
リィン達の姿を見かけると明らかに聞こえるような舌打ちを一つ、渋い顔で距離を開ける。
「『死体弄り』と『気違い兎』じゃねぇか」
「チッ、生きてやがったか」
「あの辛気臭ぇツラ見てるとツキが下がっちまうわ」
しこたま飲んだのだろうか、赤ら顔のゴロツキ達が部屋の片隅に陣取って声を張り上げる。俺はそれが二人を指す言葉なのだと気付くと、頭に一瞬血が上った。失礼にも程がある。
「気にしちゃダメだよ、マコトくん」
「弱いヤツはよく吠える」
二人はどこ吹く風だ。その二人の態度を見て冷静になった俺は、まだ野次を飛ばすゴロツキの声を背中にカウンターへと近付く。
「お疲れ様です、依頼報告ですか?」
選んだカウンターの奥、几帳面そうな茶髪の男が眼鏡をくいっと上げてこちらを見る。他のカウンターに座る人も同じ服を着ている事から、制服か何かだろうか。
「『憐みの魔女の森』の探索と、解体依頼」
「ああ、自由依頼でしたか。で、成果は?」
「色々あるけど、一番の成果は『絨毯大咬蛇』」
「それはそれは、大物でしたね。確認の為に冒険証を」
男はカウンターに木で出来たトレーを置く。アリスは自分の異空間収納箱から金属で出来た冒険証を取り出しておく。
「マコト、ボクの返して」
「あれはリィンのものだったのか」
「マコトが冒険証持ってなかったから貸しただけ。パーティ加入は冒険者の証を持ってないと出来ないから」
冒険証を渡してきた時には何故、と思ったけれどそういう事だったのか。別に借りたままにするつもりは無かったので、大人しくポケットにしまっていたリィンの冒険証をトレーに置く。
「お連れの人は?」
「冒険者希望」
「サルナンさん、後でこの人の冒険者登録してもらってもいいかなー?」
「初めての方、ですよね? 今日は鑑定士の方がもう上がってしまったんですが、書類上の登録はできますよ」
「とりあえずそれで」
「あ、有難うございます!」
俺は慌てて冒険者ギルド員ーーサルナンに頭を下げる。書類上と言っていたが、そもそもこの世界の字がよく分かっていない俺に書けるのだろうか。どころかそもそもリィン達とこうして会話が出来ているのは何故なのか。後でリィン達に聞いてみよう。
「では確認しますね」
サルナンは小声で『依頼確認』と呟いて目を瞑る事数秒、確認出来ました、と冒険証の入ったトレーを取れる位置に置く。
「捻れ大百足、舞針蜂に取り憑く犬……他にも色々ありますが、やはり大物は絨毯大咬蛇ですね。素材はどの程度?」
魔法で、クエスト中に何が起こったかを読み取ったのだろうか? 報告書につらつらと書きながら訪ねてくるサルナンの手から、
「絨毯大咬蛇、全部」
「は?」
ペンがぽろっと落ちた。呆然とした顔でリィンを見つめている。
「他にも舞針蜂の長針とかもあるけど、絨毯大咬蛇は全部だよー」
「はは、よくそんなに入りましたね。異空間収納箱、新調したんですか?」
「この人が大容量の異空間収納箱持ってた」
「はは、そのー、家にあったものを持ってきてて……」
ぎこちない嘘を付く。何というか「気付いたら持ってました」と答える方が嘘くさいな、と思ってしまったのだが、それでサルナンは納得したようだ。
「そうですか、あれを丸ごと」
訂正、納得はしたけど理解はしていないようだった。訝しげに此方を見る。
「まぁ、いいでしょう。そもそも異空間収納箱は使用者以外は使えないものですから盗品でも無いでしょうし……」
「ええ、そうですね、はは」
使用者以外使えないなんて初めて聞いたけどな! なんて心の中で思いながら愛想笑いを浮かべる。
「とりあえず素材は預かりますね、此方へどうぞ」
サルナンが立ち上がり、カウンターがら出て俺達を誘導する。着いた先も同じようなホールで、床には布を掛けられた素材達が規則正しく並べてあった。
そこにも同じようなカウンターがある。先程のクエスト報告のカウンターよりも広く作られているのは素材を乗せる為だろうか。
「シャル、仕事だよ」
「はーい」
カウンターの奥で、何かの素材に触れていた女性職員に声を掛ける。栗色の長い髪を束ねて編み、片方に集めて流している。何処となく大人しそうな雰囲気だ。書類を見ながら話し合うと、彼女は少し驚いたような声を上げた後に、気を取り直して俺達を見る。
「では、お預かりしますね。私とサルナンで素材の確認後、書類に記入して後日に精算してお渡しします」
「もし必要な素材があったら前持って、彼女に伝えて下さい。金額に関しては僕に」
「ん」
リィンとアリスが此方を見る。背中のリュックに仕舞った絨毯大咬蛇を出す瞬間が来たのだろう。
俺は徐にカウンターに近寄り、とりあえず全部出してしまおうとリュックを下ろしてひっくり返しながら振る。
「ひぇ!」
備えられたカウンターからはみ出るサイズの体躯が唐突に現れた。むせ返るような血と土の匂いが一気に充満する。シャルが思わず後ずさる。
「本当に、全部、なんですね……」
「最初にそう言った」
「いやはや、このサイズは凄いですね。実物を見ると更に」
そういってカウンターの上に鎮座する絨毯大咬蛇の頭を見るサルナン。口のサイズだけで人を縦に丸呑み出来るサイズのそれは、息耐えた後でさえ恐ろしく感じる。急に目を開いたらどうしよう。
そんな頭に躊躇いがちに触れるサルナン。勇気あるなぁ。
「しかし首を真っ二つですか。こんな太い首をすっぱりと……ん、これは……」
「どうしました、サルナン先輩?」
「この素材、まだ暖かい……」
何度も触りながら確かめる二人。頭だけでは無く、はみ出した体躯までくまなく触れる。その顔は驚愕に満ちている。が、俺には訳が分からなくて説明を求めてリィンとアリスを振り向くと、
「そんな、まさか、時間停止魔法?」
「大容量に加えて時間停止機能まであるなんて、一種の神の創造物並みだよ! そんなのどうしてマコトくんが持ってるの!」
こっちはこっちで凄い顔で攻め寄られた。そんなの、俺が聞きたいくらいなのだが。
「こうしちゃ居られない、シャル。申し訳ないけど、手が空いてる解体要員集めてきて。足りなければ、帰宅してしまった職員に声掛けていいから」
「わ、分かりました!」
「素材の鮮度によって品質が変わるから、なるだけ急いで。帰宅した職員には後日に特別休暇申請も許可するから」
ばたばたと急いでカウンター奥の部屋に入っていくシャルを見送ると、改めてサルナンは此方を向いた。
「全く、また手間のかかるものを持ってきましたね、貴方達は」
「あははは……サルナンさん、ごめんね?」
「寧ろ御礼を言って欲しいくらい、色付けて」
「もー、リィンちゃん!」
「あの、鮮度が良い方がいいんですか?」
「そうですね、鮮度が良いとまだ肉が柔らかいから解体の手間も省けますね。剥ぎ取りが綺麗に出来ますし、普段なら捨ててしまう部位も有効活用出来る時があります。普通なら此処に持ってくるまでに時間を有するので滅多に無い事なのですが……」
なるほど、聞けば聞くほど俺の持っているこのリュックの価値は、俺が思っていたよりもずっと高いものなのだと気付く。なんでこんな凄いの持ってるんだ……俺……。
「えーと、君の名前は」
「あ、マコトです」
「マコトくんね。これから冒険者になるのであれば、あまりこの事は大っぴらに言わない方が良いかも知れません」
「新鮮な肉には、小鬼がたかる」
「便利な荷物持ちとして引っ張りだこになるだけならいいけど、下手したら動けないようにされて……なんて事もあるかもしれないねー」
二人は怖い事をさらりと言ってのける。でも、そうか。元々言いふらす気は無かったが、召喚の力と言い、自分の身の丈に合わないものを持っているようだ。それが少し怖い。
「新鮮な素材が入る分には、此方としては嬉しいのですが……さ、手を出して下さい」
「これは?」
渡されたのは二枚の金属ーー冒険証だ。リィンのものでも、アリスのものでもない。
「これに魔力を込めて見て下さい。それで簡易的ですが、ひとまず冒険者登録とします」
「は、はい!」
俺は慌てて二枚の冒険証を握り締める。ちゃり、と小気味の良い音を立てるそれは、俺のこれからが詰まっている。アリスとリィンも固唾を飲んで見守っている。
ぐっと掌に、身体の中に流れる魔力を送るイメージを思う。見えない透明な何かが身体を巡り、背骨を伝い、腕に流れ、掌へと集まる。
ぱぁ、っと握り締めた指の間から光が漏れた。それが収まってから恐る恐る掌を開けると、先程よりも輝きを増した冒険証があった。
「はい、大丈夫そうですね、一枚は此方で保管します。これで貴方は、マコトさんはこのファスタリアの冒険ギルドに所属する冒険者の一人として登録されました」
「え、それだけで良いんですか?」
「ええ、本来は質疑応答や色々確認する事もあるんですが……リィンさんの紹介である事、またギルドに有益な魔導具を所持している事、色々鑑みて判断させて頂きました」
「有難うございます」
もっと複雑なやり取りや書類作成をしなければならないと思っていたので些か拍子抜けではある。それに気付いたのか、先程より幾らか真剣な眼差しでサルナンは俺を見つめる。
「冒険者となったからには、人様に迷惑を掛けない事。力を持つ冒険者はその力に溺れる事無く、その力をギルドの為に、そして悩める人々の為に奮って下さい。それが出来なければ」
「出来なければ?」
「ファスタリア冒険者ギルドの名誉に掛けて、必ず貴方を裁く事になるでしょう。それだけはさせないように心掛けて下さいね」
暗に、粛清すると言っているようなものだ。俺は胸を張り、強く頷く。
「はい、俺はリィンとアリスに助けて貰って、今此処に居ます。彼女達二人のように、俺も困っている誰かを助ける事の出来るような冒険者を目指します」
この冒険者ギルドに来るまでに考えていた事だ。最初は何も無い自分が知らない世界で生きていく為の手段として思っていた。でも見ず知らずの俺の命を助けてくれた、見返りを求める事の無い二人の姿を見て、二人のような冒険者になりたいと思ったのだ。まだ何も出来ない俺だが、そうなりたい。
「マコト……」
「マコトくん……」
後ろでリィンとアリスが俺の名を呼ぶ。驚いたような、不思議なものを見るような眼差し。サルナンも生真面目な表情を崩し、優しく微笑んだ。
「ええ、貴方がそうなる事を私達は望みます。詳しいルールはまた後日にしましょうか、これからこの素材の解体を急がなければなりませんし」
「はい、これから宜しくお願いします」
「此方こそ。では、依頼報告完了という事で。お疲れ様でした」
そういうと、サルナンは小走りでカウンターの奥の部屋へと消えて行った。後に残されたのは掌の中の冒険証。ランクが違うからなのか、リィンに渡されたものよりも輝きは鈍く、肌触りもそんなに良くは無いが……それでもこれは、俺だけの冒険証だ。見ているだけで何だか口角が上がってしまう。
「マコト、さっきのは恥ずかしい」
「そうだよー、別に私達大した事してないのに」
「俺がそう思っただけだからさ、勝手に恩義を感じさせてくれよ」
俺はリュックを背負い直し、冒険証をしまうと二人に向き合う。出来るだけ姿勢良く立って、見せつけるように笑う。
「いつか困った時に頼れるように、頑張るからさ。期待しててくれよ」
「……口だけは一人前」
「ははは、リィンは厳しいな」
「ねぇ、マコトくん、泊まるところも見つかってないよね?」
考え込んでいたアリスが、此方を見詰める。この後の予定も何も決まってない俺がその暗い空色の瞳に見つめられながら頷くと、アリスは微笑んだ。その顔は何処か楽しげで、嬉しげだ。
「だったら、私とリィンちゃんのハウス暫く使いなよー。絨毯大咬蛇の報酬は山分けだけど、今使えるお金も持ってないでしょー?」
「え、でも」
「良いんだよー! マコトくんが素材保管してくれたお陰で、高値が付きそうだしっ! そのお礼って事でどうかな、リィンちゃんも良いでしょー?」
「ボクは構わない。マコトは世間知らずだから、野放しにするのは怖い」
「ほら、リィンちゃんも良いって! ね?」
「……じゃ、お言葉に甘えて」
全くこれじゃ、恩を返せるのがいつになるか分からないな。でもこのまま二人と別れるのが寂しい気もしていた俺は好意に甘える事にした。
「けってーい! 折角だし打ち上げしよー!」
「帰りに買い物して帰ろう」
「マコトくんはお酒飲めるのー?」
「ああ、人並みには飲めると思うよ」
「久し振りに、ワイン開ける」
「それならチーズも買って帰ろう? あ、マコトくん居るなら温かい料理も熱々で持ち帰れるねー、便利!」
「ははは、楽しくなりそうだ」
身体いっぱいに楽しい気持ちを表すアリスと、変わらずに無愛想だが何処か浮き足立っているようなリィンに連れられて、俺達は冒険者ギルドを後にした。気付けば俺の足取りも軽やかだった。




