010.『契約の証』
「よっと」
俺は青色のリュックを背負う。
このリュックの中には大咬蛇が丸々と入っている。この異空間収納箱ーーこの場合は異空間収納リュックか、とにかくどういう仕組みで仕舞われているのかは未だによく分からないが、あれだけの重量の物をいれても全く重さは変わっていない。
冒険者の必需品、とリィンが言ったのも分かる。食料品は言わずもがな、着替えの服やはたまた薬など必要な物を手軽に持ち運び出来るようになればその分、快適さは増していく。何かあった時の備えがあるだけ、この危険だらけの世界で冒険をするのであれば命が助かる事もあるんだろうな。
「準備万端?」
「あまり長居すると夜になっちゃうから、そろそろ行こー?」
「ああ、そうしよう」
俺が支度している間に、リィンの頬の切り傷やアリスの脚の擦り傷の手当てが済んでいるようだ。緑色の液体が傷口を覆い、その上に白い布を当てられている。
……もしかしてその液体、アリスの仲間のスライムのものか?
「ゆっくり、お休み」
リィンの呟きと共に、控えていた骸骨と腐乱犬ーー不死者達ががちゃがちゃ、と甲高い音を立て、一斉に崩れ落ちる。命無き者の仮初の命は終わったのだ。
その呟きは何処か悲しげ、というよりかは切実というかーーそうだ、祈り、という言葉がしっくりくる。祈りであり、願いでもある。
思えば、リィンは自身を「忌み嫌われる外道」と言っていた。死者の安寧を妨げる者だというのであれば、確かに死霊術師という職業はそうなのだろう。
それでも死霊術師で有り続ける、何かがリィンにはあるのだろう。
「ばいばい、元気でね」
アリスは『おいで、おいで』を使用した取り憑く犬達に手を振る。アリスと合流した時には二十匹以上はいた群れも、半分以下に減ってしまっていた。
群れの新しいリーダーだろうか、他の取り憑く犬よりも身体が大きい個体が一声吠えると、取り分けた大咬蛇の肉を咥えて、捻くれた木々の生える森の中へと姿を消していった。
彼らがどうなるのかは分からない。また数を増やすのか、それとも絶えてしまうのか。
しかし、彼らはあの絨毯大咬蛇との戦いにも生き延びた。リィンとアリスとの戦いで数を減らされたのは事実だが、もし二人が居なければ全滅していた可能性だってある。
アリスの語った弱肉強食という厳しい世界で、弱者でも生き延びる事が出来た。それならば次ももしかすると生き延びるかもしれない。最後に吠えたその鳴き声が、相も変わらずに歪んでいたが何となく愛嬌があるようにも思えて俺は彼らの無事を勝手に願った。
「マコトは?」
「どうするのー?」
「ん、何を?」
「あの、大きな蟹」
「このまま連れて帰るにはちょっと大き過ぎると思うなー」
リィンとアリスがふいと振り向くと、目線の先には青金の騎士。俺が呼び出したインガバラットという名の大蟹だ。このまま連れて歩く訳にも行かないが、かといってどう帰せばいいのかも分からない。呼び出した時でさえ、無我夢中だったのだ。
「多分、マコトの職業は『召喚士』」
「『召喚士』は契約した魔物を一時的に呼び出して従わせる事が出来るんだー」
「本召喚した後は自身の魔力を媒介にして、現界させ続ける」
「だからこうして置いているだけでも結構な負担がある筈だけどー」
「……今の所、何か不具合があるって感じじゃないかな」
召喚した最初は魔力を使う、という感覚に消耗した感じを受けたが、今こうして青金蟹を控えさせていても特に疲れたとか怠いという感覚はない。
「本来は契約しなければ、魔物を呼び出せない」
「規格外の召喚、なんて聞いた事無いねー」
「マコト、昔に契約した?」
「分からない、けど多分そんな事が出来るような感じ、じゃなかったと思う」
「事情は知らないけど、そもそもマコトくん自体が規格外な訳だからねー、使える能力も普通とは違うのかも?」
「それは有り得る、マコトはおかしい」
自身に纏わる記憶は曖昧だが、世界としての知識は覚えている。少なくともこんなファンタジーな世界では無かったし、その時代の俺は間違いなく魔力や魔法と言った存在とは無縁だった。
何処でこの力を手に入れたのか、よく分からない。ただ今背負っているリュックにせよ、無言で仕える青金の騎士にせよ、この世界で生きていく上では必要になるかもしれないが、俺には過ぎた力だと思う。何の対価も払っていないから余計に。
「何にせよ『在るべき場所への帰還』した方がいい」
「もし契約して無ければ今契約をしておくのも良いと思うけどー、意思疎通が出来るかは私も分からないなー」
「契約、か」
俺は青金の騎士に近寄り、見上げる。間近で見るとその右手に備わった大鋏、ごつごつとした凹凸に、膨れながらも滑らかな甲殻、俺の胴体ぐらいの太さの節足と、そのどれもが威圧的だ。恐怖を覚えるような、一種の美しさすら感じる。
しかしその二つの複眼はつぶらで何処かとぼけた雰囲気を感じる。蟹をこんなにまじまじと見る機会など無いから新鮮だ。
「君のお陰で助かったよ」
そして、よく見ると分かる、甲羅に付けられた幾つかの傷。鋭いもので引っ掻かれたような跡は先程の戦闘の名残だろう。所々削られているのも、恐らくあの巨体と身体をぶつけ合った証だ。
この青金の騎士が居なければ、間違い無く俺は死んでいた。木の破片に潰されていたか、蛇の巨体に押し潰されていたか、はたまた毒液で溶かされていたか分からないが、何にせよそれだけの数の危機を救ってくれたのは確かだ。
契約、とリィンは言っていた。契約という言葉自体、何かしら強制的な意味を持っている。しかし、俺はこの青金の騎士と契約した覚えは無い。だとするとこの騎士は、ただ俺が呼び出しただけで俺の命を守ってくれたのだ。
「本当に、有難う」
そう思ったら、感謝の言葉が口を出た。勿論、蟹は何も言わない。言葉が通じてるかどうかも分からないが、言わずには居られなかった。
「『在るべき場所への帰還』」
俺が帰還の魔法を唱えると、青金蟹は姿勢を低くし、まるで剣を捧げる騎士のように右手を高く突き上げる。急に実体が霞み、ぼやけるように薄れていき……そして、完全に世界へと解けて消えて行った。
「……何か落ちてる?」
そうして消えて行った筈の青金蟹の居た場所に落ちていたものを拾い上げる。青金蟹の殻を磨き上げて作った、まるで宝石のような瑠璃色の指輪だ。
「これが契約の証、かな」
俺は瑠璃色の指輪を自分の右手にはめる。それだけで俺は、青金蟹を呼び出せるようになったのを確信として感じる事が出来た。
「おめでと」
リィンが俺に近寄ってぽつりと呟く。相変わらずの無表情ではあったが、短い付き合いでも分かる。リィンは無表情ではあるが、無感情では無いという事が。わざわざ俺に声を掛けてくれた事が嬉しくて、俺は感謝を返す。
「リィンも、有難う」
「別に、何もしてない」
「俺はリィンが居なかったらのたれ死んでいたと思う。だから、本当に有難う」
「……そう」
「あれ、リィンちゃん照れてるー?」
「照れてない」
「アリスも、有難うな。こんな怪しいヤツを助けてくれて」
「どういたしましてー。ふふふ、今は素直に受け取っておこうかなー」
リィンは相変わらずの仏頂面で、アリスは柔らかく微笑みながら。俺は、最初に出会ったのがこの二人で本当に良かったなと思った。
「行こうか、二人とも道案内宜しく」
「任せて」
「はーい、帰ろ帰ろー!」
頼もしい二人の背中を追いかける。この『憐みの魔女の森』を離れる為に、そしてこの世界を生きていく為に。




