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009.『手にしていた物は』

「お疲れ」

「初陣なのによく頑張りましたぁ」


 一気に静寂を取り戻した森の中、精神的疲労がピークに達したのと危機を切り抜けたという安堵感で柔らかい腐葉土にへたり込む俺に、リィンとアリスは声をかけてくれた。


「大丈夫?」

「ああ、怪我は何とか」

「怪我どころか即死し掛けてたけどねっ!」

「……実際、死を覚悟したよ」


 改めて首だけになった絨毯大咬蛇(カーペットサーペント)を見る。死んでしまった為に瞼は閉じているが、それでもその裏に隠された蛇眼の恐ろしさは思い返しても身震いがする。口を開く事は二度と無いが、その突き出た毒牙の鋭さ、長さにすら恐ろしさを覚える。改めて考えると本当に良く生きてたな、俺は。


 二人は、と言いかけて俺は口を閉じる。無傷だと思っていたが、よく見るとリィンは頬や額に傷が出来て血が垂れていたし、アリスは服が所々ほつれている上にその生足にも擦り傷がある。


「大したことない」

「そんなにじろじろ見ちゃダメですよー?」

「ご、ごめん」


 俺が傷を見ているのに気付いた二人は対照的だ。かたや拭う事もせずに仏頂面に、かたや薄ら寒く笑いながら。無頓着なリィンの傷口を、何処からか取り出した布で甲斐甲斐しく拭ってあげているアリス。


 何だかその二人を見ていたら、こんなよく分からない世界のよく分からない森の中で命の危険に晒されていたのが、なんだか可笑しく感じられる。


「それで、これからどうする?」


 俺は立ち上がり、土を払う。漸く気持ちが解れて、少し砕けたような言い回しになってしまったが、二人は気にしてない。

 現状を見渡すと、引っこ抜かれたりぶつけられたりで荒れ果てた木々、攻撃を受けて散らばった鱗、その持ち主である大木のような蛇の死体に、骸骨と死体犬、取り憑く犬(ホーントハウンド)青金蟹(インガバラット)と、怪獣大戦争でもあったのかという程によく分からない状態だ。


「とりあえず、回収」

「使える素材はギルドに持っていくとお金になったり、装備に回してくれたりするんだよ」

「出来るだけ持っていきたい」


 まぁ、この大きさだ。幾ら高値になるとしても全部持っていくのは流石に厳しいだろう。

 何個かパーツに分けて持っていくのが、理想的なのだろうが……一人分増えるだけでも、二人の収入が増えるのならば手伝おう。


「荷物を入れる袋はあるのか?」

「ボク達は魔道具(マジックアイテム)異空間収納箱(ストレンジストレージ)がある」

「……すとれんじ、すとれーじ?」

「分かりやすく言えば、沢山入れられる荷物入れ」

「といっても、今は日用品とか雑貨も入ってるから、そんなに入れられるないけどね」

「そんなのがあるのか、凄いな」

「冒険者の必需品」

「マコトくんはこれから、だね。値段によって性能もピンキリだけど」


 そう言って二人共、腰のベルトに巻き付けた箱を見せる。ポシェットのように取り付けられた硬質な箱の中央に魔法陣が描かれている。

 リィンはローブをめくっただけ、なんだが、アリスはダボっとした服の裾をめくって……うお、肌が見えそうで視線のやり場に困るぞ……。


「そ、それってどうやって使うものなんだ?」

「入れたいものを魔法陣に押し付けて、魔力を流し込む。そうすると箱の中に収納」

「凄い道具なんだな……で、出すときは?」

「出すときは逆で、出したいものを思い浮かべながら魔力を流すと箱から出てくるよー」

「一番安いのは、ただ本当にアイテムを入れておくだけ。値段が上がると他のアイテムとも混ざらない」

「容量も小さい大きいがあるし、凄いものだと中に入れたものの時間を停滞させる、なんてものもあるんだー」

「その分、まず見かけない。私達でも、買えないくらいには高い」


 そう言って実際にリィンは地面に落ちた鱗を一枚手に取り、箱に押し付ける。魔法陣が赤く光り、


「き、消えた!?」

「だからボクはそう言った」

「あははは、なんか反応が新鮮でいいねっ」


 また箱に手をかざすと掌に鱗が戻る。俺の反応が余程おかしかったのか、アリスはくすくすと兎の耳を揺らしながら笑う。最初に出会った時は目が笑っていなかったが、少しは打ち解けたのかリラックスしているようにも見える。


「そろそろ拾う」

「はぁーい」

「ああ、分かった」


 とは言え、まだ『憐れみの魔女の森』の中、ここがこの森のどの位置なのか俺には分からないが、また魔物がやってくるかもしれないし、手早く拾うに限る。辺りの警戒をするには、骸骨達も犬達も、何なら俺の青金蟹もいる。実に頼もしい。

 しかし、俺はそんな便利な収納箱を持ってないし……細かい鱗でも拾っておこうか。血で汚れるのはあれだが、背中にリュックもあるしな。本当に俺のリュックなのかは謎だが。


 そうだ、背中、といえば。


「そういえばリィンはずっと何か背負ってるけど、それはなんなんだ?」


 出会ってから気になっていた事ではあるのだが、夜色のローブを纏ったリィンの背中には、布で何重にも覆われた『何か』がずっと存在していた。

 歩く度にその背中で揺れていたが、荷物ならば備え付けの収納箱に入れる訳だし、武器の細身の剣は腰だ。


「……」


 リィンが、此方を向いた。俺は、少しだけ好奇心で聞いてしまったことを後悔した。


「これはーー」


 俺を見る潤んだ、赤眼はまるで仇を見るように冷たくて、鋭い両刃の刃物のように危うくて。

 なんだか、泣いているようにも見えた。


「ーーまだ秘密」


 咎められてるようにも、何故か俺が虐めてるようにも見える、そんな少し眉根を寄せた表情でリィンが呟く。ローブのフードを深く被り直して、ああ、これで話は終わりと暗に伝えている。


「……そっか、ごめん」

「問題無い」

「この蛇は私とリィンちゃんで分担するのから、マコトくんは鱗を集めて貰っていいかなー?」


 俺は頷くと、二人に背を向けて地面に散らばった鱗を拾い出した。


 生きていれば悲しい事もある。辛い事もある。そう口にするのは簡単で、分かったような気になるのも。

 でも、リィンの表情は、そんな単純な事じゃない、気がした。少なくとも、出会ったばかりの俺が易々と踏み込んで良い領域では無い。


 今は、まだ。


 これからもし、まだ交友が続いて、彼女が話したくなったら。そんな時が来たら、その時は。


「……ん、これも使えるかな?」


 鱗を拾ってる最中で、泡に包まれた毒液をいくつか見つけた。泡沫の鎧で守られた時のものだ。もしかしたら貴重なものかもしれないし、ついでに拾う。

 しかし、やはり数が多い。これは意を決して、リュックに纏めて詰めようか。汚れるのを気にしていたが、後で洗えばいいしな。そう思って肩に掛けた青色のリュックを下ろして前に持ってくる。


 そこで、初めて気付いた。リュックの背中側、丁度背負うと俺の背中に触れる面に、真っ赤な魔法陣が描かれている事に。それは奇しくも、リィンやアリスが持っていたものと類似しているように思えた。


「……なんでこんなの持ってるんだ?」


 いや、そもそもこれは本物なのか? 俺が知らなかっただけで実は元々デザインで付いていたものだけなのかもしれない。

 試しに、リュックのチャックを開けてみる。この世界に来た時は慌てて掴んだ為、中に何が入ってるかなんて、確認してはいなかった。


その中に、拡がるのは無、或いは深淵。


「まさかな……」


 今更ながら、恐ろしい物を持っている実感がしてきた。肌触りも見た目も材質もデザインも、一山いくらの量産リュックの筈なのに。

 とりあえず、怖いのでチャックをしっかりと閉める。でも、折角だから試してみようか、とそのリュックに拾った鱗と毒液の入った泡を近付けて、入れ、と念じる。


 魔力、というものを掴んでいないのであくまでイメージだけだが、身体の奥にある魔力的なものがリュックに流れるように想像したら……手にした鱗も泡はずっとその存在を隠されたような消えた。これ、本物だ……。


「な、なぁ!」


 振り向くと、まだ二人はどの部分を持ち帰るか、その為にどうやって切り取るか、話し合っているようだ。


「話してる最中で、悪いんだけど……」

「なに」

「分からない事があったかなー」

「ちょっと、この頭、触ってみていい?」


 返事を待たず、大咬蛇の頭に近寄る。うん、死んでいるとは言え、この背中がぞっとするようなこの頭部の大きさ。

 頭部を触ってみる。鱗の凹凸は鋭利で、張っている為に変に手を動かすと怪我してしまいそうだ。片手に持っていたリュックを蛇に押し当て、先程と同じように入れ、と念じると、先程と同じように蛇の頭が消えた。手を預けていた支えが急に消えて、前につんのめりそうになる。


「その袋、異空間収納箱?」


 リィンがぼそりと呟く、驚きがふと口をついて出てしまったかのように目を丸くさせている。


「マ、マコトくん、こっち! この大きな胴体は入るのかな?! 私達じゃ容量超えちゃうんだけど……流石に全部は無理だよねー?」


 絨毯大咬蛇の、易々と十メートルは超えているだろう体躯は肉付きも良い。下手な家、一軒分を超える大きさだ。


「や、やってみる」


 駄目で元々だ。頭だけでも回収出来ただけでも儲け物な気がする。俺は切断面があまりにも生々しくてちょっと気分が悪くなったが、その近くの胴体にリュックを当てて、同じように収納しろ、と念じる。


 次の瞬間、何の抵抗も無く、巨体全てが消えて無くなった。


「ありえない」

「もー! マコトくん、一体何者なんですかー!!!」


 アリスのどうしようもない叫び声が、辺りに響いた。俺だって聞きたいくらいだよ。

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