45話 残暑
9月の一日。
それは悪夢の再来を示す日。2学期の始まり。
約1か月半もの長期に渡る休暇は、言葉通り「あっ」という間に終わってしまって。何故、休日の時間の進み方は体感的にこんなにも早く経つ様な錯覚を感じてしまうのだろうか。
未だにギラギラと照り付ける太陽は、残暑というには強すぎる殺人光線を放っている様に思えた。今思えば、夏休みの間はそこまで暑く無かった様な気さえしてくる。まあ殆どの時間をクーラーの風の元で過ごせば、そう思ってしまっても無理は無いのかも知れない。
蝉の鳴き声が照り付ける残暑に拍車を掛けさせて、更なる温度の上昇に一役かっているみたいで。シャーペンをクルクルと回しながら、忌まわし気にその元凶を睨み付ければ、此方を嘲笑うかの様にジリジリと日焼けのしていない白い肌がガラス越しの熱を感じる。
痛みにも似た熱を感じる肌から視線を移し、久しぶりに見る担任の顔を眺めれば、2学期の初日故か強いやる気を滲ませながら、声を張り上げる様子は生徒達の溜息を誘発させる。
誰もそんなやる気は求めていない訳だが、大人と子供の温度差は毎年どうにも埋まらない。生徒と教師という関係性は我々が思っているよりも複雑なものなのかも知れない。
2学期の始業式は先程早々に終了して、今に至っている訳だが。
蛍光院学院は2学期初日と言えど、勿論きっちり7時限授業が行われる。初日くらいは授業を免除してくれても良さそうな物だ。
朝のホームルームが終わり、未だ気合いが空回りする我がクラスの担任が意気揚々とクラスを後にすれば、クラス全体の空気が少し軽くなる。
「涼、今日も怠そうな顔してんなー」
ふと気が付けば、雄介がすぐ傍まで迫って来ていた。
夏休み中もちょこちょこ会っていたので「今日も」なんて言い回しをしているのだろう。
「いや、今日はだろ? 夏休み中は良い顔してたはずだぞ」
「無意識かよ……夏休み中のお前、酷でぇ顔してたぞ? もうすぐ死ぬんじゃないかってくらいな」
きっとそれは前回会った時の話をしているのだろうか。
それについては少し心当たりがあった。確かにあの時は少しやつれていたかも知れない。
「あー、あれはちょっと寝てなかっただけだ……」
「ふーん。なんかあったのか?」
「いやー、あの時は次の日お前と遊ぶのすっかり忘れて、妹と一緒に徹夜しちゃってさ……」
「え……はい、出ましたスーパーシスコン。その名は圷涼……」
呆れたとでも言いたげな仕草を取る雄介。
「おい! シスコン言うな! 俺がシスコンなら世界の殆どがシスコンって事になっちゃうだろ……」
「いやいやなんねーから。お前たぶん世界一シスコンだよ。にしたって妹と徹夜って何やるの? 勉強とか?」
「なんつーか映画とか一緒に見てて、夏休みだし夜更かしするかーみたいな。普通にあるだろそういうの」
「いや、わかんねえ……俺、兄妹いないし……」
こいつには分からないか。兄妹が居なければ話にすらならない。
しかし一般的にはそういうの無いのだろうか。うちの兄妹に至っては一緒に朝まで遊ぶなんて連休になれば極々普通にある。
「今日は一緒に朝まで遊ぼう」なんて会話は勿論起こらないが、俺が欠伸をしだせば唯が挑発的な表情で「もう眠いの? おねんねする?」なんて言われたら、眠れる訳も無く夜は更けていく。
1か月半以上も次の日が休みの状態が続けば、何度もそういう状況が生まれる。最後の方なんて、競うのが面倒になって眠さの限界に達した所でソファで二人して寝てしまう。狭さ故に、抱き合う形になってしまう訳だが、これについては他言するのはやめておこう。本当にシスコンだと思われてしまう。
「芹沢さんは兄妹とか居るの?」
唐突に雄介が、俺の後ろに座る芹沢優奈ちゃんに話を振る。
確かに、この場合は他人の意見を取り入れるのは正解かも知れないが、態々俺の元カノに聞かなくてもいいだろうに。
次に始まる授業の準備をしていた彼女は、唐突に話し掛けられたにも関わらず感じの良い、ふわりとした笑みを返してくれた。
「え? 私は兄妹いるよ。お兄ちゃんが一人。」
「そうなんだ。じゃあ丁度いいじゃん。涼は妹と滅茶苦茶仲良いらしいんだけどさ、芹沢さんはどうなの?」
「あ~それは圷君から以前色々聞いた事あるよ。うちはどうかなあ、普通だと思うけど……一緒に朝まで何かするとかは流石に無いけどね」
どうやら此方の話を聞いていたらしい。
説明するまでも無く、明確な答えを提示してくれた事に感謝の念を感じながらも、非常に恥ずかしい思いをするのは何故だろう。
「という事らしいぜ? 涼。お前がシスコンなのはたった今決定した。」
「まあうちが特別素っ気無いだけかも知れないし! そんな気にしない方いいよ圷君!」
途端に手をヒラヒラと振りながらフォローを入れてくれる芹沢さん。
その顔には、少し申し訳無さそうな雰囲気が滲ませてくれる。そのフォローが逆効果という事には、少し天然な彼女は気が付いてくれなさそうだった。
しかし納得が行かない俺は、必死に抗議に打って出ようとするも。
「いやちょっと待て! 俺がシスコンって言うよりも、唯がブラコンっていう可能性も…………」
そこまで話した所で、一限目の担当の教師が教室に声を荒げながら入って来た。途端に生徒達は現実に引き戻される。
その様子を見て、雄介も溜息を付きながら自席に向かって行き、芹沢さんも苦笑いを浮かべながら、いそいそと授業の準備を再開する。
ポツリと取り残されたかのような思いに駆られながら、仕方なく体を正面に向け黒板に視線を移す。
未だに夏休みの浮遊感が抜けきらない。そんなに簡単に切り替えが出来る訳も無く、それでも自分に鞭を打つ。
そう。
楽しい夏休みはもう終わり、また学院生活が始まる。
いつもの日常が。
――――――
カタカタカタカタ。
暗い自室に、ノートPCを叩く音だけが響く。
金髪を通し越して真っ白に染められた真っ直ぐな髪。
そこから覗く無表情は、目の前の文字列だけを冷たい視線で見つめる。
発光し続ける画面にはいくつものフォルダが並び、その一つ一つに人物名が振られていた。
「学院3大美女」のフォルダから蛍光院栞のフォルダだけを切り取り、「一般」のフォルダに移していく。一般のフォルダから一つを同様に切り取って、先程まで蛍光院栞のフォルダがあった場所に置き換える。
吉良胡桃。
新たな学院3大美女に選考された人物が、2学期が始まった今日。
例の裏サイトで発表された。
吉良胡桃の知名度は元々高い。夢乃白亜が選考されるまでは、学院3大美女にその名を長い間連ねていた一人である。
夏休み前の騒動で蛍光院栞の支持はガタ落ち。急降下した。
あんなたった一人に向けたスピーチで大衆の心を動かせる訳も無く、自身の過去が露呈した事で引き起こされた結果は、存分に学院内に波紋を生んだ様だった。
その空いた席に繰り上げられたのが、吉良胡桃。
彼女本人も再度、学院3大美女に返り咲く為に様々な裏工作をしていた事を踏まえれば、これは妥当な結果にも思える。
とはいえ、そこまで急激に上昇出来る訳も無く、蛍光院栞との実質的な票数は僅差。どちらかといえば、蛍光院栞自らが身を引いた様にも見えた。彼女が今年卒業する事も要因の一つではあるかも知れない。
分散した票の殆どは、結城向日葵と夢乃白亜に集中した様で。
もともとが向日葵と蛍光院栞に多くの支持が集まっていたが故に、現状学院の支持は圧倒的に結城向日葵の元に集められる結果となった。
今回の事態に、学院の多くの人間が困惑している様だった。
たった一人の生徒に対して過度な力が集まる事への恐怖。学院3大美女が複数名存在しているのも恐らくそれが狙い。社会主義の先には破滅が待っている。
最早教師連中やあの生徒会長であっても、向日葵を止める事が敵わない。
加えて最近の向日葵の変わり様がより一層周囲の不安を増長させた。
それが分かっているのにも関わらず、結果的に大勢の生徒達が向日葵に投票してしまうのは、結局長いものに巻かれてしまう日本人特有の民族性から来ているのかも知れない。
しかし、私自身それについてはそこまで深刻に考えてはいない。
昔からの馴染み故か、長所も短所も良く知る人物。
取れる選択肢も、戦術も、全く知らない相手よりかはよっぽど多様に対応出来る所為か、気が楽。今更脅威も糞も無い。
それよりか。
カチカチ。
私は夢乃白亜の専用フォルダをダブルクリックして開いた。
その中身は綺麗な程に真っ白。何の情報も無く、ひたすらに空白が続いていた。
夢乃白亜に関しては、流石芸能人と言うべきか何のスキャンダルも問題行為も無い。正に未知の人物。
一時期芸能活動を休止していた事から、何かしらの問題を抱えているのは明白。それでも尻尾を出さない術を弁えている。
私にとっては、今の向日葵よりも此方の方がずっと脅威。
このまま卒業まで何も行動しないで居てくれるとは到底思えない。だが、何の手も無いままに無謀に突貫するような愚も犯せない。
兎に角今はだたジッと目を凝らす事だけが、私に出来る唯一の選択肢。
もうこれ以上の失敗は、許されない。
夏休み編を番外編として出そうかなと思っております。




