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妹フレグランス  作者: かいうす。
3章 栞
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43話 把捉


 緩んだ気を引き締める様にネクタイをきつく締める。

 昨日が土曜日なら、当然今日は日曜日。学生にとって日曜日とは心休まる休日の筈が何故ネクタイなんかしているのかと問われれば、それを応えるのには少し説明が面倒になるかも知れない。


 時計に目を向ければ、昼を少し過ぎたくらい。

 日曜日と言えど、栞先輩は学院に赴く。それは彼女が生徒会長というだけでは無く学院の理事にも関わっているからこそ。


 正直、今日学院に来るかは分からないし、来たとしても何時になるかすら分からない。基本的には決まって毎週休日でも学校には行くと以前に言っていた事から今日も例外無く来てくれるといいのだが。

 どちらにせよ、そんな理由で栞先輩の事を明日に先送りになど出来ない俺は、休日でも構わず学院に向かう事を決めた。



「行って来ます。」


 玄関の扉を開けば、強い日差しがギラギラと肌を刺す。

 休日特有の雰囲気に包まれる住宅街に制服姿が若干浮いている気がする。そんな焦燥感にも似た気を振り払うように学院に向けて歩みを進めた。


 自宅から学校までは徒歩で15分程。


 徒歩として考えるなら近くもあり遠くもある。距離で言ってしまえば精々2キロ弱。

 たったの2キロも、今日の15分は不思議と長く感じる。普段はあまり無い一人きりの登校もその原因の一つかも知れない。


 これから栞先輩に会いに行くというのに、俺の心は思いの外冷静で。それはきっと彼女のおかげなのだろうな、という想いが浮かぶ。


 正直、白亜があそこまで芯の強い子だとは思わなかった。出会ったばかりの頃のイメージと照らし合わせてもそうだが、あの時のあの目は今までの白亜とは似ても似つかない強い目をしていた。

 それ故なのか、俺の心に強く響いた。


 おかげで俺はこうしてまた栞先輩と向き合おうと思えた事は、俺にとって大きな進歩の様にも感じる。今度きちんとお礼をしなければいけないな。


 軽く口元が緩む。

 これから大事な時だと言うのにこんなに落ち着いているのは本当に不思議で、これから起きるうるであろう出来事に不安をさほど感じない。結局、俺は栞先輩にあんな沢山の罵倒を向けられたのに嫌いになれないんだ。


 この一年、彼女の傍らで憧れにも似た思いを感じた。

 勿論、彼女をもう勝手に自分の型に嵌めて自分の理想を押し付けたりはしたくない。それでも、彼女の放つ言葉には確かな力が宿っていたのは事実だ。


 例え彼女がそれらを嘘と呼んでも、俺にとっては真実だった。

 俺のこの短い様で長い16年という人生で一番影響を受けた人物だった。





 休日の蛍光院学院。

 ようやっと到着してみれば生徒の姿は殆ど見えない。部活動で登校して来ている生徒達くらいだろう。


 遠目にジャージ姿の生徒達の群れが一つ、二つあるくらいだ。校舎に隣接しているグラウンドに目を向ければ、もう少し多くの人が居る様だった。それらをチラリと眺めながら、いつもの様に下駄箱に向かう。


 途中ジャージ姿の生徒達の横を通り過ぎれば、背中には「蛍光院学院女子テニス部」の文字が書かれていた。


 女子テニス部という事は、当然向日葵も居る筈だ。軽く目線を巡らせれば、一人此方を凝視している女生徒が目につく。少し赤が掛かった茶色いショートカットがよく目立ち、運動部特有の専用ジャージが良く似合う。

 向日葵とバッチリ目が合った。


 一応部活中という事もあり、ミーティング中なのか部員達と何か真剣に話している様子。邪魔しないように声は掛けず軽く手をヒラヒラと振れば、フイッと目を逸らされてしまった。

 再度、俺はまた口元を緩ませる。まあ俺の幼馴染はいつもこんな感じだ。



 そのまま歩みを止める事無く校舎内に入っていく。

 下駄箱で室内履きに履き替え、代わりにローファーをしまう。


 校内は校舎の外以上にガランとしていて、遠くから吹奏楽部のトランペットの音だけが小さく聞こえて来ていた。


 そんな寂しさが漂う休日の学校で俺は真っ直ぐ生徒会室に向かう。

 上履きが発するペタペタという効果音と共に歩みを進めれば、あっという間に到着してしまう。無意識に喉をゴクリと鳴らす。


 いつもは何気なしに開く生徒会室の扉。この扉の向こうに居てくれる事を願って。



 コンコン。

 2回ノックして扉を開いた。



 部屋に入り最奥の席に目を移せば、思った通り彼女の姿が視界に入る。安堵の溜息が零れ、同時に、彼女の視線を感じた。此方を見詰めているのが、ひしひしと伝わって来る。




「ども。」


 いつもの様に挨拶をしても、残念ながら返事は帰ってこない様だ。


 都合よく他の役員は一人も居ないらしい。

 いつもなら必ずいる会長補佐の水島先輩も見当たらない事に少々意外な感覚を覚えながら、自分の割り当てられた席に向かい椅子を引く。


 良かった。まだ俺の生徒会副会長の席は残されている様で、その事実がまだ俺が副会長として正式に除名されていない事への確認に繋がる。

 それだけ分かれば今は十分だった。


 栞先輩は相変わらず何も言葉を発する事無く、此方を怪訝な様子で見つめている。


 机には、溜まった書類の束が目につく。

 それを数枚手に取れば、ほとんどが白紙だった。



「これはまたいっぱい溜まってますね……はは。今日中に全部終わるかどうか……。」


 そう言って生徒会の作業を開始する俺を見て、ようやく栞先輩はポツリと声を発した。


「……な、なにをしているんだお前は……?」


「え? なにって、生徒会の業務ですよ。いつもやっている事じゃないですか。」


「そ、そうか……いや、そうじゃない! そうじゃないだろう!? 何故此処に居るのかを聞いているんだ。」


 栞先輩は激しく動揺しながら、ガタンと音を立てて立ち上がった。

 反動で椅子が音を立てて倒れる。そんな激しい音が二人だけの生徒会室に響き渡った。


「昨日無断で休んでしまいましたからね。今日は謝罪も含めて、休日返上で出勤しました。ははは。」


 そんな俺のおどけた態度が気に食わなかったのか、彼女はその鋭い目を更に鋭く尖らせる。


「馬鹿かお前は……もうクビだと言っただろう! もう来なくていいと、会いたくないと言っただろう……。」


 その声は途中から掠れて良く聞き取れない。

 栞先輩はとても辛そうに、苦しそうにそう言う。


「そうは言われましたが、正式に解任が受理されるのはもう少し時間が掛かるでしょう。任期の間はちゃんと仕事をしますよ。」


「……ふ、ふざけるな!!!!」



 ガタン!!

 途端に胸ぐらを掴まれた。

 俺が腰掛けていた椅子も同様に大きな音を立てて倒れる。

 もう我慢の限界とでも言いたげな顔で、此方を睨み付けられれば、俺もその目をしっかりと見つめ返した。



「ふざけていません。」


「何をしにきた? これ以上ふざけた真似を続けるなら容赦はしない。」


 今にも殴りかかって来そうな栞先輩。今までに見た事が無いくらいに怒気を孕んでいて、本当に殴られるかも知れないと感じた。

 それでも俺ははっきりと自分の真意を告げる。


「仲直りをしに来ました。」


 一言。

 その一言に今まで力を込められていた栞先輩の腕からスルリと力が抜けると、少しだけ宙に浮かされていた俺の身体は地に足を付けて安定を取り戻す。

 交差する視線は彼女の方から逸らされて、その視線は行き場を無くして右往左往している。


「……な、なにを言って……。」


「その為に今日ここに来ました。」


 小刻みに震える彼女の身体は一目で強く動揺しているのが見て取れる。

 チラチラと此方の様子を確認しながらも、その様子は未だに半信半疑の様だった。



「……私が……私が過去して来た事を知ったのだろう……?」


「はい。聞きました。」


 その返答にビクリと反応する。


「それに……君を階段から突き落とした……。」


「ええ、それでも。」


 再度ゆっくりと栞先輩は俺の目を見る。瞳がゆらゆらと揺れていて、いつもの彼女からは想像も出来ない程にか細く、弱弱しい。


「……だめだ。それでもダメだよ……私と共にいれば、君が……」


 少しの間を置いてようやくポツリポツリと話しても、栞先輩の言葉は途中で終わって途切れてしまう。




「……大切なのは、自分がその人をどう思っているか。」



 唐突に言われた言葉に栞先輩は戸惑いの色を表す。

 俺はそんな彼女を見つめたまま、言葉を続けていく。



「辺り触り無く日々が過ぎるなんて事はあり得ない。だからこそ自分がその事を、その人をどう思っているか、きちんと伝えるべきだ。」



 そうこれは彼女自身の言葉。

 以前、俺が栞先輩に貰った言葉だ。

 栞先輩もそこまで言ってようやく気が付いたのか、目を大きく見開く。



「――――その人が自分にとって大切な人なら。」


「――――っ!! ……ど、どうして……!」



 その言葉を聞いて、栞先輩の大きく見開かれた両目から止めどなく大粒の涙が勢いよく溢れ出る。彼女は両手で顔を覆い被せる。声にならないような悲鳴にも似た泣声がこの静かな生徒会室に響き渡る。



「簡単です。栞先輩は俺にとってとても大切な人だからです。」



「……っ!! ……りょうくん! りょうくんっ!!」



 栞先輩の肩に優しく手を添えれば、それに縋る様にして両手で握り返してくれた。彼女の額が俺の胸に引き寄せられて、まるで抱き合っているような姿勢に少し心臓が跳ねる。


 きっと俺達は話し合いが圧倒的に足りていなかった。それ故に、誤解とすれ違いが生じてしまったのかも知れない。

 この涙はきっと、彼女がとても繊細なのを知っていたのに、俺の配慮が足りない所為で流させてしまったものなんだと思ってしまう。


 俺の胸に顔を埋める栞先輩を宥める様に、彼女の綺麗な黒髪を優しく撫でれば、反応する余裕が無いのか俺の手を握る両手でより強くギュっとした感触だけが帰って来た。




 ――――どれくらい時間が経っただろうか。


 この抱き合う様な態勢のまま、ジッとして離れようとしない栞先輩。

 先程まで小さく響いていた泣き声はもう止んでいて、今は時折鼻を啜る程度には落ち着いてくれた様だ。


 お互い立ちっぱなしで、栞先輩もそろそろ座りたいと思っているのではないだろうか。


 それでも何も言葉を発さないまま、ピタリとくっ付いた彼女にどう声を掛けようかと今の今まで考えていた訳なのだが、それを許さない雰囲気が漂っている様にも思える。

 しかし、いつまでもこのままというのも非常に宜しくない。


 俺は恐る恐る彼女に聞こえる程度の小さな声を漏らした。


「栞先輩……?」


「……。」


 相変わらず反応が無い。


「し、栞先輩……?」


 もしかしたら聞こえていないのかとも思い、少し大きな声でもう一度名前を呼ぶ。


「……ん……?」


「もう大丈夫ですか……?」


「まだだめ。」


 その声はまるで子供の様で、甘く、柔らかい。

 本当にあの栞先輩が出している声なのかと、一瞬自分の聴覚を疑ってしまう程の可愛らしい声色。


 しかしその言葉とは裏腹に、俺の胸からゆっくりと頭を離していく。ようやく見えた彼女の表情、頬が赤く染まっている所なんかはそれこそ蛍光院栞けいこういんしおり先輩のイメージからはかけ離れたものだった。


 俺たちは各々の倒れた椅子を立たせると二人並んで腰掛ける。


 彼女が未だに繋いだ手を離そうとしない事に、どう対処すればいいのか分からないまま生徒会室には沈黙が流れていく。

 しかも、ただ手を繋いでいるのでは無い。これは俗にいう恋人繋ぎというやつで。いつの間にこの繋ぎ方に変更したのかも分からないが、これは流石に少し気恥ずかしい。


 長い静寂を経て、栞先輩はようやっと言葉を出してくれた。



「りょうくん。」


「はい。なんでしょう?」


「今日は来てくれてありがと。凄く凄く嬉しかったよ。」


 酷く久しぶりに見るような気のする彼女の笑顔は今まで見たどの笑顔よりも綺麗で可愛らしいものだった。

 それに加えて今の栞先輩の声と雰囲気は本当に柔らかいもので、そんな声を栞先輩みたいな人に手を繋ぎながら言われれば平静を装う事など出来る筈も無い。


「そ、それなら良かったです。本当に。」


「仲直りしに来てくれたの?」


 口調も凄く自然で、いつもの仰々しい喋り方とはまるで違う。


「はい。俺は先輩との関係を終わらせたくなかったので。」


「そ、そっか……。でも私と居れば転校されられちゃうんでしょう?」


 転校?

 唐突に言われた意味の分からない単語。

 しかしすぐさま妹の姿が脳裏に浮かぶ。今回の事で関連していない訳も無く、全ての事柄に唯が関わっている筈だ。


「もしかして、唯がそんな事を……?」


 栞先輩はコクリと頷きながら、おずおずと答えた。


「う、うん。」


「はあ……あいつは全く……。栞先輩、そんな事はありません。栞先輩と一緒に居ても転校なんてしません。」


「そっか……。うん。良かった……良かったよ。」


 少し涙を浮かばせて、思わず見惚れてしまいそうになるほどの笑顔を咲かせた。そんな彼女を見て再度俺の心臓は思い出したかのように跳ね始める。

 それと同時に一つの疑問が脳裏を過る。


「栞先輩、もしかしてだからあんな事を言ったんですか?」


「え……う、うん、そうだけど……。」


「じゃあ、俺の事嫌いって言うのも、ムカついていたって言うのも……。」


「い、いやあれは……本当はそんな事全然思ってた訳じゃなくて……」


 そう言いながらも、居た堪れないと言いたげな表情を滲ませる。

 そんな気弱そうな態度が、俺の中での栞先輩のイメージを少しずつ壊していく。


 もしかしたら彼女は本当はこういう性格なのかも知れない。

 蛍光院という名家に生まれて、ただ気丈に振る舞っていただけなんじゃないのかと、ふとそんな風に思ってしまった。



「じゃあ、これからも俺と栞先輩は一緒に居られますか?」



 気が付けば無意識にそんな事を聞いてしまっていた。

 それを聞いた彼女は頬を真っ赤に染めて、途端に目を逸らしてしまう。


 自分がただの後輩という立場の事だという事をふと思い出し、少しの後悔を感じていれば、栞先輩はとても小さな声で、けれどもはっきりと応えてくれた。



「うん……私も一緒に居たい……。」



 ずっと聞きたかった言葉が耳に届く。

 未だにお互いの手は求め合う様に握られていて、二人の熱が籠り交じり合う。


 栞先輩の知らない一面とこうしてまた向き合う。

 結局どの一面も彼女の一部で、知った風になっていてもまだまだ知らない部分はあるのかも知れない。それらを知っても知らなくても、栞先輩が俺にとって大切な人である事はきっと変わらない。


 繋がった手を通して、この想いが彼女に少しずつ伝わって行くような気がした。

次回、栞編最終回。

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