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妹フレグランス  作者: かいうす。
3章 栞
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39話 距離


 ようやっと検査の為の入院も終わり、晴れて今日自由の身を取り戻せた事に全身が喜びに打ち震える。少し大袈裟な表現かも知れないが、それほどまでに入院という名の監獄は俺にとって精神的に耐え難い物だった。


 まず飯がこの上ない程に質素。薄い味付けの健康的なバランスを重視した食事は正直言って食べていて二日目には嫌気が差す程に詰まらない物だった。そして追い打ちをかける様に襲う持て余し過ぎる程の暇な時間。何もする事が無さ過ぎて、妹や幼馴染と普段はそこまでしないメールのやり取りなんかを無駄に交わしてしまう程に。


 勿論、心配して貰える事は心から感謝してしまう程に嬉しい事なのだが、だからといっていつもは毎朝、「おはよう」としか交わさない幼馴染と、まるでリアルタイムチャットの様にトークを交わして気が付けば深夜、なんて事になると流石に少し面映ゆい。


 次に会った時に向日葵と、どんな顔をして会えばいいのか分からなくなってしまう。まあその事については向こうも時間をすっかり忘れてしまっていたようなので、お互い様だろう。


 とりあえずは、そんなこんなで無事今日退院出来る運びとなった。検査の結果は、頭部には何の問題も無いとの事で。まあ正直最初から分かっていた事だが、一応はこれで一安心。明日から学校に復帰しても問題無い様だ。


 何だが今となっては、この2泊3日がとても長い時間だったかのように感じる。


 圷家の玄関。とても懐かしい感覚。

 たったの2日で寂しくなってしまったのだとしたら、もしかしたら俺はホームシックを感じてしまうタイプの人間なのかも知れない。


 ポケットから家の鍵を取り出して差し込む。慣れた手付きでそれを回した。

 しかしドアは開かない。どうやらまた玄関を開けっぱなしにしているようだ。不用心だから、帰宅したら毎回鍵を掛けろと言い付けてある筈なのだが、何度言っても聞かない妹に対して深い溜息を付かざるを得ない。

 この癖が治るまでは、俺が夜遊びを覚える事は出来ないだろう。まあ妹に治す気があるのかすら分からないが。


 もう一度鍵を回してドアを開けば、すぐそこまで唯が出迎えてくれていた。

 何ともこれは珍しい。その顔には満面の笑みが彩られている。


「おかえり。涼。」


 そんな可愛らしい笑みを向けてくる妹に対して、同様に笑みを返す。


「ただいま。」


「早かったね。御飯出来てるよ。それともお風呂にする?」


 何ともテンプレートな台詞である。

 実際にテンプレなのは、この後に続く言葉の方なのだけれど。

 ここでふざけて「妹にするよ。」なんて言おうものなら、どういう反応が帰って来るのか分かった物じゃない。最悪、妹どころか、飯も風呂も抜きにされ兼ねない。


「うーん。じゃあ飯で。」


「わかった。今日は涼の好きなビーフストロガノフだよ。」


 その一言に少し心が踊る。

 唯の絶品料理の中でも、俺の中でのランキングの上位に位置するその料理名に喜ばない道理は無い。二人揃って食卓に着いた。

 久しぶりと感じてしまう我が家の食卓。やはり自分の家というのは、一番心休まる場所の様だ。





 そうして今は食後のひとときを唯と共にリビングでゆっくりと過ごしている。


 いつもながら、リビングの中央に置かれたテレビには他愛の無いバラエティ番組が流れ続ける。選局は勿論、妹の好み。

 唯は頗る機嫌が良さそうで、口元には絶え間なく笑みが零れている。俺の服の裾で手遊びをしている所を見るに、意外にも俺に対してのわだかまりは、そこまで持って居無さそうだった。


 正直入院中から、帰宅すれば唯に手厳しく怒りをぶつけられると思っていた。

 今回の事の顛末は恐らく教師から一連の内容程度は家族故に聞いているだろう。


 俺があの時誰と居て、どうして階段から落ちたのか。


 唯の主張を無視して、栞先輩と話しに行った結果だ。

 唯には俺を叱る権利がある。それなのに、彼女はあの事に関して一切触れようとして来ない。一見、避けている様にも見える。


 そんな風に俺の事を想ってくれる家族の姿に対して、決して小さくない罪悪感を感じてしまう。居た堪れない。


 それと同時に俺の中では、未だに栞先輩の事を諦める事なんてまるで出来ないという大きな矛盾がぶつかり続ける。結局入院中に、栞先輩の事を考えれば考える程、記憶の中の栞先輩を俺は肯定してしまう。本当の彼女が一体何を考えているのかすら分からない。それどころか、一度はその栞先輩に強く拒絶されたというのに。


 もう一度だけでも話したい。

 それが俺の今の嘘偽りの無い気持ちだった。


「なあ唯。」


「ん?」


 此方に振り向く彼女の微笑みはまるで天使の様。

 そんな可愛い妹の反対を押しのけて意地を通すのが、本当に正しい事なのかは分からないが、それでももうこれ以上嘘を吐きたくは無かった。


「その……栞先輩の事なんだけどさ……。」


 そこまで話すと、唯は俺の言葉を遮る様に俺の手に自分の掌を重ねる。


「涼。今日は退院したばかりなんだし、その話は今日はやめよう。」


「そんな只の検査入院だったんだし、そこまで心配する事無いよ。」


「ううん。それでも心配。話ならいつでも出来るから、今日はゆっくりしよう?」


 唯は真っ直ぐ此方を見つめて、その視線には真剣さが強く伝わって来る。

 その目を見つめ返せば、反論なんて出来る訳も無かった。


「わかった。じゃあまた機会を改めて。」


「うん。」


 そんな俺の了承の言葉を聞いて再度万弁の笑みを咲かせる唯。

 俺の腕に自分の腕を絡ませて来る。そんな兄妹の仲睦まじいスキンシップも久しぶりだ。


「ねえ涼。なんか甘いものでも食べる?」


「そうだな。偶にはいいかも知れないな。」



 唯がキッチンの棚から嬉しそうにお菓子を運んで来る。

 問題を先送りにしてしまった事に少しだけ後悔の念を感じながら、家に買い置きしてあったそのお菓子を頬張れば、口の中に甘さが広がる。


 未だにテレビには興味の無いバラエティ番組が淡々と流れ続けている。

 明日向かう学校の事を考えれば、連鎖的に頭の中には栞先輩があの時見せた表情がぼんやりと浮かんで来ていた。




―――――




 翌朝、この2日の入院で少し崩れた俺の生活習慣を正す様に、唯が朝の起床を珍しく手伝ってくれた。妹に起こして貰うのは本当に久しぶりで、目を覚ました時に小さな驚きの声を漏らしてしまった程。


 重たい瞼をゆっくりと開けば、あとたったの十数センチでお互いの唇が触れ合ってしまうのではないかと思ってしまうくらいに、唯の顔が至近距離まで迫って来ていた。まあ久しぶり故に驚いてしまっただけで、昔から唯の起こし方はこうだ。起こしてくれるのは非常にありがたいのだが、物凄く顔が近い。


 勿論、向日葵に選んでもらった新ニワトリ時計も活躍している。今日はその新ニワトリ時計の大音量を以ってしても起きれなかった事を含めると、妹という存在はやはり頭が上がらない存在なのだろう。


 それからは毎朝のお決まりの朝の流れが淡々と行われ、決まって少々時間に追われながら家を二人で後にする。


 ここ最近は向日葵の朝の出迎えが無くなってから少しずつ習慣になりつつある兄妹二人の登校。向日葵がいる時はだんまりを決め込む唯も、二人きりだと案外おしゃべりになる。

 昼休み食堂で何を食べようとか、放課後の予定はあるのかとか、話す事は他愛無い事ばかりだが、楽しそうな妹の顔を朝から眺めるのは悪い気分では無い。


 そんな楽し気な登校に時間をすっかり忘れてしまえば、もう蛍光院学院は目と鼻の先まで迫っていた。いつも通りの数えきれない程の生徒の数。もうすっかり見慣れてしまった光景だ。


 その中に、見知った雰囲気が目に付く。少し心臓が重くなる感覚が俺を襲う。

 長い青色が掛かった黒髪を揺らしながら、相変わらずの凛とした立ち振る舞い。切れ長の鋭い目付きがよく目立つ。やはり栞先輩はこの数の生徒の中でもよく目立つ。

 周囲が少し不自然な程に彼女に対して怪訝な視線を送っている様に感じた。気のせいだろうか。


 ここ数日、栞先輩の事を考えていた所為か、俺の足が自然と無意識に彼女の背中に近づいてしまう。


 そこでハッと我に帰った。

 今は、唯も俺の背後にいる。このタイミングで栞先輩に話し掛けようとすれば、また止められるんじゃないだろうかと。

 唯の事だ。恐らく栞先輩の事に気が付いているだろう。


 自分の中に、唯の俺を心配してくれる気持ちを裏切りたくないという気持ちと、栞先輩と話し合いたいという気持ちが鬩ぎ合い、葛藤する。

 一度チラリと振り返れば、唯は特に普段と変わらずに飄々としている。スマートフォンをピコピコと操作して此方の事をあまり気にはしていない雰囲気だった。



 俺は意を決して、丁度校門に差し掛かった辺りで栞先輩に近づき肩を強く掴む。


「栞先輩!」


 その声と共に途端に此方を振り向けば、彼女の表情にはこれ以上無い程の驚きが表れていた。鋭い目を大きく見開き、瞳をゆらゆらと揺らしている。


「りょ……涼君……。」


 俺はそんな栞先輩の瞳に対して、紳士な目付きを返す。

 彼女は余程驚いてしまったのか、口をパクパクと開いて何かを話そうにも、言葉が出てこない様子だった。


「あ、あの……涼君……その……。」


「栞先輩。」


 そんな彼女を気遣う様に優しい口調で名前を呼ぶ。

 呼ばれた途端に瞳を更に揺らす栞先輩の姿はとても儚げに感じた。


「……ん……?」


「俺やっぱり栞先輩と……」


 その時だった。俺たちの交差する視線を遮る様に、二人の間を何かが素早くヒラヒラと横切る。それはそのまま重力に従って地面に落ちる。


 それは一枚の学院発行の校内新聞だった。

 何処から落ちて来たのかと空を仰げば、その景色はまるで紙吹雪の様に辺り一面に、今自分の足元に落ちて来たものと同じものが舞い散っていた。


 一体何枚あるのだろう、なんて途方も無い感想をふと抱いてしまう。


 正に視界一面。何百枚という単位で空からその校内新聞が降り注がれる。紙の雨がどこから降って来るのかと元を辿って視線を追えば、屋上にチラリと人影が見えた気がした。


 周囲の大勢の生徒達もそれを手に取り大騒ぎを始めた。

 そんな周囲の対応に釣られて、自分の足元に落ちたそれを一枚手に取る。


 そこには大きな見出しで、「蛍光院栞けいこういんしおりの悪事」と書かれていた。

 次の行、一番大きな記事に目を移せば。


 「刺傷事件」と書かれた目立ちそうなフォントの文字。

 写真には事件の雰囲気を醸し出す血痕が映された写真が大きく張り付けられている。

 中等部の蛍光院栞は同級生を刺した。一命は取り留めたが全治6か月。しかもその事件そのものを蛍光院家の権力で抹消された。


 要約すれば、まあそんな事が書かれていた。


 俺は恐る恐る彼女の方に視線を移す。

 栞先輩はもう此方を見ては居なかった。足元を見つめ、下唇を噛む仕草。


「し、栞先輩……これは本当なんですか……?」


「……ああ。本当だよ……。」


 周囲の騒音が彼女の一言が瞬く間に溶けて消えていく。

 彼女の頬に一筋の涙が伝う。


 その涙を見て、たった今してしまった質問に後悔の念を抱く。

 俺は別に栞先輩にそんな事言うために何日もうだうだと考えを巡らせた訳では無かったのに。


「涼。」


 すぐ背後から唐突に声を掛けられて背筋にゾクリとした感覚に襲われる。

 振り向けば、唯が空から降って来た校内新聞を片手に見つめていた。


「今日、帰ったら大事な話がある。」


 唯の瞳には一切の熱は感じられなかった。

 何を話すかなんてもう聞かなくても分かっている。

 なにも今このタイミングで、しかも栞先輩の居る前でそんな事を言わなくてもいいのにと思ってしまう。


「あ、ああ……。」


 俺は唯に対してそんな生返事しか返す事が出来ない。



 再度栞先輩に意識を向ければ、もう彼女の姿はそこには無く。長い黒髪が背を向けて校舎に向けて歩みを進めているのが見える。


 俺と彼女との距離が酷く遠く感じた。

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