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町の写真屋さん

作者: ゆか子

うちの家庭は家長である私と妻と、一男一女で暮らす普通の家庭だ。私がいつものように出勤前にゴミ出しに行くと、出会った町内のおばちゃんから町の写真屋さんの噂を聞いた。そこの写真屋さんでおばちゃんの息子が証明写真を撮ってもらったら、希望していた会社への就職が決まったという。他にも私がいつものように回覧板を斜向かいのお宅に届けに行ったら、そこのお嬢さんが町の写真屋さんでお見合い写真を撮ってもらってから、良縁に恵まれてめでたく婚約が決まったとか、とにかく、町の写真屋さんで写真を撮ってもらってから人生が変わったという話を聞くにつけ、それなら、ちょっと、と、眉唾ながらも我々家族もその町の写真屋さんの恩恵に授かりたく足を運んでみることにしたのだった。


写真屋さんに家族写真を撮ってもらうように予約を入れると、そこの写真屋さんには駐車場がないということを聞かされたので、いつもは車で通る国道の歩道を歩くことになった。こうして家族揃って肩を並べて歩くことはここ最近なかったなと思う。歩道沿いに並んだプラタナスは枯れ葉も落ちて、見るからに寒々しいが、枝にしっかり新芽の膨らみを付け、春には柔らかな新緑で私たちの目を楽しませてくれることだろうと、今思えば私はこのとき、何かが変わる期待のようなものを感じ始めていたのかもしれない。

「寒い……」

「バス通ってないの?チョーサイテー……」

「……」

私は息子、娘、妻、それぞれの呟きを耳に流さず、坂を少し上った所にある町の写真屋さんへ急いだ。ガラス戸を押し開いて店内に入ると、すらりとした青年が迎え入れてくれた。

「ご家族写真をご予約の〇〇様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」青年のスマートな案内に従う我々家族一同。

「どうぞ、お好きなものをお選び下さい。更衣室はあちらにございます」と案内されるまま通されたのはオープンクローゼットだった。所狭しと並べられた衣装は男性用はスーツからタキシード、女性用は上品そうなアンサンブルのフォーマルスーツにカクテルドレス、ふわりと愛らしいレースをふんだんに使ったウェディングドレスまである。

「魔法少女のコス、あんじゃん」

「あたし、ドレス何て着たくない」

「……」

息子、娘、妻の呟きは、店内に流れていた陽気なマーチ調のBGMにのって、私の耳に届いたが、「何かご不明な点がありましたら何なりとお申し付け下さい」という物腰の柔らかな青年の声に、深くは考えずにおこうという思考に切り換えられたのだった。


「お気に召すものがございませんでしたか」

それぞれ更衣室に入った夫、息子、娘に続くどころか、たくさんの衣装があるオープンクローゼットから何も選ばずに出ようとする婦人に店の青年がそっと声を掛けた。

「……わたしは、ただの、付き添いですので」と、静かながらにきっぱりと婦人は言う。

「お写真の映りを気にしておられるのでしたら、お顔のむくみがとれ、どなた様でも5才は若く見えるようになるメイキャップをオプションでお付けしたり、撮影後にご納得いただけるまで、CG加工をするというサービスもご用意いたしておりまして、当店をご利用のお客様から大変ご好評をいただいており、きっとご満足いただけると……」

「そういうのではありません」

婦人はいたずらをした子どもを一瞥でもするように青年を見ると、ピシャリと言った。


陽気に流れるマーチ調のBGMが何度目かのリピートを終えたころ、更衣室から息子と娘が着替えを終え、それぞれでてきた。「「うわっ!」」

重なる妙齢の男女の声。

「ブハッ!」

息子、娘を見留めた婦人は思わず出されて渋々飲んでいたアイスコーヒーを勢い良く吹き出してしまった。

はっと醒めるようなビビッドなピンクのラインが入ったミニスカートから伸びる牛蒡のような土色の足、薄い胸板の上には明らかに寝不足のくまを目の下につくった見間違えようのない我が子、一方、足りない背丈に狭い肩幅、明らかにスーツに着られているのも我が子なのだが……

見違えたか、と一瞬婦人は思ったが、いや違う、それぞれが男なのに女性用の、女なのに男性用の衣装を着ているのだ。


「ご婦人、お二人方、どうぞ驚かれませぬように」

平身低頭に青年は言う。

「今はまだ、魔法がかかりきっていないい状態にいるのです。これからほんとうの自分になれる最高の魔法をおかけしましょう」

すると店の奥から一人の若い、いや、若く見えるのか、年齢不詳を思わせる女性がするすると出てきて息子と娘を店の奥へと連れていってしまった。



「おい、なんだい!おまえ、着替えていないじゃないか!」

「……」

妻は無言だ。私の会社での左遷が決まってから、うんともすんとも口を利てくれなくなり、今日もじつの所、妻には何でもいうことをきくと口説いて写真屋まできてもらったのだ。

「あぁ、どうしたんだい?気に入った衣装がなかったのかい?」

妻はつんと顔を背ける。まるでペルシャ猫だ……だが強く言えるほど、私は夫として、息子、娘の父親としての役割をきちんと果たしてきたかと問われればそうでもない。若いころに詐欺に騙され、三千万の借金を負い、稼ぎも少なく今も返済に苦しむ身だ。その上僻地への左遷ときた。妻も限界なのではないだろうか?熟年離婚の文字が頭をよぎり、私の頭は下がっていった。

ふと、妻の履いたオフホワイトのパンプスに茶色の小さなコーヒーの染みのようなものを見つけ、私は思わず妻の前に跪いて自分の着ていたシャツの袖で、そっとぬぐっていた。

そのとき、パシャリと歯切れのいいシャッター音を聞いたかもしれない……。


「イリュージョーン!!」女性店員が店の奥から声を張り上げた。

「「信じられないこれが俺・あたし!?」」

息子と娘の声の方に私は顔を向けた。

「?」

が、声の主を探してもそこにいたのは長身のツインテールが愛らしいパッチリ二重の少女に小柄ながらも艶やかな黒髪のオールバックが決まり、凛々しい立ち姿の青年だった……いや、何かと、引っ掛かった概視感に目を凝らすと……

「お、おまえたちなのか」「パパ……」

「親父……」


ツインテールの息子は愛らしく、オールバックの娘は凛々しく、応えたのだった……。




「御宅の旦那さん、素敵ねぇ」

斜向かいの家のおばちゃんの嫌みのない声かけに、婦人は「ええ」と微笑んだ。婦人の手にはごみ袋。中には息子が捨てた男らしさ、娘が捨てた女らしさ、そして丸めてぐしゃぐしゃになった「離婚届」が入っていた。



新天地に向かった一家の住むアパートの玄関を開けると、あの日、「町の写真屋さん」で撮ってもらった二枚の写真が出迎えてくれる。息子が娘に、娘が息子になった家族写真、そして婦人の前に恭しく跪いた夫を写したツーショット写真。写真館で写真を撮ったあの日から、一家に魔法がかけられたような幸せな毎日が始またのだった……



はじめまして。拙い文章ですが読んでいただきありがとうございます。こんな写真屋さん、行ってみたいと思っていただけましたらうれしいです。


感想などありましたらお気軽に銅像……

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