サイクルリサイクル
昨日、二年間付き合っていた彼氏と別れた。部活が忙しいとか、自分の時間が忙しいとか、こういうところが嫌いとかそんなこともないままいつの間にか別れていた。
きっと弁明の余地なんていくらでもあったと思う。嫌いだったところを直してほしいと言えたはず。その代わりに自分の相手が嫌っているところを直すからとも。
けど、そんな言い合いは起きなかった。まるで初めから私たちが恋人同士である関係なんてなかったかのように、私たちは自然に離れて行った。
あえて理由を付けるなら多分「私たちは別れる運命だったのかもしれない」ということだ。
今朝、親友のゆりかに一昨日のことを電話すると私の予定も聞かずに彼女は行きつけのカフェに来てと言ってきた。
休日ではあるが予定がなかった私はカフェへ向かうことにした。
適当にタンスから服を引っ張り出し、肩までついた髪の毛の先だけ軽くアイロンでかけた。ご飯はあちらで済ませればいいと考え、食パンをトースターに入れ、その間に最低限の化粧を済ませる。焼けた合図を聞き流しながら、キッチンからお皿とコップを取り出し、ようやく朝食を迎えた。
イチゴジャムの甘さと一緒に少し焦がしてしまったのか苦さが口の中に広がる。ぱっぱと手に付いたパンのカスを払い、コップに入れた水を一気に飲み干すと私は玄関へと向かった。
コルクボードに飾ってある家の鍵を取り、家から出た。
大丈夫。ご飯だって喉に通った。落ち込んでないみたい。
ドアを押すと、ドアに付いている鈴がちりんちりんと鳴った。その音に近くにいた店員さんがこちらに来て「お客様、一名ですか?」と尋ねて来た。
「いえ、先に友人が――」
そう言いかけたところで視界の端で手を小さく振っているゆりかを見つけた。
「それでしたらどうぞ中へ」
落ち着いた笑顔で店員さんは接客すると仕事に戻っていった。
席につくとゆりかは何も言わずに私を見つめた。
「何かついてる? 急いで出て来たんだけど……」
「むしろ何もついてない方がおかしい」
「え?」
そこで先ほどの店員さんが水を持ってきてくれ、その時にカフェラテを注文すると「どうぞごゆっくり」とどこかへ行ってしまった。
気まずい感じで水を飲む私にゆりかはゆっくりと口を開く。
「本当に何もなってないね」
「なにもって。目が赤くなってるとか腫れてるとか思ったの? そんなわけないじゃん」
「変なの」
「へ?」
「別れたことを抉りたくないだけじゃないの。運命って綺麗な言葉で片づけてさ。何も曝け出さないで、自分らを可愛く見せて上辺だけで付き合ってたのダメになっただけじゃないの。変なの」
「はは」
彼女の毒を含んだ言いぐさに空笑いが出てしまった。
「相変わらずゆりかはきっついなぁ」
彼女は昔からそうだ。
所謂一匹狼ってやつで何だって包み隠さずに言ってしまう。しかし、そこに悪気は一つも隠れてないのだ。
そんな真っ直ぐなところに私は憧れていた。
「今に限った話じゃないでしょ。で、どうなの」
「どうって」
「私は少なくとも別れた理由とかどうでも良くってあんたがそれでいいか心配なだけ」
心配。
それは私の心臓にガラスの破片となって突き刺さり、じくじくと透明な血がしたたり落ちる。
彼とのことを応援してくれたゆりかの期待にこたえられなかったということなのだ。
何度もアドバイスしてくれ、不安な時にいつだって相談を聞いてくれた。少し言葉がきつくたって私のためを思って言ってくれる言葉だって考えたら傷にもならなかった。
しかし、今はどうだ。
結局ゆりかに心配をかけてしまう自分が嫌になる。
「今、自分責めてるでしょ」
「え、え。そんなわけ」
「顔にそう書いてある」
そこで口を閉ざしたゆかりに何て言おうか迷いながら丁度運ばれてきたカフェラテに口をつけた。
「分かってる癖にあんたはそうやって自分に嘘ついてる。それって辛くないの?」
「何のこと?」
「普通に私と話せてることに安心してるんでしょ?」
「それは……」
言い淀んでしまった。まるでゆりかに気持ちが全て見透かされているようで怖かったのだ。しかし、彼女は私の中の本当の気持ちにまだ届いていない。
「安心っていうかさ。普通に自分がここに来れてこうしてゆりかと話せているんだなって。それに自分でびっくりしちゃっただけのことだよ」
視線を落とし、白い湯気に目が奪われた。何も考えたくなかったのだ。
理解している自分の気持ちも彼のことも全部分かりたくなかった。
「それほどに浅かったんでしょ、彼と」
「……ゆりか、聞いてくれる?」
しかし、返事は返ってこない。何も言わないというのは彼女にとってイエスを示しているのだ。
言葉で言ってしまうと私が頭の中で纏めきれていない言葉が出てこなくなってしまう。そんな私のペースに合わせてくれる思いやりなのだ。
「本当はね、喧嘩別れとかのが良かったんだけどね。何かきっかけがあるわけでもなく別れちゃったの。そこで気付いたんだ。何の反論も疑問も抱かないってことはだ、私はその分彼のことを何も知らなかったって。きっと彼もそうだよ。私と同じ気持ちだって信じてる」
「そんなことで信じるのっておかしくない?」
「おかしいかな」
「おかしいよ!」
珍しく大声を出したゆりかに私は目をしばたかせた。
「そんなの誰も変わってない。変わろうともしてない。朱莉はそれでいいの?」
「うーん、そういうこともあるかなって」
「朱莉、そのままだと本気で人を好きになれないよ」
彼女は誰かを愛する喜びを知っている。誰かを尊いと大事にすることが出来る。
恋人がいるのだ。詳細は全く話してくれないが私との話で出てくるのは初めてだった。
「誰かに好かれないと生きていけないってわけじゃないじゃん」
「生きていく生きていかないの問題じゃなくて。せっかくのなんだからさ」
「……いいの、別に」
「やっぱ、まだ引きずってる」
「引きずってない」
「なら気持ちを断つために髪を切りにいくか」
そう言っていきなり席を立つゆりかに私は呆然としていた。
結構ピリピリしていた空気だと思ったが、ゆりかはさっきと変わらない感じで何も言わずにレジへと向かった。
私は急いでカフェラテを飲み干し、ゆりかの後を追おうとする。そこでふと水が入っていたコップの下に紙きれがあることに気付いた。
『もっと頼って』
と書いてあった。
私は小さく折りたたんで緩んでしまう口元を引き締めながら今度こそゆりかの後を追った。