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3(立ち往生)

   ※


「町村ってデンパだわ」

 自分の奇行を棚に上げてあたしはいった。

 何処で如何にしてはでっち上げ、罰ゲームを図らずも成し遂げたことをふたりに話した。


 補習参加者は鐘が鳴ると我先にと帰るが、あたしたちはお昼を食べつつダベる。

 清水とあたしはお弁当で、吉川はコンビニのパンとかサンドイッチとか。


「知らなかったの?」吉川は小首を傾げ、「あ、そうか」納得した。「マリちゃんたち学区、違ったもんね」

「小学校じゃどうだったのさ」チキンナゲットを口に放り込んだ清水の問いに、吉川は少し考え、「ちょっと怖かったよ」

「はぁ?」あたしはホウレンソウの卵焼きをお箸でつまんだまま、吉川の顔を見た。

「独り言とか多くて、」少しいい淀み、「いじめられてた」

「ふうん?」あたしの相槌に、吉川は憚るように声を潜めた。「でも、ぱったり止んだの。いじめてた子が立て続けにケガをして、」

「町村がやったん?」と清水。

 まさか、と吉川は首を横に振った。「事故。鉄棒から落ちてたり、階段踏み外したり、他にも──」視線を泳がせ、「色々あったよ」小さくメロンパンをかじった。

「それと町村が関係してるって?」とあたし。

「知らないよ」やっぱり吉川は首を横に振った。「でもみんな町村くんには近づかない感じになって、」


 どうにも奥歯に物が挟まったような吉川に、それ以上聞くのは良くない気がした。

 確かに町村は変わっていると思う。

 けれども孤立しているようでもない。

 実際のところ男子の間でどう扱われているかはあたしの知るところではないけれども、ただ、「怖かった」という吉川の言は、昨日、橋の上で出会すまでなら笑い飛ばしていたと思う。


「そいやさ」ふと清水が口を開いた。「期末の後、日直で日誌持ってた時に先生の机の上にあった補習者リスト見ちゃったんだよね」

「ふうん?」あたしは続きを促した。

「町村の名前があったんだけど、消されてたんだよね。こう、ぐしゃぐしゃって感じで」

 あたしはお箸を持つ手を止めて、清水を見た。

 なんだか不穏な気がした。

「普通さ、横線じゃん? 名前消すなら」

「そうだよね」吉川が同意する。

「まるで塗りつぶすみたいでさぁ」つい、と清水は窓の外に目をやった。「何で今日いたんだろ?」

 すると吉川は口元を隠し、上品に笑った。「マリちゃんからお誘いあったからだよ」

 すると清水は満面の笑みをあたしに向けて「そっか!」すごく納得した。

 卵焼きを口の中でもぐもぐしながらあたしは首を振った。

 そんなこと、ないったらない。


   ※


 夕方、母に頼まれたお使いから帰宅すると、ちょうど家の前で父とかち合った。

 父は祖母の手を引き、帰宅したところだった。「おかえり」門扉を片手で押さえてくれた。

「ただいま」あたしは玄関横に自転車のスタンドを立ててふたりに次いで家に入った。


 祖母はまたどこかへひとり出てしまったのだろう。


 祖母が行きたい場所なんてのはその日その日でころころ変わる。

 あたしが知るのはその断片で、子供の頃に過ごした土地だったり、嫁いだ頃の近所だったり、記憶の中身がごっちゃになっている。

 だから祖母は絶対にたどり着けない場所を探している。


 それでも出かけずにはいられず、現実と空想の狭間で立ち往生するのだ。


   ※


 誕生日が夏でいいのはアイスケーキが甘くておいしい。

 残念なのは暑くて麦茶ばかり飲んじゃうこと。お腹が少しゆるくなること。


 補習の前半が終わり、後半は八月下旬。

 宿題の質疑だとかも追加でやってくれるという。

 既に出された課題の半分以上を終えおり、お盆の前にはすっかり片づくはずだ。


 お盆といえば、清水と吉川は田舎に帰省だとかで、親戚とかいないあたしには少し羨ましい。

 清水は南へ、吉川は北へ。

 お土産に期待。


 それは誕生日の前日のことだった。

 セミは変わらず喧しく、しかし空気は少し違っていた。

 トイレの水かさが低くなり、風は湿気を巻きながら吹き抜けて行く。

 颱風が近づいていた。

 中型のそれは夜半過ぎから早朝にかけて通過するらしい。

 今夜はひどい風雨を覚悟せねばいけないようだ。

 とはいえ、寝ている合間に過ぎ去るのならそう悪いことでもないと思う。

 町村からケータイに電話があったのは窓ガラスがガタガタ鳴り始めた午後も夕方に近い時間だった。「近くに来てるんだけど」

 なぜ、と訊くのは憚れた。あたしは素直に家を教えた。

 特に目印だとか伝えなかったけれども、既に知っていると確信していた。

 あたしは急いでTシャツの上にブラウスを着て、ショートパンツをハーフパンツに履き替えた。

 ヘアゴムで髪を括っていると呼び鈴が鳴った。ビーチサンダルをつっかけ、慌てて外に出る。

 びうびうと灰色の千切れた雲が流れて行く。

 ぱらぱらと申し訳程度の雨粒が風に吹き流される。


 町村は蛍光のイエローともグリーンとも、どっちつかずの色合いの、とにかく目に痛い雨合羽レインコートを着ていた。腕と胸に反射テープが縫い付けられている。

 肩に小ぶりの青いクーラーボックスを下げていた。

 それは濃緑色のベルトで決して開けてはいけないものかのように、十字にがっちり結ばれていた。


「何か?」傘も差さずに門の外であたしは出迎えた。

 風に吹かれた雨粒も、ひとつひとつは大したものでないけれども、じんわりブラウスを湿らせた。

 町村は片手をごそごそとレインコートの中に入れると、薄茶色のそれを引っ張り出し、「ん、」あたしの手に押し付けた。

 思わず受け取ったそれはヒョウタンだった。

 すっかり乾燥していて、びっくりするほど軽く、空っぽのようだった。

 くびれに赤と白で編んだ紐が結ばれ、てっぺんはコルクで栓がしてあった。

「濡らさないように」

 いわれてあたしは前かがみになりブラウスの裾からお腹に差し入れた。

 結構な容積でぽこっと膨れたが、これで雨粒は避けられよう。

「なに? これ」

「おまじない」さも当然とばかりに町村はいった。「今夜寝るとき、手首にその紐で縛っておくこと」

 次いで肩から下げていたクーラーボックスを押し付けてきた。

 ぐいぐいと強情とも思える仕草で、結局あたしはそれも受け取った。

 さして重たくもなく、やはりこれも空なのではと訝った。「なんのつもり?」

 しかし町村は「さあ」他人事のように応えて空を仰ぎ見た。頬をぽつぽつと雨粒が濡らした。

「中身、なに?」

 あたしの言葉に町村は視線を向けて、「どうしてもダメだと思ったら開けて判断すればいいかな、と」

「……気持ち悪いんだけど」

 すると町村は、ふ、と自然に微笑んだ。

「中、見ちゃダメ?」

「開けずにいられるならそれでいい。知らないでいられたらそれでいい」

 そんな物いいにあたしは居心地の悪さを憶える。「……今晩、何があるっていうの」

「善意とはちょっと違うかもしれないけども悪意はないつもり」

 なんともはっきりしない返答で、どうにもすっきり信用できない。町村は、「気をつけろよ」軽く手を上げ、じゃあな、と暇乞いをした。「風にも、雨にも」


 あたしは珍妙グッズを抱えて家に戻り、お腹から紅白の紐がだらっとだらしなくぶらさがるヒョウタンを取り出した。

 それは濡れずにすんだが、服の方はすっかり湿っていた。

 着替えようとして、濡れたブラウスにTシャツがへばりつき、下着が透けているのを鏡越しに知って頭を抱えた。

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